結果としての「コロナ福」

秋のお彼岸連休がはじまった。
太陽に面する「公転面」に対して地軸が23.4度も傾いているおかげで、間もなくやってくる「秋分」を境に、冬至まで日が短くなる。

季節は、日照時間の違いもさることながら、太陽からの日照角度によって受け取る熱量の違いによって変化する。
夏の太陽が真上から照らすのと、冬の太陽が斜め上から照らすのとで、地表が受け取るエネルギーが違うのである。

真上からは多く、斜め上からだと少ない。
わが国の位置が、北緯でいうと45度よりもやや南にあるので、温暖ゆえに「四季」がつくられる。

北であろうが南であろうが緯度が高くなる(極地に近づく)と、夏なら白夜になり、冬なら日が昇らない。
赤道ならば、年間を通じて日照時間はかわらないし、春分と秋分には、太陽は真東から昇り、真西に沈む。

エジプトのスフィンクスが見つめる星座の位置を、「歳差運動」に結びつけた歴史ミステリーが『神々の指紋』だった。

 

べつだん、四季があるのはわが国「だけではない」けれど、季節の移ろいをあらゆる文化に定着させたのは、日本人の感性がなせる技ではある。
これが、仏教の「彼岸」になったのは、この世である「此岸(しがん)」にいるものたちが修行して、悟りの境地(彼岸)にはいることができるとされたからだった。

新内閣が発足して、すぐのお彼岸に思うことを書いておく。

なんといっても今年は、「コロナ禍」の渦中にあって、いまだにぜんぜん改善していないようにみえるのは、マスコミ報道が、相変わらず「PCR陽性者」を「感染者」とする誤報を繰り返しているからである。
もちろん、検査を増やしているから、陽性者の実数も増えている。

まったくもって、『黙示録』的な様相なのである。
もちろん、『黙示録』は、新約聖書の最後にある文書で、これにはキリスト教的「終末論」がある。

「コロナ禍」を終末論的に見たてれば、それは、科学や医学を無視した人間社会がつくりだした病気という意味でとらえることができる。
「病気にかかる恐怖」をトリガーにして、自分という「個の価値」がマックスを超えてしまって、何も信じられないことの「恐怖」になったともいえる。

つまり、そこには「自分かわいさ」しか存在しない。

いわば、究極の「自己中社会」が表出したといえばよいだろう。
それが古代からの「穢れ」と結合したから、自然発生的な「排除の論理」が、地方において行動をともなう事態にまで発展しているのだとかんがえられる。

東京都民が「Go To解禁」となって、地方に赴いたとき、受け入れる地方の精神は大丈夫なのか?=都民は安全なのか?と心配するゆえんである。
明治からの中央集権体制が、もしや崩壊しかねないのは、「廃県置藩」状態がつくりだされて、これに疑問をはさむことができない。

すなわち、「穢れ」に対する「禊ぎ」の準備を、中央政府がやっているとは思えないのである。
これが、新政権の当面の最大にして緊急の課題であろう。

すると、「内憂外患」ということも考慮しないといけない。
コロナに沿ってあった、わが国にとっての「外患」とは何だったのか?
海外をかんがえるときの、もっとも基本となる概念は「日米同盟」である。
この間のアメリカの重大な選択は、「デカップリング」であった。

しかしながら、「桜の頃」に、隣接する大国の元首を国賓としてお迎えするという外交スケジュールがあった。
わが国では数少ない「ジャーナリスト」のひとり、鈴置高史氏も解説しているように、このスケジュールにはとんでもないスケジュールが隠されていた。

それは、香港をめぐる立法とその施行のスケジュールの強行である。
また、内モンゴルにおける言語教育の変更スケジュールもある。

これらは周到に準備され、実行されたのである。
いつからなのか?
表面に出る前が重要なのだ。

すると、うっかり国賓という、最大の同盟国から「?」を受けるものに、わが国独自外交の「成功」と胸を張ったと思いきや、上述の、世界が注目し懸念する事態をまねく決定が、先方のスケジュールにあった、ということになって、「日米分断」という最高の外交成果を先様に献げるところだった。

これを「ラッキー」といわずになんというのか?
わが国が、かろうじて「日米同盟」を維持できたのは、まさに「コロナ福」だったのである。

波状攻撃になっているのは、東京オリンピックの開催問題である。
先日、IOC副会長が、「コロナがあっても来年は開催」と発言したとのニュースがあった。
会長でないところに注目したいけれど、信じてよいのか?

東京オリンピック「後」の半年以内に、冬期北京オリンピックが予定されている。
どうしたら北京オリンピックをボイコットできるのか?
この理由づくりこそが、次の「外患」なのである。

果たして今度は、当事国とわが国以外が、「コロナ福」を用いるかもしれない。
そのために、ずっと理由なく、コロナ禍が「続く」ことを世界は望んでいることになる。

ワクチンは、このタイミングに利用されることになるから、彼の国は真っ先にワクチンができたといって、世界を安心させたいだろう。
そうはさせじと、安全性を云々してこれを阻止する。
じつは、どーでもいい病気だからである。

なので、やっぱり「内憂」のために、「禊ぎ」をはやく用意する必要がある。

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