原作は、林明輝のまんがで、昨年映画化された作品である。
舞台は林の実家であるラーメン店だから、こと、ラーメンについては、いわば「再現もの」といってもいい。
老舗の、むかしから変わらない「味」は、じつはたいてい「変化」している。
貧しかった「むかし」のままだと、豊かになった「いま」の「舌」では「貧相」になってしまうから、繁盛店ほど「味を変えている」ものだ。
「むかしのまま」だと、客に納得させることが、「プロ」の味付けなのだ。
それに、家庭料理とちがって、店での料理は、「いつもおなじ」が要求されている。
昨日より今日のほうが「うまい」では、商売にならない。
もしかしたら、あしたは「まずくなる」かもしれないような不安定では、常連客はつかない。
「安心のいつも」が「安定のいつも」になって、「いつもの客が来る」のである。
新規に料理店をはじめる、これは個人事業として典型的なはなしだった。
成功と不成功における「商売上手」と「商売下手」の分岐点は、開店したその日から勝負がはじまる。
全員が新規の客に「これは!」と思わせると同時に、さいしょから「安心のいつも」である必要があるからである。
これが、簡単ではない。
いわゆる「修行」を積んで、つまり、「基礎」が完全にマスターできた上での「独立開業」でないと、商売にならないからである。
ところが、料理店は料理だけでは成りたっていない。
サービスはもちろんだが、「経営」という問題がでてくる。
それに、夫婦ふたりで店を切り盛りするばあいの「リスク」もある。
むかし、わが家のちかくに、蕎麦やうどんなどの「自家製麺類」を、持ち帰り専門で販売する店があった。
ここで買えば、わざわざ蕎麦屋から出前をとらなくてもよいほどにうまかったのは、麺だけでなく汁がうまかったからである。
ところが、おばあさんが亡くなると、とたんに味が落ちてしまった。
汁の仕込みは、おばあさんがひとりでやっていて、家族のだれにも教えていなかったという。
「どうやってもあの味ができない」
しばらくして、店自体を廃業してしまった。
それは、常連だったわが家にも「甚大な被害」となって、蕎麦は出前をしてもなにをしても、めったに「うまい汁」にお目にかかれなくなったからである。
冒頭の作品では、自家製麺のラーメンが特徴になっている。
たしかに、ラーメンという食べ物では、自家製麺は珍しい。
いまでこそ見かけるが、むかしはめったになかった。
「かんすい」というアルカリ性の液体をくわえるのが中華麺の特徴だ。
内モンゴルの「塩湖」の水から小麦を練ったことをはじまりとする。
その意味では、うどんともパスタともちがうルーツの麺である。
わたしの祖父は、ラーメンが嫌いだった。
蕎麦をじぶんで打ったり、春になるとよもぎ摘みにでかけて、よもぎ餅をつくってくれるほどのまめさがあった。
田舎から送られてきた「こんにゃく芋」をすりおろして、こんにゃく作りを手伝わされたのが苦痛だったのは、手袋をしていても手がかぶれてかゆくなるからだ。
どうして「ラーメンが嫌いなの?」ときいたら、あれは「食いもんじゃない」といったのが、印象的だ。
食糧難のむかしは、かんすいの代用に「苛性ソーダ」を入れていたのをしっていたからだ。
「苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)」とは、むかし洗濯につかっていた。
いまは、食品への使用が制限されている。
もっとも、こんにゃくにだって「灰汁」をつかう。
いまなら買ってこないといけないが、掘り炬燵の練炭の燃えかすを入れていた。
まことに、化学反応が食品に応用されている、とは子どものころには思わなかった。
中華麺づくりの難しさは、かんすいをいかに少なくして腰をだすのか?にある。
この努力を、消費者がしる機会はあまりない。
なので、たしかに「どんな素性の麺なのか」についてはわからない。
むかしといっても20年ほどまえ、香港でたべたラーメンの麺が忘れられない。
どことなく、カップヌードルの麺のようで、よりきっちりした歯ごたえなのだが、「プツン」と切れる食感が新鮮だった。
あるとき、「麺」が忘れられないという友人がいたので、香港?ときいたらシンガポールのお店だという。
はなしで聴けば、ほとんどおなじだが、そこは店内で手打ちしているという。
あゝ、ラーメン食いてぇ、と思いだした。