あたらしい『貧乏物語』

わたしのしる『貧乏物語』には、河上肇版(1917年)と、大河内一男版(1959年)の二冊がある。

河上肇はいわずとしれた共産主義者であるが、はじめは京都帝国大学の経済学教授職にあって、これを自ら辞して「党員」となり活動を開始したら獄中のひととなってしまった人物である。

東京帝国大学にいた、近衛文麿が、河上肇に師事すべく退学・編入(京都帝国大学法科大学)し、学生にあって翻訳出版した、オスカー・ワイルドの『社会主義下における人間の魂』は、掲載紙が発禁処分となったことで有名になったものである。

大河内一男は、東大紛争のときの総長だったひとだ。
飼い犬たちに全身を噛まれた様相の悲惨があったのは、このひとも共産主義者であったからだった。

とくに、「手厚い社会福祉」とか、「福祉国家」を口にするものは、自己認識していなくともかならず共産主義にからめ捕られることになるので注意がいるのである。

この意味で、昭和36年に社会保障制度が完成したわが国は、とっくに社会主義国になって、いまの自民党・公明党が、強権政治をやるための「憲法改正」に熱心なのは、共産主義政党だからである。

ために、大河内一男のごとき立場になった共産党の陰がうすい。

戦後すぐの日本映画は、GHQの検閲を受けているけど、これらを観ることを勧めたいのは、どうしても拭いきれない「貧乏」がそこに描かれているからである。
対照的なのは、昭和の初めの銀座を闊歩していた、「モボ」や「モガ」と呼ばれたひとたちで、モダン・ボーイ、モダン・ガールの略である。

これはこれで当然なのは、日本の国力(経済力を含む)が大戦争で衰退し、退化したからである。

圧倒的な連合軍(対日戦線の主力はアメリカ軍)の物量だけでなく、徹底的なジェノサイドを意図されて、トルーマンにおいては「日本人=猿」扱いを公然と発言して、その人種差別主義がいまもアメリカ民主党の伝統になっている。

それで、「何があっても戦争だけはやってはいけない」という、(敗戦国=保護領)独特の、「新しい平和論」を常識にするようプロパガンダされたのである。

「何があっても抵抗しない奴隷として生きる」宣言である。

それもこれも、「報道の自由度世界70位」という、不自由のおかげであるのに、日本人は報道の自由が世界一あると信じて疑わない。

とっくに奴隷化が完成している。

さてそれで、「戦争」とはなにか?
定義の問題を改めてかんがえれば、クラウゼヴィッツが説いた、「外交の延長に戦争がある」ということも理解していないのが日本人なのである。

日本人は、(平和)外交と戦争との間に断絶があって、まったく別物と捉えるように調教・訓練されれてしまった。

ゆえに、平時において、戦争が準備されていることにも気づかない、阿呆の奴隷集団になったのである。

この点で、日本人の調教を担当(看守長のように)している、竹中平蔵氏がいう、雇用主からの解雇を自由化して、90歳まで働け、というのは、まったくもってわが国の労働市場を奴隷市場化して、買い取った奴隷を死ぬまでこき使うことが、「経済的」だという、子供でも忌み嫌うことをいって、経済学者(慶應義塾大学名誉教授)を装っている。

ただし、わが国にはとっくに「労働市場」そのものがないことも、日本人は気づかない。

そんなわけで、自公政権によってどんどん衰退しているばかりではなく、衰退する仕組みが組み込まれた社会システムが出来上がっているのである。

そのほんの一部の抵抗が、パンデミック条約反対集会であった。

世界がどうしてこの大規模デモに注目したのか?

奴隷たちの反乱に見えたからである。

組み込まれている社会システムとは、共産主義のことなので、抜けるためには「反共・反全体主義」の強い意志がないと不可能なのである。

それを防止するために、「新自由主義」を悪とするプロパガンダが、とうの先に成されたことも日本人はしらないが、竹中平蔵氏が何をどう発言したかが、「答え」である。

言葉をすり替える。

それで、自由を求める運動を、なんと国家が潰すことに正義を与えているのである。

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