国民が「国」をかんがえない

国家依存症という病気は、過去からの「調教・訓練」が成功することでできる、人為的な病である。

だから、国民を国家依存症にして、支配を強めよう!とだれかがかんがえてそれを実行したのか?というと、あんがいそんな人物は特定できない。

これには、悪魔の思想たる、「社会主義・共産主義・全体主義」がからんでいるので、こうした思想に感染した、主にエリートが、「よかれ」としてはじめるもので、その「よかれ」の居心地のいいぬるま湯に国民が馴らされて、とうとう依存症に落ち込むのである。

残念だが、いちど「国家依存症」を発症すると、麻薬中毒から抜け出すことができないよりも、もっと強力に抜け出せない。
「社会制度」によって、がんじがらめにされているから、クスリを断つよりも、はるかに困難なのである。

たとえば、年金の掛金(実質税金)を払いたくなくとも、給与から天引きされる。
これをやめてほしいと会社に訴えても、優しい会社のひとはそうはいかないといろいろ説明してくれるかもしれないが、結局は「強制」だということがわかるだけである。

ところが、時期がきて年金をもらえる立場になったら、こんどはいかに多くを得るかにだけ興味がむいて、年金制度がどうなろうと知ったこっちゃないという心理状態になるのである。

それでまた、年金を充実させます、とかなんとかいう候補者に一票を投じるので、その意味するところを考えて、反対をいうものが取られるばかりの若い世代だけになるのであるが、やっぱり「強制」だと知って、上に書いた人物とおなじ人生を送らされることになっている。

そんなわけで、長生きしてきて酸いも甘いも知っているはずの高齢者が、国家観を失って、いまだけ・カネだけ・自分だけ、に染まるように追い込まれるのである。

もちろん、子供のときから、国家観をもたないように教育・訓練されるので、高級官僚になる学校歴エリートほど、はなから国家観をもってはいない。

一方で、あんがいと国家観をもっているのが、共産主義・全体主義を信奉するひとたちだ。
なぜなら、このひとたちにとって最大の破壊すべきものが「国家」と「秩序」だからである。

いまだけ・カネだけ・自分だけ、という矮小化思想こそ、自助の秩序を破壊する(国家依存症にさせる)ものなので、そのために破綻する年気制度をよりはやく破綻させるように「手厚く」すると公約に掲げるのである。

経済秩序の破壊は、そのまま国民を奴隷化する全体主義革命の成功につながるからである。

なので、矮小化思想のために、わが国は世界でも珍しい30年以上のデフレ経済をもってして、国民意識を矮小化(節約の美徳)させることもやってきた。

とっくにデフレから脱却して、インフレになっているのに、ゆでガエルの国民は、慣性の法則で、相変わらずデフレの生活(節約)をもって、なんとかしようとしているけれど、持っている通過(円)の価値が上がるデフレではなく、下がるインフレは、節約で対処してはいけないのである。

なぜなら、わが国のGDPの7割が「消費」によっているからで、消費を抑制する節約では。インフレよりも高い成長(収入の増加)が絶対にできないからである。

国家観があれば気づく簡単な原理だけれども、国民に国家観がなくて、いまだけ・カネだけ・自分だけに陥ったので、わが国経済の衰退がとまらない。

そうやって泥船に乗ったままでみんなで沈んでいくことにも気づかないのである。

政治家が酷いのも、国民の代表だという原則に照らせば、国民が酷いのである。

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