GDPの1%もない外国人観光収入

昨年の訪日インバウンドの「売上」が、過去最高の5兆円だったと報道されたが、浮かれてはいられないのは、わが国のGDPは、4兆2,321億ドルあるのである。

しかも、どんどん減っていて、ヨーロッパ最悪、戦後史最悪のドイツにも抜かれたことも、ニュースになっている。
それでも1%、もないのだ。

ざっと147円/ドルだから、622兆円ほどである。

つまり、訪日インバウンドは、「売上」という下駄を履いても、GDPの0.8%でしかないのだ。
GDPは、「国内でつくられた付加価値の総和」なので、決して「売上高」ではない。

こんな鼻くそのような数字しかないものに、「観光庁」なる管轄官庁をつけているのは、無駄である。

逆に、こんな官庁に(国家予算)依存するから、いつまで経っても自立できない産業として、補助金頼りにならざるを得ず、犯罪者まで生産している。

わが国の産業界は、いつの間にか役人支配に都合がいいように無邪気に誘導されて、そのまま、信じ込まされているのである。
これを、一般的に、「洗脳」という。

さらに、経団連が、政府に左翼的要望を次々と要求するようになって、だれも「おかしい」とは思わないのは、もはや「自由経済」を見切って、ソ連化している張本人が「財界」だという驚きがある。

土光経団連会長が、「金権政治」と、連打するその社会主義政策に呆れて、絶頂にあった田中角栄首相を訪問し、「赤いちゃんちゃんこ」を着させたのは、「引導」を渡したのである。
このときから半世紀で、経団連がこうなるとは誰が予想できたものか。

これを「故事」とするなら、いまの経団連が岸田首相や与党に引導を渡すべきが、強力な応援団に変容している。

なぜにこのような事態となったのか?

それは、まさにエリート教育としての「大学」と、その「大学」の権威づけに失敗したからである。

具体的には、「科学」を間違って、あるいはわざと狭い範囲で解釈したのである。

人類史的に、「科学」を科学として扱ったのは、F・W・テイラーである。
彼は、「科学的管理法」の創始者としてしられており、工業における産業界では、「テイラー・システム」として、まったく実務としての常識となって今に至る。

しかし、テイラーの「科学的管理法」(科学的アプローチ」は、テイラー自身、「精神革命」だと言い切っているのだ。

そのまま書けば、
「科学的管理の本質は、対立から協調へ、と、経験から科学へ、の(ふたつをあわせた)精神革命にあり、単なる能率増進のための技術やその全体を科学的管理とはいわぬ」と断言しているのである。

つまり、テイラーは「科学的管理」とは、哲学の領域に踏み込まねばならぬ、と明言している。

しかして、これをわたしは、マルクス派が勝手に、「唯物論を持ち込んで」、単なる能率増進のための技術やその全体を科学的管理だと決め込んで、「精神革命」を排除してしまったのではないか?と疑うのである。

わざと、本家本元のテイラーの言い分を無視し、曲解するように仕向けたのである。

これが、マルクス派・左翼のいう、「道徳」の排除の根拠にもなるのである。

なぜならば、人間が精神革命の必要性を感じることができるのは、唯一、五感と人生体験からの経験情報、すなわち「価値情報」なくしてインプットされないからで、そのインプットをさせないために、まず、「道徳」を否定する必要があるからである。

しかも、人間という動物の発達過程における「価値情報の形成」には、幼児期・少年期から青年期までの期間にインプットを要するのである。

したがって、いわゆる学校教育(小・中・高)における、カリキュラムに、そもそも国家破壊を目論む文部科学省は、「道徳」を重視してはいないし、直轄の国立小学校において、いっさいの道徳教育をしていなかったことからもわかるように、いま、わが国では「エリート」こそが、道徳教育を体験せずに、すなわち、「価値情報」の不足によって、「経験から科学」の側面だけをもって、「科学」とすることで、組織を崩壊させているのである。

「単なる能率増進のための技術やその全体を科学的管理だ」と信じ込まされた、エリート大学でエリートになったと自認する、わが国のエリート・サラリーマンが、そのままなんの「価値情報」への疑問や軋轢もないままに、青年期から壮年期を過ごし、社内における権力を得たら、「効率化」だけが最高価値になる当然が見えて取れるのである。

たとえば現在進行中の、ダイハツの不正問題の原因が、まさに上の話を絵に描いたような状態にあったのだ。
新車開発の「(時間と人件費の)コスト削減」を貫いた経営(社内エリート)からの命令で、「できっこない」を悟った現場が不正に走ったのだった。

このときの「経営(社内エリート)」を、ふつう、「マネジメント層」といって、経営陣と管理職の双方を含む。

ゆえに、現場では、上長たる管理職に相談しても「やれ」だけとなるので、「不正」に追い込まれたのは、「パワハラ」の成りの果てでもあるが、原因はそこではなく、パワハラとなった哲学的背景にあるのだ。

すでに兆円単位の損害としてみられているのは、自動車産業の「すそ野の広さ」が、仇となっているからである。
今後、雇用への影響となれば、数十万人の家計が崩壊をきたす可能性もあるのは、なにもダイハツ関係者だけでなく、企業城下町の自治体も破綻の憂き目をみる可能性があるからだ。

はたして、親会社のトヨタ自動車は、どのような社会的責任をとるのであろうか?

この意味で、幸か不幸か、「観光業」は、地元にこのような影響力すらもっていない。
しかし、おなじく業界内のエリートたちの多数が、上で述べた「価値情報」を得て育ってきてはいないのは、この国の教育制度の中で、一網打尽にされているからである。

土光敏男氏などが「価値情報」を得て育った環境(時代背景)と、いまの経団連会長や日商などの経営者たちのそれとが、違いすぎる。
もしや、労働組合もか?と疑うのは、批判のレベルが低いままだからで、むしろ財界を応援していないか?

すると、とてつもなく重大で重要なのは、「家庭における育ち方=家庭教育」だということがわかるのである。

生活の中から得る、「豊富な価値情報=道徳」を、いかに子供に擦り込むか?が、その子供の将来を決めるほどの重大事なのであるけれど、これをまた破壊するための活動推進が、ジェンダー問題となっている。

人口減少だから、外国人移民をもって「埋める」という発想の浅はかさの根拠は、これをいってはばからない政治家なりのエリートも、家庭における、「価値情報の形成」に失敗した、たんなる事例に過ぎず、唯物論の中にだけで生きていけると信じる、共産主義者なのである。

ここに、共産主義者に道徳が欠如する、決定的な理由がある。

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