突然スマホの警報が鳴ったから、なにごとかと構えたら、地震ではなく「音声メッセージ」が読み上げられた。
これはこれで、初めてなので驚いたが、その内容にまた驚いた。
「自粛」まではいいけれど、「強制」となったら憲法問題になる。
このことをすっかり忘れているひとが、経済担当大臣だったり、知事たちだったりする。
みんなで憲法違反しても感染阻止のため、が通じるなら、首相の緊急事態宣言の意味は「憲法停止」になってしまう。
しかし、こんなことができるとは憲法のどこにもないから、やっぱり「憲法違反」だ。
すると、経済担当大臣が担当しているのは、経済破壊工作、ということか?
「政府になんでも反対」でしられる、愛媛県知事が「自粛延長しない」と、全国の知事ではじめて表明している。
ほんとうに「政府になんでも反対」一本であったなら、まさに、偶然でも「場外ホームラン」をかっ飛ばした感がある。
ただし、愛媛県がより濃く県民に、「なにかに触ったら手を洗う」よう注意喚起しているかは、神奈川県にいるわたしはしらない。
神奈川県民の精神構造は、横浜市民という県の存在を無視する巨大なかたまりがあるため、あんがい複雑である。
これに、相模川と境川という河川が、地理的にも歴史的にも「分断」しているので、三次元的に入り組んでいる。
相模川は、県央にあって、ほぼ南北に流れているから、この川の東西で文化がことなる。
しかも、現在においても「橋」がたくさんあるわけではないので、気軽にこの川を渡れない。
境川は、その名の通り、「国境」だった川で江ノ島からさかのぼれば八王子まで続く。
相模国と武蔵国との境だった。
つまり、現在の神奈川県とは、相模と武蔵の国からできている。
もっとも、神奈川県が最大の区域だった、廃藩置県後の明治期は、これに「三多摩」も含んでいたから、埼玉県が隣県だったし、東京は、「都」ではなくて「府」だった。しかも、「東京市」ができたときは市長が府知事を兼務した。
かんたんにいえば、東京23区と島嶼以外の「都下」は、世田谷区の一部もくわえて神奈川県だったのだ。
それが、いまのようになったのは、玉川上水の水利権争いともいわれているが、三多摩地域では「自由民権運動」がさかんで、これを嫌った当時の「官選知事」が「分断」をはかるために神奈川県から切り離したという「説」もある。
その証拠に、三多摩が東京府に移管されるとき、三多摩の首長たちは辞表までして反対したというから、民主主義「だったら」いまでも神奈川県だったかもしれない。
とはいえ、横浜市水道の水源地、山梨県道志村議会が全会一致で決議した、横浜市への合併案は、山梨県と神奈川県とがはかってこれを「無視」して、「許可しない」ことを決めたから、地元の民意をなんともしない現代の民主主義もあやしいのである。
そんなわけで、神奈川県と東京(府や市)との確執はいろいろな分野にあった。
昭和30年代から40年代のはじめ頃まで、東京だっていまのような東京ではなかった。
東京が周辺を呑み込んで「首都圏」を形成するにおよんで、様相が変わるのである。
それが、産業構造の変化であって、個人商店とか、地元での仕事がなくなって、遠くまでの「お勤め」が必要になったからである。
日帰りの「出稼ぎ」が日課になったということだ。
東京側は意識しないだろうが、神奈川県側で意識しているのが、「対抗意識」なのである。
ちなみに、神奈川県民は東京以外を意識しない。
千葉県や埼玉県のひとには申し訳ない。
なお、北関東3県が、どういう順で東西に並んでいるかもわからないひとがいるのは、西から東に「群馬」「栃木」「茨城」をいいあてて、ホッとしながら「自慢」するおとながたくさんいるからわかるのである。不思議と東から西にはいわないが。
つまるところ、冒頭のメッセージは、パフォーマンス好きの都知事に、なんとか対抗せねばならない、という意識のあらわれということだけなのである。
知事ができること、を有権者はどこまでしっているのだろうか?
あるいは、知事でもできないことのことをいう。
つまり、わたしたちは、「知事選挙」の有権者ではあるのだが、だれを選ぶか?があまりにも優先してしまって、だれであろうが知事職として「できる範囲」をしらないままで投票している。
それが、無限大の権限をもっていると、県民も知事本人も「錯覚」する原因ではないのか?
中学校でならったはずの「公民」は、おとなになってもならわないと、制度変更のながれについていけない。
有権者が制度をしらない、ということの重大性は、それこそ民主主義をあやうくする原因となる。
「生涯教育」のなかに、「必修」があるとすればこれである。
さてそれで、県知事の職務範囲は、どうなっているのか?を解説する教科書はどこにある?
あたらしい、自由民権運動が必要なのではなかろうか?