三浦海岸の海の家がなくなる

江の島と三浦海岸で、かつては1日で100万人の海水浴客を集めていたものだが、とうとう海の家の営業応募者ゼロの実態から、三浦海岸からの消滅が決まった。

わたしが子供時分、もっぱら江の島に連れて行かれたので、実は三浦海岸で海水浴を楽しんだのは二回だけだったと記憶している。

当時は、ヘドロが浮いていて、子供ながらに身体を浮かせる勇気がなかった。
横浜市で最後に残った富岡の海岸も埋め立てが決まっていて、その最後のシーズンに泳ぎに行ったが、浮遊物がイヤで楽しい思い出はない。

思い返せば、本牧の海岸もみんな埋め立てられて、埋立地の衰退を今見ると、元に帰りようのない無惨な光景こそ、自然破壊なのだと実感するのである。

産業優先の一直線とは、愚かな人智そのものである。
いま流行の、大規模太陽光発電パネルをを並べる自然破壊も、取り返しのつかないことになろうが、「おバカ遺産」として後世に残ることだけはわかっている。

ただし、純血の日本人が消滅するので、かつての状態に価値を見出す国民がいなくなるのだろうけど。

さて近年、江ノ島にも盛夏に滅多に行かなくったのは、もう海水浴を楽しむ年齢でなくなったけれども、「海の家建築」というわが国独自の貧しい建物群をみるにつけ、寂しくなるのであった。

せいぜい2ヶ月しか営業しないから、簡易な構造なのはわかるが、半世紀前と大差ないのはどうしてなのか?
これを「昭和ノスタルジー」というのは、いただけないのである。

70年代の若者たちは、「サンオイル」なる商品に飛びついて、肌がこんがり焼けることを優先価値としていた。
ほとんどオリーブオイルに香料を混ぜただけだったけど、そもそも、オリーブオイルが珍しかったのである。

なにせ、当時は「サラダ油」の全盛期で、お中元やお歳暮の定番だったし、揚げ物の残りは、へいきで流しから下水に棄てていた。
オイルならなんでもよかろうと、サラダ油をコッソリ塗ってサンオイルの代替にしていたひともいたにちがいない。

そんなわけで、海の家の機能は、更衣室とトイレ、それに温水シャワーがあることが絶対条件で、冷たい飲み物と食事は後回しでもよかったが、なにせコンビニがない時代だから、定番のコーヒー牛乳とラーメンの味がいまだにインプットされている。

さすがにトイレはタンクを埋めていた(まだ「汲み取り式」がふつうだった)かと思うけど、シャワーの水はそのまま砂浜に吸収させていたので、夕方になるとサンオイルの匂いと石鹸の泡が、吸収できなくなった砂浜を濡らしていた。

もちろん、海も、ときたまサンオイルが浮いていたものだが、「食品」だからか誰も気にしていなかった。

さて、海の家はなくとも、海水浴客はやってくる。

地元、三浦市はライフセーバーの配置や、レジャーボートとの棲み分けで事故防止に努めるとしているが、問題はそれだけではないのは容易に想像がつく。
たいがいの「夏の風景」は、青春映画にもあるように、ひとを開放的にさせるからである。

いまは、みせびらかしの消費として、キャンピングカーも一役買っており、駐車場はそのままのオートキャンプ場になる。

個々人は気を遣っていても、集団となるとそうはいかない状態になる。

もちろん、こういったひとたちが地元に落とすおカネは、最小の努力がされるから、いわゆる地元経済の向上にはならないし、どこに住んでいるのかわからない外国人が、意外にも日本式海水浴を勝手気ままに楽しむのは目に見えている。

こんなカオスを想像するだけで、年寄りには行ってはいけないエリアとなるのである。

最後に、「海の家」がなくなる経済的要因に、さまざまな権利金やら負担金の請求があって、これが「割に合わない」ことの最大の理由なのである。

昭和の利権構造が、自重で自己崩壊したのは、まさに、超新星爆発の原理だが、これがあたらしいシステムを作り出すのかどうかは、人間の知恵にかかっている。

まぁ、当分、海の家はどこの海岸でも消滅して、利益収奪の旨みをしったひとたちがこの世を去ってからの「新生」となるのだろうに、日本人が小数派になる現実から、この古い建築は半永久的になくなるとかんがえられる。

そうやってかんがえると、かつての懐かしい「海の家」での写真は、かなりの貴重品になることは間違いなのである。

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