アメリカ合衆国という現代を代表する文明国で、一部とはいえ連邦政府機能が一ヶ月も停止している。
理由はなんであれ、わが国だったらかんがえられない事態であるが、大混乱にいたっていないのはどうしたことか?
「日本国籍」があって、日本国に「居住」していて、「日本語」を話せば、定義として日本人になる。
ここに特定の宗教が「ない」のが、むしろ日本的でもある。
真逆はユダヤ人の定義だ。
ユダヤ教徒という宗教「だけ」で、「ユダヤ人」と呼ぶから、国籍も人種も関係ない。
その日本では、日本人はふつう日本語しかできない。
かくも外国語が不得意で、近代文明を享受している国民は他に類がない。
さいきんはネットで投稿動画がかんたんに視聴できる。
そこで、日本好きのアメリカ人とオーストラリア人コンビが、日本語でさまざまなレポートを配信している。
ある動画では、東京の焼き肉店で料理を注文するのに、日本語のメニューで苦労しているのだが、店員がもってきた英語のメニューの「英語がわからない!」といっていた。
「あんた、なにいってんの?英語だよ!わかるじゃん」
「あゝ、ヨコ文字みるときもちわるくなるから読みたくない」
「それはわかるね、よくこんなの読んでいるわ」
日本に慣れた瞬間はなにか?という外国人ネタの定番は、外国人が日本ではじめて会う外国人に、何語ではなせばよいのかわからなくなったとき、という回答がある。
もっと慣れると、道で見知らぬ外国人にすれ違うと、「あっガイジンだ」とおもって、なるべく声をかけられないようにする、という回答もおおい。
どうやら外国人が、かなり日本人化する、なにかがこの国にはあるようだ。
それで、日本語のニュースしかしらない日本人と、情報という面でも一体化できるのだろう。
アメリカ連邦政府が止まって、こんなことになっているというニュースが、ネットでも目立たないのである.
ちらりと出た記事に、「連邦政府職員80万人」とあった。
日本における国家公務員数が引き合いに出されないけど、わが国の一般職公務員はざっと64万人の5:4、すなわち1.25:1である。
それで、人口はアメリカが31千万人、日本が12千万人だから、2.6:1になる。
単純に、わが国の公務員数はおおすぎる。
人口比なら、30万人程度でよいことになってしまう。
もちろん、あちらは「州」という実質「国家」があつまっている「連邦」だから、単純比較は乱暴だ。
対して、OECDの調査では、日本は世界最低レベルの公務員数なのだ。
どうやら、国際比較における公務員の「定義」に問題がありそうだし、業界支配を考慮するのは困難だ。
一方で、教育社会学者の舞田敏彦氏による2016年10月5日『ニューズウィーク日本語版』によれば、日本の公務員の収入レベルは世界的に突出している。
その安定した「身分」も考慮すれば、よくある「役人天国」という指摘とあいまって納得できるものだ。
国際比較における定義の問題では、公務員に軍人をいれることや社会保障事業の取扱がある。
とくに日本では、介護事業者などのあつかいを公務員とはしないだろう。
また業界支配では、自由に参入ができない事業分野や、自主的に料金を決定できないタクシー事業なども、わが国では公務員とはいわない伝統がある。
連邦政府の機能がとまるとどうなるのか?ということは、国民に「もし連邦政府なかりせば」ということの重要さも、不要さもあきらかにされる。
じっさいにいま、アメリカ合衆国でおきていることは、たっぷりウオッチされていることだろう。
日本だったらどうなるのか?
これは十分に興味深いテーマである。
なにが必要で、なにが重要で、なにがどうでもよく、なにが不要なのか?
念のため、ここでは「誰が」ではなく、「業務」であることに注意したい。
いろんな「業務」がとまって、こまるひとは「誰か」は、とまってみないとわからない。
じつは、予想外にこまるひとはいないかもしれない。
かえって、自由競争が促進されれば、誰が日本経済を停滞させていたかが明確にもなる。
かつて、わが国で政府機能がマヒしたといえるのは、70年前の敗戦直後しかなかった。
安定した政府の存在は、ふつう国民にとって望ましいことではあるが、支配力が強くて安定した政府は、国民にとって望ましくない。
そういう意味では,たまには政府機能がとまるのは、国民にとってわるいことばかりではない。
しかし、残念だが実験ができない。
だから、思考実験という方法しかない。
かんがえる、ということだ。