「ジャンルとしてのノーブラ散歩」から、前回(3000円の白菜)の続き、である。
いま日本が、「アジア最貧国」になる可能性がある、といったら笑い出すひとがたくさんいるにちがいない。
もちろん、そうなって欲しくないから書いている。
しかし、前にも書いた、アメリカのグランドストラテジー(国家基本戦略とくにこのブログでは「DPG:国防プラン・ガイダンス」のこと)が、92年頃に書き換わって、日本への投資(肥育)モードから、「刈り取りモード」になったのだ。
このことは、すべての日本人にとってあり得ないほど重要で、「肥育」の戦後が終わったという意味でもある。
「ウクライナ」から見えてくる、戦争屋の本質的なビジネス・モデルは、当該国民がなんにん死のうがお構いなく、自分らの投資した「カネ」さえ最高利回りで回収できさえすれば、バカボンのパパのごとく、「これでいいのだ」なのである。
もちろん、彼らは「ギャンブル」をしているのではない。
確実に儲かるビジネスをやっていると心から信じている、悪魔のような連中なのである。
このたびの岸田首相訪米で、安倍氏暗殺の構図がみえてきた。
おそろしいまでにわかりやすい『ファウスト』の世界である。
この場合のファウスト博士は岸田氏で、悪魔(メフィストフェレス:ジョー・バイデン)からもらった自身の欲望を満たす薬を飲んだ(首相の座を射止めた)ら、まずは目の前で安倍氏が血祭りになったのである。
だからもう、魂までもメフィストフェレスに差し出すしかなくなった。
日本国民は、全員が「捧げ物の羊」になって、これから焼かれることになるのはアブラハムが息子を生け贄にするがごとくだが、残念ながら「ストップ」の声はかからないにちがいない。
これは、あの『ローマの休日』(1953年)のグレゴリー・ペックが『オーメン』(1976年)のラストで演じているシーンなのだ。
ただし、さすがは「悪魔のダミアン」で、アブラハムと息子の結末が逆転しているのである。
すなわち、日本人はこの危機を乗り切るために、「鬼神」となって、トロキストに乗っ取られたアメリカ民主党に対抗しなければならないのだと、『オーメン』は図らずも教えてくれているのである。
まさか、高校生のときに観たホラー映画(当時は「恐怖映画」と呼んでいた)が、かくも高尚な教えに満ちていたとは、当時、ぜんぜん気づかなかった。
ついでに書けば、おなじく「恐怖映画」としての『サスペリア2』における話題が、小池百合子との関連でトレンド入りしている。
なるほど、なのである。
しかし、このひとの存在自体が、「恐怖」の源泉なのである。
国民の一部は気がつきだしたが、はたしてなかなか全員にはならない。
それは、「大手マスメディア」で曝露しているのが、月刊誌『文芸春秋』だけだから、ということもあるが、国を代表する総合雑誌を国民が読まない時代になっているからでもある。
円が大きく減価していることは、ヨーロッパやアメリカのように直撃的な影響があるなら誰にだって気がつくことだけど、内外価格差のダムで防御、つまり国民生活への直撃のない管理経済体制の日本では、悪い意味でマイルドな影響になっているのである。
しかし、つくられているトレンドに敏感なとくに女性たちが、「【ノーブラ散歩】」という少ないリスクで稼いでいて、性の鈍感化もすすんでいる。
こうしたことは、競争によってかならず「尖鋭化」するので、産業が破壊されたわが国が、「売春国家」になることだってあり得るのである。
では、商品にならない「高齢者」たちは?となれば、これはもう、乞食化しか選択肢がなくなる。
なにせ、「お金持ち」のはずだった、せっせと貯蓄した「円」が、価値をなくしているからである。
すると、そこまではいかせない、とするなら、トルコのように、独自通貨を棄てて「ドル流通」の国になるしかないが、ときにドル自体が大丈夫なのか?ということになりつつある。
残るは、金本位制になっている「ロシア・ルーブル」だけ、という現実がみえてくるのである。
かつて、シベリア圏を円経済圏にせよと訴えた、小室直樹の亡きいま、たった30~40年ほどで逆転したことの「ダイナミズムと仕組み」に、もっと深く関心を寄せるべきではあったが、もうあとの祭りなのである。