「最新」の旅館だった

3年ぶりの八百津の三勝屋に二晩行きたくて、同町内にある宿に予約した。

評判は良さげだけれど、今どきとくだんHPがあるわけでもないので、予約は電話でした。
女将さんが出て、朝食付だけを伝えたら、夕食はどちらで?というから「三勝屋さんが目的」だと申し出た。

すると、日付の曜日から、「大丈夫、定休日ではないですよ」と教えてくれた。
こうしてわたしの中にある、旅館の女将の第一条件である、「地元情報通」にあっさり合格したのであった。

以前泊まった「妻籠」の宿も、居心地の良いところに「当たって」、一晩目の翌日に「宿場」にあった「本日の空室」看板には、当該の宿が「満室」だったので、その気になって帰館したら、我々夫婦だけの貸切状態になっていた。

「満室」と表示されていたことを女将さんに伝えたら、お客さんたちが気に入ったから他の客を取らないようにした、と。
どうやら「合格」したのは、我々の方だったのである。

それに、妻籠の「昔の面影保存」に尽力したのが、この宿の主人だったこともあってか、宿場内の居酒屋で宿の名前を答えたら一目置かれたことを思い出した。
あそこのお客じゃ安心だ、と。

食い逃げの心配ではなさそうだ。

そんなこんなで、三勝屋さんでは二晩連続でお邪魔すると、こちらも名物女将に伝えたら今度は、どちらにお泊まりで?と聞かれた。
「まつや旅館さん」というと、いい宿にお泊まりで、と返されて、「女将さんがちゃんとしているひとだから」と。

ご近所同士で仲がいいのは、どちらも贔屓したくなるポイントだ。

さて、その旅館は、さいきん私が気にしている分野での「最新」だったので、書いておこうとおもう。
それは、「食」にまつわる「安全性」のことである。

ちょうど1年経ったと話題のパラリンピック報道はあるけれど、オリンピック・パラリンピックでの「食」についての特集報道は地味だった。
「世界基準」を満たしていない、我が国の「食品」は、見事な「ガラパゴス状態」をその後もキープしている。

もちろんこのブログの読者ならお気づきだろうけど、わたしは「世界基準」が「正義」になっている状況も、「完全」とはおもっていない。
もっといえば、「食品」も、実体は、「デファクトスタンダード」なのである。

それは、世界大手といわれている、巨大流通企業たちによるものだ。

すなわち、パソコンのOS同様に、民間企業がつくるスタンダードで、パソコンのOSが「一社で支配した」のに対して、「食品」は複数社による「連合」となっている違いがある。

それがまさに「グローバル」な「仕入れ調達」のために、一国政府も及ばない状況なのである。
この意味で、ドンキホーテのような日本政府(とくに農水省)は、一国政府として挑んだものの、ものの見事に「世界から」相手にされなかったのだった。

この「世界」とは、各国選手団を統括したというよりも、種目別の世界団体が、「ドーピング」同様に「食材の安全」を要求したからである。
そして、それに、たとえば「JAS規格」が通用しない、という事態になったのである。

これは、日本人として由々しきことで、我々が食べている基準の大元が、世界から否定されたことでもあった。

じっさいに、我が国の食品安全基準としての「食品添加物認可」は、世界一「緩い」と指摘されており、それは、農薬の安全基準にも及んでいる。
なので、「日本製食品」あるいは「農産物」の多くが、ヨーロッパで「輸入禁止」措置が取られている。

この点で欧米基準は、過剰なるセンシティブだという意見もあろうが、これらの地域で「ガン発症率の減少」が見られる中、我が国だけが増加している現状をどのように解釈すべきか?という議論は、「速やか」に必要だろう。

そんなわけで、わたしがいいたい「最新」とは、食の安全についての見識だけでなく、じっさいの提供に及ぶことはいうまでもない。
すなわち、「ポスト・コロナ」としての、インバウンドに対するための「重要戦略」なのである。

このことは、何もセンシティブな欧米人(彼らは一般に高単価だ)ばかりをターゲットとしていない。
なぜなら、習政権が推進(強制)した、「自然農法」での作物が、アジアの富裕層にも浸透したからである。

むしろ、親中のスリランカ政権が失敗した「自然農法の強制」こそ、アジア諸国への輸出を睨んだことが原因だった。

すると、インバウンドの対応に、「食」の分野で追いつかない状況にあるのが、我が国の宿泊・外食業界なのである。

この度お世話になったこの宿は、ほぼすべての食材が「自家製自然農法」のものだった。
それは、米であり、野菜のことだ。
自家の田と畑を、ご主人が管理しているのは、客用ではなくてあくまでも自家用の延長なのである。

肉と魚、あるいは鶏卵などをどうするか?はある。
けれども、本格的な「和食」でみれば、これら動物タンパク質の比重は軽いという幸がある。

ホッとする食事の提供は、もっとも重要な宿の機能だ。
それは、たとえ「木賃宿」でもそうだった。
煮炊き用の「木賃」を払って、客が自炊したことをはじまりとする。

自然農法の宿は、だから「あたらしい」のである。

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