映画『パリに見出されたピアニスト』

10月にはいったら急に「芸術の秋」を思い出したわけでもないが、前評判が高いので観に行ってきた。

映画の展開は、よくあるサクセス・ストーリーで、人物の「深み」という点では『のだめカンタービレ』に軍配があがるように感じた。

むしろサブ・ストーリーである、主人公にチャンスを与える側の家庭の不幸を、フランス映画らしいねちっこい演技で表現していたのは、離婚を宣告される「妻」の役で、印象にのこった。
うまい女優である。

ヨーロッパの都市計画はどの国もたいがい、景観を保存する「旧市街」と新興住宅街の「新市街」にわかれていて、旧市街には中流以上が住み、新市街にはその他が住んでいる。
もちろん、最上流はいまも城や広大な屋敷に住んでいて「爵位」があるものだ。

主人公は貧しい母子家庭で、とうぜんに新興住宅地の団地住まい。
子どものころに近所のお爺さんからピアノの手ほどきを得、お爺さんの遺言で古いピアノをもらい受ける。
しかし近所の悪たちと空き巣ねらいをしたりと、褒められた生活ではない。

きっかけは、そんな主人公がパリ北駅に設置されているピアノの演奏をし、これを聴いたコンセルバトワールのディレクターの目にとまったことだった。

さいきんは日本でもあちこちにピアノが設置されて、自由に弾けるようになったのは、じつは世界的なブームなのだ。
「ストリート・ピアノ」と呼ばれている。
『もしもピアノが弾けたなら』が身近になってきている。

映画では、ヤマハのアップライト・ピアノがさいしょの場面で、曲はバッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻第二曲のハ短調の「プレリュードとフーガ」のうち「プレリュード」だった。

高校二年生のとき、お年玉で大枚はたいて買ったのが、盲目のオルガン・チェンバロ奏者ヘルムート・ヴァルヒャ(1907-1991)のLP盤5枚組『平均律全集』だった。

現代の音楽とおなじ「平均律」の、全12音階を用いた「プレリュードとフーガ」だけの曲集で、二巻で二周して24曲ある。
音楽の標本のような曲集である。

ヘッドホンでじっくり聴いていると、脳がボーっとしてくる心地よさがあったのは「名盤」ゆえか。
第一巻と第二巻とで、別の歴史的チェンバロの名器を用いたのも特徴だった。

バッハの時代にはピアノはまだ存在しない。
それで、チェンバロ演奏のレコードを買うか、表現がゆたかなピアノ演奏の方を買うか、大変迷った思い出がある。
ずいぶんとレコード屋さんに通って、ジャケットを比べていたものだが、そのレコード屋がなくなってきた。

フランス映画でバッハをあつかうといえば、『無伴奏「シャコンヌ」』(1994年)がある。
全編が『シャコンヌ』の演奏であふれていて、そのストイックさは、フランス映画らしかった。

フランスはカソリックの国で、バッハはプロテスタントだから水と油ではないかともおもうが、パリの修道女がクリスマスにバッハの『クリスマス・オラトリオ』の演奏会に行きたくて悩み続け、院長に打ち明けたら即座に許可が出たというはなしを聞いたことがある。

「バッハは特別なのよ」

そんなこともふくめて、映画の冒頭にバッハが選ばれたのは、ドイツよりもフランスらしく、しかも、平均律の二曲目を持ってきたところがちょっとした変化球だから、やっぱりすこし「ゆがんだ」感じがしてフランスらしいのだ。

コンセルバトワールのピアノは、ピカピカの「スタンウェイ」だった。
これをみた主人公は、おもむろにリストの『ハンガリー狂詩曲第二番嬰ハ短調』を奏でるのだ。

ハンガリー人のリストだから、といいたいが、ロマ人(ジプシー)の曲が原曲といわれているので、貧しい主人公とピカピカのスタンウェイが、演奏によって結合するわけで、サクセス・ストーリーとしての象徴なのだろう。

主人公のピアノを厳しく鍛える先生は、かつて、みずから出場したコンクールに敗れた傷をもっている。
その理由は、心がこもっていなかったから。
テクニックだけでは、世界的なコンクールで勝てないというはなしは、ビジネスの世界でもおなじである。

『無伴奏「シャコンヌ」』は、世界的バイオリニスト、ギドン・クレーメルがじっさいの演奏と音楽監修をしていた。
ベートーヴェンをあつかった『不滅の恋人』では、サー・ゲオルク・ショルティ指揮による全曲オリジナル録音という豪華さだった。

今回の主役へのピアノ指導とサントラは「ジェニファー・フィシュ」というひとの演奏だという。誰だ?

調べてもよくわからない。
けれども、このひとの演奏するサントラがなかったら、映画自体が失敗してしまう。
素晴らしい演奏で、サントラ盤がほしくなった。

そういえば、『のだめカンタービレ』の実写版では、ラン・ランが主人公のピアノ演奏を担当している。
わたしは、どうもこのひとの演奏は「テクニック」を誇示する感じがして、個人的に正直にいえば好きではない。

本作も「のだめ」も、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第二番ハ短調』が重要な曲になっているのは偶然か?
まさかだが、日本のマンガ文化の影響が濃いフランスにあって、「のだめ」を意識しているなら痛快である。

それにしても、作品内で演奏される重要な楽曲が、みんな「二番」で、「ハ短調」を基軸にしているのはなぜか?

これを解説しているひとがいないのも、たまたまだからか?

「聞かせてよ愛の言葉を」を聴きたい

蓄音機のSP(standard playing)盤は、あとからでてきたLP(long playing)と区別するための用語だ。
いまとなっては「special」ではないのか?といいたくもなる。

一枚ごとに交換を要する鉄製の針(針圧は120gもある)でこすって音を出すのだから、盤じたいの硬さも相当であった。
一回の使用で鉄針が削れてしまうから、かならず針をあたらしく交換しないと、盤の溝をいためてしまうのだ。

LPがプラスチック製だったのに対して、SPは酸化アルミニウムなどの微粉末を天然樹脂でかためたものだったから、衝撃に弱いだけでなくカビが発生するという弱点があった。

しかしながら、「蓄音」という技術は人類史上の「画期」であって、前回書いたように、モノラルでしかない、というのも、いまとなっては人間の耳にもっとも適しているのである。

技術はめぐって、モノラルの最高スピーカーがあらわれるとおもったら、とっくに世にでていた。
やっぱりなー、なのである。

それで、どんな曲を聴きたいか?
もちろん、発明者のエミール・ベルリナーのつながりでいけば「グラモフォン」なのだから、なかでもドイツ・グラモフォンの名盤を聴いてみたい。

しかし、気になるのは「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-moi d’amour)」なのである。
フランスで最初にレコードをリリースしたのは、レオナール・フジタのモデルにもなっていたリュシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer:1901-1983)で、1928(昭和3)年のことである。

「聞かせてよ愛の言葉を」の発表は、1930年。
シャンソンの古典ともいわれているが、なにせ教科書でならう歴史でいえば、1929年の10月、アメリカ発の「世界大恐慌」がおきているさなかなのである。

哀愁が漂いながらも、どこか華やかなよき時代が表現されているのだが、29歳でこの曲を歌い上げる力量のすさまじさは「時代」の力というべきか。

第二次大戦中の『リリー・マルレーン』とは、趣を異にする。
むしろ、戦後シャンソンの名曲『枯葉(Les Feuilles mortes)』が、ヘンデルの『パッサカリア』に似ているといわれることにこじつければ、イタリア語だが、おなじくヘンデルのオペラ『リナルド』のアリア『わたしを泣かせてください(Lascia ch’io pianga mia cruda sorte)』に、なぜか起源をもとめたくなる。
現代の歌姫、サラ・ブライトマンのアルバムにもある。

これを、生の蓄音機ではなく、YouTubeで聴ける時代なのだ。
しかして、生の蓄音機で聴いてみたい。

シャンソンの本場フランスで、この曲があらためて注目されたのはジュリエット・グレコ(Juliette Greco:1927-)が1964年に出したからだという。
34年間も他に歌ったひとがいなかったわけではないだろうが、「味わい」という点で光が当たるものだ。

しかし、ジュリエット・グレコはこのとき37歳。
人生の機微を歌うのに要する時間は、確実に延びている。
はたして、いまの日本人で、二十代にしてこの曲を歌い上げて「味わい」をだせる歌手がいるものか?

ところで、西洋からの輸入品を我が物にしてしまう日本人の特性は、この曲にもあらわれて、3年後の1933年に、山田道夫が日本語版をリリースしている。なぜ男性がこれを歌ったのか?

淡谷のり子は、1951年、44歳の時の録音があるのは、「ブルースの女王」よりも以前、わが国シャンソン界の先駆者としての矜持か。
「なるほど」の一枚である。

さて、わたしがこの曲に興味があるのは、じつは全く別の理由で、ピアニストのフジ子・ヘミングが、NHKのETV特集「フジコ-あるピアニストの軌跡-(1999年2月11日放送)」で鮮烈な紹介をされたのをたまたまリアルに観ていたからである。

この番組のなかで、母親が残した古いピアノを、タバコを片手に弾き語ったのがこの曲だった。
観ていて灰が落ちないものかと気をもんだが、そんなことはなんのその、じつに切ない響きであった。

齢を重ね、かつては天才少女と賞賛されラジオにも出演し、ヨーロッパにいけば「リストの再来」と記事にもなったひとの、なんとも厳しい人生がそこにあった。

しかし、軌跡のはずが奇跡がおきて、三度も再放送され、さらに続編がでて、いまや世界的ピアニストとして光を放っている。
ホンモノがもつ力である。

そう、あの番組中のあの歌が忘れられないのだ。

曲と歌手と時代と人生が一致すると、とてつもない「味わい」がうまれるのは、もはや偶然でしかなされないものなのか?

平たい人生と平たい時間が、平たい音楽をつくるといえばいいすぎか。

そういえば、とあるクラッシック名盤を聴いていて、テンポの遅さに気がついた。
いまよりずっと「遅い」。

これも、ひとの生活リズムの変化なのだろう。
しかし、この遅さこそ、歌心ではあるまいかともおもう。

「聞かせてよ愛の言葉を」を、蓄音機でじっくりと聴いてみたい。