今年は旧暦の正月が、今日、2月5日にあたる。
3日が「節分」,4日が「立春」,そして5日が「元旦」である.
わが国では旧暦の元旦を「旧正月」といって、いちおう天気予報とかでは話題にするが、生活文化の面では、立春の前日である「節分」が豆まきの習慣としてのこっている。
じぶんの歳の数に、豆をひとつ足してたべて「数え年」としたから、節分・立春・旧正月のどれもがみんな「年越し」だった。
今日一日しかない、というおもいこみがない。
おおらかがふつうだったのだ。
毎日があんまりかわらない生活であったのだろう。
そのわりに、人生五十年だったから、豆の数をかぞえると、お迎えの時期の早さに気がついて、年越しを3日くらいやってちょうどよかった。
このうちに立春もふくまれるから、正月は「初春」になるわけだ。
いまの年賀状は、その意味でもめちゃくちゃになっている。
北陸地方では4日未明の強風が「春一番」に確認されたというから、「立春」にほんとうに春がやってきた。
暦は旧暦でみると、やっぱり正確さがある。
明治5年以前の日本人は、ずっと旧暦で生活していたから、太陽暦の新暦になってまだたかだか150年しかたっていない。
それで、旧習と旧暦が現代にも入りこんで、結果的にずいぶんとややこしくなっている。
食品廃棄が懸念された「恵方巻き」は、関東の風習ではなかったが1990年代に全国チェーンのコンビニが仕掛けてひろまった。
「洋物」のバレンタインデーやホワイトデーも、普及したのはお菓子屋さんのおかげだし、さいきんではハロウィーンも「商魂」による。
宗教的な物語はヨコに置いて、とにかく楽しむという日本人の特性は、たくましくもあり浅はかでもある。
カトリックのさかんな国には、ハロウィーンはないから、近年ヨーロッパに逆輸入されているのは、「ご立派」なクールジャパンの例になっている。
旅行業界は,「春節」の休暇をターゲットに,日本への旅行販売に余念がない.
中華帝国の影響を受けて,「春節」を国民の祝日にしている国は10カ国をこえる.
それで,国内の春の旅行ニーズを先取りするのは,このひとたちなのだ.
戦後のあたらしい中国は,わが国の「進歩的文化人」と呼ばれるひとたちが「絶賛」した,文化大革命という名の破壊活動によって,伝統文化や風習を徹底的にこわしてしてまった.
2000万人ともそれ以上ともいわれる犠牲者がいるから,この破壊には生存がかかっていた.
いわゆる農村からの旅行者を中心とした層の「マナー」が問題視されるのは,文化大革命の結果の申し子たちだとかんがえると,残念ながら彼らは,文化的な教育,をうけてはおらず,ぎゃくに文化的でないことをしないと身の安全がはかれないという体験をしたはずだ.
都会と農村とでは,国内パスポートで優遇のある都市住民なら,自国の歴史的遺物がほとんどのこっていないので,外国の歴史遺物を観光することは,「観たい」という要求と「ない不満」が交差するだろう.
それで,たとえば日本軍が破壊したのだ,という物語をつくって外国のせいに転換するのは,国内的には有効かもしれないが,責任転嫁される外国には迷惑になる.
日本に住んでいると,歴史を感じるモノや文化が日常にあるから,あまり気にしないものだが,たとえば,わが国最大の地方自治体になった横浜市中心部には,開港以来の明治期に建てた「歴史的建造物」はいくつか現存するが,それ「だけ」しかないのである.
「ハイカラ」が売り物だった街の,新しさが陳腐化すると,のこりは無残である.
しかし,「新しさ」は,できた瞬間から劣化がはじまる.
「みなとみらい」にはじまる一連の開発が,すでに珍しくないのは,以上の理由による.
文化大革命と同様に,新しさだけではいけないということなのだが,幸いにも横浜にはちかくに鎌倉があるので,陳腐な街の埋め合わせが容易にできるようになっている.
東京と大阪のまん中にある名古屋にやってきた.
何回も出張で訪れた街だが,まともに観光したことがない.
それで,名古屋人が口にしない「名古屋城」にもいったことがなかったから,せっかくなのでいってきた.
愛知県庁の建物がずいぶんグロテスクにみえたのはおいておいても,かつての城郭に県庁が鎮座しているのは,福井もそうだが,一種の文化大革命が日本にもあったことがわかる.
封建時代がおわって,役所が支配する時代になったことを,わかりやすく表現したのだろう.
だから,ふるい城には用がない,という強い意志をかんじる.
それは,近代役所建築がならんでいる光景で,その合理的で無機質な建物群は,どこかで観たと記憶のページがうごきだした.
「ワルシャワ」である.
名古屋の官庁とお城の付近は,社会主義国のすがたにみえた.
広大な名古屋城の場内は,ワルシャワ市民のいこいの場である「ワジェンキ公園」に似ている.
この公園は大統領府のとなりにあって,かつての宮殿があった場所で広大な庭がひろがる.毎週末には,ショパンのピアノコンサートが無料開催されているけど,演者は世界的なピアニストばかりだ.
名古屋城大手門の前にひろがる大駐車場も,スターリンが衛星各国にプレゼントした「文化科学宮殿」前の広場を彷彿とさせたのにはちょっと驚いた.
横浜にはないものを名古屋で観ることができた.