日本の重商主義はどうなるのか?

ピューリタンがメイフラワー号で英国を脱出して、新大陸へと渡ったのは、王政と重商主義による経済の行き詰まりに嫌気がさして、生きるための新天地を求めたからであった。

当時の英国は、王家 ⇒ 大貴族 ⇒ (新興)貴族 という三層一体の経済利益の独占的な支配の構造があったから、一般庶民が新規にビジネスを起こすことが困難になったからである。

しかして、これが、「重商主義」の実態なのである。

この構造は、じつは現在のわが国の経済構造になっている。
上部構造が、「政権与党+大企業=経団連」と一括りになっているだけで、よりシンプルなのである。

まさに、大正期から昭和初期の、「腐敗した政党政治」が再現されている。

昭和所期には、軍がこれを排除せんとした勢力となって、海軍による「5.15」から陸軍の「2.26」になったのである。
なぜか、戦後になって、陸軍潰しのためかしらぬが、「5.15」は軽視されて、ファシズムは「2.16」からとなっていいる。

たしかに、「2.26」は、陸軍内の政治派閥「皇道派」が決起して、一網打尽になったので、対峙していた「統制派」の天下になった。
これに連なる文官たちは、「革新官僚」といわれた、「共産主義者たち」であったから、「左右の対立」という見方をすると、さっぱりわからなくなるのである。

なので、さっぱりわからなくしたい勢力は、文部省(日教組もつるんで)をつかって、さっぱりわからないことで日本人一般を洗脳し続けた(思考停止させる)ら、自分たちもさっぱりわからなくなったのである。

これで、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」のかんがえ方になるように、「受験戦争」を仕掛けて制度化したから、日本のエリートが入れ替わってしまった。
明治期に教育を受けたひとたちが、公職追放になったり、高度成長を成し遂げて引退すると、一気に矮小な人物たちが国の上層を担うようになってしまった。

念のために書けば、「受験戦争」がいやらしいのは、「国定教科書制度」とセットにして、これを宗教的バイブルとさせたので、教科書から外れる余計なことを子供にかんがえさせないことなのである。

それゆえに、「個性の重視」なるダブルスタンダード用語を用いて、「全体主義」を押しつけるから、まともに育った子供ほど本能的に危険視して不登校になるのである。

つまり、不登校の子供がまともで、そうでない子供が異常だが多数だという、恐ろしいことになっている。
そのわざと異常にされた者たちが、次世代のエリートになるので、不登校のまともな子供は、あくまでも彼らの支配の対象に置かれ、救いようがない構造をつくりだしたのだ。

現代のわが国には、軍隊もないので、空想的に『皇帝のいない八月』が生まれたのではないか?

すると、ピューリタンが逃げた「新天地」はどこにあるのか?

4日、岸田氏は、国民の逃げる先を先回りして、自由の大地・北海道を、「金融資産・運用特区」に指定してしまった。
売国に熱心な北海道知事が歓ぶ様は、道民にこの「特区」の意味を不安にさせる象徴になっているだろう。

もちろん、道内メディアも一斉に「歓迎」しているので、真意が透けて見えるのである。

アメリカで国民作家と評された、アイン・ランドは、『肩をすくめるアトラス』で、経済的自由を失ったアメリカに絶望したひとたちが、コロラドの山中に自由圏をつくるという物語を書いた。

日本は、日本政府によって「閉塞状態」がつくられている。

いま、アメリカやヨーロッパから、ロシアへの移住者が増えているのは、知る人ぞ知る事実なのである。

とうとう、かつての共産地域が、自由圏になった。

こんなことは、どんな空想家でも書いたことがない、まさに、事実は小説より奇なりなのである。

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