日本の新聞を読んでいても、世界が見えてこない。
ならば購読の意味がないし、所得の減少も手伝って、新聞を読まないひとが増えている。
テレビのニュースもおなじだし、余計なコメントが耳障りだから、こちらも観ない。
さぞや困るだろうと、新聞やテレビの作り手は思うようだが、どっこいぜんぜん困らない。
却って、ネット配信の無料ニュースで事足りることに慣れてしまった。
情報が足りないと思ったら、自分で探せば、その筋の専門家が丁寧な解説を、これまた無料で教えてくれる。
ネットなんて信用できない、というのは、いったいどこのサイトを観ているのだろう?
ほんとうはしっているのに、しらないふりをしているだけだろうから、余計にたちが悪いといまどきの一般人に思わせる。
逆効果はなはなだしいのだ。
昭和15年の「国家総動員法体制」が、そのまま戦後の体制に引き継がれた(なにも意図しなかったので「自動的」に)から、各都道府県に一紙という、紙とインクの配給体制も残ったが、県庁と取り引きする地銀も同じで、もうもたない。
それで、民間の好きにさせればいいものを、相も変わらず国家総動員体制の役所が口を出して、民間の好きにさせない。
なのに経営責任だけは民間が背負うことに、じっとガマンしている民間もどうかしているのは、株主すらも「お国の命令にしたがう」ように思考訓練されているからである。
役人から出てくる案が、金太郎飴なのは、全国一律で同じにしたいからだ。
「日本列島改造論」は、なにも土建屋だけの分野が対象なのではない。
ならば各都道府県は、何のためにあるものか?
明治の官撰時代のつづきで、知事を筆頭に中央政府の役人かタレントでことが足りるように、さいしょからなっている。
行政における競争は、こぞって若い夫婦の受け入れに熱心で、どちらさまも高齢者の移住を嫌がるのは、自治体の社会保障負担が増えるからだ。
国全体で人口が減るのに、自分の自治体だけを増やしたいと画策する無駄な抵抗の根拠はこれだ。
そんな自治体は、駅前再開発をすれば、街が繁栄を取り戻すという発想で、貴重な資源が無駄遣いされている。
まことに愚かの極みが、まじめに実行されるこわさがある。
いまは「北端」の、稚内駅が再開発されて、どこでもおなじ「ガラス張りの駅舎」になった。
どうやっていまどきここからロシアに行くのかしらないが、「日ロ友好最先端都市の形成」が設計テーマだという。地図で「近い」だけで、「最先端」になれるらしい。
漁船で密出国でもしたいのか?
毎年夏期だけ運行された、稚内と(むかしの北端の)サハリン航路も、今年は運行されなかった。
70年代からこっち、巨大な人口の「団塊世代」が、豊かさと若さにかこつけてこぞって向かったのが北海道だった。
そんなひとたちの、青春の想い出さえも、再開発は取り壊してしまった。
ただ古いものを残せばいいというものではないが、「あゝ懐かしい」というこのひとたちの「価値」を吹き飛ばして、「日露友好」とは、トホホなのである。
いったいどこから人を呼んで、いったいどのくらいお金をつかわせたかったのか?
計画にあたったトホホなひとたちには、一生わかるまい。
「事業コンセプト」が狂っている。
地元紙は、さぞやきれいな駅舎なら、おらが自慢と書きたてて、ムダな投資をあおったことだろう。
価値観の時計が、昭和で止まっている。
みずほ銀行が、現役の53歳以下には、企業年金を減額すると決めたらしいが、それを補充する行員向けの積み立て商品はつくらないのか?
役人が適当に、大金を運用するより、よほどいい。
他行で運用したい行員が、どれほどいるのかも興味あるが、国もはやく社会保障(国民皆保険)制度を「やめる」と宣言すべきだ。
この制度こそが国民を「堕落」させ「国家依存」に誘導する、諸悪の根源である。
年齢別に終わるスケジュールをはやく発表して、いまの若年者層やこれから生まれてくる子どもたちの負担を軽減させないといけない。
日本人が、外国の銀行に口座をつくることが、ほぼできなくなったのは、日本国内ローカル法である金商法(金融商品取引法)の適用を、ご丁寧かつお節介にも外国の銀行にも求めたからである。
しかも、すべての説明を日本語でせよと金融庁が頑張った。
おかげで、相手にされなくなった。
アメリカ議会は、国内法の「台湾関係法」や、このたびの「香港人権法」を上院は全会一致で成立させた。
わが国が、国内法でできない理由はないけれど、社会の木鐸たる新聞が「書かない自由」を選択したことで、その役割を終えてしまった。
もはや戦後ではない、ばかりか、もはやわが国はアジアの盟主でもない。
自由と民主主義という「共通の価値観」なんて、絵に描いた餅、ただのうわごとだったと世界に向けて発信中だ。
なにもしない、ということは、そういうことである。
新聞が天下国家を論じないのは、脳までが萎縮している証拠である。
縮む日本をつくる責任の一端に、まちがいなく新聞もふくまれる。