「国民運動」が大好きです

国民運動会ではない.
「会」をとった,国民運動である.
英語なら,「National campaign」だ.

わが国における「国民運動」をまとめた書籍がなかなかみあたらない.
明治・戦前からいまをつらぬいて「運動」が,あまたありすぎてまとめようがないのかもしれない.
さほどに,大好き,なのだ.

みんな大好きだから,いわゆる「右」も「左」もない.
まんべんなく,どちらさまも,なにか事あるごとに「国民運動」にしたがるのは,「民族」としての習性なのだろうか?
だとすれば,「民族」ではなく「民俗」である.

民間による「国民運動」もあるから,とめどもない.
それで,現行,政府主導の国民運動をしらべると,いろいろ出てきてなかなか楽しい.

食品ロス削減国民運動(農林水産省)

世界に恥ずかしい状態の食品ロスを削減しようと頑張りながら,

ごはんを食べよう国民運動フード・アクション・ニッポン(農林水産省)

国産にこだわって,食料自給「率」をあげたい.
国産にこだわるから,「世界標準」の安全システムを採り入れていない.
この「世界標準」には,対テロリズム対策もあるから,日本では大袈裟とかんがえられている.
しかし,そのほかの項目でも,世界の安全性確保とは別世界なのが日本の食品である.

東京オリンピックで,どういう安全食材を提供するのかが問題になるが,「世界標準」を国産で用意するのはもう間に合わないだろうから,トップアスリートの食事には輸入食材をつかうしかないだろう.
日本の「食」で,ほとんど報道されないことがある.

早寝早起き朝ごはん(文部科学省)

さてそれで,子どもにもちゃんと朝ごはんをとるように,というのだが,いまや家庭の事情から,あったかいご飯と鍋でつくったみそ汁なんて,贅沢のきわみかもしれない.これがイジメの原因にならなければいいが,なんと朝食を食べると成績がよくなる,ということまで文部科学省がいいだした.

これは,統計的相関関係はあるものの,それをもって「因果関係」にしてはならない,という教科書的説明のわかりやすい事例になった.
文部科学省として,みずからその悪例を提示したことに敬意を表したい.

でもやっぱり,そんな統計の「いろは」を勘違いするような文部科学省にまかせたら,貧困の子どもをすくえないと判断したのか?子どもの未来応援国民運動(内閣府)がある.

貧困は親に仕事がないからで,将来自分も所得が高くなる職業につかなければならないから,働きかた改革が必要だし,なにせ目先の東京オリンピックでは,都内は観光客でごった返すことになっている,と決めつけて,テレワーク・ディズ(総務省,厚生労働省,経済産業省,国土交通省,内閣,内閣府それに東京都)という国民運動がある.

そんなにたくさんの観光客がくるなら,美しい景観がなければ恥ずかしいと,恥の文化全開で,日本の景観をよくする国民運動(国土交通省,農林水産省,環境省)もある.

歴史的景観を保存すべき「旧市街」と,そうでなくモダンな地域としての「新市街」といった,エリアわけの都市計画がない,ただ自由に建てるという日本的混沌をつくったのは誰だったのか?をおもいだす運動ではないことは確かだ.

ところが,さいきん外国人観光客をよそおって,不健康なひとも多く来日している.もちろん,医療ツーリズムで入国するならいいが,そうでないひともいる.
日本人でも働きすぎたりすると発症の危険があるのが肝炎である.
そこで,肝炎総合対策推進国民運動(厚生労働省)があって,有名俳優などが「ご挨拶」してくれている.
「薬害」という問題を隠蔽するためのものでないことを祈る.

安全という面で身近なのは,交通安全国民運動(警察庁)である.
かつては,「交通戦争」といわれるほどに,死亡者・負傷者の数がおおかった.

そして,やっぱり,地球温暖化防止国民運動「COOL CHOICE」(環境省)がお約束どおり,やってくれている.

「知っていましたか?これ以上温度が上がると,地球はもう回復できない傷を負う可能性があることを.」
それで,「賛同」にクリックせよという.
もはや踏み絵だ.

まだたくさんの「国民運動」があるけれど,こうしてみると,どれもあやしい.
一定の価値感の押しつけにもなるから,個人主義の外国ならすぐさま反対デモになりそうだ.
みごとな共通点は,かならず事務局は「なんとか協会」になっていて,役人の一部が予算とともにそこへ行くから,役所本体は丸投げであそんでいればいいような建てつけになっている.

ハンナ・アレントは,代表的著作で,大著としても有名な『全体主義の起源』に,ファシズムにおける「運動」は,かならず「永久運動」になる,と分析した.
国家のそこかしこで「運動」がおこなわれ,次第にその責任者も目的も不明になるが,サメやマグロのように,泳ぎつづけなければ息ができないのとおなじで,とにかく「運動」するしかない.

ほんとうは原著の邦訳をおすすめするが,要約としての以下の二冊も力作である.
「ヨーロッパ」を舞台にしているが,「人間のしわざ」であるとおもえば,われわれにも他人事ではない.むしろ,無垢な日本人こそ読んで免疫をつくっておいたほうがよい.

 

おおくの日本人は,中国のひとびとを嗤うことがあっても尊敬することがなくなった.
なにも,党や政府高官のことではない.
庶民のことである.

日本の進歩派が絶賛した文化大革命で,伝統文化がみごとに破壊された.その文化には,人間としてのマナーもあったが,これも破壊の対象だった.その世代はまだ生きている.
このひとたちは,日本人には野蛮にみえるが,それで生きのこったひとたちなのだ.
しかし,彼らには,数千年の歴史のなかで「政府だけは信用しない」という信念がある.

日本人は,政府だから信じてしまう,という特性があって,じつは酷い目にあってきているのだが,なんだかわすれてしまう.
そろそろ,この点にかんしては,中国の庶民を見習ったほうがいいのではないか?

そんな国民運動をやるひとが,でてくるのかもしれない.

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