FAXがほしい

電話機についているのがFAXなのか、FAXに電話機がついているのか?
通信手段として、固定電話とセットになるFAXは、前世紀の遺物、と世界的に評価されるなか、どっこいわが国ではいまだ「現役」だ。

もうずいぶん前になるが、ヨーロッパのとある先進国にある、とある先端企業は、自社の技術がとあるアジアの国に盗まれていることに気がついた。
どこから、設計図が漏れたのか?を社内の極秘調査チームがさぐったら、ネットからだったことが判明した。

この企業でのこの「事件」は、ネットの脆弱性を世界に知らしめたものだった。
それで、どういう対策をとったのか?といえば、いそぐばあいはFAX、そうでなければ郵便ということになった。

どちらさまも「サイバー空間」における「情報争奪」に熱心なので、アナログ回線における通信が、かえって安全だという皮肉である。

ましてや、郵便とは?
かつての冷戦期、郵便物を開封して撮影し、再度封をするスパイ小説や映画のようなことは、じっさいにはもっと巧妙にやっていた。
その筋のプロでもわからないようにする「職人技術」があったのだ。

ところが、冷戦の終了とインターネットの普及という新技術の登場に、これらの職人たちがお払い箱になってしまって、郵便における安全性が急に復活したという事情が説明されてもいた。

前にふれた映画『オーケストラ』(2009年、フランス)は、かつての「ボリショイ交響楽団」の仲間たちでつくるコンサートを成功させる物語だった。

ロートルのひとたちがドタバタしながらなんとかする、というはなしだが、諜報の世界のロートルのひとたちがドタバタしながら、重要な郵便物を盗み見る、なんて映画ができてもおかしくない。
なにせ、もはや後継者がいない、からである。

いまや、固定電話契約は、個人の信用を証明するような「機能」になってしまった。
固定電話番号をもっていることは、「家がある」という意味になるからである。

しかし、ひとり暮らしならずとも、携帯電話があれば固定電話はひつようない。
それで、NTT東西あわせると1997年をピークに「7割以上」も減って1,700万件ほどになってしまったから、年間800億円以上の赤字事業になっている。

ざっくりいえば、毎年150万件の契約解除が発生していることになる。

国家は国民から合法的に掠奪する。

むかし電話を引くときに強制購入させられた「電話債権」とは、いわゆる「電話加入権」のことだが、これが「価値をうしなった」のは、2006年に提訴された損害賠償裁判で、控訴審でも請求棄却が確定したことがきめてになった。

わが国に「三権分立が存在しない」ことの証拠にもなった。
裁判所は、行政府を擁護するために存在しているからだ。
よって、企業にはこの債権価値について「無形固定資産」としての「簿価」をどうするのか?という問題となり、「時価会計」による「減損」するしかないという理不尽も発生している。

客室数に応じて、それなりの契約回線数をもっているホテルや旅館には、想定外の災難なことであったが、これに「業界」が「沈黙」したのも「椿事」ではある。
よく「しつけられた」ものだ。

「パソコン通信」がはじまる前、文書はFAXで送受信する、ことになっていた。
いまだに「パソコンがない」ときに、FAXをつかうのは、「情弱」だけが理由ではない。

コンビニにも、複合機としてのFAXがあるのは、通信手段としての選択肢を確保しているからだろう。

けれども、さいきんは「パソコンがあっても」FAXをつかうことがある。
これは、「PCファクス送受信」という機能があるからで、この機能つきFAX機を介せば、パソコンから直接FAXの送受信ができる。

電子メールに文書を添付させるために、パスワードをかける方法がビジネスの場面でつかわれることが「常識」とさえいわれているが、専門家は「無意味」と批判的である。
サイバー空間をつかうから、悪意があれば盗まれる。

ならば、メール添付ではなくFAX送信してしまうことを通知すれば、手間はおなじでありながら、じつはよほど「セキュア」なのである。
相手も、この機能があるFAX機を介せば、紙に印刷して受信するひつようもない。

わが家のFAXには、メモリーカードを介してパソコンに文書を取りこんだり、返信文書をパソコンでつくってメモリーカードに保存すればFAX送信できる機能があったのだが、このところその機能がつかえなくなった。

どうしてなのかいろいろしらべたら、メーカーのHPに、この機能を提供する独自アプリが「最新のOSに対応しておりません」とあった。
ご丁寧に「この情報は役に立ちましたか?」という選択肢まであるのは、ありえない「ムダ」だ。

要はつかえない、と宣言しているのに、役に立つもない。
最新のOSにいつ対応するから待て、ならまだしも、たんなるユーザの「切り捨て」であるし、製品特性として宣伝し販売した責任の放棄である。

わが国を代表する「経営の神様」とまで崇拝された創業者の、「ユーザを大切にする精神」の微塵もない。大赤字に転落したのは、新興国の猛追が原因ではなく、経営者の身から出た錆である。

仕方がないので、コメント欄に「別のメーカーのFAXを購入することにした」と記入したのは、故人へのリスペクトからである。
そうでなければ無言でいなくなる。改善のためのヒントをあたえるような殊勝なことはしてあげない。

こういう状況をどこかで見聞きしたことがあるとかんがえたら、地震がおきてマンションの建築構造に手抜きがあるのがわかっても、施工者や販売者が逃げ回るすがたに似ていることに気がついた。

無責任な企業には、しっかりした制裁をあたえることが必要で、それをするのは政府ではなく、市場でなければならない。
ただし、わざと倒産して逃げる道もあるから、倒産前と後の両方に、逃げられない道をつくるのは政府の役割だ。

そんなわけで、いまのところ町内会の連絡にしかつかわないけど、あたらしいFAX機を購入しないと、面倒なことになっている。

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