どちらも経営が傾いてしまったが,どちらもそのむかしに経営が傾いたことがある.
日産は,プリンス自動車とダットサンが合併してできた会社で,トヨタとのライバル関係でしられているが,一方がなんとなく「阪神球団」,もう一方が「巨人軍」にみえてしまうのは,わたしだけだろうか?
その天下のトヨタ自動車の経営が傾いたときのはなしに,本所次郎の『小説日銀管理』がある.
この「小説」のラストがただしければ,日産には陰影的なDNAが最初から埋めこまれていたのかもしれない.
しかし,さいきん日産OBからきいて驚いたのが,このブログで紹介した,トヨタが世界的権威にまでなっている「TWI研修」を,日産が導入したのがこの15年だということだ.
つまり,今世紀に入ってからであって,いま話題のゴーン氏が社長に就任したのが1999年だから,ゴーン体制下における「研修開始」になることは注目にあたいする.
いったい,それまでどうやって現場責任者を育成してきたのだろうか?
しかしそれよりも,日産が事実上の倒産状態でルノーと提携したのだから,推して知るべしだ.
すると,一番若くてこの研修を受けたのは,大学を卒業してすぐのひとで30代後半,高校卒業のひとなら30代半ばになるから,ほんとうはもうちょっと年配者であるのが実態だろう.
そうなると,企業として現在の幹部が,現場管理者時代に現役として「TWI研修」を受けていないことになる.
それは、これも以前書いたが,ガルブレイスの『新しい産業国家』(1968年)にある,企業内「テクノストラクチャー」と名づけている,社員たちによる経営の簒奪メカニズムがうかぶ.
上記,文庫版は斎藤誠一郎教授による新訳だ.
河出書房の邦語訳初版は,ガルブレイスとハーバードで同級生だった都留重人訳である.
社会主義に傾倒していたこのふたりは,主流派からズレていたから仲がよかった.
バリバリ資本主義のアメリカで,ガルブレイスは「異端」だったが,都留は日本経済学界の大御所になった.その理由も,推して知るべし,である.
なんとなく,日産の「連続不正事件」の根っこがわかるではないか?
かつて経営が傾いたときの東芝には,土光敏夫という救世主が出現した.
もともと土光は大正9年に石川島造船所に就職したひとだ.それで,戦後,昭和29年には「造船疑獄」で逮捕・拘留されたが,けっきょくは不起訴になった.
逮捕されようが起訴されようが,「無罪」が確定するまでは「容疑者」であって,それには「推定無罪」という法理がある.
ゴーン氏の一件で,これを公に発言したのは,堀江貴文氏のツイッターしかみていない.
本件に関しては,かれのいうとおりだとおもう.
土光社長時代,東芝幹部は「怒号さん」というほどに怒鳴られたというが,こぞって「信奉者」になった.
第二次臨調会長になったとき,NHKが放送した「めざしの土光さん」が,あまりにも衝撃的だった.
ひとびとは財界トップのあまりも質素な暮らしぶりに,驚愕したが,一方で「じぶんにはできない」と,他人事でもあった.
国家財政の均衡をなんとか達成しようと老骨に鞭打つ奮闘をしたが,国民は政府の肥大化を許容した.それは,「年金よこせ」の声でもある「国家依存」の姿だ.
臨調で最後の御奉公をしたとき,土光敏夫氏は東芝「会長」になっていて,現役の経営から引いていた.いや,「臨調」の多忙がそうさせたというべきか.
残念だが,さいきんの「東芝事件」に関係したとされる歴代トップたちは,土光氏引退後の入社組なのだ.
かくも,企業DNAとは脆弱なものなのだ.
かつて東芝が倒産寸前になったのは,世界最高峰の真空管「技術」にこだわって,トランジスター時代に遅れたことが指摘されている.
はじめてカラーテレビをつくったとき,カラー放送でのCMを社内プレゼンしたら,土光氏は例の怒号で,白黒テレビで観たひとがカラーテレビをほしくなるCMにしろ,といったという.
当時は,新聞のテレビ欄でも,カラー放送は特別に「カラー」とか総天然色を略して「総色」などと表記していた.
顧客はなにを買っているのか?
組織が自己満足にはしると,自分たちの「自慢」をしたがる.
しかし,顧客はそんな「自慢」を買っているのではない.
その後のトヨタや,土光氏のエピソードはそれをおしえてくれる.
しかし,テクノストラクチャーたちはがまんできなくなるのだろう.
つい,うっかり,じぶんたちの宣伝をすれば,顧客は納得すると勘違いする.
それがこのばあい「技術」である.
それは,上から目線で顧客を見下す,という意味でもある.
かつてのソニーは,「It’s a SONY」とはいったが,技術のソニー,とはいわなかった.
「マネした電器」と揶揄されようが,松下電器は「あかるいナショナル」で一貫していた.
東芝も「ひかる東芝」だったのだ.
90年代,経営が苦しいときに「技術の日産」といっていた.それで,ルノー傘下になったらこれを変えたが,さいきん復活した.
それをどうしたことかとブログに書いたのは,昨年の10月30日,このブログの最初の記事だった.
顧客目線を失うと,企業は傾く,という法則がある.