凄腕の時計修理専門店

街の電気屋さんすら珍しくなってきたけど、時計屋さんもおなじく珍しい。
どちらも、量販店という形態に、価格で勝負が立ちいかなくなってしまった個人事業の悲哀がある。

近所の商店街には、二軒の老舗があって、どちらも時計、眼鏡、宝飾品をあつかっていた。
そのうちの一軒が、中学から眼鏡をかけることになったわたしにとっては、人生初の眼鏡やサングラスでお世話になった。

度付きサングラスが欲しくなったのは、大学生のときのエジプト旅行で、砂漠を旅する計画を立てていたからである。
先生や先輩に、砂漠ではスキー場でサングラス抜きで過ごすこととおなじほどの乱反射があるから、目に危険だといわれたのである。

それで、眼鏡屋さんは「これなら」というレンズを入れてくれた。
おかげで、たすかった。
ただ色が濃いレンズなのではなく、いまでいう「UVカット」に力点があるものだった。

社会人になって、結婚してからも夫婦でお世話になったけど、商店街の衰退とともに、二代目のご主人が決心して東京に移転してしまった。
ちなみに当時、初代もご健在で、こちらは時計職人だった。

クオーツ全盛時代だったので、機械式の時計に興味は薄かった。
いまから想うと、初代が勧める機械式の腕時計を一本でも持っていたら、人生の記念になったやもしれぬ。
当時のサングラスも、フレームはまだしっかりしていて、保存してある。そうかんがえると、ただの消耗品ではない。

携帯電話を携帯していれば、いつでも時間をしることができるようになって、腕時計をする必要性が薄くはなったけど、サラリーマンにはそれなりの効果があるグッズではある。

長引く打ち合わせのとき、ふと腕をみる仕草で相手が察してくれる。
さすがに、携帯の画面をタッチするわけにはいかない。
それに、「センス」をみられていることもある。
何気ないときに、人事部長から「いい時計しているね」といわれたときには「へぇー」とおもった。観察されていると気がついたからである。

「安物ですよ」と照れたら、「値段じゃない」と即答されたのは、本人が時計好きだったからかもしれない。
「どこで買ったの?」が追い討ちをかけたが、「量販店ですよ」というと、「それを選んだんだぁ」と感心していわれた。

外資の投資銀行に転職したら、当社のバンカーとしてうんぬんと上司からいわれたことがあった。
なんのことだか最初はわからなかったが、どうやらわたしの国産クオーツが気に入らないらしいことに気がついた。

そういう価値観もあるのだとおもったけれど、「信用」ということと掛けていた。
「ステイタス」を誇示するのとはちょっとちがう。

それで、機械式の時計を手にいれたのである。
購入したのは、やっぱりいまはもうない横浜の老舗だった。
けた数がちがう「逸品」も紹介されたが、お手軽で堅牢がいい。

なんだかんだと「スイスメイド」に落ち着いた。
時間をおいて、この店からはとうとう全部で三本の時計を購入した。
しかも、どれもおなじメーカーのものになったのは、自分で気に入っていたからだ。

一本目は、「レギュレーター」といわれる、時針、分針、秒針がそれぞれ独立しているもので、「手巻き式」である。カレンダーもない。
かつて、時計職人が制作中の時計の時間合わせにつかったという。
時間を読むには、ちょっとした慣れがいるけど、直径44ミリという巨大さが見やすいのだ。

二本目は、「クロノグラフ」つまり、ストップウォッチにもなる時計で、通常時には秒針が12時で固定されているから、動いているのか止まっているのかを確かめるには、裏面のスケルトン機構を見るか、分針が動いているかをチェックする必要がある。

ストップウォッチ機能では、秒針と独立した30分計と12時間計とが連動するので、何時間でも計れるのが「特徴」だ。
なんのことはないような機能だが、二大国産メーカーの「クロノグラフ」は「1時間まで」しか計れないのだ。
それで、講演のときに重宝している。

三本目は、「パイロットウオッチ」。
文字どおり飛行機のパイロット用につくられた、視認性が抜群の時計である。
老眼になって実感する、うれしいデザインなのである。

これらが、なぜかほぼ同時に動かなくなったので、しばらく放置していた。

さいきん、想い出ある古い時計を治してもらったと自慢するひとに紹介を受けて、神奈川県平塚市にある、「修理専門店」に行ってきた。
お店は電車沿いにあって、想像通り小さな作業場で、そこには年配のご主人がひとりで作業をしていた。

一瞬、声をかけるのも憚れる、集中していることを背中で語っていたが、おもむろに振り向いて、持ちこんだ時計を見てくれた。
片目に「キズミ」と呼ばれるレンズをはめて駆動機構をしきりにのぞき込んでいる。「ふんふん、あぁ、オメガに似ている」とつぶやきながら、刻印を確認し「やっぱりスイス製だ」と納得している。

なんだか、わたしの頭の中のレントゲンをみられた感じがした。

レギュレーターは、竜頭機構の説明絵図を探してみせてくれて、ここがダメになったとおもう、という。「国内で購入したの?」という質問に、そうだというと、ならば治せるかも、と。
修理費見積もりのためにお預かりになった。

その他は、あっと言う間に「治って」しまった。
なにをしたのだろう?
作業台が背中で見えない。
「こわれてないよ」と手渡してくれたとき、ちゃんと動いていた。

じぶんの技術力と集中力だけで商売をやっている。

「尊敬しかない」という言葉があたまに浮かんだ。

成立しない「漁港飯」というジャンル

2016年(平成28年)4月1日現在、日本国内には2,866の漁港がある、とウィキペディアには書いてある。
このブログでは何度か漁港漁業について書いてきた。
「漁港」はあっても「漁師」がいない。
「漁師」がいても「魚」が獲れないのである。

それで、この順番がひっくり返って、魚が獲れないから漁師という職業に夢がなくなって、水産高校も減っている。少子化だけが原因ではない。
若いあらたな人材がこない産業になったので、漁師がいない漁港が立派な公共事業の遺産として残っている。

わが国は、どれほどの鉄筋とコンクリートを海に沈めたものか?
たいした港らしい港でもなかったものに、税金という他人の金を投下して、ピカピカの漁港を大量生産したのは、漁協という組織が投下したカネではなく「票」というものを確実に回収するからである。

漁港の工事には、大量の資材をはこぶ必要があるから、とうぜんに道路もよくなる。
でこぼこ道のままでは、砂煙があがるだけでなく、燃費も悪くする。
そんなわけで、海岸沿いの国道や県道がきっちり整備された。

これが、地域外からの「観光客」も呼び込むから、漁協の直売所や食堂は、いつのまにか「観光地」になるのである。
ほんらいなら、これはこれで結構なことなのだが、農協とおなじで「コルホーズ」の日本版の経営体からつくったので、なんだかなぁになるのである。

しかし、これは「食べる側の事前期待」にも問題があって、そもそもこの地域の海で、どんな季節になにが獲れるのか?という事前知識もなにもないから、ただ「安くてうまい魚を食べられる」だけになってしまう。

農協がつくる「季節の作物一覧表」のような発信もないから、情報のミスマッチが発生するのである。
その「穴」を埋めるのが、たいがい「マグロ」や「サバ」なのだ。

これらを出しておけば、文句はこない。
けれども、外部から買ってくる魚だから、これ見よがしの演出ができない。
それで、本来の「地魚=でも獲れない」との「ショボいセット」になるのである。

だったら、わざわざ漁港にいかなくても、その街にある個人経営の食堂に行った方が、よほど事後満足が得られるのである。

さてそこで、「店探し」という「観光」がある。
ネットでいろいろ調べるのが「常識」となったけど、わたしは「店案内のサイト」はあまりつかわない。
「評価の基準」がわからないことがあるからである。

ではどうするか?
「歩く」のである。
飲食店には「面構え」というものがある。
これを、「観察する」ことで、「名店らしき店」の候補をチェックするのだ。

交通手段が自家用車のときは、なるべく駐車場にとめてから「探訪」を開始する。
いかに徐行しても車内からの眺めと、徒歩目線からの眺めはちがうからであるし、徐行をずっと続けるのも通行の迷惑になる。

ここで、中途半端な営業形態をしている店をみつけることもある。
それが、「民宿」だ。
「民泊」という、規制だらけの業態をつくったが、当初の目的からどんどん遠くに離れていくのは、「カジノ」もおなじだ。

年に180日しか営業できない「民泊」も、各種規制でがんじがらめにしたら外国の大手事業者が逃げ出した「カジノ」も、「自由」という概念を忘れた結果の結果である。

「民宿」は、むかしからある業態だけど、漁港のちかくなら漁師の一家で経営し、じぶんで獲った魚を提供していた。
その意味で、「原価」がちがう。
これが、「安くてうまい魚を食べられる」という事前期待とマッチしていたのである。

しかし、残念なことに、肝心の魚が獲れない、ということになって、親父さんの漁だけでは提供できないから、やっぱり外から買わないといけなくなった。
こうして、「食堂」としての機能も失われたのである。

海で囲われた日本の沿岸に、どうして魚がいなくなったのか?
理由は、「自由」に「早い者勝ち」で「獲った」からといわれ、「資源管理」を科学的におこなわなず、行政(水産庁)が日和った数値をだすこととがセットになっている。

「いない」のに「いることにする」という裁量のことである。

そうやって、資源が回復するための「再生産数」を下回っても、「自由」に「早い者勝ち」で「獲る」ことを続けていたら、どうにもならないほどに「獲りつくし」てしまったのである。
いま、「沿岸漁業」で確実に獲れるのは「海藻だけ」になった。

おやおや、流行病のコントロールとおなじ「再生産数」がでてくるのである。
「増やすため」か「減らすため」のちがいはあるが、共通しているのは、科学を無視して行政機構やそのトップの知事たちが社会に日和った数字をいうことである。

「自由と規制」に、「科学=エビデンス(根拠)の重視」をくわえ、これらを決定的に勘違いして、自滅する政策を打ち出しても恥ともおもわない。

これらの「勘違い」を正すことが、将来への「夢」をつくるのである。

保養・健康の海水浴を撲滅せよ

神奈川県の大磯といえば、かつてのワンマン宰相「吉田茂邸」があったことでしられる。
吉田がこの地に居を構えたのは、政治の中心、東京との距離感だけでなく、風光明媚と潮風が適度に健康によいとされたからである。

吉田は自由主義者(「リバタリアン」)だった。
そのことが、干される、原因となって戦争中の敵国、英国駐在大使という、ありえない「閑職」においやられていた。

それでも当時の「特命全権大使」には、国家元首と大元帥を兼ねる「陛下の名代」という明確な立場があった。「首相の名代」となって、いまのようなケチいサラリーマン大使ではないのは、「家柄」と「身分」という裏づけもあったのだ。

そこで、閑にかこつけた吉田は、日本大使館という「領土内」で、ウィスキーを仕込むことをおもいつく。
英国を呑んでやれ、という「気概」でもある。

当然だが、「本場」のスコットランドから、職人を招聘し、蒸留ポットも仮設で建設し、50樽を仕込んだ。
これが、いまは幻の「ジャパニーズ・ブレンド」である。
幻となったのは、サラリーマン化した戦後の歴代大使たちが、消費こそすれ、だれも追加で仕込まなかったからである。

いま、ケチいサラリーマン議員ばかりになった国会で、外務省予算にロンドンでウィスキーを仕込むカネがあるといったら、こんなワイドショー好みの話もないだろう。
「国家予算でウィスキー?」ありえない、と。

民族の誇りを自ら捨てるのを義とするのは勝手だが、民族の誇りにこだわっている国だってふつうにある。
伝統を重んじる英国はその典型で、かつてアホな日本大使が英国外務大臣を晩餐会に招待したとき、ジャパニーズ・ブレンドを振る舞って、思い切り自慢した。

ディナーの仕上げは、ブランデーと決まっているのに、高度成長を背景に有頂天を決め込んで、無粋とされるウィスキーを出したのだ。
ところが、すでに大使館の地下蔵に数十年も眠っている「樽出し」だから、そのへんのブランデーに負けやしないまろやかな逸品だった。

驚いた外務大臣。
このままでは、英国の国民酒すら日本に席巻される。
しかしながら、彼こそは、スコットランドの造り酒屋の息子だった。
そこで、彼が中心になって新法を制定した。

「新酒保存法」である。
あたらしいウィスキーを仕込んだら、酒蔵はかならず一樽は保存し、販売してはならない、という内容だ。
この法律ができたとき、外務大臣が日本大使に告げたのは、そのうちわが国のウィスキーがジャパニーズ・ブレンドを超えるからみていろ、と。

「酒」といえば、「税法」しか思いつかない発想の貧困。

さて、そんなわけで、「湘南」は自動車のナンバープレートをいうのではない。
国鉄時代は、「湘南電車」と呼んでいたものが、いつの間にか「東海道線」と本名になったのはなぜだろう?

相模の南で「相南」を、中国の名勝地「洞庭湖」のあたりをさす「湘南」に書きかえたのが由来だ。
いまなら、カルフォルニアの「サンタモニカ」とでもいうべきか?

日本で最初の大磯海水浴場は、保養と健康のためにつくられたのだ。
当時、「保養」といえば、「結核」の療養をイメージするほどだ。
つまり、弱った体の体力を元に戻す効果がうたわれたから、けっこう「医学」的なのである。

科学的根拠不明の同調圧力とは、ファシズム的だとなんども批判してきたが、神奈川県はとうとう今夏の海水浴場の25カ所すべてを営業停止にきめた。
昨年の利用客は320万人だったから、ことしは、このひとたちの行き場がなくなった。

海水浴場には、利用ルールとしての各「条例がある」から、閉鎖となると、これらの条例も適用されない。
すなわち、「無法地帯になってしまう」と、すでにマスコミはあおりはじめた。

あれれ?
コロナウィルスは、紫外線のある日光に弱いのではなかったか?
つまり、「日光消毒」のことだ。
それに、海水も、適度な刺激を体にあたえることで、抵抗力を増進させるのでなかった?

こうした「知見」をぜんぶ無視して、数字的根拠もないままに、まだ「感染爆発」をいう知事や首長たちは、やっぱり「ファシスト」ではないか?

そして、意地悪をしたくてしょうがないから、まずは「海の家」を「完全予約制」にしろという。
こんな命令をするものを、「ガイドライン」と呼ぶのは、ファシスト特有のダブルスタンダードである。

もちろん、法的根拠がないどころか「憲法違反」なので、したがうべきことではないが、どんな「嫌がらせ」を行政当局から受けるかしれないので、事業者たちは従順になるのである。

ヤクザの脅しより怖い、行政の脅し。

そして、これから、海岸を無法地帯にさせないための手を打つのが、行政当局の仕事になって、いよいよ市民の「自由」が剥奪される。

ほんとうに、こんなことをするものを「選挙」で選んだのか?
市民をおもえば、「どうしたら海水浴を楽しめるのか?」を追求する立場をとるのが、ふつうではないのか。

つまり、もう、ふつうではないということだ。
異常者たちが統治する。
それが、神奈川県になった。

愛知県知事のリコールがはじまるらしいが、神奈川県はたいへんだ。
知事だけでなく、市・町すべからく失格だからだ。
大規模リコール運動が起きないのも不思議なのである。

アベノマスクが届いた

6月4日、とくに待っていたわけではないが、話題の「布マスク」が届いた。

これがどんな「役に立つ」のか?とかんがえた。
現物を前にすれば、すくなくても、ウィルスを吸い込む危険に対してはなんら効果はないだろうから、さいしょにいわれた「咳エチケット」ぐらしか効用はない。

ただし、最近見かけなくなった、ガーゼのマスクなので、なんだかむかしが懐かしい、という「ノスタルジー」に浸れるという別の効果が、大量に票をもっている高齢者層にはありそうだ。
政治が身近でもあるという、効果は、ありがた迷惑だから、あんまりないのが残念でもある。

いまでは、「咳エチケット」で、咳をするひとが着けるモノ、という前からの常識が、あたらしい日常に変化して、誰でもが着用しないと、「エチケット」に反するらしい。
つまり、咳をしているひと、という条件がはずれて、全員がするという、部分集合から全体集合へと変化したのだ。

これを、「過剰」というひともいなくなって、さらに「全体主義」だというひとは、変人あつかいにされるのだろう。
国が緊急事態を解除したのに、まだマスクを着けているひとがたくさんいることに驚くばかりである。

外出時の「習慣化した」というひとがいた。
なるほどそんなものか。
つまりは、条件反射になったということなので、パブロフの犬を人間がやっている。

たまにマスク未着用のひととすれ違うと、なんだかうれしくなるのも変な感覚である。
ただ、ここでいう「未着用のひと」というのは、完全に着けていないという意味で、鼻を出しているとか、アゴに掛けているとか、片耳にぶら下げているというひとのことではない。

ピッタリ着用しているひとのことをおもえば、このような「中途半端」なひとこそ何らかの批難をあびてよさそうなものだが、マスクが顔周辺にある、ということで許されるのは、さいしょから無意味だけど、みんながしているから着用しているのがほとんどだから、その未練が共感を呼ぶのだろう。

だから、まったく顔の周辺にマスクがないのは、意思があっての確信犯となる。
駅だろうが、公共の場なら流れている、これ見よがしの悪意をこめたアナウンスが、「マスクの着用」を繰り返しているのだ。

症状がないひとにとってぜんぜん無意味なマスク着用を「お願いする」という行為を何度も繰り返すのは、まったく理不尽だし、自由の侵害である。

数百万人が生活する空間で、患者数ではない感染者数だけで20人が出たということが、どうしてニュースになるものか。
しかも、誰かにうつす可能性は、拡大を意味する数値ではない。

その意味で、国家がマスクを支給した、という事実は、アナウンスで自由を侵害しても、マスクの購入は自腹(=経済的自由の侵害)だというあらゆる公共機関にかわって、まさに、国が自由を主張する者の権利侵害を黙らせることになるのである。

しかし、これは首相の自費ではない。
国家予算がつかわれたのだ。
つまり、国民の自由を侵害するために、国家予算がつかわれたという、これぞ「憲法違反」が、白日の下で実行されたということなのだ。

日本国憲法は、日本国政府によって堂々とその死を看取られた。

政府がいう、「あたらしい日常」とは、日本国憲法が機能を停止した、死後の社会のことをいうのである。

なるほど、三権(立法、行政、司法)の全部が、ゾンビ化した。
第四の権力、マスコミも同様だから、わが国はすごい状態になっている。

令和2年とは、歴史の転換点であることにまちがいはない。

いじめっ子の国

事実は小説より。。。
そうではなく、事実は小説のような「勧善懲悪」にはならず、むしろおおくのひとは「悪の繁栄」のなかでひっそりと暮らしている。
だから、「大団円」のうちになんか物語はおわらない。

いわば、『必殺シリーズ』のヒーローたちがひとりもいない状態が「ふつう」なのである。

ならば、「無法地帯」となってしまう、ということでもない。
人口の8割以上だった、農民のなかでも没落した水飲み百姓なら、5割もの「年貢」のために、とにかく食うや食わずで一生を過ごす運命だったとはいえ、あんまり、ということになれば「逃散」という手もあった。

藩の国境を突破して、隣国へ逃げてしまう。
時代劇だと、ここで大量殺戮となるのだが、貴重な労働者を殺してはなんにもならない。
だから、隣国側は、その貴重な労働者を歓迎したのである。

もしこれが、「天領=代官所管轄」で起きたのが上位者にしられたら、時代劇なら悪いことしかしないお代官様の身の上に大変なことが起きてしまう。
よくて切腹、わるければお家断絶の処分がくる。

だから、領民はくれぐれも大切にしないといけなかった。
この精神が、日本企業の「社員は家族」という感覚として残っていたのだった。

バブル経済という、一億国民が「カネの亡者」になりはてたことが、「戦後の絶頂」でもあった。
それこそが、貧乏からの脱出であり、だれかれに迷惑をかけずとも、カネさえ儲ければそれでよし、とした価値観の絶頂であった。

しかし、「経済のたちまちの崩壊」から、残余していた伝統的古き良き価値観も一緒くたにして藻屑と消えたから、そもそもの価値観がはっきりしない時代にとうとう30年も暮らしている。

「歌」がなくなったのも、時代の価値観を共有できない時代になったからである。

そんなわけで、身分制のために採用しなかった「科挙」を、日本史上ではじめてやった明治から、とうとう、「勉強虫=ガリ勉」が支配する世の中になった。
小学校からかぞえれば、15年間ほど、勉強すると「晴れて高級役人」になれるのだ。

『パーマン』だって、『ドラえもん』だって、主人公は高級役人を目指していない。
むしろ、高級役人を目指す子どもは、これらの作品にめったに登場なんかしない。

ありえるのは、集団でのイジメだからだ。

しかし、そんな障害を乗り越えてこその、高級役人だから、いつかみていろよ、というサイコキックな精神状態に追いこまれることもあるだろう。
アメリカだったら、『キャリー』(1976年)になった。

日本だと、晴れて高級役人になって、順番どおり偉くなれば、これ見よがしの意地悪を「政策」として発揮するようになるのだ。

観光客を呼び込むために使ってきた予算やら人的資源やらを、風邪にうつるかも、という理由で排除するのが「正義」になった。
県境に、「こないでください」と電光掲示板をだすのは、江戸時代の「逃散」の真逆なのである。

それでいて、他県からの「移住」を「募集」するということに、大金をつぎ込むのだ。
そんなことより、暮らしやすい街づくりをせよ、といいたいが、そんなことは「全国一律」だから、特徴をだすのがたいへんだ。

それで、たまたま香川県は、「ゲーム禁止条例」というものを思いついた。
地元弁護士会の抗議に、県は「罰則もなにもない」と返答し、地元高校生からは、「憲法違反」だと提訴されかかっている。

さて、この返答をした「県」とは「誰か?」ということがわからない。
「県議会」なのか「行政府」なのか?
たぶん、議会に反論なんかできっこないから、議会の「事務局」発でも「県」になるのだろう。

緊急事態宣言には法的根拠はあるし、それで都道府県知事に権限が委譲された。けど、「罰則はない」という建て付けからすれば、「ゲーム禁止条例」の導入理由で「県」の主張には「筋」が通っている。
地元であろうが全国であろうが、「弁護士会」が、風邪の蔓延におののいて、肝心の発信をしなかったのが「痛恨」だ。

ところが、「世界ゲーム大会」という一大イベントが毎年開催されていて、この勝者は、歴代、世界中で「神」あつかいになるほどの有名人になるのだ。
その最強国が、わが国なのである。

参加者はネット対戦をいれて「億人単位」だと、香川県議会の議員たちはしっているのか?
数億人のなかからの「頂点」だから、わるいが「囲碁」や「将棋」の比ではない。
おそるべし「ゲーム」なのである。

日がな一日ゲームに耽っては、将来が危うい。

しかして、保護者がいうならまだしも、県の条例としていかがか?
おそらく、「むかしは誰の子にでも、地域のおとなが叱ったものだ」というのだろう。
いま、これを言ったらどうなるか?

家庭内に行政権力がおよぶのを許さない、「高校生がいる」ことを、自慢した方がよほど健全というものだ。

イジメの精神で、あらゆる方面から、個人への「介入」をしたがる高級役人には、くれぐれも気をつけたい。

民主主義の学校ではない地方自治

いまや「逆神」と化したごとくの非常識がまかりとおっている。
「地方自治は民主主義の学校」といったのは、駐米大使も務めたイギリスの政治家・外交官ジェームズ・ブライス(1838-1922)だった。

身近な問題をあつかう地方自治に参加することは、そのまま民主主義を学ぶことができる、という意味である。
しかし、このとおりにならないのがわが国の「地方自治」である。
なぜなら、地方で自治のできる範囲がほとんどないからだ。

わが国は、強烈な中央集権国家なのである。
GHQ(連合軍総司令部)の、設計ミスなのか?それともわざとか?

地方自治といえば、地方公共団体としての都道府県に市町村があることになっている。
トップとなる知事や市町村長は、直接選挙でえらばれるし、それぞれの地方議会も、それぞれに「条例」を定めることができる。

しかし、この「条例」には、かなりの「規制」があって、中央である国会が定める「法律」や、役人が定める「省令」や「規則」それに「通達」などの範囲を超えてはならないことになっている。
ある意味当然ではあるけれど、その規定範囲が「狭い」ため、事実上、「金太郎飴」のようなことになるのである。

新進気鋭のアメリカ政治研究者、渡瀬裕哉氏によれば、わが国に「地方自治がない証拠」として、全国一律の「住民税」を例示している。
これは、アメリカではかんがえられないことなのだ、と。

「適度な競争」が、効率的な社会をつくることは、歴史が証明している。
計画経済が不効率なのは、需要と供給のバランスの結果えられる「価格」という情報を用いた「競争」が行われないどころか、これを禁止したからである。

つまり、国家の当局が、需要と供給を決める。
だから、このときの「価格」には、情報がない。
それで、物資自体が不足する羽目になるのである。

不足とは、ほんらい需要が供給より多いことをいうが、当局が決めるのだから、「不足」しているという状況すら情報にならない。
こうして、消費者はただ列に並ぶ、ということしかできなくなって、全員が平等に貧乏になるのである。

そんなわけで、わが国では、どこに住むか?の選択は自由でも、徴収される税はどこにいこうが同じという「平等」が達成されている。
けれども、住まう地域によって、受けるサービスは同じではない。

地域によって、これまでの「重点」がちがうからである。
しかし、その違いが、事前に公表されることもない。
引っ越して、住んでみないとわからないのである。
これが、国内「移住」でみられる不幸のパターンだ。

アメリカには「善政競争」という概念がある。
とくに、地方税をいかに安くするのか?という「競争」をいう。
建国のきっかけが、本国の英国国王が決めた「紅茶課税」であったから、アメリカ人は税に「敏感」だといわれている。

これは、裏返せば日本人が税に「鈍感」だという意味にもなる。
しかし、このときの「日本人」とはいったい誰か?

明治の第一回帝国議会の招集理由は、「減税」が議題だったのだ。
議会開催がすったもんだして、政治の実権をにぎるものたちが議会設置を嫌がったのは、「減税要求」を嫌がったからである。
つまり、歳入が減ったら予算を減らさないといけなくなることだ。

わが国の地方自治体予算をみると、地方税収入の全部と役人の人件費がほぼ一致するか、人件費のほうが多い。
つまり、とっくに「破たん」している。
にもかかわらず、平気の平左でいられるのは、東京都を除いて、お国からおカネが降ってくるからである。

すなわち、ぜんぜん「自治体」なんてことはない。
それで、「自治」の反対語を辞書でひけば、「官治」とある。
まさに、わが国の自治体は、すべてが「官治体」なのである。
選挙を何回やっても、どうにもならない理由である。

よくぞ、ここまで「無競争の平等」をつくったものだ。

おそらく、近衛内閣を起点にした「流れ」でこうなったのだろう。
令和時代、わたしたちの大テーマは、まちがいなく「減税」である。
どんな政党でもいいから、とにかく「掛け値なし」で、減税を主張するグループが支持されないといけない。

超新星爆発のように、自身の力が内部にむかって「崩壊」し、あげくにコントロールを失うのである。
このとき、外国勢力がやってくれば、あっけなく歴史ある独立国の終焉をむかえることだろう。

外国勢力は、こんなことを狙っているとかんがえておくことも、もはや「妄想」ではなくなってきている。

政府を縮小せよ。

小雨の江ノ島にいってきた

わが家から江ノ島までは、自転車で1時間半ばかりだけど、雨の中電車で江ノ島に行く、となれば、何年ぶりのことか。
なぜだか急に、島内のお店でうまい魚が食べたくなった。

大船からモノレールか、藤沢から江ノ電か、小田急か?
子どものころ、海水浴にいくとなったらかならずのコース、藤沢から小田急に乗ることにした。
終点の駅が海に一番近いからでもある。

藤沢駅でスイッチバックする小田急の「江ノ島線」は、ほぼ「境川」と「引地川」沿いを走っている。
京浜急行が、横浜から大岡川に、相鉄は帷子川に沿っているから、あんがい鉄路とは、川がつくった地形に忠実である。

ちなみに、今の時期の藤沢市、なかでもこれらの川沿いは、トマトの名産地になって、秋になれば米なら「キヌヒカリ」がとれる。
境川の対岸、横浜市は、小松菜で日本一の産地ということになっているのは、対象面積が広いというカラクリがあるからである。

小田急「片瀬江ノ島駅」は工事中だった。
さいきん、なかなか見ることができなくなった「ターミナル」である。スイッチバックの藤沢駅から三つ目にまた、ターミナルがあるのは、なんでもつなげるJRとは真逆をいく。

その「片瀬江ノ島駅」といえば、むかしから「竜宮城」のデザイン駅舎だったから、どうなったか降車して振り向いたら、すこぶる立派かつ新品の趣で、むかしよりおおきいかもしれない「竜宮城」の朱色がまぶしかった。

ポストモダンの殺風景を好むJRとは、やっぱり真逆で、雨の中でも数人の若いひとが写真を撮っていた。
シーズン外の月曜日の昼下がり、もともと乗客はおおくはないが、ダラダラつづく「自粛」の時期もかさなっている。

いまどき、旅先で駅舎を記念撮影させる仕掛けを「ムダ」というかんがえがはびこっているけれど、こうした「伝統」の建築は、人生の「記憶」を呼び覚ましてくれるものだ。

駅前広場のコンビニが、かつての食堂兼典型的な土産物屋だったことが、定点カメラの写真のように想いだされた。
夏場の開放的店内に、かならず「かき氷」や「ラーメン」を食べているひとがいて、うらやましかった。

その夏のシーズンに向けてか、境川にかかる広い歩行者専用の橋も工事中で、あたらしい舗装の最中だった。
しかして、ほんとうに「海開き」するものか?
わが国最初の「大磯海水浴場」は、早々に今シーズンの営業「自粛」を決めてしまった。

70年代、江ノ島か三浦か?という人出の競争があった。
江ノ島は、橋によって東西に海水浴場がわかれていた。大規模なのは、「西浜」で、東京湾の三浦海岸とあらそった単位は「100万人」だった。

砂浜も波打ち際も、「芋洗い状態」といわれたものだ。
もちろん、早朝からの電車も満員だった。

塩水からあがって、海の家で飲んだコーヒー牛乳の味わいは格別だったし、おとなたちはなぜだかビールで、朝から宴会をやっていた。
海にまできて、なにをしていたのか?
それでも、気が向くと海にはいっていたから、よく事故にならなかったものだ。

境川河口にある、漁港の整備で伸びた堤防が沖に張り出して、景色がかわった。
もっとも、この堤防が上流からの生活排水を海水浴場側にいかせない誘導の役割もあるにちがいない。

ただし、国道1号「藤沢バイパス」の横に位置する最下流の「浄化センタ-」によって、ずいぶんと水質は改善されたはずである。
川の水も人工的な加工があって、海にたどり着く。

そんなわけで、江ノ島大橋を渡り出すと、歩道にはまばらといっても人影がある。
30年以上前から利用しているのは、島内にはいって大きな海産物屋ビルの裏にある、網元さん直営のお店だ。

玄関の面構えは、なんだか高級店で、メニューの一部にも「時価」とあるから一瞬ひるむが、リーズナブルな値段で提供してくれる。
ここ数日前から営業を再開したという。

事実上、江ノ島は一般人が入島できない、全島で営業施設が「自粛」していたので、誰もいない島内は生まれて初めてだったと女将さんがいっていた。
すると、弁天様も閉鎖されたのか?

陸からみた江ノ島の中腹にある、駅舎と似た建物は、江島神社の「瑞心門」で、こちらがオリジナルの竜宮城だ。
もともと、江ノ島は全島が江島神社の「境内」なのである。

江戸時代の『相州江之嶋 弁才天開帳参詣群集之図』という浮世絵は、横浜にある「神奈川県立歴史博物館」の所蔵である。
弁天様といえば「琵琶」を抱えていることから、「技芸の神」とされていて、画面には江戸長唄の杵屋、清元節、常磐津節のひとびとが「群衆」として描かれている。

島全体が神社なのだから、いまでは、「パワースポット」として有名で、それもあって若いひとにも人気の場所になっている。
カップルが多いのは、縁結びという御利益からだろう。
その江島神社も、夏の大祭が中止と発表されている。

お目当ての店内は、わたしたち夫婦しか客はおらず、なんだか申し訳なかったけれど、期待通りに堪能させてもらった。

はやく利用者側の「自粛病」が治りますように。

まねるか、まねられるかの逆転

お手本を見ながら、「まねる」ことで学ぶ、という方法は、「門前の小僧習わぬ経を読む」とされても構わないリスクを承知でやることに意義がある。
たとえば、「お習字」が典型的だ。

先生が書いてくれた、お手本どおりに書けるように訓練する。
ときには、先生が後ろから筆に手を添えて、筆運びと「はらい」などの力加減をおしえてくれる。
これをもって、「手習い」といった。

武士の教育において常識だった、「素読」は、『四書五経』をとにかく幼年時から「音読」させることで、内容の意味は問わないものだ。
だから、「素読」なのである。

これと同じ手法が、イスラエルやアラブにあって、ユダヤ教典の『トゥーラ』や、イスラム教の『コーラン』を子どもに暗誦させる教育方法が、いまでもふつうに実行されている。

数百ページもある教典を完全に暗唱できるようにすることで、のちのちに「意味」がわかればいいという割り切りは、その効果が一生の価値になることをしっているからやらせるのである。

小児期に脳に深く刻まれた文言は、ついに、忘れろといわれても忘れられるものではない。

こうして、まねることが、ある日を境に、まねられる存在に変化する。
職人の世界でいえば、親方になる、ということでもある。

政治手法として有名なのは、中国共産党が日本の自民党の研究をまじめに、しかも、深くおこなったことである。
深すぎの意味が「情」にもなって、橋本龍太郎氏と中国女性との問題のようなこともあったが、氏の死去によって一緒に問題も葬られた。

日本が近隣の国だったから学びの手本にした、ということではなく、あちらから見て理想的な支配体制だったからである。

「改革開放」という政策の一大転換も、「日本方式」から学んだ手法だったといえる。
政府の下に民間経済があって、なんとなく自由経済、という姿が、完全に都合がいい「型」だからである。

このときの師匠は、田中角栄氏だったから、いまでもあちらの方々は、氏を「恩人」として仰いでいる。
「田中派」の生存者になった二階氏が、10年間も自民党を離れていたのに幹事長になれたのは、あちらからの「恩返し」の力学があるとかんがえれば、なんだか二階氏の言動と辻褄があうのである。

そんなわけで、「師の逆転」がおきて、いまではあちらの方々が「上位」になった。

それはいつからなのか?
「厳命」なのか「言明」なのかのはなしになったのは、2001年の小泉首相靖国参拝に反対する、あちらの外務大臣発言であったから、それ以前の前世紀おわりからであろう。

政治的に「言明」で落ち着いたが、だれもが「厳命」だとおもったのは、すでにわが国が、あちらから「まねる」という立場になっていたからである。

それからまた20年がたって、いま、どうしても「国賓」としないと、わが方のメンツがたたない、ということになっている。
あちらのメンツではないことに注意したい。

国内のコロナ禍と検察庁のはなしと、香港の一国二制度崩壊のはなしのどさくさに紛れて、今月27日、「スーパーシティ法」が成立した。
正式には、「国家戦略特別区域法の一部を改正する法律」という。

そもそも「国家戦略特区」というのは、あちらの国がつくった「方便」のことで、広大な大陸国家を統治する共産主義の諸制度では、改革開放がままならないから、そこに「穴」をつくったものだった。

これをわが国でもまねたのだ。
つまり、わが国を統治する全国一律の諸制度(=共産主義)では、あんまり不自由なので「穴」をつくろうとしたのだから、わが国の体制がどんな体制であるかを知らしめるものなのだが、だれもいわない。

さてそれで、この法律は、特区内に「まるごと未来都市」をつくるというものだ。
その「まるごと未来都市」とは、人工知能やビッグデータなど最先端の技術を活用し、未来の暮らしを先行実現すると説明されている。

これって、もしや生活のすべてが「監視」される街をつくるということではないのか?と懸念されている。
こうした「懸念」を記事にしているのが、『しんぶん赤旗』なのだから、どうなっているのか?

あちらの国では、「スマートシティ」という監視体制が実行されていて、これらを技術的にささえる企業を、アメリカ商務省は「ブラックリスト」化して公表している。

こうしてみると、わが国があちらの国にまねるのが「常識」になっていて、あちらの国のようになりたい、というひとたちが政権を担っている。
それで、香港のことも強くいえないのだ。

しかし、わが国のなかでも逆転がおきていて、自民党が(中国)共産党に、日本共産党が自民党化しているのである。

宮城県選出の桜井充参議院議員が、今月、野党統一会派を退会し、自民党入りした。
このひとは共産党から応援をうけて選挙にでたので、地元の共産党関係者は「背信行為」として批判している。

本人が言葉にした理由はどうであれ、まねるか、まねられるかの逆転という大きな動きを意識すれば、納得がいく小事なのである。

『大地』のバッタがやってくる

「一難去ってまた一難」どころの騒ぎではない。


   

パール・バックの名作、親子三代にわたる大河小説『大地』の映画は、1937年(昭和12年)作の一本だけで、初代の物語が描かれている。アカデミー主演女優賞受賞作品でもある。
バック自身も、生活のために書いたというこの大長編一作しか残していないのが「驚異」でもある。

清朝末期から辛亥革命時の農民一家を描いた作品だ。
印象的に登場するのが、まったくもって理不尽としかいいようのない「バッタの大群」(蝗害:こうがい)である。
歴史上、中国を何度もおそった蝗害の主役は、すべて「トノサマバッタ」であった。

今年、東アフリカで発生したのは、「サバクトビバッタ」という種類で、紅海を渡り、アラビア半島を横断し、いまインドで猛威をふるっている。
アラビア半島からインドへは、サイクロンの風に乗って飛んで移動するというから驚く。

陸上での移動距離は150キロ/日という。
地上のあらゆる植物を食い尽くしながら移動する。
その数、4000億匹と推定されている。
ひろがった面積は神奈川県に匹敵し、総重量は80万トンになる。

一匹はちいさくても、大集団をつくると集団がひとつの生命のようにみえる。

かれらの生態では、湿度と温度がたかまる「雨期」に、さらなる繁殖をして、ざっといまの500倍になるおそれがあるという。
すなわち、200兆匹で総重量は4億トンという予測だ。
むろん殺虫剤は現時点でも役に立たない。

すでに、アフリカで発生してから3世代目から4世代目になっている。

つい最近まで、WHO(世界保健機関)がさんざん話題になってきたが、これからは FAO(国連食糧農業機関)が主役になりそうである。
すでに、警告を発するレベルにあるのは、コロナのせいで調査が遅れ、初動措置ができなかったことも原因だと説明している。

蝗害が自国領土では発生していなくても、エジプトなどではすでに小麦不足が深刻になってきているのは、蝗害のある国からの輸入がとまったからである。
さらに通常なら、東欧の穀倉地帯ルーマニアからの輸入でまかなうものが、EUが先手を打って「域外輸出禁止」にしてしまった。

つまり、食糧生産国(地域)の防衛措置が発せられているのである。

インドでどのくらいの被害になるかは不明だが、すでに世界の穀物相場のなかでもトウモロコシは上昇に転じている。
これから、追って小麦や大麦などが上昇すると予測されている。

今回の蝗害とは地理的に関係のない、ブラジルなどでのコロナ禍が、農業従事者の不足をまねいて、例年よりも収穫が見込めないことも原因だ。
対象はことなるが、わが国でも「梅」が天候不順で発育しないまま、シーズンを迎えてしまった。
今年は、梅干しも梅酒も例年通りとはいかない。

バッタはヒマラヤを越えての移動ができない。
よって、インド亜大陸をどのように移動するのか?が注目される。
集団からはなれて、アフリカに帰る一団もあり、こちらもアフリカで増殖しているから複数の方面作戦が強いられている。

伝染病と似ているのは、バッタ自身の活動による移動にくわえて、人間の移動がこれを助けることがある。
つまり、かつての「ペスト菌」がそうだったように、荷物や貨物と一緒に移動するのである。

パキスタンの港を出て、上海に着いたコンテナ船のコンテナのなかから、サバクトビバッタが発見されている。
日本における「ヒアリ」のようである。
たかが数匹、とはいえないのだ。

もしも、中国に飛び火して「蝗害発生」となったら、日本も含む東アジアでとんでもないことになってしまう。
もちろん、直接被害はなくても、国際穀物相場が他人事をゆるさないし、生産国の輸出禁止という、食糧防衛措置をともなったらただではすまない。

西村寿行『蒼茫の大地 滅ぶ』は、政治サスペンスだが「蝗害」をテーマにした希書である。

 

すなわち、前から懸念されていた、食糧危機がいきなり起きるかもしれない。
いったんパニックとなると、あたりまえの日常が一変し、現代版の「一揆」が出現し中央政府と対峙する。

荒唐無稽、とはいかない。

ティッシュペーパーやトイレットペーパーの不足、ようやく見かけるようになった紙マスクの不足が証拠だ。
これが「食糧」となったら、どうなるものか?
「配給制」が頭に浮かぶ。

それに、コロナ禍でだれかがいいはじめた「新しい日常」とか「新しい生活様式」なるものとはなにか?
中央であれ地方自治体であれ、政府という役所が個々人の「生活」のなかに忍び込んできて命じることを、命じられるままに過ごすこと、なのである。

まだやっている「営業自粛要請」とは、解除後のいまとなっては「営業妨害」にほかならない。
営業時間の短縮だって、はたしてなんの意味があるものか?
無症状のひとにも着用せよという、ペラペラのマスクの効能は無意味としっていても、社会的同調圧力がそうさせる。

しかし、その同調圧力を利用しているのが、中央であれ地方であれ「役所」なのである。
責任をとりたくないから、である。
「無責任」こそが、わが国全土・全国民に伝染した「病気」である。

禁煙条例からはじまって、まもなくレジ袋の有料化もはじまる。
ちょっとずつ、しかし確実に「政府の命令」が生活のなかに侵入してくる。

受動喫煙なる反科学・反医学が、医師会という人為が推進する訳は、「諮問委員会・専門家会議」の議事録が最初から書かれていないようないかがわしさとおなじ闇のなかにある。

こんどはバッタが、人間社会のいかがわしさを暴くのだろうか?

東京オリンピックができないとすれば、もしやバッタの方が問題かもしれない。

計画倒産という選択肢

経営者が「もうダメだ」とおもったら、傷が深くならないうちに事業をやめて「倒産する」という手がある。

個人や中小零細企業なら、「自己破産」が選べる。
ただし、自己破産の手続きには、かならず弁護士費用が「150万円」かかるから、手元にこの金額があるうちに「決断」する必要がある。

なんと、破産するにも大枚のおカネがいるのだ。

「金の切れ目が縁の切れ目」とはいうけれど、とにかく150万円が重要な「ライフ・ライン」ともいえる。

もちろん、「民事再生」という手もあるが、経営者として継続できないことになる可能性があるし、会社を再生させるにもどんな「あたらしい作戦」のアイデアが自身にあるのかを自己チェックすべきである。

おおかたのばあい、「あたらしい作戦」のアイデアも「ない」だろうから、そんな自分に気がついて、はやく決心すべきだとおもう。

迷惑をかける相手の数がすくなくて、金額もすくないうちが、迷惑の傷を深めないからである。
どうせ「迷惑をかける」のだから、決断しないでいて結局のところ負債を膨らませる方が迷惑だ。

ちいさい迷惑ならば、再起の道の可能性もずいぶん残る。
わかっていて大きい迷惑をかけたら、再起の道すら険しくなるのは、「信用」という最大の資産のかんがえ方に由来する。

このひとは信用できるか、できないか?
信用できるとなれば、再起はできる。
しかし、信用できないと思われたら、それこそが社会からスピンアウトしてしまう。

「分かれ道」があるのだ。

人生の機微を書いた文豪、サマセット・モームの短編に、『会堂守り』や『蟻とキリギリス』のはなしがある。

『会堂守り』は、ロンドンの伝統ある教会堂に長年勤務した用務員が、あたらしい司教になって文盲を理由に解雇されてしまうことから物語がはじまる。
『蟻とキリギリス』は、イソップのそれとは真逆のはなしに仕立てている。

高校生のときこれらを読んで、そんなもんか、とおもった記憶があるが、そんなもんか、ではすまない機微がある。
こういうはなしを、無駄なく短編であっさりと書けるのが、文豪というものなのだろう。

ヨーロッパの教養人には、伝統的な「リベラルアーツ」を素養としてきた歴史がある。
これには、三学と四科をあわせて「自由七科」がある。
三学としては、文法、修辞学、弁証法(論理学)、四科としては、算術、幾何、天文、音楽だ。

もちろん、言語としては、「ラテン語」という素地がある。
だから三学には、「ラテン語の」が頭につく。
古代ローマ帝国の公用語をいまだに引きずっている、とは誰もいわないのは、われわれが『論語』を読み下す感覚と似ているからだろう。

そして、これら「七科」の上位に位置してまとめるのが、「哲学」であって、そのさらに上位に「神学」がある。
つまり、ピラミッドのように階層構造になっていることが特徴である。
これは、東洋にないので、わが国にもない概念である。
「四書五経」が、階層構造ではないことでわかるだろう。

さて、「経営」ということをかんがえ実行しようとすると、じつは「教養」という要素の重大さに気がつくのである。
あたりまえだが、よくいわれるようになった「ステークホルダー」とは、ぜんぶ「人間」だからである。

辞書によれば、「企業に対して利害関係を持つ人。株主・社員・顧客だけでなく,地域社会までをも含めていう場合が多い。」(大辞林)となっている。
地域社会も含めるのだから、人間をしらない経営はありえないのである。

すると、ふつうに「経営」といったときと、感じがことなる。

売上げや経費、そして利益やら資金繰りと、これらをまとめてどうするか?といった計画をたてて、それをもって金融機関と融資の相談をする。
こうしたことが「経営」だと思いがちなのだが、経営はそんな狭い範囲なのではない。

わが国で資本主義を率先垂範した人物といえば、渋沢栄一である。
ヨーロッパでうまれた資本主義は、ヨーロッパの伝統文化を背景にしていて、それは、ペスト禍による伝統知識の否定をも内在した厚みがある。

渋沢はこれを承知で、『論語と算盤』を書きあらわした。

日本人にリベラルアーツをいきなり求めるわけにはいかないから、『論語』を下敷きにした。
しかして、これが「日本版の資本主義の精神」となったのである。

出典はバラバラだけど、わたしがすきな資本主義の精神をあらわす言葉がある。

利によって行えば怨み多し。(論語、里仁)
義は利の本なり。(春秋左氏伝、昭公)
利は義の和なり。(易経、文言伝)

自己中で私の利益だけを追求すると関係者(ステークホルダー)から怨まれる。
顧客をはじめ関係者に義理を果たす(約束を守る)ことだけが、利益の源泉である。
よって、真の利益とは果たした義理の和になって還ってくるのである。

計画倒産の覚悟の前に、かみしめておきたい。