ひな祭りの桃

昨日の日曜日が旧暦の3月3日だった。
つまり、ほんらいの「桃の節句」である。

桃が開花しようはずもない「新暦の3月3日」にひな祭りをやるのは、強引で無粋であるのに、すでにそれに疑問をかんじるひとがいないほどに、日本人から季節感がうすれてきている。
あるいは、「変だ」という感覚の鈍感さをいう。

ことしは桜の開花がはやかった。
「桃源郷」の山梨では、ぼちぼち「桃のみごろ」のようだ。
桃畑では、桃の花見にやってきたひとたちを相手に、夏の桃の予約受付もやっている。

ここぞと咲き誇る桃の絨毯は、圧巻である。
咲いていない場所は、ブドウ畑である。
桜とはちがった花見を満喫できるから、春の山梨はすばらしい。

山梨の桃には、果肉が硬い種類がある。
ふつう桃といえば触っただけで指の跡がつくほどに柔らかく、ねっとりした果肉をイメージするから、はじめていただいたときには驚いたものだ。
しかし、これがうまい。

それ以来、硬い桃がたべたくて山梨にいく。
昨夏は、五回ほども農家の直売所にかよった。
いちどにたくさん買っても、日持ちしないから、少しずつ求めるしかない。

品種といっても、やっぱりもぎたての硬い桃が、うまいのである。
この種の桃も、日にちがたてば柔らかくなる。
農家の説明では、柔らかくなるのを待つひともいるそうだ。

だったら、さいしょから柔らかい種類を求めればいいのにと早合点したら、そうした種類の桃を混ぜて購入して、食べ時の調整をするという。
柔らかいのを好むひとに、アドバンテージがある。

県内の贈答用高級果物専門店できくと、硬い桃は贈答用としても敬遠されるそうだ。
県外の送り先の受取人たちは、桃とは柔らかいものというイメージがあるから、硬い桃は熟していない不良品だとおもわれるらしい。

そのイメージが大転換したから、わたしは硬い桃のファンなのだ。
コリコリした食感でありながら、なんともいえない桃独特の甘みと香りは、そういう意味でも山梨にいかないと食べることができない。

桃はその柔らかさのために、皮をむくのがおっくうだというひともいる。
しかし、硬い桃は、流水に両手で包むようにしながら表面をなでれば、うぶ毛がすっかりとれるから、そのままかぶりつけばよい。
りんごでもない、梨でもない、軽快なコリコリをたのしめる。

どうしてこの硬い桃のファンづくりをしないのか?
なんど通っても、不思議なのである。
それはまるで、山梨県人ローカルの秘密めいた楽しみなのかもしれないが、県外客にはイメージ破壊になるインパクトではないか。

地方によくある「症状」のうち、「過小評価」が過半を占めるとかんがえている。

「田舎だから『なにもない』」

これは、全国津々浦々に浸透している、「症状」なのだ。

それに、伝統が軽んじられてきたから、その地方の独自性にそこに住んでいるひとたちが気がついていないこと、あるいは忘れてしまったことが原因だ。

「田舎だから『都会にないもの』なら豊富にある」とかんがえないのは、昭和の高度成長を「善」として、そこから取り残された地方を「悪」とする、ポストモダンのいきすぎた価値感がベースにあるのだ。

これを、過剰な都会へのあこがれ、といいたい。
「過剰」だから、都会人はくつろげない。
「善」とされてきた都会は、ストレスが渦巻く場所でしかなくなったから、田舎に憧れるという現象になっているのだ。

ところが、その田舎に、従来の「善」の単純な延長線上として「過剰」な都会への意識があれば、都会人はそれに幻滅し、とうとう本物の「都会」になれるはずのない地方をさげすむようになってしまう。
言葉はわるいが「百姓」の発想がすけてみえるのだ。

なにも、地方は田舎のままでいろ、といいたいのではない。
くり返すが「田舎だから『都会にないもの』なら豊富にある」を追求すればいいのである。
その世界的成功事例がスイスであることは有名だ。

ほんらい、ヨーロッパ・アルプスのちいさな山国は、とてつもない貧乏国だった。
とうとう、自国でのしごとがないから、男たちは周辺国が争う戦争の傭兵にまでなって出稼ぎに精をだした。

しかし、こんなことをしていては生きていけないと、かんがえてかんがえてかんがえ抜いて、いまのような生産性でも世界一のゆたかな国になったのである。

わたしが山梨県にガッカリしたのは、前にも書いたことしの知事選挙だった。

国家の予算を県にふり向ければ、山梨県は「停滞から前進」するという主張の与党候補が当選したのは、一にも二にも残念な発想である、と。
しかし、昨日の統一地方選挙をみれば、全国で与野党に関係なくおなじ主張が叫ばれていた。

桃の花見と硬い桃を買いに行きながら、温泉にでも浸かって帰るという、あんまりおカネをつかわないちいさな旅を、ことしもくり返すだろう。

山梨県だけでなく、各地で、衰退がとまらないのは、かんがえかたがまちがっているから、につきるのだ。

無意味な「無認可」

無認可ときくと認可されていないのだから、中途半端なかんじがする。
しかし、世の中には無認可でも有用で優秀な「もの」や「こと」はたくさんある。

結論から先にいえば、行政にとって御しやすく、じっさいに行政の支配下にある「もの」や「こと」が認可されるだけだから、これに「本質的な価値」は関係がない。
つまり、一種の「虚構」なのである。

その「虚」すなわち「うそ」を、あたかも「まこと」のように権威付けるために、さまざまな特典と嫌がらせというアメとムチをつかいわけるのが、行政にとっての「監督行政」になっているだけである。

いうなれば、「監督」したいのであって、市民に価値を提供したいのではない。
むしろ、本質からはなれた嫌がらせをすることで、市民の利用を減らすように仕向けるから、市民が受けられるはずの価値を減らす努力をしているのである。

これをふつうは「本末転倒」という。

しかし、無意味なのにこれをゆるす市民感覚があるのも事実だから、こうした行政のムダが減るどころか増殖するのである。
すなわち、わたしたちの「鏡」が、これらなさけない行政のすがただということになる。

「成人」というのは,「おとな」のことで、子どもとちがって自由意思が認められている。
子どもは、ふつう親という存在の保護下にあって、自由が制限されるものである。

だから、成人が社会のルールを破ると、その制裁をうけることになっている。
もちろん、成人であるひと単独のルールやぶりなら、制裁をうけるのも本人だけ、が原則なる。

しかし、どういうわけかわが国では、ある個人が不祥事を起こすと、「上司」や「責任者」というひとたちがでてきて、「謝罪」することが習慣になっている。
いわば、連帯責任を負うのである。

これには、本質的な意味があるのだが、ふつうは「儀礼的」だとされて、「謝罪」したひとたちも、ほんとうはその場が過ぎればどうでもいいとおもっている。
ただし、ことばでは「以後、このようなことがないように徹底する」という「うそ」をいう。

本質的な「謝罪」の意味は、仕組みと教育の不備の可能性のことである。

外国では、成人がしでかしたことなら、ぜんぶ本人の責任であって、上司や責任者は、「適切な処分」という人事権限の発動だけがしごとになって、日本のような「謝罪」などしない。

しかし、日本では「謝罪」しているが、ほんとうに謝る気などなく、たんに迷惑だとおもっているだけだから、ほんとうは外国の対応とあまりかわらない。

けれども、こうした「管理者責任」をはたしたふりをしないと、社会からうらみをかう。
ようは、いつまでも「子ども」あつかいされる国なのだ。

これと、行政の認可という行為がそっくり構造なのである。

国民一般を、子どもあつかいしていて、そんなあつかいをされている側も、それでよしとしている。
おそるべき「国民性」をもっているのが、日本人なのだ。

これは、「国民一般」のことだから、政治家もマスコミものがれることができない。
わかっちゃいるけど、やめられない、のである。

ところが、この状況をわかろうとすると、たいへん空しくなる。
だからわかろうとすることをやめるのだ。
そうして、みんなそろって「国家依存」や「行政依存」をしているふりをしていれば、心のやすらぎがえられるので、そのうち「ふり」だったことをわすれて、本気になる。

役所が「認可」したものなら、無条件で安心だ、という条件反射のような状態が常識になるのである。
それが、国産車の完成検査偽装問題でもあった。

おなじ工場でつくられた自動車が、そのまま輸出されるのなら、なんら問題ない。
完成検査が必要なのは、国内販売されるものだけが対象だからだ。

こうして、厳密に完成検査をするということになって、そのコストは消費者が負担させられる。
それを、消費者が「安全だから」とよろこぶのだが、外国で購入する外国人消費者はなんのことだかしらないだろう。

すぐれて勉強ができたひとが、難関校に入学してりっぱな役人になるように教育されると、とたんに「無能」になることは、なんども書いてきたが、その「無能」の結果をいつまでありがたがっていくのだろうか?

野口悠紀夫教授によれば、AI研究の分野で、中国の精華大学がアメリカのMITやスタンフォード大学をぬいて、世界トップランキングになっている。しかも、トップテンのうち半分が中華系なのだ。
日本のトップランキングは、当然に東京大学だが、この大学の順位は91位だ。

どうして精華大学をはじめとした中国の大学が、こんなに高い評価を受けているのか?について、教授は、文化大革命の「成果」だという。
かつて、とてつもなくレベルの低いひとたちが「教授職」にいたが、「成果」のためにアメリカ留学経験のある若手にすべて入れ替わったからだという。

なるほど、わが国にも一般人をふくめた「文化大革命」がひつようなのだ。

愚かなワンパターン

なんどもおなじ失敗をくりかえせば、ふつうのひとなら気がついて、ちがう方法をかんがえだすか、その行為自体をやめるものだ。
しかし、そうしたことをしないで、またまたおなじ失敗をくりかえせば、他人はその本人の能力をうたがうものだ。

ましてや、それによってなんども莫大な損失をだすのなら、ふつうは「無能」の烙印をおして、二度とそうした業務にもつけることはしない。
ばあいによっては、わざと損失を出しつづけているのだと疑われて、損害賠償の請求があってもおかしくはない。

大手チェーンの寿司店で、アルバイトの若者が職場での不適切な行為を動画で撮影し、それをアップしたことで、この会社の株価は時価総額で二十数億円分もすっ飛んでしまった。

それで、会社は彼らを解雇しただけでなく、多額の損害賠償をもとめる訴訟を用意しているという。
これに対して、マスコミ世論は肯定的で、今後の予防にも「当然だ」とする論調が多数ある。

その根拠は、別のチェーン店でも同様の不適切な行為がおこなわれ、同様の損失が発生しているから、ということだ。

ならば、経済産業省という役所が主導して、莫大な金額を投じた半導体や液晶パネル事業をどうするのか?
アルバイトの個人がやった損失額と、比較にならない損失が正々堂々と発生しているのだ。

たとえば、液晶パネル事業では、台湾企業の連合体が投資することで、事実上の売却がきまったという報道が4月4日の新聞にある。
この記事の、経産省によるコメントに唖然としないものはいないだろう。

「液晶パネルで利益をだすことは、すでに困難」だというのだ。
だったら、なぜこのひとたちは途中で傷をうすめる努力をしなかったのだ?

この「無能」を、マスコミは一切書かないのはなぜだ?

ようするに、経済産業省という役所に、当事者能力など最初からないのである。
しかも、この莫大な損失を国民は請求できない。
つまり、窃盗をしておいてもその責任は一切とろうともしないのである。

政治家は、経済産業省に経済に関わらせない法律を立案すべきだ。
もっといえば、「解体」であって、全員解雇が適当である。

旧大蔵省銀行局や証券局のように、なくしても、あらたに金融庁という役所に「異動」させただけでは、なにもかわらない。
むしろ、かえって権限が強化されたのではないか?

その金融庁は、地方銀行の検査方針を大幅に変更するという。
向こう5年間ほどの経営計画と実績の比較で、利益が確保できないとなれば、「業務改善『命令』」をだすという噴飯物である。

すくなくても、わが国の「銀行」は、地方銀行でも「株式会社」なのである。
だから、株主が責を負うことになっている。
資本主義を否定する、金融庁という役所も、百害あって一利なしである。

しかも、全国銀行協会会長がいうように、日本の金融機関の利益がでなくなった根本は、日銀のマイナス金利政策によるところが大きい。
この春、九州の地方銀行に、現職の金融庁幹部が就任するのは、その意味ではじめて経営の困難さをしるだろう。

このブログでなんども指摘しているように、文系・法学部出のかれらは、「法律」と「現実」が合致するという「教育」を、日本を代表する難関大学でたたきこまれている。

これが、「倒錯」の「幻想」でしかないと、勉強エリートたちにはわからないのだ。
もちろん、この勉強エリートたちには、教授陣もふくまれる。
つまり、そこは一種の「宗教団体」、すなわち「カルト」ではないのか?

そんな卒業生ばかりで構成されるカルト集団が、わが国の役所だ。
その役所がつくった、都合のよい報道制御の手法が「記者クラブ」だ。
報道の対象となる「ネタ」を、クラブに入会を許されたすくない報道機関で分け合うのだから、結局この国から「ジャーナリズム」が消滅する。

こうして、政府の記事は報道制御されたものだから、国際機関から日本に「報道の自由がない」などという指摘をうけるのだ。
これを、特定の政治家のせい、にすれば「記者クラブ」の秘密はまもられるというワンパターンもある。

そんなわけで、記者クラブを持ちようのない一般人は、報道の攻撃にさらされて、家に閉じこもるしかなくなる。
先の問題をしでかした学生アルバイトたちが、精神的ショック状態にあるというのは、さもありなん、なのである。

この国のゆがんだ社会主義が、役所の「無謬性」という「神話」をアンタッチャブルにして、道からはずれた個人をたたくのに専念する。
もはや、全体主義の定義にあたることを、だれもいわないことに戦慄さえおぼえるのである。

レジの並び方

「待ち行列理論」という学問があった。
「あった」というのは、「完成された」という意味だ。
だから、いまは、その理論の恩恵をうけた並ぶ方法が、社会の随所で採用されている。

ひとが行列をつくって並べば、とうぜん待たされる。
この行列をいかに短くして、待ち時間をすくなくするのか?というのが、この「理論」の「命題」である。

もとは20世紀のはじめに、電話の自動交換機の開発からはじまったという。
人間のオペレーターが、ジャックにつながった線を目的の穴にいれる「交換業務」を、自動化させるにはどうしたらよいのか?

問題は「接続」それ自体よりも、つぎからつぎへかかってくる電話を、電話局として待たさずに処理する方法が一番のネックだったのである。

ところが、電話をかける、という行為は、かけるひとからすればまったくの偶然で、気分にもよるから、これを予測することはできない。
そうやってかけてきた電話を、一つずつ電話局は相手の回線に接続しないといけないから、十分な余裕をもとうとすると、おそるべき巨大な交換機が必要になってしまう。

こうした交換機を、全国ネットで展開しないと、電話網は完成しない。
すると,電話局への投資はもっと巨大になって、採算にあわなくなる。
そんなわけで、人間のオペレーターが、なかなかなくならなかったのである。

「待ち行列」は、ひとつひとつの発生理由はまちまちでも、これらをあわせて「グラフ」にしてかんがえると、量の大小が時間経過とともにあきらかになる。

それで、何日分ものグラフをかさねると、「傾向」があきらかになって、そんなに巨大な交換機でなくても処理できるかもしれない、というアイデアになった。

こうしたグラフを「分布図」という。
「山」や「谷」があらわれる「図」になるのだ。

この教科書は、けっこう数式が説明につかわれているから、「文系」には厳しいとおもわれるかもしれないが、前半の「応用事例」がたいへん参考になる。

「数式」が理解できないことは、あえて「無視」して、「なんだかわからない」けど、世の中のだれかはこれを「ビジネス」につかっている、という「感覚」だけでも体験して損はない。

とくに「交通系」では、応用がさかんである。
近年、路線バスでも一定時間停車して「時間調整」をすることがあたりまえになってきたのは、こうした「手間」が、全体の運行をスムーズにして、結果的に停留所での待ち時間をすくなくして、到着時間を時刻表に近づけているのである。

さいしょは公衆電話の並び方で応用されたのは、電話局の面目躍如であったが、携帯電話の普及でだれも公衆電話に並ばなくなった。
けれども、災害時に公衆電話がぜんぜんないのも社会インフラとしてこまるから、利用に便利そうな公衆電話がのこされているのも、この理論を応用して「最小化」している。

それからは、銀行のCDやコンビニのレジなどでも、並び方の工夫がされるようになっている。
こうしたことは、生活体験でいろいろある。

ところが、こまった現象があらわになってきている。
それは、上述のような「待ち行列の理論」の「さわり」もしらないで、「決めごと」として片付けるひとがいるからである。

この理論を「完成」させたのは、第二次大戦中のアメリカでのことであった。
おそるべきは、戦争中にもかかわらず「お客を待たせない理論」をかんがえていたということだ。

われわれの発想なら、いまでも「ガマンせよ」という感覚がふつうになるのではないか?
つまり、この理論の「根本」には、提供者側がかんがえるもの、という本当の「おもてなし」の発想があるのだ。

それを接客最前線の従業員におしえないで、「ルール」として従業員におしえると、従順でまじめな従業員はお客に「強要」する態度をとるようになる。
「決まりだから、この線のところに並べ」と。

はたして、この従業員はなにをかんがえているのかと問えば、「なにもかんがえてなどいない」ということがはっきりする。
「うえからいわれたことをちゃんとしています」がこたえだろう。
もう一歩踏み込んで、「どうして『この線』に気づかないお客がおおいのだろう?」をかんがえないということだ。

わたしは、このことこそわが国の生産性が先進国ビリの原因だとかんがえている。
すなわち、もはや旧ソ連圏の社会主義国にふつうにあった、「売店」になりさがっているのだ。

もちろん、品物が豊富にあることはオリジナルとぜんぜんことなるが、働くひとの発想が、社会主義だといいたいのである。

どうしたらだまってお客がスムーズに並んでくれるのか?
ということを店舗ごとにかんがえさせないと、初めての利用客は困惑するばかりで、ついには「不愉快」になってふたたび利用する気がうせるものだ。

社長が交代するというニュースもある話題の最大コンビニチェーンや、もともとソ連型コルホーズを真似た農協の直売所(自由市場)に、この傾向が強いのは、なんだかなぁ、とおもわせる。

従業員は「無知」でいい。

それは、「客」をもバカにする発想なのである。

地方移住をかんがえる

人生をどうしようかと練ったとき、地方移住という選択肢もわるくはなくなった。
しかし、「夢の田舎暮らし」が、突如、「地獄の田舎暮らし」に変わることがある。

ゴミ出しも拒否されて生活できなくなったひとたちが、裁判に訴えでて話題になった。
裁判にはならずとも、そんな事例はたくさんあって、かなりのひとが「後悔」しているというから、慎重になるのはとうぜんだ。

これをよく「地方の閉鎖性」という。
しかし、都会には閉鎖性がないのかといえば、そんなことはぜんぜんない。

たとえば、マスコミが礼賛する「下町」と「人情」をセットにした暮らしは、ご近所さんとの濃密な交流を、いわば強要されている。
これを「近所付き合い」というには、いささか「濃すぎる」のである。
二階の物干しをつたって、隣の家の夕食の席に入りこむのは、かなり日常的なことでもある。

これを一度でも「わずらわしい」と感じたら、もう「下町」には住めたものではない。
だから、「下町」地域の「ドーナツ化現象」は、単純な人口減少ではなくて、意識的な流出があるのではないかとうたがうのである。

これは、京都でも耳にすることで、中京区や左京区といった中心街の老舗の若旦那が、結婚すると伏見や宇治に引っ越す理由になっている。
東京の「下町」より、さらなる「濃密」なご近所関係が、もはや現代では「きれいごと」ですまなくなっている。

この「濃密」さは、平面的なものだけではなく、歴史という時間軸がくわわるので、「先の戦」のことを応仁の乱だとする地域性からすれば、数百年来の「しきたり」を意味する。

西と東の「都」にしてこのありさまだから、つい最近まで外部との交流がうすかった地方における「特性」は、たんなる「特性」ではなくて、かなり「土着」のイメージがたかまるのは当然だ。

そこには、おそらく「京都」における、「歴史」という時間軸に、土地所有にまつわる上下関係がくわわるはずだから、より立体的かつ複雑な様相をみせることだろう。

すなわち、島崎藤村の『家』のような、本家と分家といった関係に、庄屋と小作といった経済関係のことが混じって、一歩まちがえば、横溝正史の世界を彷彿とするヒエラルキー社会の存在である。
あたりまえだが、土豪的お武家様の存在もふくまれる。

それは簡単にいえば、「家格」のことになる。

そんなわけだから、裁判になるのは、その地域の役所の情報提供に「不備」「不満」があったことを示すのだが、お気の毒かつ残念ながら、上述の「しがらみ」について、役所で情報を得られるとおもうことから、まちがっているといえそうだ。

こうしたときに、役立つのは公式的な見解なら「寺院」が、一般的な見解なら「飲み屋」がよい。

都会のじぶんの家が、どの宗派の檀家なのか?をまず思いだせば、おおかたの日本人なら、メジャーな宗派に属しているものだ。
これらのメジャーな宗派は、日本全国に末寺というネットワークを形成しているから、移住をかんがえる地域の同一宗派の寺院を紹介してもらえば、かなりわかりやすい「公式的見解」を得ることができる。

地方の地域には、あんがいいろんな宗派の寺院が狭い範囲にあるものだが、それらの寺院の建立のいわれからして、地域ヒエラルキーや地区の対立まで物語るものである。

それに、建立時期が徳川時代よりも前なら、そうとうな実力者の庇護があったはずだし、徳川時代なら、政治的な思惑があってのこととかんがえてよい。

これに、天台・真言を頂点に、以下、鎌倉仏教の各宗派がつづき、「一向宗」だった「真宗」という構造を組み合わせればさらによい。
あまりに勢力が強大だった「一向宗」を、「浄土真宗」と改名させて「東西」に分断し内部対立させたのは徳川家康の策略だ。

ご近所の飲み屋情報の重要性は、蛇足になる。
ある程度の「公式的見解」を得てからが、順番としては理想である。

地域の「しがらみ」は、どこに行ってもかならず存在するから、じぶんになじめるかが重要なのだ。
そういう意味では、新興住宅地や集合住宅のほうが気軽な傾向がある。
しかし、新興住宅地には、新興住宅地なりの「しがらみ」がある。

地方移住に失敗しないためには、事前の「調査」に手間をかけなければならないのは、やっぱり「自己責任」における必須事項なのである。

まったくもって、「経営」とおなじなのだ。

「昭和」はいつまでつづくのか?

あたらしい元号「令和」が昨日発表された。
元号は、「二文字」だと規定されていて、「和」が「昭和」とおなじ位置にあることを、公共放送の解説者がおもわずなのか予定どおりなのかはしらないが、「昭和」のイメージがある、といったのはそのとおりだ。

そこで、わたしなりのメモを書いておきたいとおもう。

安倍首相は、戦後レジューム(ヤルタ・ポツダム体制)からの脱却という方針を明示している。
これは、いまの内閣の基本コンセプトであるのだが、どういう意味なのかを深くしるのが、あんがい困難なのだ。

その理由は、「戦後レジューム」とはなにかを定義しなければならないのだが、はなしが大きすぎて、わが国一国の意志でどうにかなるようなことにならないからである。
それが、さまざまな「解釈」がうまれる原因になるのだ。

もちろん、一国の総理にして「一強」といわれる影響力のあるひとの「方針」だから、それは書籍にもなって発表されている。

この本の最初は、平成18年(2006年)に出版された『美しい国へ』があって、上記の本はその後の加筆をふくめた「完全版」になっている。
この「完全版」を底本として、元外交官にして現京都産業大学教授の東郷和彦氏が解説している論文がある。

なるほど、「戦後レジュームからの脱却」というコンセプトの難解さがわかろうというものだ。

まえに「戦後レジュームからの『回帰』」であると書いたとおり、「脱却」ではなくてその逆の「昭和」にむいているとかんがえるとスッキリする。

すなわち、戦後の「昭和」こそが、輝ける時代だという認識である。

しかし、「戦後」という時代区分は、戦前・戦中との「断絶」でかたられることがおおいから、はなしが単純な二元論におちこんで、内容がうすくなる。

当時を生きていた先代、先々代のひとたちは、けっして別人になったわけではないから、「連続性」を無視することはできない。
もし、「別人になった」のだとすれば、それは、「思想改造」というおそるべき手段が「あった」と認めることにもなる。

個々人は変わっていないのに、社会が変わったのは、「社会」の意志を表現する「言論」のことをまっさきにかんがえなければならず、そうした言論を世代を超えて継続すれば、そのうちに生まれてくるひとたちが、先代、先々代のひとたちと「別人」になるはずだ。

時間を味方につけるのは、特定の思想をもったひとたちの常套手段である。
本人がしらないあいだに、設定した思想どおりのひとたちが多数となって社会の「改造」は完成する。

その告発が、稲垣武『「悪魔払い」の戦後史-進歩的文化人の言論と責任-』である。

 

しかし、安倍首相の目指す「脱却」が、もっと前を意味するなら、納得できるのは、満州での岸信介への「回帰」だということである。

アベノミクスという経済政策は、社会主義経済を推進するということだから、満州国の経済をみちがえるようにした祖父・岸信介の成功体験を、みずから再現したいのだとかんがえれば、歴代自民党政権での「最左翼政権」として面目躍如するところである。

安倍政権の防衛政策が、その「左翼性」をうばって、あたかも「右派」だとおもわせるのは、まさに、わが国独特の「戦後レジューム」の発想だ。
国家が国民の富を分配する、ということの究極は、社会主義計画経済にある。

その政策の一貫性において、たとえば高等教育の無償化がいわれているのであって、財政規範とは関係のない消費税増税なのである。
日本国債だけでなく、日本株式をも大量に保有する日銀が、東京株式市場の動向によって破たんする危険という現実的な可能性に、だれも言及しないのは責任を負いたくないからである。

だから、安倍政権は「一強」なのである。
それは、自民党内で対抗できるものがいないだけでなく、いまは野党、かつては民主党政権で大臣をつとめたようなひとたちが自民党に入党するのも、「思想にちがいがない=おなじだ」からである。

安倍氏が、右派をよそおいながら、けっして皇室を崇拝しいないばかりか、軽視するのも、彼のなかにある「悪魔払い」なのだとすれば、ブレはない。

そういうことで、元号が役所でつかわれず「西暦」をつかうのは、憲法第一条を無視して「護憲」をさけぶひとたちと同様に、首相の意向を忖度してのことだといえば、なんのための「改元」なのかも溶け出してしまうのだ。

むしろ、印刷屋にゴム印を大量注文する民間こそ、「継続性」の原則をまもるのに躍起なのだ。
これを政治が「ガン無視する」という与野党ばかりになってしまった。

昭和と西暦は、「25」を加減すれば年数がしれた。
これに慣れきった昭和生まれは、平成を計算するのに「昭和」をつかう。
ことしは、昭和94年だから25を足せば西暦2019年が計算できる。
昭和64年が平成元年だったから、1989年から平成を求めるより便利だった。

こんどは「18」を加減すればいい。
けれども、やっぱり「昭和」の「25」のほうが便利におもえるのは、ただの習慣か。

政権の、昭和十年代を理想とする「脱却」をわたしは望まない。
しかし、実質的に役人が支配するこの国は、「有職故実」が決定事由のすべてなのだ。

漢籍を由来としない年号は「はじめて」と強調しながら、国の花とする「菊」でも「桜」でもなく、中国の国花である「梅」にまつわる文字を採用したのは、「準」漢籍ということなのか。
それとも、外交的配慮までふくまれるのか?

価値感としての「昭和」はつづく。

記念すべきエイプリルフール

今朝、配信されたニュースに、エイプリルフールのためのパロディがあった。

むかし、マッド・アマノ氏による、豊島区にある有名な遊園地のパロディ広告がでて、すばらしい「効果」があったことをおもいだす。
その自虐的すぎる「広告」で、入園者数が大幅増加したのは、一種の事件だった。

しかし、対象が人びとをよろこばせる遊園地だったから、人びとを驚きで喜ばせたパロディ広告は、自虐的ではなくて、究極のエンターテインメントであったから、そのセンスが評価されて入園者数がふえたのだ。
「ここに行ったら、おもしろそうだ」という広告になっていた。

ダサイとか、田舎くさいとか、あか抜けしないとかといったことを、遊園地側から大々的に宣伝すれば、口にはしないがそう思っていたひとたちの心が解放されて、ネガティブなイメージすら遊びなのだとしてしまった。

しかし、今朝のパロディ「ニュース」には毒があった。
政府が「納豆を食べられますか?」と外国人旅行者に質問してはいけないという法律を2059年までにつくるという内容だ。

こんなものが法律になる国とは、どういう国なのか?
パロディをこえて、恐怖すら感じるから、素直にわらえない。
しかも、禁止の理由に「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」としているのも、じゅうぶんに突っ込みようがある。

それに、なぜ2059年なのだろうか?

本物のニュースでは、新元号の発表が予定されているから、それとのからみまでうがってみたものの、よくわからない。

新元号を決めるにあたっては、衆参両院の正副議長にも意見をきいたというが、これに最高裁判所長官がふくまれないのはなぜなのか?という説明は生中継のニュースにはなかったし、官房長官発表における長官への質問もなかった。

新元号の法的根拠は「政令」である。
「政令」とは、内閣が制定する。
内閣は行政機関なので、政令はもっとも優先されるべき「行政命令」になる。

すると、衆参両院の議長に意見をきいたのは、どういう意味なのか?ということが、最高裁判所長官にきかなかったことよりも強い疑問になる。

立法府に気をつかったのなら、なぜ司法にも気をつかわなかったのか?
ずいぶんまえに、安倍首相がみずからを「立法府の長」と発言して、あげあし取りのような議論になったことがある。

どうも、立法府と行政府のあいだがあいまいなのだ。
すると司法が、ずいぶん遠い。

権威主義の公共放送は、このときとばかりヘリコプターをとばして、内閣官房から皇居へむかう自動車をおいかけていた。
憲法のさだめによって、今上天皇の、御名御璽をいただかないと「政令」として正式ではない、という解説をくりかえしていた。

しかし、法律や政令などの「公布」について、天皇の国事行為として憲法第七条で定めがあるが、最高裁判所は昭和32年大法廷判決で、「官報による」ことを先例としている。

官報によらない「公布」は、「特に国家がこれに代わる他の適当な方法をもって法令の公布を行うものであることが明らかでない限り」と同判決にあるので、本日の、新元号の政令は、こちらが適用されたと解説すべきである。

そんなわけで、国民はまたまた「憲法」から遠ざけられたのである。
「政令」は、憲法七十三条のさだめになっているから、ヘリコプターが自動車を追跡したのは、こちらの意味での「憲法」だ。

まるで、第九条いがいはぜんぶ「憲法のさだめ」にして、なんだかわからないようにするし、「公布」がなにかも説明しない。

発表を午前11時30分と事前に予告しておきながら、官房長官が出てこない事情を憶測で語るというのも、どういう取材をしていたのかとうたがうのである。

官房長官記者発表も、代表二社からの質問二問に限定しながら、似たような質問しかせず、おなじ返答を引き出すのは、いったいどういう魂胆なのか?

どういう経緯で選ばれた二社で、どういう経緯で似たような質問をしたのかを、国民としてマスコミにきいてみたい。
まさに、従来からの批判どおり、日本独自の「記者クラブ制度」が、報道の自由をせばめていないか?という疑問に、確信的な根拠をあたえるばかりである。

報道が談合されている。

これこそが、今日、エイプリルフールであってほしいとおもうのである。