17日、投開票の兵庫県知事選挙は、結局のところ前職の知事が再選された。
事の発端は、これまでの報道の通りであろうが、報道の通りの新顔知事が選ばれなかったのは、これまでとはちがう「事件」となっている。
すると、「100条委員会」が結論を出す前に、「全会一致で知事解任」をくらわせた、「兵庫県議会」の責任はどうするのか?になるのだが、早くも混乱がはじまったようである。
さらに、元は「維新の会」所属であったのに、解任決議を機にこの政党は逃げの手を打って、再選選挙で本人は「無所属」での出馬になったのである。
結論から先に書けば、マスコミ報道がまったくダメだという評価が先にあるのは承知だが、なにがなんだかぜんぜんわからない選挙であった。
これはこれで、歴史的なことなのではないか?
つまり、議会よりも政党よりも、何よりも敗北したのが「マスコミ」だということが確定しながらも、候補者の「政見」がまったく不明だったからである。
トランプ氏の地滑り的大勝も、マスコミとの戦い、という意味が濃いから、「属領」のわが方でも起きたことは不思議ではない。
むしろ、その伝播のスピードが、あんがい速かった。
マスコミ報道が、ぜんぜん信用できない、というのは、わたしのように関東の他県居住者からしたらたんなる「ノイズ」でしかない。
そこにまた、さまざまな登場人物があらわれて、より混沌とした状況しかわからないのである。
まさに、現在のわが国の芯を失った「縮図」が、この選挙だといえるだろう。
残念ながら、わたしには斉藤元彦氏がなにを訴えていたのかさえもよくわからなかったし、対抗馬についてはもっと不明である。
マスコミが推した候補は、先行していたらしいが「敗戦の弁」では、選挙期間の途中で「何と戦っているのかわからなくなった」と、正直な感想を述べた。
立花孝志氏の電撃的な立候補や、地元市長たちの元職への「反乱」は、ノイズの攪乱となったし、街頭演説では実力行使する団体や、ネット上での投稿ルールを援用した多数からの発信妨害もあったやに聞く。
つまり、なんだかアメリカ民主党(統率された詐欺集団)的なのである。
これで、孤軍奮闘する現職にスポットライトがあたったことは確実だから、全体像では現職有利という構図が意図的に構築されていたようにおもえる。
単純にいえば、県民を捉える「追い込み漁」である。
とはいえ関東人のわたしはそもそも、兵庫県がどんな県なのか?さえも、じつはよくわかっていない。
ならば、地元の神奈川県はどうか?と自問しても、やっぱりよくわかっていないことだけはわかる、という状態なのである。
ましてや、横浜市をや。
結局のところ、日本人は政治や行政から切り離された生活をしている。
で、なにがこの知事選挙の争点だったのか?
あるいは、出直し選挙なのに今回も当選した知事は、どんな公約を唱えていたのか?
ぜんぜんわからないのである。
それが数日たって、ようやくみえてきた。
「オール左翼」と呼ばれた最有力候補と、ほとんどおなじ、なのである。
なるほど、それが上に書いた「敗戦の弁」の真意かと合点した。
ちがいを認識して選ぶのではなくて、おなじものを選ばされた。
信用できないマスコミは、「パワハラ」とその「被害者」のことをいうばかりだが、一方で、「港湾利権」やら、「県財政の健全化」の実績が出てきたりとかまびすしいのである。
しかし、将来、兵庫県をどうしたいのか?が完全に欠如している。
「パワハラ」問題なら、おそらく問題解決の鍵となるのは、残された「公用パソコンのデータ開示」なのであろうが、まだ継続中の100条委員会が、選挙前に自ら「非公開」の封印をしてしまったので、議論が空転するばかりとなっている。
これは、2020選挙の直前に出た、ハンター・バイデンの「地獄のパソコン」とよく似た展開で、民主党は何十人もの元CIA長官クラスに、「ロシアの工作だ」といわしめて、トランプ氏のいい分を封印したのとソックリだが、その後、これが「本物」だったことはいまでは既定事実である。
なので、この証言をした元CIA長官クラスのひとたちは、その組織ごとアメリカ人の信頼を失ったばかりか、これを一方的に報じまくったマスコミも信頼を失って、軒並み経営危機になっている。
さらにグローバル全体主義の民主党が支配するカリフォルニア州を代表する、左派紙「ロサンゼルス・タイムズ」は、オーナー権限で、編集部全員を解雇したのは、自浄作用の表れとして注目されているほどである。
揺れ戻しがまだあるアメリカはよしとして、わが国の閉塞は、選択肢としての政党がどこもないことによるから、首長や議会選挙をなんどやっても変わりようがない。
その憤懣やるかたないストレスの爆発が、このたびの出直し知事選挙だったのだろうが、有権者にとってなにをよりどころにして投票するのか?のよりどころが滑っている。
ようは、ミスなんとかの「美人投票」とおなじ「人気投票」になっただけだった。
おそらく、これから全国各地でこうした爆発が頻発するのだろうけれど、そこに希望がないのは、やっぱりよりどころの選択の自由がないからであるし、そもそもの「哲学=価値基準」が有権者側のどこにもないのである。
こんな国内の状況に、ヨーロッパの新聞が『X』への投稿撤退を表明している。
トランプ政権入りするイーロン・マスクへの抵抗らしいが、これも意味不明だ。
イーロン氏の素性がよくわからないことについても、これらの新聞が詳細な調査報道をしているわけではないのだ。
むしろ「フォロワー」登録している読者にどのように映るのか?もわからない、情報音痴ぶりの表明だから、かえって自殺行為だとして呆れられることだろうが、もっと困ったことに、フォロワーにとって「ぜんぜん困らない」ということが事実確認させることになるだろう。
さては、きれいで快適なオフィスに座っていれば、地位が安定するという時代が終わったのではあるけれど、なにがなんだかわからずに投票した結果がよければいいのだが、おそろくそうは甘くないのが世の常なのである。
これはもう、どのような巨大詐欺に引っかかっているのか?という疑心をもっていないといないといけないという、夏目漱石の『草枕』冒頭のような状態が、ついに「常態」になったからである。
しかして、漱石39歳の「達観」に、われわれはなんと鈍感であることか。