晦日蕎麦で大晦日は休み

縁起を担ぐ。

日本人がスピリチュアルな民族だった江戸時代から明治までの風習が、いまや尾てい骨のようになって、それがお正月の前後に見られることである。

年越し蕎麦といえば、バレンタインデーのように、本来なら毎月の終わり、晦日に食べるという縁起物であったのが、とうとう年一回の大イベントに変容したものだ。
土用のうなぎもこれに似ている。

もちろん、バレンタインデーは毎月のイベントではないし、暦も今の太陽暦ではなくて、太陰太陽暦という合理性に富んだものだった。

ちなみに、明日の大晦日は旧暦だと、11月19日で、まだまだ「お正月」は遠い。

土用のうなぎも、バレンタインデーも、「業界」の宣伝工作によってつくられた風習だから、社会の怖さがわかるというものにもなっている。
実はなんの脈絡もないものが、社会に定着させられるのは集団心理のおかげなのである。

それでもって、長い物には巻かれよ、となって、民衆から抵抗力を削ぐこともお上から宣伝された。

これが、プロパガンダのプロパガンダたるゆえんである。

しかし、物騒だった日本人の血は、結構「沸騰型」であるから、ついぞ100年程前まで、暴動が絶えなかった。
これを畏れた政府が、治安維持法をつくったのは、民衆弾圧よりも先に恐怖を感じた政府側に先手を打たせるためではなかったか?

結局のところ、新政府も国民のための政府ではなく、政府のための政府だった。

そのひとつの究極が、現在の日本政府であり、地方政府なのである。

そんなわけで、よくいく蕎麦屋に寄ったら、「人手不足のため適切なサービス維持が困難なため、大晦日は休業といたします」との張り紙が店内にあった。
この店は、配膳ロボットも導入している「ハイカラ」だけど、手打ちが廃れ、珍しい機械打ちが断然うまいと評判だった時代とちがって、行列ができるような店でもない。

だったら、セルフサービスの店にした方がよほど説得力があるというものだ。

スーパーやらで販売されている蕎麦には、原料表示の義務があるので、「蕎麦粉、小麦粉」なのか「小麦粉、蕎麦粉」なのかの順番で含有割合がわかるようになっているけど、蕎麦屋の蕎麦にはそれがない。

少なくとも、駅の立ち食い蕎麦は、たいがいが「小麦粉、蕎麦粉」のはずだから、「濃い色がついているうどん」を食べていることになっている。

大晦日に持ち帰りの年越し蕎麦も売るのをやめたのは、ほんとうに人手不足からが原因なのか?
店を休んでも、予約のテイクアウト対応だけでもやらないのは、休みたいからだけではないのかと疑うのは意地悪すぎるか?

わが家では、ちょっと遠方のスーパーに、年末だけ売られる「八割蕎麦」がここ数年の定番となっていて、年末の「みつば」のごとくバカ高くなる天ぷらを入れることはしない。
どうしてこの蕎麦をふだんから売らないのか?がミステリーなのである。

余計なお世話だけど、蕎麦屋が物理的に売っているのは、蕎麦とタネとツユであるが、客が買っているのはこれだけか?

人手不足をかんがえるより、こっちの方を先にかんがえるべきだろう。

世の中の経営者たちが、これをかんがえるのをやめて、目先の人手不足だけをみんなで問題にして、みんなで解決方法がわからないものだから、安い外国人の手をつかえばなんとかなるはずだと、人材輸入業界の宣伝に乗っかった姿となっている。

問われているのは、問題解決、に他ならないが、問題をかんがえないことに慣れすぎてしまったから、脳をつかうと気持ち悪くなるまでに劣化したのである。

しかも、ヘタなかんがえ休むに敷かず、すら忘れてしまったので、下手(上手の逆)しか手を打てなくって衰退している。

ならば、大晦日を休みにする蕎麦屋の判断は、まだ「まし」なのである。

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