さいきん「消費税反対マンガ」をネット上でみつけた。
『私立Z学園の憂鬱』というシリーズで、アテレコつきのバージョンとマンガバージョンがあって、一方はユーチューブ、もう一方はウェブサイトにある。
へたな評論家の解説よりわかりやすいのが特徴だが、わかりやすいからといって読者に媚びてはいない。
むしろ、各種資料の正確さと、もちろん論理の構造は、これまでにないクオリティではなかろうか?
作者は、拡散希望、としとしているから、本ブログの読者にもぜひ拡散されたい。
むかし、「マドンナ旋風」なる国政選挙に「風」がふいて、土井たか子社会党がさいごの輝きをみせたとき、たしかに「消費税反対」のワンイシューで、大量の議席を得たものだった。
「わるいものはわるい」という絶叫も、なんだか頼もしかったものだ。
しかし、国民は「どうして消費税がいけないの?」という問題を解いたわけではなく、むしろ、気分に乗っかったというのがただしく、この選挙のつぎの選挙では、「マドンナ」たちの姿はみごとに国会から消えてしまった。
『私立Z学園の憂鬱』では、主人公の女子高生が、「どうして消費税がいけないの?」に、さまざまな角度から回答している。
だからといって、ホンモノの女子高生がこの主人公のような回答ができるとはかぎらないが、ホンモノの国会議員だった「マドンナ」たちよりも、知識と度胸にすぐれていることはたしかだろう。
主人公と議論して、そして、みごとに論破されることが、ゲスト出演者たちのパターンになってはいるが、論破される側の自信に溢れた態度も、そのほとんどが「財務省」による洗脳と、つくられた社会的地位にあるのだわかると、痛快かつマンネリである。
とくに「ケイ団連会長」が出演する回では、消費税を大企業は払っていない、という微妙な表現がある。
消費税を負担しているのは消費者だから、大企業の商品やサービスを購入した消費者がしはらった消費税は、「預かり金」として「負債計上」されることになっている。
だから、消費税の納税期日まで、企業は「資金」として運用利用はできても、基本は耳をそろえて払わなければならない。
しかし、公共の施設での消費のばあい、消費者がしはらった消費税が、公共の事業者からいったん納税されるものの、「還付」として公共の事業者にもどってくる仕組みがある。
この公共の事業者がやっている事業が、民間の事業と変わりがないばあい、これをほんらいは「民業圧迫」という。
地方自治体のどちらさまも、一般消費者からおかねを受けとる収益「事業」もはじめているから、さいきんでは「民業圧迫」は死語になりつつあるのに、実態はあからさまにやっている。
また、作品中、輸出産業のばあいの消費税還付を指摘しているのは、事実であるが、だからといって還付をうける企業の直接的批判にはならない。
むしろ、消費税分の取引価格の値引き要請が問題なのだ。
この値引き要請ができる理由に、消費税を自社がはらっている「経費」の一部だという現場責任者の勘違いがある。
それで、「会社のために」消費税分を取引先企業に値引き要請するのだ。
消費税は消費者が負担する、ということを忘れた結果だが、根本に社内教育の不備が原因だといえる。
消費税の税収が法人税減税とバーターになっている。
これは、作品中の高校生にバカにされるほど単純な操作がおこなわれている。
作品の高校は超エリート校という設定だから、じつは先輩たちはなにをやっているのか?という不審につながる疑問だ。
本作よりはるかに「軽い」設定であったが、2008年に放映されたドラマ『パズル』も、超エリート校を舞台にしていた。
自分たちより頭のいい人間はいない、という高校生たちの「思い込み」が、トンチンカンをうむ物語だったが、本質はおなじである。
財務省という、この国に「自分たちより頭のいい人間はいない」というかんがえをする集団が、社会のすべての面でトンチンカンをうんでいる。
とにかく、トンチンカンたちが国家予算を査定してつけるのだから、各省各庁にもれなくトンチンカンがコピーされるのは、マンガよりわかりやすい。
さてそこで、問題である。
この『私立Z学園の憂鬱』における「消費税反対」の論に、あなたならどんな「反論」をするのだろうか?
あるいは、どんな「反論」ができるのだろうか?
じぶんはあの「マドンナたち」とはちがう、なら、主人公を「論破」できるものかに挑戦するとよいだろう。
あんがい、主人公の主張を「強化」する論法の方がおもいつくかもしれない。
それが、また、トランプの経済政策に似ているなら、さあ、どうかんがえることにしましょうか?
地上波をみても時間のムダだが、ネットにはいがいなネタがころがっている。