先月25日だから、10日ほどまえ、日本の記者とのインタービューで、今年の秋に就任したばかりのクリスタリナ・ゲオルギエバ氏(66)が、日本の消費税について2030年までに15%にするひつようがあると述べたことが報道された。
このひとの前職は、世界銀行のCEO(最高経営責任者)だった。
はて?
ゲオルギエバ氏は、ブルガリア人である。
くわしい経歴はしらないが、世界銀行の設立は1945年で、設立をきめたのは1944年(戦争中)の「ブレトン・ウッズ会議」であった。
戦後すぐにはじまった「冷戦」で、世界銀行にソ連は条約批准をしなかったので出資金をはらわず、「鉄のカーテン」の向こう側に引きこもった。
穴ぐらから出てきたのは「冷戦終結後」である。
つまり、衛星国のブルガリアだって、親分の意向があるから世界銀行とのつきあいなんてしないし、できない。
その前に、「共産圏」なのだから、「資本主義の経済学」をまなべるのは、政府から特別な許可をうけて「敵情研究」としてしかできなかったはずだから、国中で指で数えられるほどしかいないはずだ。
彼女の年齢からすれば、30代の半ばで「自由化」したから、ほんとうに「自由主義経済」が「理解できている」とかんがえていいのだろうか?と素朴な疑問がわく。
おなじ疑問が、いまはレームダックのドイツ・メルケル首相にある。
彼女は、サッチャー女史とおなじ「化学者」出身だけれど、東ドイツのひとなのだ。
やっぱり、人生で重要な知識をえる時代に、もっとも「優秀な社会主義国」に生きていたのだ。
そうはいっても、ドイツ人は政府のいうことに懐疑的なヨーロッパのなかにあって、断然、政府のいうことを信じる傾向があるひとたちだ。
いまは、ヒトラー時代を全否定するが、ヒトラー以外の政府なら信じて依存する。ヒトラー時代も、東ドイツの優秀さも、政府依存では同じ民族だ。
ここが、かつての同盟国、わが国と似ている。
さて、世界銀行とIMFは兄弟のような関係で、戦後世界に関与してきた。
途上国のインフラ融資を主とする世界銀行の融資のおかげで、東海道新幹線、名神・東名高速道の資金ができた。
当時の日本は、「途上国」だったのである。
いまの日本人は、このことをそっくり失念している。
そして、「先進国」になってから、こんどは「資金提供」の側にまわった。
この組織の決定には、出資「額」と出資「率」とで、投票数がきまることになっていて、一位がアメリカ、二位が日本、三位が中国となっている。
総裁人事では、基本的な「きまり」として、アメリカ人がなることになっている。
IMFのトップである専務理事は、ヨーロッパ人が「きまり」になっているから、フランス人からブルガリア人になったことでもわかる。
簡単にいえば、米欧でトップを「独占」しているのである。
まさに、戦後の西側戦勝国体制の申し子として、いまだに続いている「しきたり」なのだ。
IMFは、国連の専門機関になる。
この機関の議決権も、基礎票にくわえて出資額ごとに一票がくわえられるようになっている。
やはり一位はアメリカで票数割合では16.52%、続いて日本の6.15%、三位は中国で6.09%(2018年)だ。
日本からの幹部として、副専務理事が97年から連続して選出されている。
2011年になって、中国がアジア枠の副専務理事を要求したが、二名とすることで日中軋轢を回避している。
それでは、いったいだれが日本人で副専務理事になっているかといえば、歴代全員が財務官僚なのである。
世界銀行が「民間人」を基本としていることに対して、IMFは「公務員」なのが国連機関らしい。
これで、就任したばかりのひとが、日本の消費増税をくわしく語れた理由がわかった。
「セリフ」を書いたのは、日本人の元財務官僚にちがいない。
どこまでも、財務省に忠誠をちかうひとたちだ。
「IMF」という、あたかも「権威」をつかった、あくどいプロパガンダである。
彼女は、日本が10月に10%へ消費税率を上げたことに「政府の景気対策のおかげで円滑に実施できた」と評価したという。
おどろくほどのとんでもない認識である。
すでに「消費減少」が数値で報告されていて、来年が懸念されているのに。
「日本政府は余計なことをして社会主義・共産主義化せずに、自由主義体制にもどることで、国民負担を軽減させよ。そのために減税せよ。」
これが、「体制転換」を経験したひとがいうただしい「セリフ」だろう。それを言わない、言わせせない理由とはなにか?をすこしかんがえればよい。
かつて、小沢一郎氏がいった「シャッポは軽くてパーがいい」をそのままやらせる根性は、われに間違いなしと豪語してはばからない日本の財務官僚ならではではないか。
ブルガリアは世界一の「人口減少国」になっている。
少子でも高齢化でもなく、若くて優秀なひとたちが他国へ移民してしまうからである。
三年ほどまえ、ルーマニアとブルガリアを旅したが、30年前までの「失政」の爪痕は深刻だった。
かつての盟友両国の国境は、ほぼドナウ川なのだが、これが「橋のない川」なのだ。
数本しかない橋の両端のたもとに入国と荷物検査所がある。
たった数カ所で間に合うほどに、大規模な「貿易」すらない。
バルカン半島の複雑さを、よくもソ連は力で押さえつけたものだ。
むしろ、根性が曲がっている当時の英米の戦争指導者たちが、わざとスターリンに押しつけたのではなかろうか?
ヒッチコック監督の『バルカン超特急』は、ドラキュラのふるさと、ルーマニアのトランシルバニアの山岳地帯にある小さな駅から物語がはじまる。以下は、淀川長治解説つき。
古代ローマの端っこだった「ローマの国」だから、「ローマニア」が「ルーマニア」と、ロシア語に採用された「キリル文字」をつくった「ブルガリア」の仲は、いまでも悪い。
「ローマ字」に親しい日本人が、ルーマニアで読めた看板が、橋をこえてブルガリアに入った途端に読めなくなる。
中央アジアからやってきたモンゴロイドのブルガール人がつくったからブルガリア。南隣のギリシャ同様、オスマントルコにやられまくったが、首都ソフィア空港は、トルコエアーとルフトハンザがターミナルを二分していて、自国の航空会社の肩身はせまい。
自国が衰退しているのに、国際機関でえらくなるのはどんな気分なのだろう?
もうすぐ、日本人官僚もそれを味わうだろうが、厚顔無恥だから、心配はご無用と突っ張るにちがいない。
それよりも、中国に席を独り占めされることを気にするだろう。
じぶんさえよければよいからである。