恒例の初詣

2020年、新年年頭にあたって

まいど恒例の「初詣」。
午前中、祖父母と両親が眠る寺に年賀の挨拶をして、境内に墓参する。
小学生のときからの、「家」の元旦行事である。

午後は、同級生たちと伊勢山皇大神宮にお参りすることになっているが、これはおもに「厄払い」がきっかけだった。
それでも、もう20年、欠かさないでいるから、事前に集合場所や時間の連絡もしないで全員があつまる。

参拝後は、中華街で新年会をやる。
この会場には、紆余曲折があって、野毛の飲み屋街で開いている店に飛びこんだのがはじまりであったが、元旦から開けている店をさがすのはずいぶんと難儀した。

二年目には、おなじ店が開いていない。
それで、さまよったあげくに、また一軒の店をみつけて、ここをしばらくの「会場」にしていた。

ある年、「いつもの」時間よりすこし遅くなって到着したら、主人に「よかったー」といわれた。
年末からの仕込みがパーになるとおもったと安堵されたが、なにしろ年に一回しかいかない店だ。

お酒を追加するたびに、正月「だけでなくて」いらしてくださいよ、と主人がいうけど、全員がニヤニヤするばかりであった。
そのうち、この店が別の店になっていて、元旦営業もやめていた。

無計画はそのままだから、いつものといっても年一回の店がなくなると、ふたたびさ迷うことになって、こんどは福富町の韓国家庭料理屋におちついた。
焼肉だけが韓国料理のはずもないが、なかなか「家庭料理」という感覚もないものだから、メンバーには好評だった。

だいじょうぶ、うちは日本のお正月は関係ありませんから。
そういいながらも、かなりの繁盛店だ。
そうこうしているうちに、ある年、店が開いていない。
いつもあんまり忙しいから、「正月ぐらい休もう」になったという。

それではこまるわれわれは、とうとう「中華街」にまでたどり着いたのである。
「日本」をでて、「韓国」に寄っていたら、とうとう「中国」にまで到達したという気分である。

ここは「春節」があるから、「旧暦」の街だ。
でも、「春節」は、ドッと街に客が押し寄せるので、稼ぎどきになっている。

いったい、いつ休むのかわからない。
ただ、ちょっと前までは、中華街も正月は静かだった。

「働き方改革」で、ことしは元旦にスパーが閉まっている。
正月に店が休むのは、昭和の時代にコンビニがなかったころまでは当たり前だった。
だから、なれない買いだめをして、家に引きこもるか他人の家を訪問してすごした。

ここには「親戚」という人たちも集合したから、甥や姪へのお年玉もあった。
年末のボーナスの意味を、実感できたものだ。

あんまり暇なら、せいぜい「正月映画」を観に行くくらいで、鑑賞後に開いている店などないから、そのまま帰宅していた。
けれども、暇人はたくさんいて、映画館の混雑に辟易したものだった。

こうして、賢人は自宅で「寝正月」を常としたのである。

そんなわけで、人間は「いつものこと」が「いつもどおり」であることに安心する性質がある。
年にいちどの「いつも」が、だんだん回数をかせねると、なんだかこの「いつも」がありがたくなってくる。

同級生たちとの会話に、いつのまにか「あと」とか「まで」という時間区分がはいりだしてきた。
どうせ「あと」20年もしたら、とか、70歳「まで」、「あと」10年とか。

若いころには想像もできない時間区分が話題になっている。

それに、ポツポツと、同級生や同学年だった友人の訃報も聞くようになってきた。
だいぶみじかい人生が、切実だ。

来年は人生最後の「本厄」になっているから、本殿でのお祓いをしよう。
それから、再来年、、、、、と続くのはまちがいない。

かくして「恒例」が実現しつづけることは、じつはもっとも「おめでたい」ことなのだ。

うまくできているものである。

ことしもまちがいなくやってきた、「新年」だ。
あらためて「おめでとう」ございます。

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