「寒ぶり」と聞けばツバキを飲み込むひともいるだろうから、どうしても冬の魚のイメージがある。
けれども、この魚の生態は、回遊魚ではあるけれど案外と温暖(生息適温は20°C)な海を好むのである。
低温なら9°Cまでが限界とされている。
ここで水温の「温暖」とはどういうことかといえば、海の中・底層を群れてこの層にいる魚類やイカを餌にしているために、人間の棲む地域でいえば、まさに「温暖」な場所で獲れる魚になるからである。
ところで、そんなぶりのDNAが北欧のおよそ9000年前の遺跡から検出された。
日本でいえば、縄文時代である。
それが、北極圏(北緯66度33分以北)の北緯80度付近であるから、騒ぎになっているのである。
つまり、この当時、明らかに地球が「温暖」だったことが証明されたのである。
もちろん、わが国の縄文時代も温暖であったことはわかっている。
だがしかし、この時代の人類は、大量に二酸化炭素を排出していたわけではない。
要は、「自然に温暖化した」としかいえないのであるが、そのレベルがいまよりずっと暖かい、ということなのである。
実際に、今年になって、世界の気候学者たちにノーベル賞受賞者も加わった、数百人が「地球は気候変動なんかしていない」という声明を発している。
この言葉には注意が必要で、(環境ファシズムがいっている意味の)が頭につく。
逆に、彼らは、地球の気候変動は自然の活動としていつでもダイナミックに変化するものだ、としているのである。
ここに、ちっぽけな人類の入り込む余地はない。
そんなに地球環境はナイーブではない。
小学校の理科レベルで気がつきそうなことを、わざわざ世界の心ある学者たちが連名で公表しなければいけないほど、言論統制が厳しい、ともいえる。
これは当然、自然科学ではない。
自然の法則を解明するのが、自然科学であるから、人間の都合による理論では必ず破綻する。
発生する自然現象の法則としての説明がほころぶからで、一旦ほころんだ理論は二度と「理論」とは呼ばれなくなるのも、自然科学者の常識なのである。
これを真似て、研究の対象を「社会」に適用したのが「社会科学」であるし、人間の精神から発する文学に適用を試みたのが、「人文科学」であった。
すると、自然科学の対極に人文科学がある。
人間は感情がある動物なので、自然科学の法則のようなものが、人間精神には当てはまらないからである。
ところが、自然科学の最先端のひとつ、量子力学が、人間の脳は量子によって作動していることに辿り着いた。
すると、人間の精神を支配しているのは、量子の不思議な振る舞い(あるいは「ゆらぎ」)であって、それが個別の人間精神へ自然科学でいう法則の適用ができるのかもしれないことになる。
さて、9000年前のブリが教えてくれることを、我われはちゃんと精神としても理解できるのだろうか?