人類の星の時間がやってくる

アメリカでの、「犯罪者の心理」と「捕縛者の心理」の対立が、リアルで可視化されて「劇場化」した。
そして、とうとう1月20日という山場にさしかかってきた。
日本時間では、明日の午前2時になる。

逃げ切りをはかるのは、民主党というよりも「DS(ディープステート:既得権益者たち)」だ。
わかりやすい行動をとったのは、副大統領に就任するのに、上院議員辞任の最遅記録をつくったカマラ・ハリス氏で、18日にようやく辞任した。

就任式リハーサルにあたって、上院議員のままでは格好がつかないと、身内の民主党からの突き上げが厳しかったらしい。
地元カリフォルニア州知事に辞表を出して、知事は後任者をさっさと指名したから、待ち遠しかったことだろう。

アメリカの上院議員は、各州2名の定員で、日本の参議院議員と同様に6年の任期があって、また同じく解散はないけど、欠員は補欠選挙でなくて選出州の知事が指名することになっている。任期は、元の満期までだ。
カリフォルニア州は、民主党の牙城だから、後任も民主党のひとである。

よほどの理由がないと軍を配置できない、ワシントンD.C.(コロンビア特別区=連邦直轄地)に、周辺州の応援をえて「州兵」配置を国防省に要請したのは、6日の議会事件を受けて、ワシントンD.C.の市長本人だった。
それから、あれよあれよという間に3万人ほどが集結し、厳重警備にあたっている。

この数は、在韓米軍全部よりも多い。
きっと、要請した市長は、こんなはずはない、と文句をいっているはずだけど、お構いなしの状態なのだ。
なんだか、渡りに船を得るような話だ。

なぜなら、大規模集会の事前に州兵配備を市長に打診したものの、市警察で十分と判断・回答したのも、この市長だったのだ。
ちなみに、彼は民主党に属する。

ところが、現状の「警備」が少々不審なのは、外部からの攻撃に備えるよりも、就任式がおこなわれる議事堂周辺エリアから、外に出られないようにしているからである。
いつから、計画された方法なのか?

こうして、恐怖に襲われたのは、逃げ切りをはかる側なのは当然で、州兵たちの身元調査(支持政党と投票行動ふくむ)と、兵装の弾丸放棄を要請するいう事態にまで発展した。
兵装の弾丸放棄は軍から拒否されたというものの、身元調査は実施されている。

これはじつは大問題だ。
アメリカ軍は、連邦軍も州兵も、どちらも「行政」に属している。
これが、「シビリアン・コントロール」の大前提である。
だから、最高指揮官が大統領なのだ。

軍組織に、「軍法」があるのは、一般生活とは別のルールがないといけないからだけれど、それが、「上官の指揮・命令に従う」という絶対である。
ここに、個人の感情や政治信条は優先されない。
「わたしは、あの大統領(上官)の命令に従いません」、は許されない(=死刑)のだ。

これが、「国防軍」の絶対なのである。
しかしながら、軍の形態を装っても、ぜんぜん別の性格の軍もある。
たとえば、泣く子も黙る、「ナチス親衛隊(SS)」だ。
この組織は、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の「私兵」なのだ。

「私兵」なのに、政権党の直属兵だから、政権党の意向がそのまま国民の弾圧行動になっても、だれも罰するものがいない。
つまり、恐怖に駆られた、政権党になる民主党は、なんと、国防軍から人選をして、民主党軍に変換させている、ともいえる。

アジアの大国の「軍隊」も、いまだに「私兵」のままなのである。
その点、旧ソ連の軍隊は、当初の「赤軍(=党の私兵)」から、1946年に、「国軍」へ変更されたから注意がいる。
この点で、ソ連は「近代的」だったといえる。

州兵のみならず、連邦軍の将兵には、一般市民に対する「捜査・逮捕権」はない。
しかしながら、トランプ政権は18日、集結した州兵のうち2000人を、「連邦保安官代理」に任命したというニュースがあった。

連邦保安官は、司法省に属する。
ほんとうなのか?

一般人を軍法において逮捕することはできないから、「巧い手」ではある。
なお、軍法会議で一般人を被告にするには、司法長官と国防長官との協議によるので、このニュースがほんとうなら一気に緊張感が高まる。

民主党側の「就任式」が、逃げ切りになるのか?
それとも、就任式をもって、反逆罪などの「犯罪成立」として捕縛の号砲となるのか?

トランプ氏の弾劾裁判と、上院で決まっていない「閣僚人事」の公聴会は19日。新政権としては、まっ先に閣僚人事の承認が必要だ。
もしや、一気に閣僚を承認すれば、これも「犯罪成立」となって、承認された閣僚たちばかりか、賛成した議員も「犯罪者認定」されるだろう。

現地時間、朝8時より、すべての地上波放送に政府放送枠の提供についての予告も一部で報じられている。
全局で、「臨時放送」を流すという意味だ。
これも、ほんとうなのか?

日本時間では明日の明け方、おおかたのことが判明するだろう。
ただし、情報遮断もありうる。

なにも起きなくても、それはそれで、歴史的逃げ切りの「政権交代」だ。
なにかが起きたら、もちろん、歴史的変革の瞬間だ。

「人類の星の時間」まで、あとわずかなのである。

ひとは「壁」をつくる

『壁』といえば、安部公房の小説で、高校の時の課題で無理やり読まされた、漱石の『こころ』とおなじく、数少ない自主性のない読書経験だった。
朝起きると、なにかがちがっていて、虫になっていたカフカの『変身』と重なって、これが、「実存主義」かと固定した。

突然「名前を失う」というのは、虫になるより強烈で、自分を自分だと証明するものを、人間は持たない日常があることに驚いた印象がいまも残っている。
だから、『千と千尋の神隠し』にはドキドキした。

   

その意味で、共産主義に傾倒するひとの思想は、飛び抜けて優秀だ。
きっと、ふつうに優秀な方がよいのだろうけど、そうもいかない正直さが、凡人に刺激をくれて、ついでに共産主義への警戒感も強めてくれる。

イタリア共産党を創設し、壁の中で思索した、アントニオ・グラムシもその典型で、「邪悪の本質」を正直に教えてくれた。
これがいまでも、アメリカ民主党などの「教科書」になっている気がしてならないのは、あんがい「まんま」の行動をしているからだ。

精神的な「壁」は、誰にだってある。
他人との距離感をいうこともあるし、自己としての「壁」は、どちらさまにも進入禁止であろう。

「ソーシャル・ディスタンス」が日本語になった2020年から、日本人の民族的な距離感は、これまでからどのように変化したのか?
「プロクセミックス(近接学)」では、「パーソナル・エリア」と呼んでいて、「民族」や「男女」によるちがいが研究されている。

ただし、「性差」について修正をしたがるひとたちが「進歩的(なぜか「リベラル」という)」とされていて、わが国でも「ジェンダー・フリー」という日本語で、高校生が夏場、校内プールにおける水泳の授業で男女がおなじ部屋で着替えることが実施され、議論をよんだものだ。

新年早々、アメリカ合衆国連邦下院議会では、開会の冒頭、ペロシ議長から、「性差の表現を下院の議論ではしないように」との注意があった。
例えば、「父・母、祖父、祖母、兄・姉、弟、妹など」を「発言しないようにいたしましょう」と。

これで、保守派ならずとも、違和感があるひとと積極的推進派とに、「壁」ができた。
つまるところ、壁を取り除くことが、あらたな壁をつくることになったのである。

さすが、「先進国」。

ニューヨークでは、とっくにトイレが男女共用になっている場所もあるという。
ならば、江戸時代のわが国で常識だった、温泉の男女共用浴場を、野蛮だとして廃止させて別にしたのを、さもなかったかのように「元に戻す」ことをしてこそ、わが国も「先進国」に留まれるのであろう。

進歩的なわが政府の次の手は、全国の温泉と共同浴場(銭湯)の壁を取り払うための工事費と休業手当を、いそいで予算化すべきだ。
そうでないと、アメリカ民主党政権から、どんな仕打ちを受けるやもしれないから、国家安全保障にかかわる問題ではないのか?

日米に、「壁」があってはならない、と。

だから、国境に壁をつくったトランプ政権は、最低なのだ。
しかも、下院で多数の民主党によって、この建設予算が与えられなかったから、国防総省の予算を転用する工夫までした。
もちろん、バイデン氏は「建設中止」を発表している。

この壁は、わが国でも「万里の長城」扱いされている。

万里の長城は、当時(春秋戦国時代)の国境につくられた「壁」である。
しかし、その後も始皇帝から明時代まで、修復・延長されてきた。
教科書にあったように、異民族(匈奴:北方騎馬)からの侵入に対抗するものだったのだ。

だから、北方の満州族がたてた清の時代になって、長城が放棄されたのは当然だ。
満州族は、長城の外から全土を征服したからである。

さては、トランプ氏はなんのために「壁」を建設したのか?
不法移民の侵入を防ぐため、という。
これは、合法移民は受け入れる、ということだから、メキシコ側も支持しているのだ。

不法移民は、不法ゆえに、アメリカに入国を果たしても、「市民権」は得られない。
ゆえに、奴隷的労働に従事するはめになるし、もっと深刻なのは、麻薬密売に手を染めるばかりか、人身売買の被害者になることである。

はたして、これら犯罪組織が、不法入国を助ける、という構図もできているのだ。

今回の大統領選挙において、合法的に移民したひとたちが、圧倒的にトランプ氏を支持したのは、不法移民がいなくなったことで、これらのひとたちの生活が安定したからである。
仕事における、時給の低下もなくなって治安すら改善した。

だから、アメリカを破壊して共産化したい進歩派が、壁に反対する理由がこれだ。
わが国外務大臣の思想も、国民を洗脳したマスコミもおなじだろう。

トランプ氏が急遽、アジア太平洋戦略の機密文書を公開したのは、同盟国のはずの日本と韓国両国政府に、裏切るなよ、という警告の意味が理由だろう。
けれども、高まる緊張に、わが国のマスコミ・政府は動じない。

盤石だから、ではなくて、裏切り者のおとぼけだ。
さほどに「日韓」は双方で対立を演出して、アメリカからの警告を国民に伝えない涙ぐましい努力をしている。
レッドチームという、同じ穴のムジナなのだ。

日本国民と日本政府の間にも、とっくに「壁」ができている。

量子コンピュータを政治利用?

よくわからないことがいっぺんに重なると、ひとは「あきらめる」という選択をとるものだ。
わるくいえば、「思考停止」である。
複雑なことをかんがえようとすると、気持ち悪くなるのも、脳が拒否しているからである。

それでも、複雑なことをかんがえないといけないときには、慢性病とおなじで、あんがい「転地療法」が効く。
自宅からでて、散歩しながら喫茶店にいってゆったりしながら、かんがえるのである。

散歩の途中でもアイデアが涌いてくるので、ICレコーダーを買ったことがあるけど、すぐにスマホが取って代わった。
喫茶店で、これをヒントにかんがえると、妙にうまくいくことが快感になるから紐付けができる。

こうして、かんがえごとは喫茶店で、というパターンができる。
電源があるカフェをさがすのに、そのまま「電源カフェ」で検索すれば、意外な場所にみつけることができたけど、コロナで閉店もしているから、情報の更新が間に合っていない。

いまのモバイル機器の機能だと、別に電源は必須ではないのだが、電源がないと不安な貧乏性もある。
それで、場所代と電気代を、あたかもコーヒー代としてまとめて支払っている。

だから、喫茶店の経営者は、お客がコーヒーを欲しくてやってくるとおもって経営してはならない。
もっといえば、お客は複雑なことをかんがえに来店するのだ、と。

「AI(人工知能)」が騒がれたのは、コンピュータに仕事を奪われる、という研究が発表されたからであった。
しかし、SF小説や映画にでてくる、人間と同様あるいはそれ以上のAIはできっこない、と解説した本がベストセラーになった。

でも、この本は、けっして「安心」を購入させるものではない。
むしろ、よりリアルな危機を解説しているから、一読をお勧めする。

興味深いのは、コンピュータとは「計算機」だという確認である。
すっかり教育機関になっている、幼稚園でも「数」を習いだす。
小学校にはいれば、すぐに足し算がやってくる。
「オギャー」と生まれて、たった数年で足し算ができるのはすごいことだ。

中学でなんとなく、文系志向と理系志向があらわれて、高校ではクラス分けされる。
文系が理系に、理系が文系に「宗旨変え」のチャンスはめったにないから、この選択が日本人の人生を決めるといっても大袈裟ではない。

外国には、この区別がないことを、もっとしっていていい。

工業社会の人材育成プログラムが、脱工業社会になっても継続していることが、教育問題のなかの「カリキュラム問題」になっている。
この問題が、いつまでたっても解決しないのは、教えられる側ではなくて、教える側の技能がないからである。

それでもって、生徒が数学嫌いになるようにさせている。
定理の証明方法や、計算方法しか教えないから、「つまらない」のだ。
ぶ厚いアメリカの教科書は、「興味を失わせない工夫」の説明に満ちているからぶ厚いのだ。

しかし、テストにでるのは、ぜんぶ数式が書けて計算できる問題しかない。
世の中は、数式に書けないのがほとんどで、よしんば書けても計算できないことにあふれているのだ。
ここに、限界がありつつも、この限界に人類は果敢に挑戦し続けている。

そんなわけで、従来のコンピュータとは「原理が違う」のが、量子コンピュータである。

従来のコンピュータは、トランジスタを極小化して集めた、「集積回路」という技術の細密化が競われてきた。
これには、トランジスタが電気的に作用して、「0」と「1」を表現する電気スイッチの原理が使われている。

よくいう単位の「1ビット」とは、「0と1」の二通りの表現ができるのを基本にしている。
だから、2ビットは、「0・0、0・1、1・0、1・1」という、4つの組合せが表現できる。

ビット数を増やして計算できるのは、トランジスタの組合せによって、「論理回路」をつくれるからだ。
これをもっと組み合わせると、足し算ができるようになって、足し算ができれば掛け算ができる。

しかし、どんどんトランジスタを小さくしたら、「トンネル効果」という物理現象が発生してしまう。
トランジスタのスイッチを切りかえないで、トンネルを通過するように「先の出口」から出てしまうのだ。

そんなわけで、従来型のコンピュータの限界が近づいてきた。
そこで登場したのが量子コンピュータだ。
「量子」とは、光に代表されるように、「粒子」と「波」の二つの性質をもっている。

この性質を利用して、「0と1」を認識するのだ。
従来型と決定的にちがうのは、量子の二つの性質から、同時に並列的な計算ができるため、原理的にも、従来型のべき乗根という「超高速」なのである。
スーパー・コンピュータで数万年かかるものを数百秒で終える。

さて、どんな数式を書いて計算させたのかはしらないけど、トランプ陣営の敵を追いこむ正確な作戦は、量子コンピュータを用いている、という「うわさ」が出てきた。
あらゆる可能性の「確率計算」をやっている、と。

ほんとうなのか?
SFマニアの作り話なのか?

UFOの機密情報も公開するというから、そのうちわかるだろう。

『破戒』ラストの意味をしる

あと数日で、誰がアメリカ合衆国大統領になるのか?がわかる。

つまり、「現段階」ではだれにも「わからない」のである。
にもかかわらず、「バイデン氏の大統領就任」と報道をつづけ、外務大臣が、「6日の連邦議会事件をトランプ側の仕業と批難する」、歴史的・確信犯的・さらには、同盟を裏切る言行をして憚らない体制になっている。

民主主義には、ご都合主義が入り込むすき間がある。
多数派の暴走=小数派を無視する態度のことである。
これに、選挙不正というインチキが加わった。
自分たちが多数票を得ればよい、というご都合主義の究極である。

「共和制」のなかのひとつの形態である、「大統領制」を採用する国で、事実や証拠に基づかない、単なる「多数決」で弾劾訴追することが行われたことが「歴史的」だと書いた
これを推進した、民主党下院議長の汚名は、永遠に残るはずなのは、「共和制に死をもたらした」からだ。

わが国では、あたかも他人事をよそおう向きがあるけど、「コロナで罰則」を推進することと、本質的なちがいはない。
事実と証拠(データ)に基づかないで国会で多数決をとれば、論理は「弾劾訴追」とおなじことだからである。

つまり、わが国の「共和制(議会主義)」も崩壊の危機にあるのだ。
だから、外国の他人事ではない。
上述の外務大臣発言は、わが国の国家としての「道議」が失われたばかりか、現政権の邪悪さを世界に発信したのである。

すなわち、「レッドチーム」だと、宣言した。

国民が国家をつくり、その運営を政府に任せている第一にして最大理由に「安全保障=独立」がある。
これがなければ、「国民」という概念すら存在できない。
パスポートに意味がない、どころではないのだ。

それで国民は、このサービス享受の代償として、納税しているのだ。
しかしながら、驚いたことに、国民がしらないうちに、勝手に与党が「レッドチーム」に加入してしまった。

これを国民がやめさせる方法が、ない、という状態にあるのが、わが国だ。

それで、外国の元首なのに、アメリカのトランプ氏に期待が集まっているのである。
アメリカという後ろ盾があること、これが、わが国戦後の独立以来の構造なのである。

講和条約の発効と同時に、日米安全保障条約も発効した。
しかし、民主党バイデン政権になれば、この後ろ盾をなくすのではなく、アメリカとともにそっくりそのまま「レッドチーム」に編入されることになる。

元レッドチームだった、ロシアや東欧諸国が、この状況をたいへん心配している原因が、「まさかの逆転」なのである。

現状は、アメリカでもわが国とおなじように、ディープステートが「保守」していて、そのトランプ氏の再選が一般人には困難な状況にみえるから、危機感が高まっているのである。

これは、日米ともに共産化することになるから、両国の「左翼」は、大歓迎しているのである。
そのお先棒を報道機関が担っているので、テレビや新聞しかみない「情弱」の国民は、すっかり、トランプ氏を憎悪するように訓練されてしまった。

骨のある政治家は、どこにいった?
残念ながらわが国では絶滅したけど、アメリカには棲息している。
それが、「テキサス州」なのである。
もしかしたら、テキサス州が再び独立するかもしれないのだ。

すでにテキサス州には、その動きがあって、複数の州が「呼応」する可能すらあるのだ。
トランプ氏は独立宣言して、これら州の大統領に就任するかも、といわれだした。

ワシントンの大統領に対して、南部の大統領が誕生する。
しかも、正統性は、日本史のように、なんだかいつも南朝にある。
これを裏付けるのが、連邦軍の支持なのだ。
したがって、ワシントン(北朝)の大統領には、民主党の「州兵」しかいないことになった。

6日の事件以来、ワシントンD.C.は、民主党市長からの「要請」をきっかけに、大統領が発動した「災害等の緊急事態宣言」によって、25,000人の兵が出動して警備にあたっている。
同時に、選挙不正があった州にも同様の宣言が発動された。

大統領就任式が中止されたという未確認情報もある。
一方で、トランプ氏は別途「退任式」を挙行すると報道がある。
これは、「南朝の発足式」かもしれない。

全米50州のうち、テキサス州が唯一の「元独立国」である。
テキサス共和国といった。
メキシコから独立し、その後アメリカ合衆国への編入契約をもって加入した。
なので、連邦法において唯一、テキサス州には「連邦離脱条項」がある。

つまり、テキサスの独立は、この条項にしたがえば「合法」なのである。

メキシコからの独立理由が、連邦制から中央集権への移行反対だった。
ふたたび、同様の事態が発生しているから、あんがい支持されている。
ちなみに、テキサス州のGDPは、カナダとおなじ規模なのである。

島崎藤村の『破戒』ラストで、主人公「瀬川丑松」がテキサスに向かうことの意味が、ようやく理解できた。

「こども食堂」と中間層の没落

「中間層」とは、工業社会がつくった安定の「庶民」をいう。
しかも、その「工業」には、さまざまな「手仕事」があったので、学歴よりも「技能」が通用した社会でもある。
この「層」の稼ぎによる、旺盛な消費が他産業に波及して、他産業でも「喰える」好循環をつくっていた。

これが、家庭内にあっての、「専業主婦」であり、またそれが当然とされたのは、三世代同居が「家族」のふつうだったから、介護の役割ももっぱら主婦が負うことになっていた。
「核家族化」がいわれた時代のことである。

都市における三世代同居とは、第一世代がたいがい地方出身者だった。
そして、それはまた、たいがいが農家の出なのである。
これは当然で、全産業従事者の8割が農民だったわが国は、典型的「農業国」なのであった。

地方の農家が、都市での工業労働力の供給源となった。
いつも都市からの目線ばかりになるが、地方は地方で、「藩」の消滅により中心を失う事件があった。
幕藩体制とは、「連邦制」のことだったから、強力な中央集権になって、地方の没落が進んだことも、都市労働者供給を加速させた。

この一連の出来事を小説にしたのが、島崎藤村である。

  

「封建制」とは、「家制度」が基礎にあって、それは、武士社会の特性ではなく、ひろくふつうの家でのことだった。
農家だって、長男とそれ以下だったのだ。
だから、それ以下が、ここぞといって都市労働者になった。

家長が全部を相続するから、それ以下は、居場所がないのもふつうだったのだ。
たとえば、『天皇の料理番』になった、秋山徳蔵は、その典型的でかつ成功した人物なのである。

 

明治・大正期に地方から都市労働者になった、都会移民の一世たちには、その後「自分の家族」が都会にできる。
二世の長男と嫁とが、一世と同居する。
だから、二世の「それ以下」は、独立して「核家族化」したのであった。

こうして、三世代同居が一斉にふつうになったのは、一世たちが地方から一斉に都会に出てきた時期が、およそおなじだったからである。
これが、日本の家族の典型だった、『サザエさん』一家なのだ。
外からきた婿のマスオさんの名前が、海と川の両方で棲む「マス」なのが、長谷川町子の絶妙なのだ。

時間の経過とともに、磯野家がどうなるのか?
長男のカツオが相続すれば、サザエさんとマスオさんは、とうとう家を出ることになるし、タラちゃんだってきっと独立するだろう。
このような変化が当時からはじまって、一体だった家族が分裂をはじめたので、「化」がついて「核家族化」といったのだった。

もちろんこれには、都市における住宅事情も無視できない。
広い敷地があれば、母屋の横に別棟をつくることもできるけど、それは、都市化する前から住んでいた、農家の特権になっている。
いまは、「核家族」が主流になったので、自分の三世代上をしらないふつうができた。

一般に、石油ショックを境に、世界は「脱工業化」の時代にはいった、といわれている。
しかし、工業生産そのものから「脱した」のではなくて、ロボットの導入などの、自動機械化がはじまって、必要な技能の質が変わり、少人数化したのである。

だから、工業が職をもとめる大量な人数を必要としなくなったし、必要なひとの技能も変化して、高度化した。
ひとがやる部分は、おそろしく「超絶技巧」を要するようになったのは、自動機械ではできない加工工程ばかりになったからである。

それに、工業がサービス化して、企画・設計とアフターサービスにこそ、価値の源泉(儲けの種)がある時代になった。
製造現場における価値創造が、製造業のなかで相対的に低下したのだ。

これが、産業構造の変化の大本にある変化なのである。

だから、働く側にも地殻変動のような変化がやってきて、「これまでどおり」が通じなくなった。
そうして、安定の中間層の安定がはずれて、まさに「崩れだした」のである。

明治から150年続いた、江戸時代からみて「あたらしい常識」だったことの、さらなる書きかえがはじまったのである。
コロナによる「あたらしい日常」のうさんくささは、再構築がはじまったことを「隠す」意図をかんじるからである。

われわれは、どこに行くのか?
「流される」ことでなんとかなる時代が終わってしまった。
なにをしたいのか?を追求しないといけない、サバイバル時代に、否応でもなったのである。

そんなわけで、いつの時代も、弱者にゆがみが強力にはたらく。
それが、現代の「欠食児童」をつくりだした。
そんなわけで、みかねたひとたちが、「こども食堂」をはじめた。
「こしょく」が、共通の問題と指摘されている。

・孤食:一緒に食べるひとがいないで、ひとりで食べる
・個食:いつもおなじものを食べて、好き嫌いが増える
・固食:自分が好きなものしか食べない
・粉食:こなもん、とくに小麦を食べて脂肪を多食する
・小食:食欲不振で栄養がたりない
・濃食:手軽な加工食品の濃い味付けで、味覚がにぶる

この活動が、「よい」のは、行政が追いつかず、民間事業であることだ。
そのうち、いつものように行政が乗っ取りにくるだろうけど、なんとか「排除」してほしい。

けれども、最大の改善策は、産業構造から見据えた、国民が「喰える」国にすることなのだ。

おっと、これも政府に任せることではない。
一律の産業政策こそが、貧困化の原因なのだ。
「自由化」を政府が推進してこその、繁栄であると、「こども食堂」が教えてくれている。

「週休3日」を強要できるか?

政府を万能だと信じることは、全体主義への入口である。

政府の立ち位置と機能の確認は、コロナ禍のこのご時世での必須の要件になってきている。

政府の立ち位置とは、政府から国民に指示・命令を出す、という「上から」ではなく、国民生活に奉仕する、という「下から」という基本があることを無意識に認識していることでなりたつ。

残念ながら、これがなかなか無意識の意識という状態にならない。
かえって、政府の宣伝にのせられて、政府依存するように無意識レベルで仕向けられるのである。

こんな習性をもつ、政府の狙いとは何か?
それは、政府権限の無限大の拡大にある。
この過程に、予算奪取と予算そのものの拡大があり、最後に全体主義に到達するのである。

予算奪取の過程には、民間圧迫という副作用がかならず伴う。
これが、「機能」についての注視点なのだ。
政府は、自分でビジネス(売上をあげること)をしていない。
「政府支出」というように、政府部門における経済全体への影響は、「支出」によって行使するだけなのである。

すなわち、「政府調達」という、政府機能に必要な物資の購入が、消費団体としての基本なのだ。
しかし、政府の立ち位置が「上から」になると、政府事業と称して、民間事業にコミット(介入)してくるようになる。

ここに、「予算」が投じられるのだ。
民間事業者からすれば、「おカネが天から降ってくる」という錯覚を得るように演出されることも特徴である。
そして、「公金」を使うのだから、「公の意見」を聞くように強要される。

こうして、民間事業を配下にするのである。
つまり、事業そのものが「盗まれる」ことになる。
民間当事者からすれば、「盗まれた」ということだ。
正確には、「少額での事業買収・アイデア横領が成立した」のである。

このような事例は、全国の日常である。
わかりやすい例でいえば、津々浦々にある「道の駅」の運営をみればよい。
地元役所との「共同事業」が、上述した「上・下関係」となって成立している。

これを、現代国語で「官民一体」というのである。

この言葉は、官が民を支配するのを積極的に是認する、という意味なのだ。
すなわちこの状態が「定常」であるいま、政府の立ち位置と機能は、全体主義の入口をとっくにこぐっていることになる。

これが、バブル崩壊後の「失われた時間」の原因であり結果だ。

停滞したアメリカ経済やイギリス経済を復興させたのは、政府の立ち位置と機能を、本来の姿に「戻す」努力をしたからである。
これが、「政治力」というのである。
「レーガノミクス」、「サッチャリズム」を指す。

これら歴史的な政治家の思想背景が、ハイエクが唱えた、「新自由主義」なのだ。

けれども、米英ともに揺れ戻しがおきて、「グローバリズム」が跋扈する時代になった。
じつは、グローバリズムとは、伝統的な支配層たち(=エスタブリッシュメント)の利益を追求するために「国境をなくす」運動なのだ。

グローバリズムを推進するのが、グローバリストだ。
「グローバリスト」の同義語として、「国際金融資本」があるのは、アメリカにおける投資家や資本家、英国における王室(貴族)と伝統的金融家を指す。

いまでは秘密でもなんでもなくなった、1917年のロシア革命の資金提供者が、国際金融資本というのは常識である。
そのロシア革命が成功したのは、日露戦争(1904~05年)、第一次大戦(1914~18)の間にあって起きた、「反戦運動」があったのだ。

帝政ロシアは、日本海海戦で海軍が壊滅し、第一次大戦では最初の陸戦で、半数以下のドイツ軍に50万人陸軍が殲滅(タンネンベルクの戦い)させられたからであった。

しかし、ボルシェビキが政権をとってどうなったか?
ここから、国際金融資本の、長期的「利益回収」がはじまるのである。
そもそも、共産主義は、はなから「国際共産主義運動」となる「グローバリズム」である。

笑えない事実として、「情報鎖国」のわが国にあっては、あろうことかこのグローバリズムを「新自由主義」と定義してしまったのである。
誤りなのか?
それとも、わざとなのか?わざとだろう。

自由主義を共産主義だと定義したようなものである。

そんなわけで、わが国政府は政治家を傘下にする「倒錯」をもって、国民支配の立ち位置を強化する方針を貫いている。

「コロナの政治利用」しかり、「週休3日」の提言も、いつの間にか「命令」に変化させることだろう。
民間事業を支配する発想からすれば、当然なのだ。

週休3日をいいだしたのは、自民党「一億総活躍推進本部長」の猪口邦子氏である。
彼女は、国際政治学を専門とする学者出身の「政治家」である。
国民として、彼女の学問業績をチェックするひつようがあるのはいうまでもない。

わが国は、「思想:哲学」をバカにする雰囲気をつくろうとするひとたちがあふれている。
しかし、中小企業のなかで成功している経営者の共通点が、「思想:哲学」の現実化に努力した成果なのだ。

政府に対抗する中小企業の抵抗が、これから強まることだろう。

そうしなければ、かならずや自社の発展が妨げられることになるから、まともな経営者なら危機感を持つことになるからである。
もちろん、政府は安易な経営者を抱き込む手を使い続ける。

攻防戦は、もうはじまっているのである。

史上初の「自爆」二度目弾劾訴追

アメリカ人が、「冤罪」という言葉をしらないはずはない。

野党も一部与党の国会議員が、なにかに取り憑かれたように、政敵を「おとしめる」のには、それなりの理由があると書いた。
それは、「エスタブリッシュメント」たちの利益を守る、ということだ。
つまり、「既存支配秩序」の擁護のことである。

逆からいえば、トランプ政権の「異常」をいう。
彼ら政権スタッフの発想には、ぜんぜん「既存支配秩序の擁護」はなく、「国民主権の復活」しかないのだ。

あれれ、アメリカ合衆国は、国民主権をうたう民主主義国家ではなかったのか?
「なかった」のである。
しかも、「民主(Democratic)」をかかげる政党が、もっとも民主的「ではない」のがよくわかった。

そして、民主党のような進歩主義=社会主義=左翼のことを、なぜか「リベラル」というのである。
リベラルとは、「リベルタ=自由」からの派生語だから、本当なら「自由主義」のことをいわないと、意味不明になってしまう。
民主党ではなく、「自由党」と訳すべきだけど、もっと彼らの思想から遠くに乖離するから訳せない。

ものごとを「歪曲」してみるのは、自分たちの都合にあわせるからである。
あるものをないとしたり、ないものをあるとする。
日本ではむかしから、白を黒といったり、黒を白ということをさす。
いまようなら、「無理くり」という。

トランプ氏の一回目の「弾劾訴追」の原因は、「ロシア疑惑」だった。
この疑惑も、「大統領選挙不正」にまつわるものだ。
ただし、不正をしたのがトランプ氏側だという主張だから、いまとは逆である。

かんたんにいえば、共和党内でも泡沫候補とみられていたトランプ氏が、あれよあれよという間に、共和党予備選挙に勝利して大統領候補になったことから「ロシアの関与」だと、民主党は訴えたのだ。
しかも、予備選挙の相手は、当代最強の上院議員といわれるテッド・クルーズ氏だった。

共和党内の予備選挙にいちゃもんをつけても、他党の内輪話になるから、絶対に勝つといわれたヒラリー氏が敗北した理由が必要になった。
わが国外務省も、「間違いなくヒラリー勝利」を首相に進言して、大恥をかいたのに、だれも責任とって辞任する者がいなかった。

「アベがー」と批判するひとたちが、ここ一番、総理激怒で外務省改革をさせない闇も放置されたままである。
もちろん、むかしの新聞なら、アメリカ大統領選挙を見誤った外務省の責任追及は、ハンパなかったろうにともおもうのである。

それで、やっぱり「ロシア関与」だという主張をして、政権発足前に次期政権の大統領補佐官に指名されていた、マイケル・フリン元中将が駐米ロシア大使と電話会談をしたことをもって、先ずは彼を訴追した。

これこそが、冤罪であったと昨年証明されて、訴追取り下げと大統領恩赦も発令された。
アメリカでは、訴追取り下げだけでは、身分回復にならない。裁判所に訴追の事実が記録に残るからである。それを消すのが、大統領恩赦だ。

じつは、フリン将軍は、もともと民主党支持者だったのだ。
それが共和党しかも、トランプ側に「寝返った」という大問題があった。
彼は、民主党中枢の腐敗状況を熟知もしていたからである。

つまり、フリン氏潰しを、寝返らせたトップにも遡及したのが、「ロシア疑惑」という「冤罪」の正体である。
これを、3年以上やり続けた。
なんだか、「もりかけ」とかとよく似た構造のはなしなのである。

だから、一回目の「弾劾訴追」も、アメリカ史に残る。
「冤罪」でも連邦下院の過半から訴追されたという事実としてだ。
これは、アメリカ民主党の「黒さ」を残す歴史になっただけで、判決をくだす上院は動じなかった。

さてそれで、今回の弾劾訴追は、6日の議事堂事件の原因を、トランプ氏が群衆を暴徒化するように煽った、ということで、国家反逆罪を視野にしている。
「冤罪」も、ここまでくると、マンガチックになるけれども、当事者にはマンガではすまない「必死」がある。

ほんとうの、「死闘」になっているのだ。

トランプ氏側が年数をかけて仕込んだ、「罠」に、エスタブリッシュメントの支配下にあるひとたちが、すでにはまってしまった。
この罠で追求されるのは、国家反逆罪だから、逃げ惑うひとたちが、決死の「国家反逆罪返し」という技をかけようとしている姿を、われわれはみているのである。

イノシシなどの野獣を生け捕りにする罠には、4本足の1本が噛めばよいスプリング式のものがある。
これを、「くくり罠」という。ワイヤーで足をくくるからだ。
当然だけど、罠にかかった獣は、全身全霊で逃れようと暴れるのだが、ベテランの猟師はこれをしばらく放置する。

体力を消耗させるのである。

それから見計らって、イノシシなら「鼻」にもくくりをつけて、かかった足の反対方向にロープで引っぱれば、身体がまっすぐに伸びてしまう。
ここで、ガムテープなどで両目と牙がある口をぐるぐる巻きにすると、動きがとまるので、おもむろにすべての足を一つにまとめてロープで縛れば生け捕りの完成である。

アメリカ民主党と、共和党の一部は、もうすでに「くくられた」から、これが最後の抵抗なのではない。
もう、終わっているのだ。

アジアの大国の女スパイに、「甘い罠」でしてやられた民主党下院議員が、弾劾訴追の委員長になったのは、恥の上塗り人事なのか?開き直りかなんなのか?
末代までの恥をさらしてはばからないのは、ひとではない。

歴史に汚点を残した彼らは、永遠に汚名を刻んだのである。

コロナ疲れで飽きてきたけど

学者は、論文を生産する、という仕事をしている。
これは、「研究成果の発表」であるから、教育者としての側面をもつ、大学教授は、これらの研究をふまえて学生にむけて授業をしている。

昨年末に、「論文査読」を依頼された。

いまさらだけど、「査読」とは、論文内容の「審査」をすることである。
正式には、「二次審査員」に指名された。
複数の審査員が、その論文の審査をすることで、論文誌や論文集への掲載の可否を決めるのである。

世界的に有名な科学誌だって、こうした査読の関門をくぐったものしか掲載しないから、その権威も構築されている。
つまり、読者からの「信頼」こそが、論文集発刊元の生存理由なのである。
だから、学者は、論文生産に精を出さないと、学位はあっても「学者でなくなる」のだ。

基本を書けば、査読のポイントは、テーマ設定の適確(目的と研究手法)さ、とか、先行研究との兼ね合いをもって、あたらしい「論」を立てることに成功し、もって、その論文が世の中の発展に寄与することにある。
なので査読者は、どこかに不足があれば、それを充たすための指摘もする役割がある。

しかしながら、査読者も同じ分野を研究することがふつうであるから、そこには、穿った見方もできるので、論文集編集者としては、査読者の選定にも注意しないと、おもわぬ事態が起きるやもしれない。
それは、査読者自身の研究における、「盗作」誘発だったり、いちゃもんをつけて、その論文を葬る行為だってありうるからである。

学者も、清廉潔白なひとだけでない、ふつうの人間がたくさんいる。

査読者を複数立てるのは、これらの懸念を防止することはいうまでもなく、むしろ重要なのは、「先行研究」についての知見が、複数でないと漏れてしまう可能性があるからである。
これは、審査対象の論文の質を高めるためにも重要なポイントだ。

べつのいい方をすれば、自身の主張に合致した先行研究しか引用しないで、つまり、「反証」となる先行研究を無視して書き上げられていたら、それは、「論文」とはいえなくなって、「論評」になってしまう。
こうした内容では、「論文集」への掲載はできないし、もし掲載してしまったら、その論文集の権威はたちまち失墜する。

そんなわけで、「先行研究」をたくさんしっている、ということが、じつは学者の学者たるゆえんとなるのである。
ここが、学部学生との決定的なちがいだ。
研究者は、その頭脳に先行研究のデータ・ベースをつくる訓練をうけたひとなのだ。

当然ながら、人間の認知力には限界があるので、「論文データ・ベース」ができている。
このデータ・ベースにアクセスできるのは、研究者となっていて、一般人なら「有料」なのだ。

ここに、研究者と一般人の、情報の「壁」がある。
この「壁」を乗り越えるためばかりか、一般人に「易しく解説する」ために、報道機関には専門家が雇われて、研究者たちの研究成果のなかでも、世の中に有意な研究を「解説」してきたのだ。

つまり、報道機関には、「解説」という重要な機能があった。
しかし、昨今の「偏向報道」は、報道機関全体におよんで、「解説」も「偏向」した。
こまったことに、一般人が自分で「解説」を探して、それを読んだり観たりして、それぞれが判断しないといけないことになったのである。

これは、論文の社会的意義を減衰させるだけでなく、研究者の立場をも危うくする、危険なことなのである。
優れた論文があっても、一般人にフィードバックされないままで、象牙の塔のなかだけで流通するなら、学問の発展にも寄与しなくなる。

わが国の高等教育機関である、大学やその傘下にある研究機関には、国家予算が投じられている。
いまや、「私学助成金」を受け取らない私学だって一校もないのだ。
そんな状況なら、国民が税の配分をする必要なしと判断することだってありうる。

先日紹介した、『コロナパンデミックは本当か?』という書籍だって、立派な「先行研究」なのである。
しかも、先進国ドイツでの事例を中心にして、ヨーロッパやアメリカのことにもしっかり言及している。

もちろん、著者は、ドイツを代表する学者=研究者なのである。

こうした「反証」を完全に無視して、政策提言までする、わが国の「専門家」とは、もはや「研究者ではない」ただの、「政治ゴロ」だ。
国家の政治権力と結託して、自分たちの野心を優先させる態度は、職業倫理上の背信行為にほかならない。

日本政府は、権力をむき出しにして、とうとう「自粛」から「命令」への転換を要求しだした。
命令に従わない事業者に罰金を課す、とは、「犯罪者」にするということだ。

まったくもって、共産化=全体主義化した、アメリカ民主党の真似っこである。
このような社会的負担を課しても、風邪は万病の元である風邪を撲滅する「効果」は、世界のどこにもでていない。

社会の破壊活動をしているのは、日本政府である。

日本国民は、日本政府を相手に「破防法適用」するよう、最高裁に訴えなければならないところまで追いつめられた。

「逮捕祭り」はもうはじまっている

「事件」が起きたら、かならず速報されるという「条件反射」が、電信や電波を使って以来ずっとできていたので、報道がないと、「事件はない」になってしまう。

ここにきて報道が偏って、わざと報道しない状況がふつうになった。
しかしながら、政府や軍が秘密裏に計画的に事を運ぶなら、だれにもしられないので報道できっこないから、報道されないのは当然だ。

そんなわけで、なにも起きていない、ようにみせている。

当たり前だが、犯人逮捕をする側が、事前にあなたを逮捕しますと通告なんてしない。
逃亡されてしまうからである。
だから、捕縛者は、そっと近づいて、確実に身柄を確保するのである。

そして、なにもなかったようにして、周辺のひとびとにはなるべく気づかれないようにする。
そのために、場合によっては家族ごと捕らえることもある。
そうすれば、旅行に行ったかのようになるからである。

けれども、情報にも「すき間」があって、どうしても「上手の手から水が漏る」ように、チラチラとでてくることがある。

ポンペオ国務長官は、8日のつぶやきで、イタリアのレオナルド社(大手防衛・安全保障・航空宇宙企業)の前米国部門責任者を逮捕した、と投稿した。
容疑は、トランプ票をバイデン票に移した、ということだ。

すなわち、これは、2018年9月12日に発せられた、「選挙に関する大統領令」が適用された、すなわち、この大統領令が「発動された」という意味である。

6日の議事堂事件前、大群衆を前にしたトランプ氏の演説は、当初15分あまりの「予定」だったという。
しかし、彼は、1時間以上も、「いつもの話」をした。
それで、100万にふくらんだ群衆の議事堂への大移動を阻止した、とも解説されている。

議場内では、「チャレンジ」の段取りになったから、民主党側がガマンできなくなって突入したし、これができたのは、警備がバリケードを解いたからであった。
そして、軍の特殊部隊が、下院議長以下のパソコンを避難の最中に確保したのだ。

トランプ氏がいっていた、「大きな証拠をみせる」とは、この大群衆そのものであった。
そして、この集会のもう一つの目的が、敵陣営の中枢が持つPCの押収であったから、騒ぎのあとに、「みなさん平和的にご帰宅を」と、アナウンスしたのである、と「解釈」すれば、一連の出来事がすっきりするのである。

「暴動」といってトランプ氏を批難したい民主党は、自党のワシントンD.C.市長から州兵出動を要請させたけど、すぐさま国防省はこれに協力した。
よって、首都にめったに配置できないことになっている、7000人の軍を、トランプ側は相手の「要請」で完結させた。

パソコンの紛失をもって、ペロシ議長によるトランプ大統領弾劾が開始したのは、「反乱法の発動」を阻止するためだ。
さらに、巨大テック企業の乱暴な行動も同じ理由だろう。
トランプ氏がこの「法」に言及したのは、昨年の6月である。

しかし、反乱法ではなく、前述の大統領令が先に発動した。
おそらく、これから、「連携した波状的適用」となるのだろう。
民主党の敗北は決定的になったけど、「弾劾」を煽るしか、もう手はないともいえるのだ。

最終段階の大物逮捕を終えたところで、全容が発表されるはずである。
もしや、「窮鼠猫を噛む」の行動として、民主党が多数の大都市で「暴動」が起きるやもしれない。
しかし、これは「下策」にすぎず、かえって「反乱法」を大規模に適用できる口実となる。民主党は、ここまで追いつめられているのだ。

それまでは、なにもなかったことになるから、注意深く状況をみないといけない。

いよいよ、歴史がうごきだした。

アメリカは台湾独立承認する?

昨年からの「矢継ぎ早」の「連射」である。

9日にポンペオ国務長官が発した一矢は、かつてない破壊力だ。
今回の声名で、アメリカ合衆国の公務員(軍をふくむ)に課していた、台湾当局者との接触規制を「撤廃」するという。
そして、もう一矢として、さっそく国連大使を台湾訪問させると表明した。

具体的には、「連絡ガイドライン」と呼ばれていた自主規制をさし、これを、「無効」とするように命じた。

そもそも、アメリカが台湾と「断交」したのは、1979年1月1日。
この年の4月にできた、「台湾関係法」は、この1月1日に「遡及」して発効させた、アメリカの「国内法」であるとされている。
これが、「北京」にとって、喉元に突き刺さった「魚の骨」となった。

トランプ政権が発足してから、台湾との関係強化は、「基本方針」となって、「政権末期」のいまになって、その仕上げ段階に近づいてきた印象がある。
「次期」政権には、このような基本方針は、「ない」ので、まさに今のうち、という意味にもなる。

つまり、「やり逃げ」だ。

国交がないけど、さまざまな「連絡」は双方で必要だから、アメリカは当該法をもちいて、「アメリカ在台湾協会」の事務所が台北に設置されている。
表向きは「民間」だけど、実質は、「大使館」である。

良くも悪くも、アメリカの「ポチ」になったわが国も、このやり方を真似た。
だから、「公益財団法人日本台湾交流協会(従前は「交流協会」)」が、同様の役割を担っている。もちろん、わが国の公務員(自衛隊ふくむ)は、台湾への個人旅行だって禁止されている。

従前「台湾」の文字がないのは、国民党独裁政権が、中華の「華」を入れた「日華交流協会」を要求し、日本側の「日台」案との平行線になって、この案を日本がはねた経緯がある。
当時のわが国には、「骨」が残っていたのだ。

しかしながら、「旧宗主国」なのに、台湾関係法にあたる法律を、わが国はいまだ立法していない。
これを、わざと「立法しない」のは、わが国の主体性だという、主張と説明がある。

つまり、「交流協会」は、完全に民間交流なのだ、と。

けれども、従前の「財団法人」だったときだって、「所管」は、外務省と通産省だった。
そもそも、「在台北日本国大使」が、そのまま「初代台北事務所長」になっている。

以上のような「詭弁」が通用したのは、アメリカも容認していたからではあるが、トランプ政権の「アメリカ・ファースト」という、「自国第一主義」は、各国が自分でかんがえて行動せよと促す思想であるから、様相が変わったのだ。

この発想は、きわめて「自由主義経済原則」に則している。
つまり、各国が自国優先をまっとうに推進すれば、そこにかえって「協調」が生まれるリカードの貿易論における原則をイメージしているのである。
だから、過去にあった「ブロック主義」とは一線を画す。

反グローバリズムの真骨頂はここにある。

すると、政権発足と同時に、TPPから「脱退」した意味すらも理解できるのだ。
わが国では、「アメリカの陰謀論」を、経済の専門家でも主張していたものが、一発で吹き飛んでしまった。陰謀の国がまっ先に脱退したからだ。

この当時の書籍は、この意味で、「とんちんかんの譜系」として、研究の対象になる。
おおくの「とんちんかん」を主張した論客たちは、いまも「健在」だ。
彼らは、「RCEP」に対して何と発言しているか?

さてそれで、台湾である。
わが国のマスコミは、アメリカにとって台湾はアジア太平洋地域にとって重要、と書く。
「最重要」は、わが国にちがいない、という「うぬぼれ」があるからだろう。

しかし、わが国にとって、台湾が最重要なのである。

このことは、アメリカ ⇒ 日本 ⇒ 台湾 という「序列」のことではない。
この3者は、トライアングルをなして、「一体」なのだから、全員がそれぞれを「最重要」というのである。

これに、オーストラリアとインドを加えた「連携」が、21世紀の安全保障の要、になった。
そして、この構想をたてたという安倍晋三氏が、昨年12月、トランプ政権から、『レジオン・オブ・メリット(軍事勲功賞)』が、インド、オーストラリアの首相と一緒に授与されている。

この勲章は、アメリカ民主党フランクリン・ルーズヴェルト大統領によってできたので、わが国のマスコミは、無視したい気持ちをおさえて、あっさり報じた。

インド洋の重要さはもとより、南シナ海をふくめた「シーレーン」の重要さに言及したのは、故中曽根康弘総理だった。
地理は変わらないけど、重要性が「増減」するのは、人間がつくる、「情勢」が変わるからである。

ユーラシア大陸の端に位置するわが国は、この「情勢」を無視できないばかりか、死活問題の根源である。
どこから物資がやってくるのか?
そればかりか、情報も、海底光ケーブルで行き来している。

衛星が主回路ではないのである。

コロナ禍で爆発的に増えた国際間通信量をまかなうために、海底ケーブル敷設船はフル稼働している。
これを、「守る」のも、海軍の重要任務なのである。

わが国直近でいえば、台湾海峡とバシー海峡が、「生命線」だ。
この両海峡の一方が、台湾だから、台湾の自由確保はそのまま生命線になるのである。

だから、台湾独立は、アメリカの生命線でもあるといえるのである。