トランプ氏の追い込み猟は成功するか?

8月も終わって、世界が注目するアメリカ「中間選挙2022」まで、2ヶ月あまりとなった。
民主党・共和党ともに予備選挙を終えて、「いよいよ本選」となっている。

2020年のアメリカ大統領選挙に「負けた」トランプ氏にとっては、当初「臥薪嘗胆」の喩えが当てはまったかに見えた。
しかしながら、間もなく2年となる現状を鑑みれば、むしろ「絶好の下野」だったように思えてきた。

逆に、「作戦どおり」トランプ氏を落選させた民主党の「驕り」は、バイデン氏という人形を利用すればするほど馬脚を現すという無様で、歴代最高得票「8000万票の大台」を超えたとは思えない、歴史的な支持率低下に見舞われて、応援団のはずの左派マスコミすら「中間選挙の大敗北」を想定して疑わない状況になってきている。

それは、トランプ氏のビジネスマンとして成功をおさめた「マネジメント能力」の発揮になって、とうとう「共和党」から軍産複合体と共存共栄してきた勢力すら壊滅状態になって、党内予備選でのトランプ派の勝率は驚異的な9割越えを達成している。

時ここに至って、とうとう宿痾の政敵、共和党上院リーダーのミッチ・マコーネル氏とその妻(トランプ政権での運輸長官を務めたイレーン・チャオ女史)への「引導を渡す」声明発表になった。

すなわち、中間選挙後の政治日程において、トランプ派が圧倒的となる共和党は、彼らを「追放すると宣言」したのである。
4年前の中間選挙では、トランプ氏の支持表明を欲して、ギリギリ当選したマコーネル氏だが、自ら命運を尽きさせた感がある。

それにしても、どうしてトランプ氏は、イレーン・チャオ氏を自身の政権で運輸長官に指名したのだろうか?
彼女の実父は、中共の関連企業となった海運会社を経営して、米中貿易の一画を担っているし、実妹はこの会社のアメリカ法人社長である。

こんな「身体検査」は、ちょっと調べればわかることだから、もしや「泳がせた?」というトランプ流の「追い込み漁」だったのかもしれない。
なにしろ、長官自らの指示で、政府補助金すら実妹の会社に交付していたのだ。

これらの「やりたい放題」行為は、政府高官の親族に対する連邦法違反は明確なので、政権与党の民主党は「追求しない」ことを条件に、夫婦共々取り込んだとの噂もある。

それは、今般のトランプ邸へのFBI捜査における「不公正」によってもわかることなので、中間選挙における共和党トランプ派の勝利は、民主党利権にしがみついた連邦職員を恐怖のどん底に追いやる意味も生まれてきた。

ここでいう、民主党利権とは、民主党支持を表明しているGAFAに代表される巨大企業群への「天下り利権」のことだ。
日本の高級官僚やらの「天下り」とは、スケールがちがうのはあまりにも優遇された「年収」にも象徴される。

じっさい、トランプ氏を嫌うひとたちの共通は、「利権確保」にある。

トランンプ氏が最初の選挙から掲げた「ワシントンの沼の水抜き」の意味が、歴史的「利権構造の破壊」にあったからである。
このことはとっくに、「民主党対共和党」という伝統的で表面的になっていた対立構造を破壊して、党派を超えた「運動」に発展した。

しかして、トランプ氏をして共和党を飛び出すことを躊躇させたのは、「二大政党制」の巨大な選挙戦構造なのだ。
だから彼は、徹底的に党内基盤を「スクラップ&ビルド」した。

まさに、不動産屋の成功の法則を当てはめたのである。
けれども、もし彼が現職大統領だったら、ここまで成すことはできなかったろう。

つまり、民主党は、トランプ氏を2期目の大統領に据えて日常業務に忙殺させながら、ワシントン沼の水抜きをさせない、という高等作戦を取るべきだったともいえる。

そうすれば、ここまで共和党もトランプ氏支持派によって圧倒されることもなく、民主党左派も破壊されることもなかったろう。
東洋的にいえば、「天に逆らってまで政権を奪った」ことのバチが当たったともいえる。

とはいえ、窮鼠となった民主党が何をしでかすかわからない。

2020年の選挙は、事実上の民主党による無血クーデターだったから、「元に戻す」意味でのアンシャンレジームを許すはずがない。
しかし、下野したトランプ氏は「時間の使い方」を心得ている本物のビジネスマンだった。

バイデン人形政権が、さまざまな社会破壊工作(=共産化)を実施している、おなじ時間で、トランプ氏は民衆を結束させてアメリカを蘇らせる活動に専念した。

キーワードは、「アンチ・グローバリズム=ナショナリズム」なのである。

まったく残念ながら、日本人も、ヨーロッパ人も、どこの人でも、アメリカの政権と議会の勢力図に逆らうことができない世界に生きている。
こうなったのも、グローバリズムという共産思想の蔓延による、自国政権と議会の堕落のためである。

だから、幸いにもトランプ氏の運動が、世界を救うのである。

つまり、ナショナリズムのグローバル化が、究極の「追い込み漁」なのである。

横浜にうまいものなし?

「手土産」を何にしようか?とかんがえだすと、素直に決まらないのが横浜の弱みなのである。

ふだん観ないテレビだけれど、食堂とかでつけっぱなしにしていることがあって、観たくなくとも聞こえてくる、ということはある。
今回の旅では、関東ではやっていない関西の番組が流しっぱなしにされていて、たまたま視聴者からのお困り相談コーナーをやっていた。

お盆で実家に帰るのに、手土産を持っていく必要があるものか?と、娘からの「お困り相談」が採りあげられていた。
これに、「マナー専門家」が回答して曰く、「必要です」。

目もくらむような、愚問に、目もくらむような直球の回答だ。

これだから、節電要請を受けるなら、まっ先にテレビを消せと皮肉られるのは、ぜんぜん皮肉ではなくて、正しい判断だし、そのまま一生消していていい。

むかしは、実家であろうがどこであろうが、ひとの家を訪問するなら、かならず手土産を用意したものだ。
なので、何にするのか?は、TPO(T:Time:時間、P:Place:場所、O:Occasion:場合)によって使い分けた。

娘がお盆で実家に帰るのに、手土産が必要か?をテレビ局に問い合わせたという話の真偽はしらないけれど、これはもう「育ち」の問題で、親がどこかの家を訪問するときに、「手土産」を持参する習慣がなかった、ということを示唆するものだ。

こんな嫁をもらった家は、どんな家庭なのか?の方がよほど気になる。
夫や姑にきけないから、テレビ局に問い合わせたのか?それとも、テレビ局の作りばなしなのか?

後者の方だと思えてならない。

すると、テレビ局のひとの「育ち」の問題になって、この愚問を採用した理由が、当該番組の視聴者は愚民だという確信があるにちがいない。
その愚民への回答を要求された専門家先生は、もっともわかりやすい直球の回答をしたのだろう。

まったくどうでもいい話を耳にしたばかりに、どうでもいいことをかんがえるはめになった。

そこで、横浜の手土産をどうしようか?に戻ると、スッキリしないのである。
なぜならば、まっ先に浮かぶのが「中華系」で、「肉まん」とか「シウマイ」なれど、「日持ち」の問題がある。

シウマイには、真空パックという技がある。
しかし、これを買って食べてみたら、ふつうのと味がちがうという不満がある。
「月餅」とかの中華菓子は、こんどは好き嫌いが分かれるので、あんがい万人受けしない。

すると、「洋菓子」となるのだが、「横浜」とか、「横濱」が入ると今度は「高単価」になる。
「気持」だけを伝えるためのものだから、高いからよい、とか、安いからよい、という単純さではない。

むかし、高級ホテルの売店商品を「見直し」したとき、どうしてこうなったのか不思議だったのが、商品別販売単価と販売数のチグハグだった。
単純化していえば、「売り手の都合」で構成されていただけだったのである。

売り手の都合とは、仕入れからの販売価格設定をする、という意味で、販売価格設定から仕入れ値や商品内容の工夫がなかったことをいう。
これが結果的に、買い手のTPOと一致しないので、チグハグになるとおもわれたのだ。

すると、売り手が先に買い手の手土産としてのTPOをさまざまな角度から検討して、商品構成を決定するという手順が必要になる。
「見直し」をせよという責任者に、以上のことを伝えたら、「そんな面倒くさいことはしない」というので、なんのための見直しかがわからなかった。

こうした目線からみると、「横濱」がついた商品が、買い手のTPOをどこまで意識しているのか微妙なのである。
それに、市内のひとにわざわざ「横濱」がついたものは渡さないので、「市外」か「県外」向きの意味合いがある。

今回の需要は、旅先の旅館やら案内をお願いした方への「気持」なので、完全に「県外」だ。
しかも、あまりに高価やボリューミーだと、かえって気をつかわせてしまう。

だから、なるべく「軽い」ものがいい。
ならばせいぜい1000円が目安になる。
そんなこんなで、観光地として横浜よりも一歩上をいく「鎌倉」で物色することにしたのである。

この手の商品開発に、なにかと行政が介入して、あたらしい名物誕生とかいうキャンペーンをやれば、観光政策の実施をしている、というアリバイになる便利さがあるから、全国どこでも行政の役人が民間人を叱咤しながらアリバイ工作をやっている。

そんな「名物」が大ヒットした実績を聞いたことがないのは、作り手だけの自己満足だからである。
なので、有名デザイナーの包装紙が、内容物と一致しないで予算消化の対象になるのである。

ようやく選んだ商品を、久しぶりにデパートで購入したら、その店オリジナルの紙袋は、1000円単位の買い上げで一枚という「規定」になっているけど、デパートの紙袋なら無料ですといわれた。

800円の商品2個を入れるオリジナル紙袋に、デパートの紙袋を2枚つけてくれた。

なるほど、デパートが儲からないわけである。

中央構造線をみてきた

長野県南部の大鹿村にある、村立の『中央構造線博物館』は、知的好奇心にあふれたひとがやってくる場所のひとつにちがいない。
たまたま同時間をすごした見学者は、石川県の金沢と群馬県からのひとだった。

大鹿村を縦断して南下する、「国道152号線」は、「酷道」としても有名だったが、ちょうど中央構造線が露呈している「安康露呈」で通行止めとなって、ここから南下して静岡県浜松市に至るルートは寸断されたままになっている。

この道は、南アルプスの西側を走るけど、まさに中央構造線上にある。
なので、北に向かって山を登ると、途中の「ゼロ磁場」で有名な「分杭峠(ぶんぐいとうげ):標高1424m」手前に「北川露頭」もある。

「分杭峠」がゼロ磁場なのは、中央構造線を形成している大断層が強烈な力で押し合いながら横ずれしているために発生したのだろう。
つまり、「電子のスピン方向」が一致してできる「磁場」がないのは、電子レベルでスピン方向がバラバラになった証拠だ。

あらためて「中央構造線」とは、日本列島の「構造」が激変している巨大な「大断層」が線上に連なっている地球規模でも珍しい部分を指す。
つまり、「地質の境界線」なのだ。

中央構造線を境に、旧大陸(ユーラシア大陸の端)と、太平洋プレートやフィリピン海プレートが沈み込むときに、大陸側のエッジで削り取ったプレート上にあった土砂や岩石が盛り上がって、新しい地面を造った部分とに分かれているのである。

おなじ「地面」に見えて、実はぜんぜん「素性」も「組成」もちがうのが、地下深くおよそ30キロメートル下から別れているのである。

その境目は「谷」になっているので、雨水が青木川となって、国道152号線が、ほぼそれにあたっている。
すると、南アルプスはこの線より南の太平洋側になるから、プレートの上にあった部分が隆起してできている山地で、中央アルプス、北アルプスとは組成がちがう。

逆に、北側のは、硬い大陸の岩石(主に花崗岩:墓石でいう「御影石」)でできている。
それで、この「露頭」の河原には、両方の岩石が混じってころがっている。

青木川には、採石場もあるし、下流の「小柴川」に名前を変えた小柴ダムの上流部では、ダムに溜まった土砂を除く、端からみたら「涙ぐましい」努力が延々とされている。

さらに、青木川を横断するトンネル工事は、リニア新幹線のものなので、とにかくダンプカーがよく走っている地域なのである。
もちろん、トンネル工事によって排出される岩石も、その「捨て場」が決まっていないとのことで、河原の横に仮設の用地が用意されていた。

また、南アルプス側には、「鹿塩温泉」があって、「塩畑」まであった。
塩化ナトリウムが豊富だけど、よくあるマグネシウムが少ないという特徴から、よく温まり、苦味がない塩として「幻の塩」といわれている。

これも、中央構造線付近という場所柄らしく、おそらく海洋プレートが沈み込むときに、海水を含んだ岩石が強烈な圧力で搾られて出てきた「水」に、どういうわけかわからないけど、マグネシウムを地下に置いてきて、塩化ナトリウムを主に含んだ水になっているらしい。

なので、このあたりの地下には、置き去りにされた大量のマグネシウムが眠っているはずである。

村立の「中央構造線博物館」展示室にある、立体パノラマ模型は、30年前の開館時に製作されたというけれど、ボタン一つで周辺を点滅させるだけでなく、大胆にも南アルプスから日本海側の「断面」も、ちゃんと「沈下」させて表現してくれる優れものなのである。

それはまるで、ケーキのスポンジとクリームの断面のようでもあるし、ガラス瓶でつくる砂模様のようでもある。

その「露頭」に元博物館学芸員でいまは博物館顧問の河本和朗氏に案内をお願いして行ってみたら、昨年の台風で流された状態そのままの、素人には一見してもわからない場所だった。

しかし、丁寧な説明で対岸の露頭とこちら側が「おなじ」なことを確認したら、この「岩石がつくる模様」が、地下深くまでつながっているばかりか、1000キロメートルに及ぶ長大な「境界線」だとわかると、地球活動の人智を超えたダイナミックさがわかるのである。

そして、「それ」を触ってみれば、粉々に砕けた状態である。
圧力とズレの摩擦力で、岩石が砕けたのである。
よって、トンネル工事でよく聞く、高難易度と緊張の「破砕帯」の大親分がこの地下にある。

河原だからといって、石を拾うことは許されない。
ここは、立派な「天然記念物」だからである。

あと4、50mも下ったら、ご自由に、と教えられた。
その場所は、今度は日本海側になるので、ぜんぜん岩の形も表情もちがう。
数トンもありそうな平らな巨石が横たわっていたけれど、それは、奈良県明日香村にある「石舞台」とおなじ組成のものだという。

じっさいに、石舞台の「材料」は、あんがいと「近場」から移動させたらしい。
ただし、近距離でもどうやって?は残る疑問だ。
とはいえ、この山中と明日香村は、おなじ構造の地面なのである。

関東では、筑波山がそれにあたる。
それにしても、もっと不思議なのは、中央構造線上には、わが国を代表する「神社」があるのだ。

茨城県:鹿島神宮、千葉県:香取神宮、埼玉県:氷川神社、長野県:諏訪大社(上社)、愛知県:豊川稲荷、三重県:伊勢神宮(外宮)、徳島県:剣山、愛媛県:石鎚山、宮崎県:高千穂。

古代日本人の自然観察力が優れていた、としかおもえない。

「最新」の旅館だった

3年ぶりの八百津の三勝屋に二晩行きたくて、同町内にある宿に予約した。

評判は良さげだけれど、今どきとくだんHPがあるわけでもないので、予約は電話でした。
女将さんが出て、朝食付だけを伝えたら、夕食はどちらで?というから「三勝屋さんが目的」だと申し出た。

すると、日付の曜日から、「大丈夫、定休日ではないですよ」と教えてくれた。
こうしてわたしの中にある、旅館の女将の第一条件である、「地元情報通」にあっさり合格したのであった。

以前泊まった「妻籠」の宿も、居心地の良いところに「当たって」、一晩目の翌日に「宿場」にあった「本日の空室」看板には、当該の宿が「満室」だったので、その気になって帰館したら、我々夫婦だけの貸切状態になっていた。

「満室」と表示されていたことを女将さんに伝えたら、お客さんたちが気に入ったから他の客を取らないようにした、と。
どうやら「合格」したのは、我々の方だったのである。

それに、妻籠の「昔の面影保存」に尽力したのが、この宿の主人だったこともあってか、宿場内の居酒屋で宿の名前を答えたら一目置かれたことを思い出した。
あそこのお客じゃ安心だ、と。

食い逃げの心配ではなさそうだ。

そんなこんなで、三勝屋さんでは二晩連続でお邪魔すると、こちらも名物女将に伝えたら今度は、どちらにお泊まりで?と聞かれた。
「まつや旅館さん」というと、いい宿にお泊まりで、と返されて、「女将さんがちゃんとしているひとだから」と。

ご近所同士で仲がいいのは、どちらも贔屓したくなるポイントだ。

さて、その旅館は、さいきん私が気にしている分野での「最新」だったので、書いておこうとおもう。
それは、「食」にまつわる「安全性」のことである。

ちょうど1年経ったと話題のパラリンピック報道はあるけれど、オリンピック・パラリンピックでの「食」についての特集報道は地味だった。
「世界基準」を満たしていない、我が国の「食品」は、見事な「ガラパゴス状態」をその後もキープしている。

もちろんこのブログの読者ならお気づきだろうけど、わたしは「世界基準」が「正義」になっている状況も、「完全」とはおもっていない。
もっといえば、「食品」も、実体は、「デファクトスタンダード」なのである。

それは、世界大手といわれている、巨大流通企業たちによるものだ。

すなわち、パソコンのOS同様に、民間企業がつくるスタンダードで、パソコンのOSが「一社で支配した」のに対して、「食品」は複数社による「連合」となっている違いがある。

それがまさに「グローバル」な「仕入れ調達」のために、一国政府も及ばない状況なのである。
この意味で、ドンキホーテのような日本政府(とくに農水省)は、一国政府として挑んだものの、ものの見事に「世界から」相手にされなかったのだった。

この「世界」とは、各国選手団を統括したというよりも、種目別の世界団体が、「ドーピング」同様に「食材の安全」を要求したからである。
そして、それに、たとえば「JAS規格」が通用しない、という事態になったのである。

これは、日本人として由々しきことで、我々が食べている基準の大元が、世界から否定されたことでもあった。

じっさいに、我が国の食品安全基準としての「食品添加物認可」は、世界一「緩い」と指摘されており、それは、農薬の安全基準にも及んでいる。
なので、「日本製食品」あるいは「農産物」の多くが、ヨーロッパで「輸入禁止」措置が取られている。

この点で欧米基準は、過剰なるセンシティブだという意見もあろうが、これらの地域で「ガン発症率の減少」が見られる中、我が国だけが増加している現状をどのように解釈すべきか?という議論は、「速やか」に必要だろう。

そんなわけで、わたしがいいたい「最新」とは、食の安全についての見識だけでなく、じっさいの提供に及ぶことはいうまでもない。
すなわち、「ポスト・コロナ」としての、インバウンドに対するための「重要戦略」なのである。

このことは、何もセンシティブな欧米人(彼らは一般に高単価だ)ばかりをターゲットとしていない。
なぜなら、習政権が推進(強制)した、「自然農法」での作物が、アジアの富裕層にも浸透したからである。

むしろ、親中のスリランカ政権が失敗した「自然農法の強制」こそ、アジア諸国への輸出を睨んだことが原因だった。

すると、インバウンドの対応に、「食」の分野で追いつかない状況にあるのが、我が国の宿泊・外食業界なのである。

この度お世話になったこの宿は、ほぼすべての食材が「自家製自然農法」のものだった。
それは、米であり、野菜のことだ。
自家の田と畑を、ご主人が管理しているのは、客用ではなくてあくまでも自家用の延長なのである。

肉と魚、あるいは鶏卵などをどうするか?はある。
けれども、本格的な「和食」でみれば、これら動物タンパク質の比重は軽いという幸がある。

ホッとする食事の提供は、もっとも重要な宿の機能だ。
それは、たとえ「木賃宿」でもそうだった。
煮炊き用の「木賃」を払って、客が自炊したことをはじまりとする。

自然農法の宿は、だから「あたらしい」のである。

丸山ダムと大衆食堂再び

3年ぶりの再訪である。
既存のダムのわずか47.5m下流に新たに造る「新丸山ダム」の工事がはじまって、旧ダムの展望台を兼ねた「ダム事務所」も山上に移転した。

この「山」には、地元が生んだ「日本のシンドラー」といわれている「杉原千畝記念館」もできたので、「人道の丘」と名付けられた。
そこには、「新ダム」が約20m「嵩上げ」されるので、それによって水没する30数世帯の方々もここに移転したという。

なので、「人道の丘」という命名には、二重の意味がある。

杉原千畝記念館は丘の頂上付近にあるので、そのやや下にあたらしいダム事務所と展示室ができた。
前回訪問したときとちがって、新調されたロビーが展示室を兼ねていたけれど、なんとなくその「やる気のなさ」が感じられたのは残念だった。

前にあった折りたたみ式の椅子がまだ立派にみえたのは、キャンプ用の簡易ベンチが一脚だけあって、その前に「DVDプレーヤー」と接続された小型テレビがポツンとあった。

これらには、あらたな予算がつかなかったらしく、前回とおなじものが運ばれたようだ。

DVD側に問題があるのか、それともプレーヤー側の老朽化なのかはわからないけど、映像がときたま止まって再開すると「針飛び」のように、場面も飛んでしまって、記録映画としては「傑作」と思われる2枚のDVDの映像価値が、ずいぶんと減価されてしまっていた。

なにしろ、この映像の「別れのシーン」が、これ以上ない切なさを表現していたからである。

それで、新ダムによる水没を、二十一世紀になって経験するひとたちの集落を見学しようとしたのだけれども、上に書いたようにとっくに移転は終わっていて、元の集落へと続く道も、工事用道路して一般には閉鎖されていた。
3年前に見ておくべきだったか、それでも遅かったかもしれない。

旧ダムの着工は、1943年(昭和18年)で、竣工は1956年(昭和31年)だった。
戦時中から戦後になって、より逼迫した電力事情のため、という「国策」が強力に遂行されたわけだけど、しっかりした「反対運動」があったとDVDの記録は冷静だ。

このときの人びとの「顔」は、いまのようなヘラヘラした日本人の顔ではない。
これだけでも、このDVDを観る価値はあるが、いかんせん質の劣化は否めない。

これを、「サービス品質」という目線で見れば、「神は細部に宿る」のごとく、豊富な予算がおおいに漏れている理由としての欠如は、官民を問わない現代日本人の特性になったともいえる。

そんなわけで、国道418号線に続く県道353号線で、恵那までドライブすることにした。
木曽川沿いの道が、閉鎖されているためである。

では、どうして「恵那」なのかといえば、前夜の「三勝屋」での食事時に、隣り合ったお客さんに「恵那の名店」を教わったからである。
ちなみに、三勝屋は、地元八百津町製作のグルメガイドに「筆頭」の名店だ。

恵那は、駅前の「ひかり食堂」だという。

国道は「バイパス」と名がつく新道だけど、県道との接合地で「工事中」になっている。
その工事案内板には、完成時に恵那までの驚くほどの「時短」が実現するとある。

これも、「ダム相乗効果」で、「地元保障」ということだろう。
原発城下町も、戦争は儲かるという発想も、天から金が涌いてくるようにして、骨抜きにする古い手法なのである。

既存の県道を行く。
すると、いきなり対向車とすれ違うのが困難な道幅、かつ、起伏のある山道のワインディングになった。

周辺は、鬱蒼とした杉の森しかない、と思いきや、ところどころに集落があって、どちらにも洗濯物が干してある。
どうやってこんな山中に暮らしているのか?と訝しい思いになる。
しかし、よくみると棚田は雑草ばかりになっていた。

100年後にこれらの集落はどうなっているのか?
こんな県道に国道のバイパスが本当に必要なのかも評価できない、外様の自分がいる。

木曽川の右岸が、こんな「高原の秘境」だったとは、走ってみないとわからない。
有名な、馬籠も妻籠宿も、「左岸」にある。

そして、恵那市街に近づいたら、「古墳群」を見つけた。
いったい、いつから日本人は、こんな山奥に暮らしていたのか?
なんだか気が遠くなる。

やっとこついた、「ひかり食堂」は、地元の名店の風格があってなお、和洋中なんでもありの豊富なメニューに気分は昂る。
出てきた料理の味は当然として、そのボリュームにひさしぶりに苦戦した。

美味しいのに、というのは、ベルギー以来のことである。

八百津の宿に戻るのに、恵那から土岐まで中央道を利用した。
途中の「秋雷」の土砂降りに、もしや県道で帰路についたら途中で雨量閉鎖の憂き目にあったかもしれない。

ものの1時間で戻ってみれば、まるで『高野聖』のような体験であった。

名優、故佐藤慶の朗読CDは、いま入手困難になっている。

さては、今夜も三勝屋で舌鼓を打つことにしよう。

地面ができているわけ

「国の成り立ち」というと、早合点したひとではなくて、ちゃんとしたひとほど「建国神話」をイメージするかもしれない。
しかし、今回は、「地殻」という意味の「地面」のことだ。
なので、話は億年単位となる。

地球という惑星の成り立ちは、ネット動画でも立派な情報がたくさんあって、そもそも論からはじめたら、たいていが「超新星爆発」による残骸が、あたらしい星を形成するところからになる。

これを、もっとさかのぼれば、「宇宙の誕生」という話になる。
それで「ビッグバン」に話題がうつるけれども、「その瞬間」と「その前」がいまだに「未知」なので、はなしがもつれるのである。

そんなわけで、ビッグバンよりもずっと後の、太陽系の誕生からでないと、地球の話になかなかならない。
それで超新星爆発の残骸である、「雲」が、だんだんと回転をはじめて、そのうちに重力で中心部に重い物質があつまりだす。

これが「原始太陽」になって、周辺にまだある重い物質が、固い惑星になっていく。
水星、金星、地球、火星、がそれだ。

外部にある軽いガスのかたまりは、木星、土星、になって、もっと外周の天王星や海王星はそれより重い揮発性の物質が凍って星になった。

物理法則が厳密に作用したからとはいえ、太陽からの距離が「絶妙」なおかげで、暑くも寒くもないために生命が誕生することになった地球は、偶然なる結果だとしかおもえない。
もちろん、火の玉状だった原始地球に「海」ができたことも奇跡か?

マグマの海をおおっていたのは、二酸化炭素を主とする原始大気だった。
これは、「大衝突時代」という周辺の微惑星が地球に降り注いでいたからで、それがマグマの海に溶け込んだのだ。
つまるところ、隕石がじゃんじゃん降ってきた、その衝撃で地表が熔けていた。

この微惑星の成分に、水(H2O)を6%も含むものがあるので、総じて1%程だと推定すると、いまの地球の海水の質量は、地球の質量の0.027%なので、微惑星の水(H2O)成分の40分の1程度にあたるのでだいたい理屈と合致している。

そんなこんなで、衝突する微惑星が少なくなってきたら、地表が冷えだして、雨が降りはじめて水の海ができた。
このときの雨量は、年間で「10m:10,000mm」という、現代ではありえない「超どしゃ降り」で、それが1000年続いた。

当初は硫酸の海だったけど、鉄やらの成分が海の中和に貢献して、大気は、水に溶ける二酸化炭素が減りだして、溶けない窒素が多くなった。
まだ酸素がないのは、酸素ができるには生命の誕生だけでなく、光合成ができることが条件になる。

なので、最初の生命は、「無酸素」のなかで生まれた。
当然ながら、当時の地球環境を人工的につくりだして、生命誕生の実験がおこなわれているが、いまだに成功していない。

なぜに、どうやって、生命が誕生したのか?
人類は、まだわかっていない。

「火の玉状」からずいぶん冷えて、いまの地球はあるけれど、そうはいっても内部には圧力でとんでもない「熱」が蓄積されている。
だから、地球はまだ熱い星なのである。

地殻の下にはマントルがざっと2層(上部・下部)になっている。
その下は、外核で、中心は内核という。
マントルが液状に溶けたのが、マグマだ。

どうして液状になるのかといえば、なんと「減圧」されてなるので「減圧融解」という。
海底にできる「海嶺」は、大陸プレートが離れてできる隙間に、下からの圧力でマントルが上昇し、圧力が減って自由に動ける状態から「融ける」のだ。

このマグマが上昇途中で溜まって、その出口に火山をつくる。
ところが、プレートに乗っている火山がプレートと一緒に移動してしまうので、マグマ溜まりの上にあたらしい火山ができる。
これが地上でわかるのが、ハワイ諸島からミッドウェーの島々なのである。

古い陸地はケイ酸塩の固体(SiO4と金属イオンの結晶)を主としていて、おもに「かんらん岩」でできている。
これは、「上部マントル」の主成分で、アルキメデスの原理で浮かび上がってきたから、「おり」とか「灰汁」のようなものだ。

ちなみに、わが国の義務教育で、アルキメデスの原理はカリキュラムに入っていない、という驚きがある。
だから、温暖化して北極の氷が溶けると、海水面が上昇するという「トンデモ」を、大のおとなが信じるということになっている。

地上の巨大大陸(「超大陸」)は、27億年前から、過去に6回できている。
最新の約3億年前の超大陸を「パンゲア」と呼んでいて、この大陸が分裂(大陸移動)して、現在の各大陸となったのは、小松左京の傑作『日本沈没』(1973年:昭和48年)の理論的前提だった。

しかも、日本列島はユーラシア大陸の東端にあったばかりか、フィリピン・プレートなどの大陸プレートが日本海溝などで「沈み込む」ために、ユーラシア・プレートが包丁で切ったものをまな板からすくい上げるように、移動してきたプレートの上層に堆積した土砂や生物の死骸なども、日本列島の地面の一部にしている。

だから、わが国は、複雑な構造で地面ができているのだ。
これを、ぐるぐるかき混ぜて、抜いた棒の先がポタポタ落ちて島になったという「神話」の、なんともいえない想像力にあらためて驚くのである。

むしろ、神話のできた背景のほうが、地面ができた科学より「なぜ?」が深いのである。

都合のいいことが不都合になる

「公平中立」の難しさのはなしだ。

とくに「裁判官」という、一個の人間に、職業上の要請として厳しく求められるので、どのくらい世間からうとくならないといけないものかが難しいのである。

この意味で、裁判官は人工頭脳のような、法律と判例の機械的な解釈が理想になるし、行政官も、立法府が決めたことを厳密に実行するならば、機械的なことしかできないことが望ましい。

わが国の行政府の「ムダ削減の不毛な議論」とは、立法府が決めたことをおおいに逸脱している現状があるために、なにが「ムダ」なのかという議論そのものが「ムダ」だということになってしまった。
つまり、行政府の「暴走」が、「巡航」になっている。

おなじように、司法も、行政府の「暴走」に対抗できないことでの「恣意」があって、それが前から示す、最高裁判所事務総局がもっている「裁判官の人事権」である。

この場合、人事評価基準が、立法府を介在せずに、行政官に委ねられているから、行政府の都合の見合った判決文を書くひとと、そうでないひととでの「評価」になって、圧倒的に行政府に有利なような裁判になるのである。

なので、国権の最高機関であるはずの国会の上に、行政府が君臨するという構造ができていて、司法もチェックできないでいる。
これを、「日本版ディープステート」というのである。

もちろん、役人には現役と退役の二種類があって、先輩に当たる退役組が、現役を支配する。
かつての上司と部下の関係をそのまま延長するのは、現役もいつかは退役するからである。

それで、いろんな退役先を広げたい欲求が尽きないのは、上級職だけがいい退役をするのでは、現役の中級職に申し訳が立たないという事情があるからで、とうとう初級職にもおいしい退役先をつくらないといけなくなるという「力学」があるからだ。

こうしたことを容認して、強固にした自民党が政権を維持している、もっとも重要な理由がここにある。
されど、ときの「風」から、天下り批判が起きると、自民党はとかげの尻尾切りをやる。

その「被害者」として、たまたま文部科学省事務次官だったひとがスケープゴートになって、血祭りにされた、と、本人が信じて曲げないので、政権批判を堂々とするのをマスコミが視聴率のために優遇している。

どちらさまも、自分の都合で生きてきた結果だけれども、貧乏くじを引く役回りに承服できないのは、家庭犬が自分がボスだと信じて疑わないのとおなじなのだ。
つまり、飼い主をボスだと認識できないから、飼い主からしたら飼い犬に手を噛まれたと思いこむのである。

その意味で、自民党もこうした役人も、躾がなっていない、と国民は評価するしかない。
ならば、その国民が自民党にお仕置きすればよいものだが、それがまたできない躾になっている。

「先進国」というのは、何年かしたらおなじような状況が「途上国」でも起きるから、「先進」なのであって、それが「文明国」だという意味ではない。

経済的な先進国ではとっくにない、わが国だけど、「超高齢社会」とか、「人口減少社会」が確実にやってきて、その数値がかつての人類史にないレベルで突出することが確実だから、わが国はこの分野ではまちがいなく「先進国」である。

ならば、政治・経済社会としての先進国はどこか?といえば、相変わらずアメリカだし、ヨーロッパ(EU)だ。

狭い範囲で小国がひしめくヨーロッパを「統合」させる試みは、アメリカと日本に対抗するための「第3極」としての団結だったけど、日本の没落がヨーロッパに与えたショックを、日本人がぜんぜん意識していない。

もしも、日本が相変わらずの強さだったら、いまのヨーロッパの無様もないだろう。
それが、中国に取って代わられて、うその甘言で骨抜きにされ、ヨーロッパがまんまと弛緩してしまった。

それで、相対的にロシアが強大になったように見えるのである。

ならば圧倒的な覇権国のアメリカは?といえば、ライバルのソ連を失って、節操のない金儲け主義に走ってしまった。
それが、共和党のブッシュ息子政権で露わとなったけど、その前のクリントン政権が基盤をつくったものだ。

彼らが、一部の支持者と私欲連合をつくって、じぶんたちに都合のよい「三権」に仕立てた。
しかしながら、トランプという「超人」があらわれて、せっかく築いた彼らの「利権の楼閣」を破壊しだしたのだった。

もちろん、バブル崩壊後の衰退のなかで、わが国自民党も、この世界的巨大な利権に埋もれたから、本来は「反トランプ」が当然なのに、あたかも安倍氏がトランプ氏と「盟友関係」を築いたために、ああなった、ともいえる。

過去の政権がやったインチキを、アメリカの行政・司法ともに容認してきたことを棚に置いて、トランプ氏をおとしめることに必死なのは、まさに利権の楼閣の危機があると真剣に認識しているためだろう。

その、棚に置いた理屈が、もっと加速度と破壊力を増して、ブーメランになっている。

むかしは、アメリカがクシャミをしたら、日本は風邪をひくといわれたものだが、しらないうちに死語になった感がある。
しかし、その本質は、もっと悲惨で、アメリカがクシャミをしたら日本は死んでしまうかもしれない。

これが、日本でトランプ氏を「悪」だとする大宣伝の本意なのである。

けれども、死んでしまうのがアメリカ民主党もろとも自民党なら、国民にとってはまんざらではない。

便利なアプリは幸せか?

「実機」の価値が減ってきて、スマホやらの「エミュレータ(なんちゃって)」が実権を握りつつある。

電卓しかり、カメラしかりだと書いた。
ようは、「なんちゃって全盛」という時代になってしまったので、いちいちかさばる「実機」を必要としないことが、合理的にみえるのである。

これは、「書籍」にも及んでいるけど、電子版だけでは困ることもあって、紙版も棄てがたい。
それで、両方あるばあいには、必要に応じて両方とも購入している。

紙の書籍しかない時代からしたら、その分、高コストになっている。

しかしながら、「新聞」はまた別で、わが家では「仕方なく」紙版と電子版を契約しているけれど、わたしは「大見出し」をたまにみるだけなので、ほとんど不要だ。

ならば、なぜに契約しているのか?と問われたら、家内が記事を読んでいて、たまに参考になりそうなことを教えてくれるからである。
まぁそれも、めったにないから、ずいぶんな「ムダ」を承知で契約している。

人口密度が高い都市部は、新聞などの廃品回収に来てくれるからまだしも、地方に行けば「回収ボックス」まで自分で運ばないといけない。
新聞がこれが理由で売れなくなったとしたら、(おそらくわが家ならすぐさま解約する)新聞社が熱心なSDGsやらの「効果」なので、経営者が業界あげて狂っているとしかおもえない。

利権のために「ちり紙交換」を、事実上不採算事業に追い込んだ「失策」を、新聞社も肩入れしたときからのことである。

さてそれで、「多機能=便利」を押しつけられて、機種最高峰なるスマホは、半導体不足と円安で、20万円というレベルになってしまった。
そんなスマホをつかって電車内で、動画鑑賞や無料ゲームをやっているのをみる度に、愚民化の進行を実感するのである。

もちろん、通信費を払ってのことだ。

結局は、アプリを使わないとその「多機能」が得られない。
「アンドロイド」か「iPhone」の「二択」になったのも、アプリ開発の都合からの結果なのである。
残念ながら、「ウインドウズフォン」は終了してしまった。

新機種への変更をしたときに、「おまけ」でウインドウズフォンをもらって、少しいじってみたけれど、なにができるのか?よりも、なにがしたいのか?がわからなかった。

あのマイクロソフト社にして、こんな失敗をするところが、やっぱり「人間集団なのだ」とわかる。
「神」は存在しないのではなくて、人間が神にはなれないのである。

だからわたしには、安易に「神アプリ」といういい方が気持ち悪い。

それより、ちょっと不完全な「専用機」を使いたいのである。
その不完全なところが、次の改善点になるけど、だんだんと完成度が高くなれば、改善点が「微分的」になって、単なるコスト増に陥る。

そこをどうするか?というメーカー内部の葛藤が、次期新製品になって世にでる。
ここが、わたし好みのポイントなのである。

すなわち、みんなそれなりに「制約」のなかに生きている。
それを「なんちゃって=アプリ」で全部解決しようとするのは、いかがなものかとおもうのだ。

一方で、「実機」よりも、スマホが進んでいる機能もある。
それがまた、なぜか?を想起させるのだ。

たとえば、自動車に搭載されている「カーナビ」の無惨は、「Googleマップ」にどう対抗いくつもりなのか?とおもっていたら、「デンソー」さんが、この絶望的不便のギャップを解消する「橋渡しアプリ」をつくって、無料提供してくれている。

まことにありがたいことだけど、「カーナビ」の完成度を上げる努力を無駄にしているともいえるから、ユーザーとしては複雑な心境になるのである。

奈良県と愛知県の「反乱」

県民の健康について、画期的調査を断行したのは奈良県だった。
この調査は、医療機関と患者数のバランスを図るもので、毎年1回、厚生労働省へ報告されて、これを国がまとめて国策の基礎とする建前があった。

まだNHKに「まともさ」が残っていたとき、総合テレビの討論で、厚生労働大臣と日本医師会の副会長をコメンテーターとして、全国都道府県の担当課超級を集めた番組があった。

このときNHKの「仕込み」は、炸裂して、医師会はしどろもどろとなり、厚生労働大臣は身動きが取れなくなったから、視聴者には「NHKの快挙」にみえたのである。

しかし、この「快挙」をやったのは、奈良県の保険担当者であった。
彼らは、県の「基本政策」となる従来からのこの調査の根本を問題視して、数年をまたぐ「独自調査」に専念したのである。

よって、この間、奈良県は国に調査結果の提出をしなかった。
それでもって、番組前半は、省内の事務方から吹き込まれた大臣より、厳しい叱責が奈良県に向けられた。

大臣の叱責を待っていたかのように、その他の都道府県の担当者たちも、全国版が不十分なままになることに不満を漏らしたのである。
まさにこの瞬間、奈良県は、針の筵に座らされることになった。

そこで、司会者が、奈良県がこの間、何をやっていたかを取材しました、とさえぎって、VTR報告になったのである。

そしてなんと、奈良県の職員が、しらみつぶしに県内の開業医も含む医療機関全部を訪問し、患者とその疾患の状態をもとに、地図に落とす、という作業をしていた。
つまり、どの医療機関にはどんな病気の患者が、どの地区からやってきているか?の分布図を作成していたのである。

もちろん、医療機関には、県へのそのような「報告義務はない」ので、調査協力を断られる事例も多数あったという。
なぜなら、カルテの読み込みまでやったからである。

しかして、奈良県は数年をかけて、県内の各地における病気の状況と、専門医療機関の密度を確認することができた。
これぞ、この調査の本来的意味である。

新しく課長になった人物が、従来の「作文報告」に意味がない、と結論づけたことからの快挙なのだ。
その結果は、県民の病状に対応する医療機関の分布のズレが深刻だと確認できたことにある。

ただし、当時の県知事がどこまで承知していたのかは不明だ。

それで、政策的に、新規開業許可と廃業とのバランスを、分布図に沿うようにして、密度のギャップ改善を試みたのである。
もちろん、その効果は、時間とともに発揮されるのは当然だし、これが本来のこの調査の意味だ。

画面がスタジオに戻ると、司会者は畳み掛けるように奈良県の担当者に質問した。
調査の意義を説明しがらも、医療機関から協力拒否されたという実態は、医師会の協力がなかったという意味か?と。
そこで、担当者は即答して曰く、「はい、その通りです」。

さらに司会者は、前任まで「作文報告」をしていたことについて、他の都道府県についてはいかが思われますか?
担当者は、「こうした調査をやったと聞いたことがないので全国で作文報告をしているはず」と答え、スタジオが凍りついたのである。

容赦ない司会者は、前半で奈良県を非難した他県のひとに、「ご覧のような調査をされているのか?」ときいたが、誰も応えるものはいなかった。

そこで、前半に「べき論」を語っていた医師会代表に、奈良県医師会の態度についてどう思うかも聞いたし、大臣へは、「全国で作文報告をしている」のに、奈良県を叱責した大臣は、これら実態と報告書を読んだことがあるのか?と質問した。

結局、全国版の報告書を書き上げることだけの自己目的化していた実態を、大臣は認めるしかなかったのである。
おそらく、この大臣は、帰りの車で、担当官を怒鳴りつけたことだろう。

さてそれで、コロナについての対応も、奈良県は独特だったのは、こうした「過去の実績」の賜物であろう。

17日、中日新聞が、愛知県の驚愕すべき発表を伝えた。

「第7波」における、愛知県内の死亡者数は、「ゼロ」である実態があるにもかかわらず、「死亡原因を厳密にしないでよい」とした、国への報告と異なることに正式抗議した、と。
つまり、遺体にPCR検査を行なって、「陽性」であればコロナを死因として報告せよとする、「あれ」である。

この「あれ」とは、2020年6月18日に厚生労働省コロナ対策事務局が出した、全国「事務連絡」のことである。

これは、「統計法違反」の疑惑もあるから、本来ならば検察が動いて良さそうな「行政による犯罪容疑」だ。
また、法的根拠のある「通達」ではなく、「事務連絡」としたことに、高等行政官たちの悪知恵が見てとれる。

アメリカでは、FBIや司法省が、民主党の片棒を担いでいることで、かえって民主党員まで共和党へ鞍替えするような事態になったけれど、我が国では、国家行政の容疑を追求するのが「行政機関の検察=法務省」に委ねられている。

自民党が問題だけど、これに対抗する勢力が国家レベルで存在しない、つまり、「想定外」なのである。

奈良県と愛知県の反乱に、他の都道府県はどうするのか?
これが「地方の時代」の本当なのであった。

写真フィルムがない不幸

「昨日の電卓の話」でした、むかしから愛用のカメラを久しぶりに出してみたら、電池がとっくに切れていた。
幸い、液漏れはなかったので新品と交換した。

ぜんぜん問題なく作動しているから、なんだか急にこのカメラで写真を撮りたくなった。
たまたま、今週火曜から家内の夏休みに合わせた旅行を計画していたから、ちょうどよいきっかけになった。

ところが、どこにでも売っていた「写真フィルム」を購入する旅が、「まさか」の思いと共に始まったのである。

もちろん、フィルムが売れなくなって、あの世界の「コダック」が倒産したことはしっている。
エジプトに住んでいた40年近く前だって、カイロの街中にあった売店でコダックのフィルムは売っていたし、気の利いた高級ホテルの売店には「フジカラー」だってあったものだ。

「肌色」の発色が、フジカラーはやや青みがかっていたので、「サクラカラー」のフィルムをまとめて持っていった。
それでも足りなくなって、あんがいとドイツの「アグファ」のフィルムを使っていたのは、安かったからである。

カイロの写真屋のプリント技術がイマイチだったので、フィルムにこだわる意味が薄かったこともある。
だから、帰国してからだいぶ経って富士フィルムが、「100年プリント」を売りにした意味が、けっこう理解できた。

その富士フィルムも、思い切った「脱皮」を遂げて、写真フィルムメーカーだったのは、社名だけになった感がある。
「サクラカラー」の小西六も、カメラのミノルタと合併して、コニカミノルタになって、2006年にフィルム事業から撤退した。

個人的なことだけど、わたしが帝国ホテルを退社した年に、サクラカラーもなくなっていたのだと思ったら、時間の経過を感じざるを得ない。
つまり、すっかりフィルムを必要としない生活に慣れきっていた、という意味を実感したのである。

だから、急に「写真を撮ろう」と思いついた、というのは、これら企業の関係者には随分わがままで失礼なことでもある。
それに、デジカメで撮影した写真を、プリントしないでいることにも疑念を持っていなかった。

ハードディスクやらクラウドに保存した画像を、たまにモニター表示させたら、わざわざプリントの要もない。
そんなわけで、まずはいつもの「ネット検索」をしたら、大手カメラ量販店での通販がすぐさまヒットした。

しかし、それでは上に書いたように、旅行の出発日に間に合わない。
なにせ、急に思い立ったからである。
それで、実店舗に行くことにしたのであるが、そこには驚きの事実があった。

つまり、大型店といえども、店舗在庫が「ない」のである。

気を取り直して、我が家の近所にあるカメラ専門店に行ってみたら、「1本だけ」ポツンとあった。
店員さんに次回の入荷はいつかと聞いたら、「不明」との返事だったのは、最近になって急にフィルム需要が増えているからだそうだ。

もう新品のフィルム・カメラは販売されていないので、かつての「名機」が中古市場で「格安」に手に入る。
さすれば、フィルムがないと始まらないのは当然だ。

店員さんによれば、「写真の味」がちがう、というのがお客さんたちの「声」らしい。

もしかしたら、「シャッターを切る」あの機械音の手応えが、「たまらない」からかもしれない。
それが、「出来上がりの満足」にも影響しているなら、実に人間的な反応だとおもわれる。

その場でどんなふうに撮れたかが確認できないことも、もう不便ではなくて、現像の結果待ちがかえって期待にもなっているのだ。

すると、「写真とはなにか?」ということにもなって、フィルムの機能があらためて注目されるのも理解できる。
そこにまた、「選択の楽しみ」まであるのだ。
なんだか、クオーツに席巻された機械式時計の復活に似ている。

ただし、時計は時計職人が絶滅したわけではなかったけれど、カメラはほぼ絶滅して、中古市場ばかりなった。
もしや、ここに目をつけた「投資家」がいるかもしれない。

しかし、フィルムが絶えたら無用の長物になるから、ただ単に「所持するだけ」ではなくて、撮影してなんぼなのである。

わたしの父はカメラが趣味でもあった。
たまたま妹を撮ったポートレートが、「なんとか賞」を受賞して、深みにはまったとおもう。

晴海でやっていたモーターショーで、ダイハツの車を背景にわたしを撮った写真も、「なんとか賞」をもらった覚えがある。
本人は、会場の広さと混雑でくたくただったけど、それがおすまし顔になったようだった。

大枚かけたそのカメラも放置して置いてあるから、たまにはさわらないといけないと気がついた。
なにせ「ミノルタ一本槍」のファンではあったが、AF機能の「αシリーズ」には目もくれなかった。

フィルムを販売しているお店は、たいていプリントサービスもやっている。
印画紙にプリントするだけでなく、デジタル・ファイル化もしてスマホ転送サービスもあるという。

なんだか本末転倒のような、蛇足、のような気もするけれど、これぞ「100年保存」なのかもしれない。
まぁ、100年後に、スマホがあれば、の話ではある。

さてそれで、フィルムは36枚どりASA400で1600円程度だから、フィルム一コマあたり約44円だ。
これに現像代とプリント代が加算されるから、いまとなってはそれなりのコストである。

デジタルだと、コスト意識が薄れた分、写真のありがたみも減った。

一枚撮っては巻き取るごとに値段を気にしたことがなかった「むかしの当たり前」が、幸せだった時代を象徴しているのかもしれない。