話題になった?トランス脂肪酸

ことしの6月から,アメリカで加工食品へのトランス脂肪酸が禁止になった.
それを見越して,日本でも話題になると予想して書いたが,はたして話題になったのか?

まったくなかったわけではないが,よくあるマスコミによる「騒ぎ」にはなっていない.
けれども,この問題は,日本における「国民の健康」にまつわる行政のいかがわしさを確認するのにもってこいの事例になっている.
もちろん,スポンサーであるメーカーに気遣った,報道しない自由という問題を指摘しないわけにはいかない.

そもそも,関連する役所が複数あることから確認しよう.
「食品」であるから,まずは「農林水産省」が所轄になるのはわかりやすい.それで,さいきんになって農林水産大省も,自らのHPによる「情報提供」に余念がない.

しかし,国民の「健康」となると,「厚生労働省」の所管になるから,農水省の情報も「客観的」につとめているのだろう.
では,厚生労働省はどんな情報をだしているのか?というと,迫力にかけるのである.

ところで,食品にふくまれる栄養成分については,「文部科学省」の『食品栄養成分表』になる.
それで,以上の三省が合同で『食生活指針』(平成28年)がつくられている.

さて,そこで,アメリカは禁止という規制をかけたから,日本の規制当局はというと,それは「消費者庁」になる.
せめて表示義務だけでも,と消費者としてはおもうのだが,平成22年につくった『栄養成分及びトランス脂肪酸の表示規制をめぐる国際的な動向』が,精一杯で,いまだ「表示義務」にすらいたっていない.

一貫しているのは,日本人のトランス脂肪酸の平均的摂取量は,WHOがさだめる量の半分程度だから「心配ない」という議論である.

しかし,わたしたちがここで注目すべきは,「平均」という概念である.
学校のなにかのテストで,クラス全員がおなじ50点をとったときと,一人ずつがべつべつの点数で,1点から100点が並んだとき,どちらも平均は50点になる.
グラフにすると,全員が50点なら,一本の棒がたったようになり,もう一方のばあいは,1点ずつの棒が平らに100個たつ.

もちろん,世の中でこんな極端はめったにないから,ふつうはこんもりとした山の形になる.
すると,少ない側と多い側になだらかなすそ野がひろがるのがイメージできるだろう.

マーケティングの常識に,「平均的な消費者は存在しない」という概念がある.

これは,すそ野の広さと大きさをいうのだ.
「多様化」があたりまになっているいま,個々人の好みはどんどんと,上述の例でいえば平らなグラフのほうに近づいている.
だから,平均値を計算することはできても,平均にあたるひとがあまりいないことになるのだ.

企業の数字をあつかうときも,「平均」だけでは危険である.
ふつうエクセルなどの表計算ソフトには,図表もかんたんにつくれる機能があるから,グラフ表示して「平均」とじっさいの「データの広がり」を視覚的に確認したい.

それで,農水省の情報のなかには,よく読むと良心的な学者の意見もあって,「平均以上に摂取しているひと」が少なからずいるという指摘もある.
役人は,ちゃんと「アリバイ」もつくっているから,タイトルだけで騙されてはいけない.

農水省にいた役人が,担当する課ごと「消費者庁」にうつったから,もはや農水省に規制についての担当者はいない.
だから,農水省に期待はできないが,「消費者庁」が,成分表示の義務かもできていないのは,じつにいぶかしい問題である.

「指針」やら「禁止」やらと,国家の介入にはさまざまな方法があるが,情報提供という規制に悪いことはない.
提供された情報のただしい読み方を教育しなければならないが,おおくは科学知識に由来する.
そういう意味でも,中学や高等学校の科学教育のありかたも,自分の健康や人生に直結するとおもえば,勉強する気にもなるだろう.

そうしたうえで,ジャンクフードを食べつづける人は,まさに自己責任という前提の選択をしたことになるから,納得の結果にもつながる.

賢い国民は,そういう意味での「強制」から免れるものなのだ.

「平均的日本人」はたくさん摂取していないから問題ない,という政府は,「平均」の意味をしらないはずはないから,伝統的な「産業優先」という本音しかみえてこないのだ.

すると,食品や食事を提供して商売にするひとが,ちゃんとした栄養学にもとづいた商品提供に,これまでにない「価値」が付加されるということに気がつくべきだろう.
付加価値が高まれば単価も高めることができる.

政府のおかげで,ビジネスチャンスが隠されている.

日本にうまれてよかったセット

味覚にかんしていうと,ひとはかなりコンサバ(保守的)である.
このコンサバで保守すべき「味」とは,子ども時代に形成されることがしられている.
だから,典型的なおじさんたちによってノスタルジックに語られる「お袋の味」とは,感情だけの問題ではなく本当に舌に記憶されたものなのだ.

世界のひとの味覚をしらべると,10歳の男の子の味覚が,他の年齢のひとや女の子より優れていて,しかも,その本人の人生においてももっとも鋭敏なときだという.
だから,生まれてから10年あまりのあいだに,ちゃんとした食生活をしないと,一生涯,そのひとの味覚は研ぎ澄まされることはない.

それで,かつての有名料理人たちが,こぞって小僧からの下働きを経験していることに意味があるという理由がわかる.
科学的な調味料や食品添加物が問題視されるべきは,まず,子どもにあたえると,こうした味覚の発達をさまたげるということがあげられる.

 

食品添加物のセールスマンをしていたという安部司氏が,アンチ食品添加物になったのは,自宅での夕食時に,じぶんの子どもたちが,添加物たっぷりの食事を「おいしい」といって食べていることに違和感を覚えたからだという.
じっさいに彼の本を読むと,セールスマンだっただけに空恐ろしくなる内容に驚愕する.

「10歳」という年齢に注目すると,カリスマ職人といわれている岡野工業社長の岡野雅行氏のことばに,「中卒でも遅いくらいで,小学校卒がほしい」がある.ましてや,「大卒で職人なんてムリムリ」.
手の触覚が決定的に鈍る,というのが理由であったから,味覚につうじる指摘である.

さいきんは,味噌会社のテレビCMで,インスタント味噌汁が「お袋の味」になっている倒錯が,ジョークではなく,まじめに放映されている.
鰹節削り器で,削り節を担当したのは子どもの仕事で,母親がこれで出汁をとった味噌汁やおひたしにふりかけて食べたものだが,もはや幻だろう.

だからわたしは,日本旅館で鰹節削り器をお客がつかって出汁をとることも,サービスメニューにあっていいとかんがえている.
雄節や雌節にまでこだわるのは,産地ならではだろうが,そもそも本節すらみたことがないかもしれない.

外国人を招待するテレビ番組では,職人一家の夕食で地元の伝統的な料理がふるまわれる場面がある.
これらも,いまではおおくが絶滅危惧の料理ではないか?
しごとがら,わたしは全国版をそろえて購入したが,自分の地方の一冊を手にして,たまには眺めるのもいいだろう.

けっきょくは,地元や家族のイベントがなくなって,ちんまりつくってもおいしくないし,手間もかかるのが郷土料理だから,すっかり世代間での断絶がはじまった.
一世代前ぐらいなら,親戚の人寄せごとにつくったから,母から娘に引き継がれもした.
年一回のおせちすら,もはや外で購入するものになったし,その購入すらしない家もおおいだろう.

うっかりするのは,自分や近しいところのはなしだと思いがちだが,外国人とても事情はおなじで,国籍というよりいまでは死語となった「民族」ごとに,記憶されている「味」がある.
だから,日本にくれば珍しい日本料理によろこぶが,慣れてくると「舌がホームシック」になる.

そんなわけもあって,中国からのお客には,朝食に「お粥」をだせばなんとかなることがわかった.
わたしがホテルに入社して,研修でウェイターをしていたときに,朝食で外国人のお客様がカリカリに焼いたベーコンにメープルシロップをかけたのが,なんともいえない印象だった.あとから,きっとカナダ人だったのだろうとは予想したが,自分でやって納得した.

エジプトのカイロで暮らしていたときには,堅くなったフランスパンとビールでぬか床をつくって,キュウリやニンジンの漬物を自分で漬けていた.
しかし,ホカホカのご飯と味噌汁は貴重で,干物の焼き魚などは望むべくもない.
そういう意味で,あたりまえがあたりまえでなくなったとき,ひとは無性に食べたくなるものだ.

だから,東京にいまでも残る,一膳飯屋風情の定食屋の昼食は,ちょっと遠くても目的地になりえるのだ.
こうした店の定食こそ,日本人にうまれてよかったというもので,定食をセットメニューと呼べば,まさに至福のセットなのである.

そんなお店すら,いまは絶滅危惧が心配される.
存在するうちに,あたりまえをしっかり若者にも記憶させておきたいものだ.

観光には「匂い」がある

風光明媚な場所をさがして歩き回るのが「観光」かというと,そうではない.
風光明媚な場所に行くための,道中の景色も観光になる.
だから,飛行機のようなタイムマシンではなく,しっかり窓外の景色がたのしめる乗り物で移動するときには,けっして読書はしない.

景色・風景のなかにある,さまざまなことをぼんやり眺めながら,ひとの暮らしを想像したりすれば,はっきりしなくてもムダな時間とはおもえないからである.
たとえば,国内でも地方の街道を走れば,点在する民家をみるにつけ,その家のなりわいがわからないことがある.

いったい,この周辺の人びとはなにをもって生活しているのか?
田畑がみあたらないのに,どうやって暮らしをたてているのかが,わからないのである.
サラリーマンなら通勤はどうするのか?それとも職人の家なのか?ならば工房はどこか?
こういう疑問が,宿での情報で解決することは希だから,不思議なのである.

これが,はじめての外国ならなおさらである.
東欧を旅したときに,バスで国境を越えたら屋根瓦のかたちが変化したのに気がついた.
それを,ガイドさんに質問したら,民族性の違いという説明があって,国の違い,ということをあらためて感じたことがある.

ひとが旅をするとき,そこが初めての場所であればあるほど,全身の神経が動員されている.
それを,ふつう「五感」というし,ときには「第六感」まで動員することもある.
あらためて,五感とは,視覚,聴覚,嗅覚,触覚,味覚をいう.

かつて住んでいたエジプトに関していえば,当時のカイロ空港には独特の「臭気」があった.
帰国後,ちょうど10年経って,友人ら9人を引き連れて「里帰りツアー」をしたとき,大改修されてはいたが,カイロ空港の「匂い」は変わっていなかった.
それで,「ああ帰ってきた」と独りおもったものだ.

それは、イスタンブール空港もおなじで,あの街には石炭の匂いがある.
35年もたって,トランジットではあったが空港の外気を吸ったとき,自分はイスタンブールにいると確信できた.
ジェットエンジンや整備のための自動車がはなつ排気ガスのなかに,石油ではない,石炭が燃えた匂いがするのだ.

スリランカのコロンボでは,旧市街になった下町にいくと,かつて英国がつくった街並みがいまも残っている.
ガイドによれば,「ここはスリランカでもっとも不潔な街」といいつつ,「インドならもっともきれいな街」といって笑った.

コロンボの新市街にはゴミ一つ落ちていないが,ここにはぬかるみのような排水不良や,生活ゴミもあって,さらに,香辛料の独特な香りが混じっている.
この匂い,どこかで嗅いだことがある.
それは,カイロの下町の匂いに似ていた.

英国が支配した街並みもそっくりだから,急に,スリランカのコロンボ旧市街が「懐かしく」なった.
しかし,活気ある人びとの姿は,エジプトのそれと似ているはずもない.
混沌のアラブに対して,どこか秩序的な混沌という不思議さがあるのは,人間のちがいだろう.

かつての英国人たちも,街並みはおなじようにつくったが,そこに住む人間のちがいに興味があったはずだ.
まぁ,見下していたのはおなじだろうけど.

すると,日本には匂いがない,という匂いがある.
ただ,先進国には共通のようにおもう.
空港がタラップではなくて蛇腹式になったので,飛行機の乗り降りに直接外気を吸わないから,空港ビルの匂いが最初にとびこんでくる.

それは,プラスチックの匂いだ.
あるいは,化学繊維でできた不燃性カーペットの匂いがする.
だからこそ,日本から先進国への飛行機移動は,タイムマシンのようになった.
出発口と到着口の,距離を感じる前に,おなじ匂いを感じるからだ.

すると,街の観光に,匂いという要素があんがい重要な印象をあたえるはずだ.
街づくりには,景観,という第一義はあるものの,そこにひとが住んでいるなら,匂いのアピールがあってはじめてインスタを超えることができる.

そうかんがえたら,わがまち横浜の大観光地,中華街,からも匂いが消えたことをおもいだした.
ハマッコはかつて「南京町」と呼ぶのがふつうで,「中華街」といったらよそ者の証拠だった.
「南京町」の時代の中華街は,煮炊きを道端でする店もいて,あきらかに別世界の匂いがしていた.

子どものころ,鼻をつまんで歩いたと記憶している.
それは,カイロやコロンボの下町に似た,いかがわしさにもあふれていた.
路地ではトリをしめていたりしたから,ときには目もつぶったものだ.
よくいえば,人間の生活のいとなみが,露骨すぎるまでにあったのだ.

もう二度と,あの光景は見ることがない.
「清潔さ」と交換したのだが,魅力も数段落ちてしまったのはわたしだけだろうか?

滋賀県の暴走か?それとも?

淡水の琵琶湖があるからという理由で,環境を守ろう!として,以下の指針が発表されている.
http://www.pref.shiga.lg.jp/d/kankyo/files/shishin_181119.pdf
(上記は削除されている ⇒ いまはこちら

これは、科学なのか?
行政の暴走か?
それとも,ファシズムなのか?

「やりすぎ」という声も検討会の委員の意見であったというが,県の役人はこれを無視したのだろう.
ちゃんとHPに掲載している.

「やりすぎ」とは「細かすぎる」ということだと理解できる.
しかし,これらの指針とは,「家庭内」のことばかりである.
どうして,行政という「権力」が,家庭内に入り込めるのか?
「環境保護」にことかいた,個人の自由への明確な侵害であるから,憲法十三条に違反する.

わたしの住む神奈川県では,当時「全国初となる」禁煙条例が話題になって,結局,県議会はこれを可決してしまった.
議会での議論で,県民の「自由」ではなく,「健康」を優先したのはナチスとおなじだ.
神奈川県民の自由が奪われた瞬間だった.

発案し推進した時の県知事は,県民の「健康保護」を建前にしていたが,「全国初となる」がほしかっただけで,別にたばこのことなど二の次だったのだろう.
知事の座に固執することなく,再度国会を目指してしまった.

修正はされたものの,禁煙条例の最初の案は「家庭内」も対象だった.
自分の家のなかでも喫煙すれば,罰則の対象になるというのは,ヒトラーのゲシュタポや,スターリンのKGBを彷彿とさせる.
ある日,チャイムがなって玄関に出ると「あなた,喫煙しましたね」といって,官憲から罰則切符を渡されるシーンを想像すればよいだろう.

それで,第二次案では「削除」が議論された.
その議論は,健康ではなくやはり「自由」だったのだ.
しかし,それでも禁煙条例は成立した.
こうしたことが,拡大解釈されると,どんどん自由がうしなわれて,いきつく先が全体主義社会になることは,それこそ人類史がおしえてくれる.

たばこの煙がきらいなひとがいるから,それを気遣うのは「マナー」であるし「エチケット」でもある.
だから,たばこの煙がきらいだからといって,これを「強制的に禁止」する社会は,事例だけが増殖して,いま禁煙の強制に賛成しても,いつかは自分の趣味嗜好が禁止されるものだ.

そのとき,喫煙者からあなたはあのとき禁煙の強制に賛成した,といわれても,それとこれとはちがう,と主張するだろう.
しかし,いったん,自由を奪うことができた社会は,容赦がないのだ.

こうして,そのときどきの多数派が,そのときどきの少数派から自由を奪えば,気がつけば全員のなにがしかの自由がなくなっている.
「理由」は,いくらでもつくれるのだ.

神奈川県の「禁煙」のつぎが,滋賀県の「環境」になっただけだ.
ちなみに,オリンピックといえばなんでもできるから,神奈川県のライバル東京都がまねっこして,より厳しい「禁煙条例」をつくった.そして,都知事は胸を張って自慢する.
こうして,自由の侵害は,水平移動的に増殖あるいは感染して,やがて全国規模になる.

それにしても,滋賀県の指針の内容は微に入り細に入っている.行政権力が自由を奪うリストとしてみることができる.
これを,幼児から高校生までの「こどもエコクラブ」で徹底すれば,ヒトラーユーゲント(ナチス党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織)になって親を密告するようになるだろう.
「こどもクラブ」は,すでに全国組織になっている.

「先生!うちのトイレットペーパーは,シングルではなくダブルです!」
「それはいけませんね,逮捕されちゃいますよ.売ったお店には,不買運動を計画しなさい」

「先生!うちのお父さんは帰りがおそくて,お風呂を追い炊きしてはいっています!」
「なんですって?残業までして,お風呂を追い炊きするなんて,二重の罰則になりますよ!」

戦前・戦中の近隣監視組織であった五人組をわらうことがあったが,すでにわらえないような恐ろしいことが,現実になっている.
くわえて,滋賀県は「事業者への指針」も発表している.

「環境リスク」がある滋賀県で,新規事業はやらないほうがいいかもしれない.
既存事業者はどうみているのだろうか?
アメリカなら,別の州に事業者の移転がはじまるだろう.
そういえば日本企業は,「政治リスク」の韓国から撤退をはじめた.
ならば,近隣県は,「滋賀リスク」を歓迎するかもしれない.

それにしても,こころして,暮らさなければならない時代になってきている.

自由とは,センシティブなもので,いちど失うと,取り返しがつかないものであることを肝に銘じたい.

漁業法改正に期待していいか?

日本旅館の食事といえば「魚料理」が第一にあがるから,このブログでも「魚」にまつわるはなしは書いてきた.
当然,魚は田畑で育てる農産品とちがって,海を中心にひとが獲りに行かなければならないから,「漁業」がなければ食べることができない.

もちろん,「養殖」という田畑とおなじ発想の漁業もあるが,本物の農業との根本的なちがいは,「タネ」にあたる「魚卵」の確保よりも「稚魚」のほうにあることだ.
たとえば,成魚が高額なうなぎの養殖に必要なのは,「稚魚」であって「魚卵」ではない.
「魚卵」から「稚魚」にする技術が確立されていないからだ.
マグロについては,ようやくさいきん,「魚卵」からの「完全養殖」が可能になった.

いま開会中の臨時国会で,先日,70年ぶりの改正となった漁業法改正案が衆議院を通過した.
この改正の柱は三本あって,一つは「漁業権」,もう一つは「漁獲量割当」,そして,「密漁取り締まり」であると報道されている.
わたしは,日本の漁業を北欧型に近づけるもの,とかんがんえる.

約半世紀前,北欧で起きた漁業改革は,「アンチ日本式漁業」だったことは本稿冒頭のリンク記事に書いた.
いまもつづくわが国の「日本式漁業」は,そこにいる魚を獲りつくすという意味での「略奪式」をやっているということだ.

「魚類の資源保護」という観点は,そのへんにある「環境問題」とちがって,すでに「いない」という事実があることからの認識がひつようだ.
ポーランドで12月2日から開会した,COP24のように,地球は温暖化なのか寒冷化なのかわからない状態での二酸化炭素削減の議論とはぜんぜんちがう.

とくに,わが国沿岸における「不漁」は,獲れないという意味の下に,獲りつくしたから,がある.
すると,ここに「需要と供給」という経済の大原則があらわれて,供給がないのに需要があるばあいに発生する「価格の高騰」がおきる.これが「密漁」の行動原因になる.

ずいぶん前の昭和時代に専門家が書いた本にも,地元の有力者である一部の漁協の組合長が,じつは独占的に密漁をしていて,「有力者」ゆえになかなか摘発にいたらないという実態の指摘を読んだことがある.

ことしの10月にでた,鈴木智彦『サカナとヤクザ』(小学館)は,そうした事情に切り込んだ,すさまじきルポである.
これを読むと,魚を食すること=反社会的勢力にお金を提供すること,になるから,わが国漁業をどうするか?はきれい事をこえている.

いまの臨時国会の衆議院できまった「漁業法改正案」は,この本の出版の「後」になる.
法案に反対する立憲民主党ら野党は,来年の選挙を見据えて,前回「農協」に媚びて勝った味がわすれられないと,こんどは「漁協」にこびへつらう方針だというから,どうしようもない恥の上塗りである.

その漁協のトップがあやしいという,この本を読んでいない,という意味でのまったくの勉強不足.それに,農協の構成員と漁協の構成員の人数のちがいも勘定できないらしい.
わが国に,漁民は15万人しかいないのだ.市町村議会選挙では勝てるが,国会は困難だ.
『サカナとヤクザ』の読書体験をしたひとには,「漁協」へ媚びた政策は,反社会的勢力に媚びるのとおなじにうつるだろう.

一方,与党はというと,賛成だから問題ない,ということではない.
北欧型漁業が成功した要として知られているのは,「資源」の科学的「把握」にある.
その数字をもとに,漁民各人に漁獲量を割り当てる,のである.
北欧の漁民が,この割り当てをめぐって争ったのも,有名なエピソードだが,「科学」という根拠でいまのように落ち着いた.

衆議院の審議で,割り当てについての質問に農林水産大臣が明確に返答できなかっただけでなく,都道府県に振ってしまったのは,わが国において「資源」の科学的「把握」ができていない,からである.
つまり,おおきな穴が空いている法案なのだ.

北欧では,消費者も「資源」の科学的「把握」の重要性を認識した.
それで,この把握に政治的判断など人間の恣意的な感情すら関与させないために,研究機関の完全民営と,その維持費の負担を消費者が承知したというプロセスがあった.

自主独立の精神の発揮である.
だから,最終的に漁民の漁獲量割当にかんする争いも落ち着いたのだ.
なぜなら,消費者の批判を漁民があびて,それに屈するしかなかったからだ.
中立の研究機関の把握結果を,消費者が全面的に支持したから,漁民も文句をいえなくなった.

しかし,わが国では,農林水産省の100%予算の支配下にある「研究所」が,「資源」の科学的「把握」をしていることになっていて,それが「エセ科学」であると,外国の専門機関による指摘をたっぷりされているし,そうした批判の政治的かつ恣意的な数字の発表は,それこそ昭和時代からある.こんな批判を国際的に受けていると,消費者である国民がしらされていない.

つまり,法で解決すべき問題は,中立な「資源」の科学的「把握」のため,政府からすら独立した機関の立ち位置を保障することである.
しかし,これを支える,消費者という日本国民が,自主独立の精神を発揮しなくてはならないことは,法律では解決できない.

これぞ,政治家が訴えるべきことだが,そんな勇気ある政治家が与党にもいない.
けれども,政治家にそうさせているのもわれわれ国民なのだ.

「しらなかった」ではすまされないことがある.

ホースの巻き取りとハイビーム

師走に突入して,そろそろ大掃除のシーズンである.
わたしの住む集合住宅では,自治会総出による共用部の清掃という行事がある.
半年に一回,住民みんなで掃除をする.
ついでに,来年度の自治会役員候補の選出もするから,欠席裁判がいやなら参加する必要もある.

ここでみられる光景は,だれも指示するひとがいないから,人員のムダな動きと配置である.
各自おもいおもいに敷地内に散って,適当なエリアを担当することになる.
それで,しっかり手を動かすひとと,口ばかりが動くひとにわかれる.

しかし,直前に造園業者がはいって手入れした場所にも入り込むから,作業する意味が不明な場所もある.
そんなわけで,ムダに手間をかけるのもよしとされるのは,烏合の衆ならではでもある.
どのエリアを,誰がどうやって担当するかが事前情報として与えられないと,こうなる,わけだ.

水まき用のホースの片づけにみられる光景は,もっと愉快だ.
10mほどあるホースを器具に巻き取るのだが,かならず先端を持つものがいる.
ホース内部に水が残ると,保管倉庫にまで持っていくのにも重くなるが,倉庫で半年間の眠りにつくのだから,なかで水が腐ってホース内側を痛める.

だから,収納するときには内部の排水をしながら巻き取るのが,一般常識であろう.
ところが,手持ち無沙汰のひとが,なにかをしているふりをしようとして,余計な行動をする.
ホースの水を抜くための先端を,わざわざ持ち上げるのだ.
どうしたことか,中の水を巻き取られる側に追いやるのだ.

冗談かというとそうではなくて,本人はいたってまじめである.
それでも,巻き取っているひとは無言で,二度三度と手間をかけて水を出している.
すると,またまた別のひとたちがやってきて,何カ所もホースを持って,しかも高く,それで手伝っているとおもっている.

もしこれが夫婦のことなら,どちらかが一方をどなりつけるところだろうが,他人に優しい日本人はムダな手間を惜しまない根気ももっている.

水は高いところから低いところへ流れる.

この重力をもとにした大原則をしってか知らずか,おとながこぞってホースを持ち上げるのは,一体何故なのだろうか?
しかも,半年に一回のことで,かならず繰り返される光景だから,そもそも疑問におもっていないのだろう.

これを「無知」と断言していいのだろうか?
それともなんなのか?
透明なホースで,水のありかが見えればよいのか?ならば想像できないのか?
とにかく毎回,かならずお約束のこの光景を見るたびに,わたしの疑問も復活するのだ.

さいきんは,神奈川県公安委員会が,運転免許証の更新講習で,自動車のヘッドライトのハイビーム利用をさかんに指導している.
もちろん,講師は「対向車や先行車がいるときはつかわない」と言い添えているのだが,あくまでも「添え」ているから,本筋は「ハイビームの使用」である.

これで,擦り込まれてしまったひとは,なにがなんでもハイビームにしなければならない,と思い込むようだ.
それで,一瞬だが目がくらむことがずいぶんとある.

さらに,さいきんの新型車は,自動ビームになっているから,センサーまかせだ.
しかし,やはり,センサー技術の完成度をかんがえれば,人間の操作によるハイビームの方がはるかにおおいとかんがえる.

それに,新型車のライトにLEDがつかわれるようになって,まぶしさは過去のライトの比ではない.
しかし,自分がハイビームで,対向車もハイビームだと,光が交わってまぶしさが軽減されたようになるから,いっそう迷惑なハイビームに気がつかない可能性もある.

いったいどうして,公安委員会(=警察)がハイビームの使用を言い出したのかしらないが,余計なお世話である.
まさか,おおむかしの街灯もままならない時代につくった法律の条文をたてに,いまさら東京都の次の人口900万人越の神奈川県で,交代した自分で運転する必要のない警察官僚が命じたのではないか?

それにしても,ホースの排水ができないひとが,きっと常時ハイビームを使用しているのだろうとおもうと,妙に納得できるような気がする.

これも,人間の劣化なのかもしれない,とすると,怖いはなしである.
もちろん,ハイビームの使用を命じた警察官僚は,頭脳明晰で人間の劣化なんか想像もできないという貧弱な発想の持主のはずだ.

老齢化したから「劣化」なのだ,ということもかんがえられるが,はたしてそうなのか?
かんがえて行動してこなかった,という「習慣」ではないかとおもえば,ホースのはなしもハイビームの使用のはなしも,両者はつながる.
そして,かんがえて行動してこなかった一般人を,こころから軽蔑している警察官僚ともつながる.

そういう意味で,指示者がいなくて烏合の衆のようでも,各自がそれぞれかんがえて行動せざるをえない清掃は,きっと頭の体操にもなるのだろう.

すると,かならず週末に実施するこの行事に,親子で参加する姿をあまりみないことも,それなりの意味を感じる.
少数派とはいえ,生活空間の清掃を,子どもにも手伝わせるようにしているのは,立派な家庭教育である.

しかし,烏合の衆のようなおとなを見せるのは,もしかしたら世代間ギャップの拡大につながるかもしれない.
人類史上例をみない「『超』高齢化」社会に突入したわが国の「おとな」は,はたして子どもの手本になるという意識をもっているのか?と問えば,下を向くしかないか,子どものまま,ということを理想とする社会になったのだろうか?

ここに,高級官僚による支配の正当化の根拠がある.

会議が踊る理由とは

根拠が不明な議論というものは,むなしい言葉のやり取りにすぎないから,当事者以外には聞く価値がない.
しかし,世の中にはそんな「議論」があふれているので,小中学校でクラス討論のやり方を教えることは,将来,かなり役に立つ.

たまたま,人気投票のような小学校児童会では,委員をやったし,なによりも中学校の生徒会で,書記と会長をやらされた.
中学では選挙に出なければならないが,本人の意志とは関係なく,勝手に出馬の手続きがとられ,あんなに恥ずかしいことはなかった,立ち会い演説までやるはめになった.

もしかしたら,これは集団的なイジメではないかと疑ったことがあるが,全校生徒の半数が自分の名前を書いた結果に,一種の驚愕をおぼえた.
わたしは,すでにはじまっていた横浜市中心部のドーナッツ化現象による生徒数の減少で,学区がべつの小学校に通っていたから,中学の学区として中心的な小学校の出身ではないために,ほとんどの生徒をしらなかったからである.

文化祭や体育祭でなにをやるのか?にはじまって,校内の衛生や図書室の運営,球技大会と,これに活動報を月刊でだすなど,あんがい忙しく,バスケットボール部の練習にほとんど出られなくなってしまった.

卒業後20年以上たって,当時の部活の顧問の先生と同窓会でご一緒したら,生徒会顧問から青木を預かりたいという話があって,承知したことがあると打ち明けてくれた.
つまり,先生たちのあいだでわたしは取引されていたのだということがはじめてわかった.
それが,選挙結果になったのだった.

ところで,おとなの会議といえば,社内や取引先とおこなうビジネス上の会議と,町内会や自治会など,地域での会議とがある.
子どもは,ある意味立場をかんがえないで,「同等」を前提とするから,生徒会が関係する校内会議は,好きなような発言にあふれていて,これをまとめるのに強権的なことは一切できない.

そういう意味で,生徒会はちゃんとした原案がないと,泥沼の議論になるということを,痛いほど味わった時期でもあり,経験だった.
よくかんがえると,このときの経験がいまも活きているから,とてつもなく恥ずかしい思いをしたことも,いまではよき想い出である.

人間は自分を中心に発想するから,わたしも学校でたいへんな思いをさせられた会議の進行について,おおくの人が同様の知識や経験があるものと思い込んでいたが,だんだんそうではないことがわかった.
仕切る側と仕切られる側という,二極に分かれていくのだ.

仕切る側をよく経験したひとは,仕切られることにもあまり抵抗はないのではないか?自分でもこうするだろうと思えば,反発する理由がない.
しかし,仕切られる側にばかりいるひとは,その辺の呼吸がわからないから,意外な発言をしたりする.

また,議論は論理展開である,という基本をおさえていないでおとなになったひとがおおい.
だから,意外な発言のなかに,突飛なものも混じって,驚いてしまうことがある.

これが社内会議で部下の発言なら制止がきくが,上司だと厄介だ.
そして、困り果てるのが,ご町内での会議である.
ほとんど子どもと同じレベルの発想をするおとなが,自己主張することがあっても,制止がきかないし,円満解決を最優先させるために,長い時間も要するから,つき合っている方には時間の浪費を強要される.

日本の社内会議が決まらない会議ばかりで生産性がないといわれるのは,町内会レベルよりはましだ,ということなのだが,そもそも提案自体がこなれていないこともある.
これに,参会者の論理展開についての訓練が希薄だから,議論が宙に浮いて,ことばが踊る会議に陥ってしまうのだ.

この訓練は,人生において波状的に何回もあるのがよい.
学校生活における訓練は,初期段階だから,なるべく仕切る側と仕切られる側にさせず,全員に最低一度は仕切る側を経験させて,両者の立場を解説した授業がほしい.
小学校から高等教育の場で,繰り返されることで,身につけさせることがその後の人生の基礎になるのは,教科だけではない,このような学習が鍵となる.

そして,社会にはいれば,やはりそこでの訓練も受けるようにすると,自然に論理的な発想ができるようになる.
企業にとって,従業員が論理的であることで困ることはない.

だからその成果として,町内会や自治会の運営も合理的になるだろう.
リタイアしたひとたちの亀の甲より年の功の見せ場にもなるはずだ.

「レジ袋」有料化は反化学だ

「環境省」という存在意義が不明な役所が,暇にこうじて仕事をつくりだした.
もちろん,おおくの役所に存在意義など,はなからないのがふつうだから,環境省にかぎったことではない.

占領期にアメリカがいじくったことと,放置したことがある.
占領政策の基本方針は,わが国が二度とアメリカ合衆国に歯向かうことがないようにする,ことだったから,いじくったことと放置したことが,意味においてはおなじことになっているはずだ.

たとえば,日本国の国家予算は,明治以来ずっと「大蔵省」が原案をつくることになっていて,これは敗戦しても放置されたのでいまでも財務省のしごとになっている.
これを日本人はうたがわないが,はたしてどうだろう?

アメリカ合衆国の連邦予算は,連邦議会の予算局が原案をつくって,議会が可決すれば,それを行政庁として実行するのがアメリカの財務省なのだ.
だから,上下両院に予算局がある.

不思議なことに,わが国の国会にも衆参両院に予算局があるのだが,なにをしているのか不明な部署になってしまっているのは,行政と立法が逆の立場になっているからだ.
この状態を,占領軍は放置したのだ.

おそるべき,日本国弱体化戦略ではないか?
アメリカ人は,日本をアメリカのような議会制民主主義の国に改造する振りをして,じつは官僚制社会主義を温存させた.

官僚はかならず間違える,という法則を熟知していたからにちがいない.
それは,ジャクソン・ルールとしてもしられる.
民主党初の第七代大統領アンドリュー・ジャクソンは,20ドル札の肖像にもなっているが,猟官制を採り入れた.
「役人はだれにでもできる」というかんがえが基礎にある.

一方で,日本国を支配する日本の官僚に命令すれば,アメリカのいうとおりになる.
政治家は,官僚制度のうえに浮かぶゴミとすればよいのだ.
それが,日米合同委員会という官僚だけしか出席しない会議である.
ここで決まったことは,「対日要求」として,在日アメリカ大使館のHPに掲載されるという「透明さ」がある.

ここに掲載されて「公表」されている「対日要求」は,時間をかけてもかならず実行されるから,わたしたちの将来が書いてある.
それは、あやしい霊能者の「予言」ではなく,まさに神のことばとしての「預言」なのだ.

しかし,地球環境という占領時代になかった概念では,日本の弱体化をどうすれば良いのか?
そこで考えだされたのが,二酸化炭素排出量の取り引きだった.
わが国は,先進国で唯一,これを「まじめ」に実行して,二兆円ものお金をロシアに払って排出権を購入した.

このお金がロシアでどうなったのか?
強権的なプーチン政権の闇に消えたから,もしや最近のウクライナ軍艦拿捕とも関係があるかもしれない.
すると,じつに不道徳なはなしになるのだ.

ほんとうに人類が二十世紀の文明で排出した二酸化炭素量が,地球という惑星の環境を破壊して,人類自滅の所業となっているのか?について,最近の国連パネルでも,「不明」という状況になっている.

むしろ,人類が存在どころか,哺乳類がやっと生存していたはるか昔の地球の二酸化炭素量はいまの何倍もあって,これが植物を大繁殖させ,石油や石炭の材料になったことがわかっている.

つまり,どこかで科学のなかの化学がゆがんでいるのだ.
それは,政治に媚びると研究費がもらえる,という研究予算の国家依存がつくりだすエセ科学のためのシステムになっている.
わが国のばあいは,国家予算を握る官僚に媚びれば,予算がつくのだ.

こうして,レジ袋の材料がなんなのか?を高校化学でもおしえないから,化学工場から排出される液体状のゴミだとは誰もしらなかった.
そこで,研究者としての人生の終わりをむかえたから,貪欲に研究費を要求しなくてよい身分になった,科学者が「王様は裸だ!」と発言したのだ.

これが,武田邦彦教授である.

教授の解説はネット上にあまたあるから,各自検索して頂きたい.
重要なのは,「科学」や「化学」が,政治にねじ曲げられると,とてつもない厄災を一般人が被ることになることだ.

それは,このブログで何度か書いた,旧ソ連科学アカデミーの議長にまでなったルイセンコの例がおしえてくれる.
彼は,遺伝学者とされたが,「社会主義の農場で収穫される小麦と,資本主義の農場で収穫される小麦では,社会主義の農場のほうがよく育つ」と「実験で証明した」ことで,スターリンとフルシチョフの政権に貢献した.

だから,ソ連で小麦が不作なのは,農民が社会主義よりも資本主義の思想をもっているからだと断罪されて,数百万人がシベリア送りになってしまった.

レジ袋は材料がゴミ同然だから,すぐれて環境によい発明だった.
ちょっとした傷でも破れてしまうのは,材料の劣悪さの証明である.
そのゴミを,一回だけの買い物袋にして,そのままゴミ袋になった.
つまり,ゴミが利用されてゴミになるのだ.
これぞ,エコ,ではないか?

それを,環境省にいる役人たちが,環境にわるいと言って排除するなら,材料だったゴミをどこかで処分しなければならない.そして,レジ袋をつくっていた機械もゴミになる.
こうして,二度手間三度手間かけて,なおかつ国民負担を増やそうとするのは,なんとか日本人を弱体化させたいとするひとたちの手先ではないかとうたがう.

日本人は,化学を勉強しなければならない.

改革好きの改革疲れ

国も企業も「改革」が叫ばれ続けて何年になるか?もうわからない.
江戸時代には,享保の改革,寛政の改革,天保の改革と,学校では「三大改革」と教わるけれど,260年間で三大改革なのだから,平均すればだいたい90年にいちどのペースである.

そこで実際はどうだったのかしらべると,享保の改革は1716年から45年の約30年間で,家康が征夷大将軍になってから百年以上後であった.その後の寛政の改革は,1787年から1793年だったから,約半世紀後,そして,天保の改革は,1841年から43年でやはり半世紀後ぐらいになる.そしてそれから四半世紀後の1867年に大政奉還となって,幕府自体が終焉をむかえた.

のんびりした時代だったとはいえ,ずいぶん間があいた.
しかも,基本的にどれも失敗したから,わたしたちはなんとなくバカにした感覚でみているが,昨今の「改革ブーム」で,成功したためしがないことを挙げれば,江戸時代のことを嗤える根拠はない.
むしろ,為政者がほんとうに実行して失敗した,という点で,現代よりも潔いのだ.

なにしろ,現代の「改革」は,「改革」をいうひとほどなにもしない,という特徴があって,ほんとうに改革になる部下がつくった「改革案」を骨抜きにするのが仕事になっているからたちが悪い.
そんな人物たちの口車にのせられる「株主総会」は,株主優待という特権をもとめるようにまでなっているから,企業を育てる,という感覚に期待する方がバカをみるようになった.

「リストラ」という用語も,バブル経済前にはちゃんと,雑誌でも「リストラクチャリング」と印刷してあって,きちんと「事業の再構築」を意味していたが,バブル崩壊のドサクサで,人員整理のことを「リストラ」というようになった.

結局は,事業の再構築ではなくて,事業の崩壊を食い止める手法として,事業の崩壊をまねいた経営者たちの保身からでた造語であったが,それで,自社の社員の頸を切ることが正当化されたから,日本的経営と賞賛された日本企業の経営方式も,ここで終焉をむかえた.

保身のためだから,終身雇用と年功序列をやめることが「改革」に変容して,社内で実力の公正公平な測定方法がないのに「実力主義」を標榜するようになった.
これを,大学受験という制度上での競争しかしらない学生に,年功序列と実力主義のどちらが魅力的かとインタビューして,高偏差値の学校の学生ほど「実力主義がいい」といわしめたのは誘導尋問であると,おとなのだれもいわなかった.

こうして入社した実力主義の新入社員たちは,おぞましいほどの社内の混乱をまのあたりにして,なにがなんだかわからなくなったから,スピンアウトするものが出るのは,むしろ当然だった.
そして、いつの時代にもいる要領のいいものが,社内の制度を利用して泳ぐことができたのである.

つまり,そうした社内の障害物競走を,泳ぎきったものたちが,日本的経営慣行である「社内昇格」という方式で取締役に昇格するから,真の改革を望むべくもない,ということになる.
そうしたわけで,いつでもどこでもなんどでも「改革」という単語を口にはするけれど,失敗の責任をとる気は端っからないから本人は,なにもやらない,のである.

部下に立案させて,部下に実行させる.
それで全社が動くわけもなく,台風の中心が晴れ渡っているのとは裏腹に,中心から遠ければ遠いほど,はげしい嵐が吹き荒れる.
毎日が平穏な役員室フロアがあって,現場の混乱のどあいが日々深まるシステムは,こうやってできている.

だから,改革に疲れ果てているのは現場であって,役員室フロアでは,「わが社の改革は手ぬるい」などという世迷い言が真顔で話されるから,これをショート・ドラマにすれば,ただのお笑いコントになってしまう.

やるならちゃんとやってほしい.
すなわち,やり遂げる,ということができない.
「中途半端」ということの繰返しが,昨今の「改革」の正体でもある.

ミリタリースカウト

英国の元気な小中学生のおもに男子が,課外授業として選択するのが「ミリタリースカウト」だ.
軟弱ものは「ボーイスカウト」に入って,女の子の「ガールスカウト」から分離された,男だけの世界にいくけれど,やんちゃ組から軽蔑の目でみられるそしりは免れないという.
それで,本当はボーイスカウトでジャンボリーを歌っていたいけど,見栄でミリタリースカウトに入るのが多数いるというから,子どもの世界ではある.

ミリタリースカウトの制服は,正規の英国陸軍が採用する迷彩服で,装備のほとんどが本物かその模倣品だ.
もちろん,銃はニセモノだが,案外強力な水鉄砲を携行する.
このなかに仕込む水は,蛍光特殊インキだというから,手が込んでいる.

週に二回の訓練日は,本物の英国陸軍軍曹が学校にやってきて,様々な訓練が実施される.
座学では,捕虜についての国際法も学ぶというから,ジュネーブ四条約が要求する,国民への教育義務に則している.

さらに,夏休みには二泊三日の森の中でのサバイバル訓練がある.
渡される食料は一日分なので,残りは自分たちで森の中から調達する.
そのため,事前に昆虫や小動物の処理方法と食しかたを学ぶし,水は携帯浄水器である「特殊な」ストローが支給される.
いざとなれば水たまりの水や,自分の尿を飲むことになるが,このストローをつかえば万全だという.

一日分の食料として支給されるものは,特殊な缶詰で,下痢防止の薬剤入りだ.
それで,上記の飲食をしても,死なない,ということになっている.
経験者のはなしによれば,この特殊缶詰をいつ食べるかのタイミングが重要で,やはり空腹から我慢できずに森のなかの生きものを食べた後にとっておくというが,たしかに下痢はしないらしい.
なお,特殊なストローは,いまだにどこが「特殊な」構造だったのかわからないという.

それで,かれらは森でなにをするのかといえば,事前に教えられた作戦どおりの行動を5・6人のグループが小隊となって活動しながら,別の小隊を敵と定めて会合すれば特殊インキの水鉄砲で交戦するという.
このインキは簡単に落ちないので,戦闘が終了すると死亡や負傷の度合いが「評価」されて,評価されたものはその場で離脱させられる.
だから,最後まで「無傷で生きのこった小隊」が,英雄として帰還するそうだ.

ものすごいことを小中学生が体験するが,プロの軍人が子どもにつけた発信器でちゃんと見守っているので,事故はないという.
こうした体験から,自分の才能に気づいて,本物の軍人を目指す子どももいるから,れっきとした採用プログラムにもなっている.

また,この体験でのエピソードは,参加した子どもたちの一生の思い出でもあり,語り草になるから,みっともないことはできないと,子どもながらに発憤する.
そうやって,この訓練を終えると,精悍さがくわわった子どもにかわるというから,親も積極的にミリタリースカウト入りをすすめるのだ.

現代の日本では,想像もできないことが,ユーラシア大陸の反対側の島国であたりまえとして実施されている.
1976年に放送された,「刑事コロンボ」の第四シーズン「祝砲の挽歌」の舞台は,私立の陸軍幼年学校という,これもわが国ではありえない舞台設定であった.

学校の「部活」が,教師の負担として話題になっているが,どうもはなしがちいさい.
設立も,校庭の面積や教室も,教科書も,授業も,ぜんぶ国が決めている.
この息苦しさが,どうにもおさまらない.
選択の自由を失った,国家統制の息苦しさである.

わが国の学校で,軍事教練がおこなわれたのは,大正時代になってからだ.
しかし,旧制中学でのことだったから,ほとんどが義務教育の尋常小学校を卒業すれば社会にでた時代なので,これはエリート教育の一環だった.
陸軍から将校が派遣されたが,一人で何校も受け持つから,あんがい「一期一会」的になって,恨みっこなしの鉄拳がとんだらしい.

「少国民」として,ナチス・ドイツにまねた国民学校では,さわりをおこなったが,うまくはいかなかった.
空襲で集団疎開が必要になったが,結局は親戚をたよる個別疎開のほうが一般的になって,クラスが崩壊する.
集団であろうが個別であろうが,疎開先がなく都会に残った子どものおおくが,空襲の被害をうけて,孤児にもなった.

私の母や叔母も,個別疎開したといっていたが,従兄弟たちからのイジメがひどく,とうとう一度も帰省しなかった.
イジメた側の小父さんたちは,なぜ母や叔母が遊びにこないのか?なんどもなんども口にしていたから,そういった意識がまるでなかったのだろう.

1990年に公開された,篠田三郎監督の映画「少年時代」は,井上陽水のテーマ曲でも有名だが,「少女時代」の母や叔母は,こんなもんじゃなかったと,一生恨み節を語っていた.
都会と田舎の軋轢は,戦後の集団就職を起点にしてはいない.

わたしは,横浜で生まれた「横浜市健民少年団」に,小学生で入っていた.
団の制服は,共通のシャツとベレー帽,それにネッカチーフで,シャツは自分で編んだロープで飾ったものだ.
それに,男子は紺の半ズボン,女子はおなじ紺のスカートだったが,これは「指導」だったと記憶している.

活動中,手旗信号やロープの結び方をやらされたが,自衛隊とは関係がない.
帰宅すると水兵だった父からの熱い指導で辟易した.それがこうじて,モールス信号まで覚えさせられそうになった.
週末,ボランティアとかの活動で街をあるくと,ボーイスカウトとよく間違えられたが,服装がぜんぜんちがうし,女子もいる.ここに,隊員としての「誇り」があった.

かつては全国組織にまでなったというが,ずいぶん縮小した.
発祥地の横浜すら全18区中4区だけだが,もしかしたら,これは、当時とかわっていないかもしれない.
「健民」であって「県民」でないのも,神奈川県をほとんど意識しない横浜人の特性か?