壊れていく日本の統治システム

「日本を壊すな」という広告が話題になっている。

自民党の広告のことである。

なんだか自民党が日本を守っているという気にさせる文(短いフレーズ)ではあるけれど、破壊の張本人がトボけて厚顔無恥ぶりを発揮していることに、さっそくネットで炎上している。

プロパガンダの鉄則は、こうした短いフレーズを繰り返すことで、聴き手の脳に擦り込むことが行われる。
それが大成功したのは、小泉純一郎の「郵政選挙」での大勝利だったし、これを仕込んだのが、プロパガンダの専門家で学位がある世耕弘成だ。

さて、こないだの衆議院総選挙では、「最高裁判所判事の国民審査」も行われたのに、なんの反応もないのがマスコミだ。
初めて、平均で10%を超える「✖️」がついたのは、ひとつの歴史的な出来事だったし、標準偏差も離れてはいないから、かなりとんがった幅のない状態になっている。

立法府の国会と、行政府の政府は、内閣で一体となるために、いつも批判的な話題になるのはこのふたつの「府」が通常であったのが、とうとう司法府にも批判が集まりだした。

いよいよこれまでの統治システムが溶けだしている証拠なのである。

しかし、日本の司法は、さらに三つの立場に分散化させている建て付けになっている。
・裁判官(裁判所)
・検察官(法務省)
・弁護士(会)

ようは、司法試験に合格したひとたちが、それぞれの道を選ぶようになっていて、ここでも成績順にリクルートされることが横行している。
尊敬をあつめないと、判決に敬意(権威)を得られないという心理から、裁判官になるのは成績優秀者でないといけない、という業界標準がある。

また、定年前に裁判官を辞めたり、検察官を辞めたりしても、弁護士を開業できるし、定年をまっとうしても弁護士を開業できる。
これが、弁護士業界の標準偏差を広げる理由で、そのまま収入の平均値を下げている。

なんとわが国の弁護士の年収平均が、一般サラリーマンより低いという計算になるのは、平均を上回るひとがロングテール現象的にダラダラと続いて、億円単位のひともいるようになっている。

ようは、開業してもあんがいと食えない商売なために、ブラック企業やらの顧問にならないと生活できないのだ。

さらに、最高裁判所裁判官には「枠」があって、裁判官から出世してなるひと、有名事務所の弁護士からなるひと、それと外交官からなるひとがいるために、検事ならやっぱり「検事総長」になるのが究極のポストになる。

外交官からなるのは、「国際法(おもに「条約」)」の専門家ということになっているからである。

ついでに、司法試験に合格しなくとも弁護士になれるのは、大学の法学部教授を規定年数務めたほかに、内閣法制局の参事官以上の役職を連続5年務めて、行政府を無事に定年退職するとなれるいうお手盛りの条件がある。
これでなれるのは、「行政法」の専門家ということになっているからである。

税務署の職員が定年後に税理士になれるのとよく似ている。

そうなると、やっぱり特殊な行政府の役所に、「法務省」がある。

ここのキャリア官僚は、いわゆる国家総合職に合格したひとではなくて、司法試験に合格して検事に任官しないとキャリア扱いされないという、とんがった役所なのである。
「検事」は、法務省の行政官僚なのである。

けれども、憲法上の「司法府」は、あくまでも最高裁判所を頂点にする、「裁判所」になるから、検事総長だって二の次になる。

こないだの「袴田事件」における、現職検事総長の公開された談話は、以上の建て付けに関して真っ向から逆転する、つまり、検事総長が最高裁判所の上位にあるが如くの内容であるという驚愕があった。

「選挙公報」に、犬の散歩が日課だと平気で綴る、最高裁判所判事の情けない姿を思い起こせば、裁判官が検事たちに馬鹿にされるのは若い頃の試験成績の意趣返し(コンプレックス)もあって仕方がないが、それではこの国の司法がもたないのである。

2日、わたしの住む横浜にある、横浜刑務所で「第52回矯正展」が開催された。

小雨のなか、多数のひとがやってきて、刑務所内で生産されているグッズを購入していたが、なんだかこの最高裁判所判事たちの体たらくを思い出すと、受刑者の汗で作られた物品の価値が尊いと思われて仕方ない。

トランプ氏がやってみせた、マックでのエプロン姿や、ごみ収集のジャケットを着ての演説は、その心意気だけで尊敬に値する。

悔しかったら、最高裁判所判事も、検事総長も、刑務所での作業を少しでも経験し、自ら矯正の気概を示してみたらどうか?

自分の選挙集会で聴衆から野次られるようになった末期的状態のカマラ・ハリスは、とうとう宿敵のはずの共和党を追い出されたリズ・チェイニー(典型的な「戦争屋」)を擁護して、彼女を礼賛する発言をおくびもなく繰り出しはじめ、なんとリズ・チェイニーもこれに応じて民主党を強力に支持している。

このひとたちは、戦場で傷つく兵士を、いまだに消耗品だとして、自分たちは暖かく快適な部屋にいて、私服をこやすための戦争を仕掛けている。

これと相似形の発想が、わが国の「司法」をおかしているのである。

近代憲法をいただくことを「法治国家」と定義するなら、わが国は、もう法治国家でもなんでもなく、国民が放置される国家になって、エリートを自称するひとたちの天国になりつつある。

まったく、江戸時代が羨ましくなることが、目撃されるようになったのである。

一喜一憂のハラハラドキドキ選挙なの?

日本人がアメリカ大統領選挙での候補者の発言やらに一喜一憂し、ハラハラドキドキするのがふつうだとおもっていたら、そうではないらしいことに気がついた。

それでも、こないだの衆議院議員総選挙には投票したというから、棄権したひとよりはずっと真面目なことにまちがいはないだろう。

これは、古くからの友人に久しぶりに会ったときの会話から得た「情報」なのである。

最大の驚きは、アメリカ大統領選挙と連邦下院議員総選挙、連邦上院議員入れ替え選挙(日本の参議院とおなじ)、はたまた、州レベル、郡レベルでの教育委員とか地方検事とか、保安官とかも一斉に選挙投票する、「一大選挙イベント」のことを、大統領選挙と呼んでいることをしらなかったことであった。

なので、有権者は、投票に最低でも20分は要する。
衆参両院ダブル選挙に地元議会などが重なって、おおくても5人程度を選ぶ日本の選挙とは段違いだ。
いったい、全部の選挙に何人が立候補していて、それぞれをまちがいなく選ぶのは、あんがいと難易度が高い。

むかし、エジプトにいたとき、エジプトの選挙を見学したことがあって、このとき驚いたのは、日本の新聞紙大の投票用紙に、全候補の名前が印刷されていて、これに「○」をつけるのだが、そもそも文盲率が80%の国だから、「補助人」が自分の入れたいひとの名前をいうと、そのひとにマルを付けてくれるのである。

これが、どういうことか?は、かんたんにわかる。

この意味で、投票機の不自然な作動状況は、エジプト並みということがわかる。

しかして、この古い友人は、トランプが勝つだろうとも予想していて、そうなれば「円高になる」と断言していた。
トランプはアメリカの工業復活を公約にしているから、「ドル安を目指す」はずだという。

だが、外国為替はそんな単純だろうか?とおもうのがわたしのかんがえで、場合によっては「超円安」だってあり得るのは、為替相場そのものに影響する「人為」が、経済学の机上モデルを凌駕しているからである。

けれども、選挙投票日直前になって、トランプ氏が公約し、人員配置計画を詳細化しているなか、「政府のムダ削減委員会」の委員長になる予定のイーロン・マスクが、有力な顧問に、ロン・ポール元下院議員(89歳、共和党・ケンタッキー州)を指名すると発表したのである。

息子は医師にして連邦上院議員(ケンタッキー州)の、ランド・ポールで、ファウチと議会で激論をかわし、「わたしが科学だ」とまでいった御大を論破したひとである。

とっくに引退したロン・ポール老人を引っ張り出したのは、背景に共和党トランプ派が連邦下院で提案した法案とからんでいる。
それが、「FRB廃止」法案なのだ。

「通貨発行権」は、各国の中央銀行がもつもの、という常識がいつの間にかできあがっているけれど、いつ・だれが・どうやって決めたのか?という問題が「闇」なのである。

もちろん、日本銀行券にたとえれば、原価20円でしかない「1万円札」を、日銀は9980円の儲け(粗利)をもって市中銀行に販売している。
これが、日本銀行の利益の源泉にちがいない。

江戸時代までは、ときの政権が発行した「政府通貨」が流通していて、「にせ金」はつくっても御法度だったし、鋳造技術がない時代は、「唐銭」という外国からの輸入品が流通していたけれど、外国貿易自体が政府管理下にあった。

明治になって、日銀を設立し、「政府通貨」をやめて、中央銀行に「通貨発行権」を独占させたけれども、その日銀株はだれがどれだけ保有しているのか?がよくわからない株式会社なのだ。

もっとわからないのが「FRB」で、アメリカ連邦政府はこの銀行に1セントも出資していない、完全なる民間企業なのである。
ために、中央銀行なのにアメリカ人のための金融政策ではなく、FRB自身に利益があることを優先させるという「闇」がある。

もちろん、FRBができたのは歴史的にいつかはわかっているが、なぜに「民間出資だけ」なのに「中央銀行」機能があるのか?についての明快な説明はないのである。

そんなわけで、トランプ氏と議会共和党の勝利は、世界経済の根幹を揺るがす問題提起となる可能性がでてきた。

マーガレット・サッチャーは、初の首相就任においてハイエクの自由主義思想が自分のベースにあるから、これからすべての政策立案はハイエクによると宣言した。
それで、反対派は「新自由主義」をねじ曲げる定義に置き換えて、いまに至っている。

あたかも、自州主義=リベラルを、左翼=グローバル全体主義というまるで別ものに言い換えるのに成功したかのごとくである。

なので、トランプ氏とその派は、ハイエクのハの字もいわず、ハイエクの「通貨自由発行論」の通りにこれを実現化しようとしているとみえる。
そのためのデジタル技術(たとえば「ビットコイン=ブロックチェーン技術」の活用)も、イーロン・マスクが担当するのだろう。

いわゆるわが国で使用されている既存の「電子マネー」は、ブロックチェーン技術を用いるのものではないから、個人情報保護の観点からしたら、ズブズブの危険があることは何度も書いてきた。

逆に、発行母体に悪用され、たとえば政府批判の言動と連携をして統制の対象にもなれば、たちまちにして『1984年』の悪夢が現実化する。
じっさいに、これを狙うと公言しているのが、「ビルダーバーグ倶楽部」だ。

もちろん、この倶楽部の下部機関「世界経済フォーラム」のエージェント、河野太郎が強引に進めた「マイナンバーカード」も、ブロックチェーン技術を用いていない「ザル」だから情報漏れが絶えないのである。

すると、トランプ政権は、アメリカにおける「グリーン・カード」とか、市民であることを証明する「社会保険番号」の証明を、ブロックチェーン化する策を実行するのではないか?

どうやら趨勢は決まった選挙で、民主党にのこる手段は、「不正」しかないが、これを吹き飛ばす結果になると予想するので、一喜一憂はないのだけれども、FRBの廃止ともなれば、いったんは太平洋を越えて日本にも大津波がやってくるにちがいないのである。

日本の衰退は「平均への回帰」だ

一般的に「平均」というと、それは、「算術平均」のことをさす。

このほか、平均には、「幾何平均」とか、「調和平均」、「二乗平均」といろいろ種類がある。

算術平均を定義すれば、対象となるすべてのデータを加算して、その総和をデータ数で割ったもの、で小学校で最初に習う「平均」だから、生活上でもっともよく用いる。

商売の在庫管理などで用いる、「移動平均」は、対象となるデータの時期を移動させて計算することで、変化を均して見ることができるので実務で重宝されている。
かっこよく「季節変動調整済み」ということもある。

なお、パソコン時代のいまなら、「算術平均」を表計算ソフトで計算するときに「グラフ」も表示させると、山・谷の具合からデータの性格や特徴がわかるので、習慣化すべきである。

幾何平均は、伸び率、が対象になるもので、たとえば年率2%で伸びた翌年に3%となった場合の、この2年間の平均の伸び率とか金利でいう年率は何%だったのか?と年率換算するときに用いる。

√((1+2%)✖️(1+3%))=1.02498 → 約2.5%

この例では、(2+3)➗2=2.5とおなじ結果のように見えるが、微妙にちがうことに注意することが重要で、元の金額をおおきいと驚くほどの誤差になる。

世にいう「金融電卓」は、幾何平均も定式化したソフトを積んでいる。

明治から近代のわが国の「経済史」では、ザッと3回の高度上昇トレンドがあった。
・明治の『坂の上の雲』でいう不平等条約撤廃までの時代
・大正の第一次大戦での「大戦景気」
・昭和の後半、戦後からバブルまでの「高度成長期」(「日米地位協定」という不平等条約が撤廃できない時代)

すると、じつは「独立国」として、すさまじかったのは、大正期の「大戦景気」だけなのである。
明治期は英国の支配(これを「日英同盟」とあたかも対等だと錯覚させる)であったし、昭和の後半も「日米同盟」と、おなじパターンで支配を隠蔽している。

にもかかわらず、現代日本人の誰もが、「日米地位協定」なる、領事裁判権の放棄状態を、江戸幕府への蔑みと同等にもかんがえてはいないし、明治期のひとたちよりもその理不尽を実感することもなく生きている。

これはどういうことか?を問えば、「歴史」が受験偏差値の対象になって、日本や日本人のやってきたことの意味を、エリートほどかんがえないことがふつうになったからである。
むしろ、そんなことをかんがえる暇があったら、別の教科を勉強した方がよほど、「効率的」だからである。

つまり、そういう制度設計の中で、最高学府の選択がされているから、どんな学問を、どの学校にいる、これという教授、を選ぶのではなく、単純に偏差値で入学できるギリギリを狙い、結果的にとある学問分野を選択することになった、という順になるようにさせられている。

これで、世界の同学年生たちを相手に競争できるのか?といえば、ムリである。

それで、学習指導要領の中身を「強化」したが、受験制度を変えないので意味がなく、しかも、意味がないのを承知で改革をやったことにしている、わざとなのである。

だから、衰退のスピードはこれからもっともっと加速すると予想できる。

高度成長が日本人だれでもに豊かさを実感させたのと真逆で、こんどはだれにでも貧しさ、貧困を感じさせるようになる。

それもこれも、政治家の多くが外国(企業)のための政治をやる、「売国商売人」に成り果てたからだが、こうした連中を選挙で落選させることもできなくなったのである。

よって、経済発展の成長グラフの「山「と「谷」を意識してみれば、平成時代からずっと「谷」にあって、なんのことはない、かつての昭和の「山」を整地造成すなわち、平均化しているのである。

けれども、上に書いたように、衰退のスピードが加速するので、おそらく「平均水準」も押し下げる。

「どこまでおちるぬかるみぞ」の事態にあるのだけれど、ロープを投げて助けてくれそうななのがトランプ派だということにも気づかないのは、すでに「知能」も平均水準から落ちているからなのだろう。

生き残った自民党議員

大敗とはいっても、超スポットの議員個々のはなしとなるとあんがいと「圧勝」している。

「開票」だけでなく、投票プロセスにおける透明性がないのは、アジア各国に比べても、いまや先進国とはいえないのがわが国になっている。
アジア各国では、これらのプロセスにおいて、映像を公開しており、投票箱の厳重管理は美術品並なのだ。

この点で、わが国の選挙が、アメリカのように機械を用いずに「手作業」集計だから安全なのだというのは、根拠がない。
疑いだしたらキリがないことへの「具体的対策」がほとんど採られていないからである。

つまり、信用しろ、という「お上」の目線そのものになっている。

もちろん、マスコミ報道における、「開票速報」の根拠である、「出口調査」の統計処理の有効性も疑わしい。
全部の投票所の出口が対象ではないし、有権者全員が対象でもないのは、「サンプル抽出」なのだというのは理解している。

ならば、「信頼区間」がそれぞれの選挙区でどう異なるのか?についての、調査概要も伝えるべきであるのに、なんだかバッチリ全部が計算通りなのは、まったくおかしなことなのである。

なぜなら、わたしの人生経験上、一回しか投票後にマスコミ調査員の質問(NHKと、とある新聞社の二社だけだった)を受けたことがないけれど、天邪鬼なわたしは、それぞれにウソを回答したのである。

こうやって、外れ値をつくることで、「信頼区間」を狭める小さな努力をしたのだが、マスコミは、あたかも出口調査で、全員が正確な投票内容を回答しているというのであろうか?との大疑問があるのだ。

前にも書いた通り、政府のプロパガンダ機関になったマスコミと選管という役所が事前に「談合」しさえすれば、選挙結果はどうにでもなるのである。

さて、いったいわが国はいつから「売国議員」なる政治家を出してきたのか?とかんがえると、結局のところ明治維新の謎にまではなしは戻る。
「攘夷」を実行した薩長が、英国艦隊やら各国連合の艦隊に大敗して、ここから180度の転換で「開国」が「倒幕」に変容する。

日本人初の「武器商人」となった坂本龍馬は、仕入れ先が長崎のグラバーで、そのグラバーはフリーメーソン会員にして、アヘン貿易で暴利を得たジャーディン・マセソン商会の代理人だったことは、歴史的事実である。

開国後、ジャーディン・マセソン商会は、横浜に支店を置く(大桟橋前にあるシルクセンターの角に「跡地」の説明がある)が、これがわが国における「外資系企業」の初であり、そのまた初の日本人支配人が吉田茂の養子先の義父なのである。

そんなわけで、麻生太郎が夢見る、「大宏池会」が自民党主流派になって、岸信介の「清和会」を潰しての総選挙になったのは、その前に自民党総裁選でよくわかった。
つまるところ、「裏金問題」を利用したクーデターが成功したのだが、だれがこれを主導したのか?といえば、アメリカ大使館ではないのかと疑うのである。

もちろん、安倍晋三が亡くなった直後に、実弟の岸信夫も健康上の理由から政界引退するということになったのも、ひそかに疑っている。

わが国の宗主国は、英・米の二国であるが、強大なアメリカのなかでも民主党の支配は、前回の「9000人の人事を要する政権交代」で指摘したように、さまざまな分野に蜘蛛の糸のように張り巡らせたネットワークがある。

これが、国内だけでなく外国にも影響させるのは、「国務省」の担当だし、わが国には、「統治者」としての米軍が駐留している。

いわゆる「軍産複合体」に注意を促したのは、アイゼンハワー(共和党)だったが、後任のJFk(民主党)は、いまの甥、RFKがトランプ派になったように、「軍産複合体」こそが敵であると認識している。

つまり、共和党主流派(ブッシュ家=いまでは「RINO」)と民主党主流派は、この「軍産複合体」の代理人でしかなく、それがわが国の自民党に浸透したのである。

あからさまになったのは、小泉純一郎政権からで、実行の「参謀長」は、竹中平蔵である。

ようは、この路線が継続しているがために、わが国は衰退しているのであって、残念ながら「選挙が盗まれている」深刻は、気づいたアメリカよりもぜんぜん気づきもしない日本の方がはるかに重いのである。

9000人の人事を要する政権交代

一口に「政権交代」といっても、お国によって意味がちがう。

アメリカ連邦政府の場合、約9000人の人事異動(大量解雇含む)がある。
ようは、9000もの役職ポストが、新旧交代するということである。
そのリストが、『 The United States Policy and Supporting Positions』だ。

表紙の色から「プラムブック」とよばれている。

あと一週間になったアメリカ大統領選挙は、すでに「トランプ2.0」が確実視されているので、興味は「政権交代の実務」になってきた。
就任式までの数ヶ月で、大規模な人事配置を成功させなければならないからである。

この意味で、「トランプ1.0」で世界に衝撃を与えた、「わがままな大統領(暴君)」ということの実体が、「政権交代人事の失敗」に由来したことがわかってきた。
あのころの彼は、当選を意識していなかったために、「政権移行チーム」を、当選後に発足させるという、痛恨のミスをおかしていたからである。

しかも、実業家だった彼には、「ワシントンの沼」の実体を知る由もなかった。

だが、「トランプ2.0」では、しっかり学習して、昨年から政権移行チームを発足させているし、そもそも大統領退任直後からフロリダの別荘にて、人事研究をはじめていた。

「人事は万事」なのは、企業経営の鉄則だが、国家運営でも同様なのである。

おおきく分けて、アメリカの官僚ポストには、3種類ある。
・連邦上院の承認が必要なポスト(日本でいう「閣僚級」と「特別職国家公務員」級)
終身官僚(SES)の資格者がつくポスト(日本でいう「国家総合職」級)
・「猟官制」によってつくポスト

第7代大統領だった、アンドリュー・ジャクソンが定着させた「猟官制」は、そもそも法の執行機関たる行政官僚に政策立案力などは余計で不要であるという理由があった。

このために、アメリカでは「バカが公務員になる」という常識があった。

優秀な学生は、超優良企業に就職するか、あるいはもっと優秀な学生は起業するのが常識で、公務員試験を受けるのは行き先のない成績劣等のおバカだといわれていたのである。

しかし、敗戦国の日本の官僚制が、日本経済をけん引しているという驚くべき勘違い(わざとか?)を理由に、猟官制でやってくる無能な管理職を制御するための屋上屋たるSESを民主党政権(カーター時代)が創設したのである。

これを悪用急増させたのが、オバマで、彼の8年間で数千人を新規採用している。
これを、「オバマ・チルドレン」というように、左派に偏向したエリートを大量採用した。

こうして、ハーバードやら何やらの世界的有名校が、SES供給源として、みじめな「東大化」をしたのである。
それもこれも、グローバル全体主義をアメリカで実現するための準備なのである。

なので、ディープステート(陰の政府)とは、このSESを中核組織としてアメリカ政府を牛耳っているといって過言ではなく、彼らの排除を「トランプ1.0」から発言しているのは、それが現実の存在だからである。

すると、上記9000人の中の半数近くが、SESだとかんがえられる。
くわしくは、「プラムブック」を確認する必要がある。

ところが、SESの採用条件が、「終身」なので、解雇しようにも面倒なことになる。

日本の官僚制よりもより強力な官僚制にするのがこの制度をはじめる目的だったから、日本にない「終身制」にした経緯があるし、超有名校の生徒を引きつけるために、新任からの年収も大企業の部長・役員級としたのだった。

それでも、「トランプ2.0」では、しっかり「SESも解雇する」と明言しているので、激しい攻防(身分確認のための集団訴訟?)となることがいまからでも想像できるのである。

それで、偏向エリートの供給源である、有名大学に補助金を出す「連邦教育省の廃止」も、公約になっているのは筋が通っている。
逆に、バイデン政権が学生ローンの援助をやろうとしたのは、SESと供給源の大学に対する手厚い保護のことだった。

しかして、第二次大戦の原因にも、アメリカ投資銀行の陰があって、彼らが大量資金投入した軍需産業の利益向上のためだったことが、ウクライナ支援による利益享受の構造とかわらない古典的なやり方だとわかってきたのである。

それも、いまよりずっと大胆で、アメリカばかりかドイツと日本の軍需産業にも大規模投資していたので、これら三国の若い兵士は、自国で生産された武器の餌食となった悲惨がある。
これを背後で操ったのが、ウインストン・チャーチルである。

こうしたパターンが繰り返されるなか、小泉純一郎がいったように、「古い自民党をぶっ壊す」という名目での、たとえ見せかけにしても国益優先の古い発想をかなぐり捨てて、外資のいいなりこそが支配層だけを儲けさせるとして、大胆な売国政党に衣替えした。

こうして急速に国民が貧乏になったわが国で、『共産党宣言』にある、「教育無償化」が礼賛されるようになったのである。

そんなわが国のことは横におき、アメリカでは大統領の政府内人事をフォローするのが連邦上院なので、この議席数をいかに確保するかだけでなく、RINO(名ばかり共和党員)の代表で、上院院内総務をもって君臨していた、ミッチ・マコーネルの後任人事も重大な意味をもっている。

つまり、政権交代とは、政党や構成員の政治家が入れ替わるだけなんてものではなくて、政府そのものが入れ替わるものだと、トランプ氏は見せつけてくれるだろう。

「小さな政府」を想像できない

日本語では、あたかも低予算政府やらを想像させるような言葉であるけれど、英語でいう「Limited Government」の方が適切なイメージになる。
これは、オリジナルが「Limited Government」で、それを日本語にした順番からの伝言ゲーム的な勘違いを誘発するからだろう。

もちろん英語でも、「Small Government」ということがあるので、「小さな政府」という訳は、こちらからの直訳だろう。

英語を、「英国(さらに連合王国のなかのイングランド)の言葉」と定義すれば、それはそのままこの国の歴史を背負っている言葉であるといえるから、そこからあらためて「Limited Government」とはなにか?を検討すると、王権を制限してきた歴史があらわれてくる。

日本には幸いにも、このような歴史がない。

あるのは、政権交代であって、中国にあった姓氏革命のごとき転覆は、源平合戦が似ているが、だからといって朝廷が滅亡したものではない。

そうやってかんがえると、英国の王朝と中国の歴史は、日本よりもよほど似ている。
ただし、ピューリタン革命と名誉革命があったイングランドは、決定的に中国ともことなる。

王権をどうやって制限するのか?は、その後の自由経済にとっても重要な原点になっていて、それが「オーストリア学派=ウィーン学派」によって精錬される。
ところが、この学派は現代の「主流派(アメリカ経済学会を中心とする)」からは、異端扱いされている。

経済学に数学を持ち込んだ、ポール・サミュエルソンの『新古典派総合』なる、ケインズ経済学の発展形をもって、アメリカに社会主義経済が定着したのである。
もちろん、ウィーン学派には、ケインズと論戦したハイエクがいる。

わが国は敗戦によって、アメリカによる征服が固定化されていることは、この間の衆議院議員総選挙でよくわかったのだが、よくわかったひとが少ないために、ああした結果になった。

それが、あと一週間にせまった大統領選挙でアメリカ民主党の地滑り的大敗北が予想されているのに、相変わらず共和党トランプ陣営の主張が日本人に理解されていない。
それもこれも、日本が『無思考国家』になったからである。

これを、「イネプトクラシー:Ineptocracy:無能者の支配する国家体制)」という。

わが国は、バブル崩壊以来、イネプトクラシー国家になった。
この国家体制の特徴は、文字どおり無能者による政治のことであるが、それは民主主義の原則にてらせば、主権者である国民の無能をさすことに注意がいる。

ゆえに、無能集団の国民の中にあって、そこから選ばれる者も無能者ばかりになって、とうとう国富を食い尽くす「蝗害」のようなことがおきるのである。
かんたんにいえば、「バラマキ」のことだが、これがケインズ理論と結合すると、有効需要が高まるはずという詭弁によって、一部の利権者が潤う体制となるのである。

しかし、それがどんな「乗数効果」をうみだしたのか?むかしの「経済企画庁」なら計算して発表したろうに、いまはなにをやっているのか?
おそらく、バラマキの対象範囲が狭すぎて、効果なしと出るのでだんまりを決めているにちがいないのは、与党から睨まれるのがうっとうしいからなのだろう。

対して、トランプの共和党は、自由主義を起点に置くから、政府による国民からの収奪(増税)を、私有財産権への侵害(攻撃)だとみなす。
だから、第一に「減税」を主張するのである。
そうやって、第二に「バラマキ」のための蛇口も閉めて、個人や企業活動を活発化させる。

これが、「小さな政府」の姿である。

「トランプ政権1.0」によって、オバマ時代の不況から空前の好景気なったのは、この政策が効いたからだし、レーガン時代もこれで乗り切ったのである。
しかし、わが国自民党政権の中曽根康弘内閣は、「土光臨調」の看板を利用して、中途半端な民営化だけでやった気になり、肝心要の「減税:税体系のシンプル化」に着手することはなかった。

つまり、明治以来、日本人は「小さな政府」をしらないから、想像もできないのである。

こんな制度上の前提条件があるのに、GHQが設計したひどい教育制度で国民が「無能者」にもさせられたので、絶望的なイネプトクラシーになったといえる。

過半数を切った自公政権がどう「野合」するのか?の組合せ論になったけれども、とにかくアメリカの大統領選挙によってわが国はおおきく影響される。
トランプ派共和党にもっとも近しい日本の政党は、参政党しかないので、衆議院でたった3議席でも「キャステキングボート」を自称するのは彼らとの窓口になるからである。

それをぶち壊したい勢力(アメリカ民主党のポチたち)が、表面的現象だけをなぞってイネプトクラシーを増長させる努力をしているのである。

懲りないのではなくて、たんなる家畜の管理者になりたいだけの愚か者たちである。

Madison Square Garden での熱狂

日本の総選挙開票状況なんてぜんぜん気にしないで、同時刻の地球では驚くべき熱狂があった。

そもそも共和党の大統領候補が、東海岸の民主党の牙城、ニューヨーク州どころではないその本丸、ニューヨーク市マンハッタンのド真ん中にある「Madison Square Garden」で選挙キャンペーン集会をやっても、だれが集まるものか?という常識をひっくり返して、開場の前日から徹夜で順番待ちするニューヨーカーが多数いただけでも歴史的ニュースなのである。

じっさい会場にはキャパ満杯の2万人がおり、会場外には7万人以上があつまった。
それで全参加者の47%がトランプラリー未経験者だと、同エリアにWi-Fi接続した各自の端末に保存されている行動記録情報から分析された。

この技術は日本企業が開発したものであるから、まっ先に日本国内のコンビニや有名デパートに採用されて、入店した顧客個人がもっているスマホの行動記録にアクセスしてビッグデータとしてマーケティング分析の対象となっている。

スマホが自動収集する位置情報記録は、所有者がしらないうちにほとんどの個人生活を特定し、分析できるまでの正確さを持っているが、個人情報そのものにアクセスしてはない。
わたしが、「LINE」「Payなんとか」を利用しない理由は、この方法とはちがってもっとあからさまな個人情報(購買記録とか)を勝手に盗まれるからだと書いてきた。

さてこの熱狂に、民主党(言いだしっぺはヒラリー・クリントンらしい)は傘下のテレビ局やらに、戦前のむかしにこの会場であった「ナチスの大会」記録を引きあいにして、トランプはヒトラーだというキャンペーンを打ちだし、これをまた日本のマスコミがなんの注意も加えずにコピーして垂れ流している。

そうした歴史をいいだしたら、フランクリン・ルーズベルトも、ビル・クリントンも大統領選挙の際に、ここで選挙集会をやっているのをどう説明するのか?

ここは、世界都市ニューヨークを代表してきた巨大アリーナ、「Madison Square Garden」なのだから、政治家だけでなくエンタメも「時のひと」が集客に利用する当然がある。

さてそれで、登場した応援弁士たちの顔ぶれも豪華であった。

なかでも注目は、民主党を追い出された共通の経歴をもつふたり、ロバート・ケネディ・Jrと先週、共和党に入党宣言した、ハワイ州選出の民主党連邦下院議員(4期)で、さらに前回の2020年の大統領選挙では民主党予備選で最後までバイデンと並んでいた、トゥルシー・ギャバードが登場し、ほぼ民主党支持者ばかりのはずの会場を熱狂させたのである。

追い出された、というキーワードでは、タッカー・カールソンも熱い演説をやった。

将来の「初の女性大統領候補」にもっとも近いと評判の、トゥルシー・ギャバードの出身地であるハワイには、残念ながら、トランプ氏は選挙人票が少ないためにでかけていない。
ここは、オバマの出身地(じつは出自は不明)であり、また彼の豪華な別荘もあるが、あの大火災では被害を免れているラッキーがある。

いまや、世界中で「社会調査」の信用度がおちて、単なる世論誘導の手段になってきているために、しかける側も実態がわからないという状況になっている。
だから、トランプ陣営がいまさら敵陣のド真ん中であるニューヨークに乗り込んで、たかだか数万人を熱狂させても「なんぼ?」の結果になるかはだれにもわからなくなっている。

しかし、そこは先進国のアメリカなので、奴隷化・家畜化が進行している日本とちがって、ネットの発信力もちがうし、受けとめる側の感受性もまだ高いようだ。
とくに、民主党支持者がおおい、都市部における影響力=伝染力があるために、ニューヨークでの熱狂が他の州や都市に飛び火する可能性は十分にある。

これに、勝ち馬に乗るのと、視聴者の数が稼げることからの、ちゃんとした商業主義が首を出して、民主党応援団だったマスコミが急速に「トランプへの鞍替え」も開始しているし、大統領選挙と同時に行われる議員選挙では、民主党候補が自身を「親トランプ」だとするキャンペーンをもって、ちゃっかり人気便乗をはかっているのである。

このあたり、儒教的道徳感が残る日本では逆効果となろうが、アメリカ人の「肉食の思想」では、気にしない。
なにがなんでも「勝てば官軍」なのであって、露骨だろうがなんだろうが負けてすべてを失う行動選択は、「肉食の思想」の有権者からもバカ扱いされるのである。

それは、選挙資金集めの制度が、わが国よりもずっと緩いこともあるからで、こないだはビル・ゲイツが個人のポケットからこっそりと、5000万ドル(約75億円)を「領収書を必要としない」選挙資金として合法的に民主党へ寄付していたことが発覚したことでもわかる。

総額で50億円ほどだった、わが国の自民党「裏金問題」のなんとちんけなことか!

そういえば、前回2030年の大統領選挙では、フェイスブックのザッカーバーグが、やっぱり個人で500億円を民主党に寄付していたのは、本人も認めている。
これが、不正行為の源泉の一部になったともいわれている。

だが、「一部」なのだ。
アメリカの選挙は徹底的な金権選挙だ。
ゆえに、選挙そのものがビジネスになって、集金から宣伝製作・家庭訪問まで専門の職業が存在するにまでなっている。

日本の公職選挙法が逆手の「柔術」的なのに対して、アメリカは順手の「合気道」的だ。

今回は、イーロン・マスクが共和党の応援で、残り2週間ほどの期間に、合法的な新規の有権者登録者に抽選で毎日、100万ドル(約1億4千万円)を差し出すとしたのは、日本では御法度だが、それでも上記のひとたちと対比したらあんがいと小さな金額なのである。

これが合法なのは、当選者がじっさいに選挙投票をするかしないかも本人の個人的な判断で、どこにも強制がない自由だからという理由である。

まったくもって、「肉食の思想」のひとたちは、大胆かつ豪放なのである。

このことで日本人をうんぬん言いたくはないが、「草食」の弱々しさが目立つので、これがまた精神的にも彼らとの競争で負ける経済衰退の理由になっているのだろう。

そんなわけで、トランプ陣営はこないだ書いた「地滑り(landslide)的勝利」を狙い始めていて、31日だかにやはり歴代共和党候補者が選挙集会を開催したことがない、「ニューメキシコ州」でやると発表された。

怒濤のようなスケジュールをこなす、78歳のパワーは、すこしあやかりたいという気もする。

いい意味で発想に柔軟性もあるトランプ氏は、「TikTok」のアカウントも持っているが、いまアメリカではトランプ氏が登場するときと退場するときの音楽にあわせて踊るあのダンスが、大ブレークしている。

投票を終えた老若男女のひとたちが、投票済みの半券をカメラに見せてこのダンスをはじめるのである。

こういうのが大流行するというのは、「隠れトランプ支持」でないと攻撃された前回とは雲泥の変化で、もう結果も見えているといえるのである。

それゆえに、日本の(強制的=矯正)変化も来年は必定、ということが具体的にスケジュール化されるということなのである。

祝3議席! 参政党

27日に投開票の第50回衆議院議員総選挙は、28日未明に全議席が確定した。

大筋で与党の大敗が大々的に報じられるなか、わたしが注目したいのは、「参政党」の獲得議席数がどうなるのか?であった。

結果は、比例ブロックでの3議席獲得!である。

どこかといえば、九州、近畿、南関東で、期待された東海、東京、北関東、東北ではほとんど及ばなかった。
たとえば、東京だとザッと5万票も足りなかった。

とはいえ、事前の予想・作戦通り、西高東低の傾向がそのままの結果となったので、戦略的に間違いはなかったともいえる。
このあたりは、各州選挙人票総取り方式のアメリカ大統領選挙とはまたちがう、戦略のたてかたが重要なのである。

ただ、先にルールがあるとはいえ、わが国の国会議員選挙は、衆議院と参議院でそれぞれ微妙な設計がなされており、とくに衆議院の「小選挙区制」の弊害に、大政党と現職に有利があることは否めない。

なにを選ぶのか?はいうまでもなく、「国政」なのだから、地元利権に密着しやすい方式ではなく、むしろ現行の地域ブロックを基準に、全国比例を加えるのがよいのではないか?とおもう。

参議院は、「貴族院」にもどして、たとえば500年以上続く伝統ある各界の代表を100人ぐらい選ぶことで、「良識の府」とし、衆議院の浮かれた議論に水をさす機能に特化させるのがいい。

さて、わが国の公職選挙法上の「政党要件」は、ふたつの条件があって、どちらかが満たされればよいとされている。
・衆参両院あわせての所属国会議員が5人以上
・直近の国政選挙における有効投票数が2%以上

前回(2022年)の参議院議員普通選挙で、参政党は1議席だったが、投票数で要件をみたし「国政政党」に認定され、政党助成金の対象となった。
今回も議席数では及ばなかったが、投票数ではずいぶん伸びたので政党助成金も増額が見込める。

今回の3議席で、あと1議席を加えれば、議員数における要件も満たす。

すると、来年の参議院議員普通選挙が注目され、おそらく確実に当選者を出すだろうとおもわれる。

ただし、これにはアメリカの情勢も加わって、トランプ氏の大統領就任と、連邦上・下両院での共和党の状態、すなわち過半数超えがあと10日ほどにせまったなかで実現するのか?による。

すると、来年1月からのアメリカの新体制は、国内ばかりか同盟各国にもかなり大胆な路線変更を要求するにちがいなく、当然ながら「左派的」な石破政権やらはもたない。

つまり、来年の参議院議員通常選挙は、衆議院議員総選挙とのダブル選挙になる可能性が高いとみる。

テレビを観ないから、わが家には影響しないが、どうやら日本放送協会の『日曜討論』の選挙特番に参政党も参加できて、ブーストがかかったというからまだまだテレビに影響されるひとがたくさんいる。

対して、民放各局は、「政党要件」を無視して、参政党も存在がないがごとき扱いを受けていた。
放送法違反の嫌疑がかかるが、わたしは、これを超越できる唯一の勢力たるアメリカ大使館(CIA=アメリカ民主党政権)からの要請があったとかんがえている。

だから、トランプ政権になると逆転するのだとおもわれる。

なにせ、民放テレビ各局の「親会社」たる、新聞各社は、ちゃんと参政党の動向も報道していたからで、ひとつの「裏」がとれる事態となったのである。
しかして、アメリカ共和党トランプ派に近い参政党に嫌がらせを行うことは、アメリカ民主党としては当然になるのもわかりやすい「答合わせ」なのである。

だから、それでもとった3議席の意味は自民大敗よりもずっとおおきいニュースなのである。

選挙不正をかんがえる

「選挙 不正 日本」というキーワードで検索すると、それなりの事例や論文がヒットする。

もちろん、「事例」はマスコミが報道した事件性のあるもの、すなわち逮捕者がいるのであって、「論文」もマスコミ報道に基づいての分析であるから、原点にマスコミがあるという共通がある。

日本の風習は、「逮捕=有罪」との見方をするのであるが、どれほどが「起訴」を経て、「有罪確定」したのか?を調べると、あんがいと逮捕後の報道がない放置がふつうだから、最終的な確認ができない。

ようは、氷山の一角だといえるのである。

わたしが興味のある不正とは、候補者やその後援会の内部者といったお決まりの構造ではなくて、住民による地域ぐるみによるものの実体と方法なのである。

これは、前に書いた田原総一郎の生涯唯一の傑作、『原子力戦争』における、あの福島第一原子力発電所周辺地域における、恐るべき告発をイメージするからである。
なお、この作品は、同名の映画(1978年、黒木和雄 監督、 原田芳雄 主演)にもなっている。

この作品で、田原が告発したのは、行政(「町」や「警察」、「消防」など)にマスコミの支局、漁協などだけでなく、そこに原発の生活保障たる補助金で怠惰に暮らす人々という、まったく別世界的な「町ぐるみ」の実体である。

だから、ほんの少しの「事故」を、地元のマスコミ支局が針小棒大に報道することで、町民にはさらなる補助金収入が増える構造が、なんと住民全員をパブロフのイヌ化させて、事故を待ち望むにまでなるというのである。

さすれば、ここから想像できる場面は、選挙にも及ぶ。

こうした構造を維持させる「保守」と、原発反対の「革新」とのお決まりの対決構造も、「保守」が圧勝するのは、どんな方法であれ、それが利益になるからである。

当然ながら、選挙管理委員会の職員も町民だから、どんな方法でも実行できる、というブラックボックスができるのである。

勝手ながら、マンガのような実体があったのではないか?と想像している。

しかし、それがいかほどに与党に都合がいいかを拡大解釈すれば、悪貨が良貨を駆逐するがごとく、全国に伝染するのは道理である。
そうやって、補助金漬けという「麻薬中毒」にさせられたら、もう二度と正気にはもどれないのも道理なのだ。

これがまた、国家予算が膨張する原動力になっていて、国家予算の使途不明金も膨大な金額になっていることの道理なのである。
しかも、もう会計検査院は限界を突破したので、「薬中国家」としてだれにもわからないのがわが国の実体になってしまった。

だから、国会で追及しても、平然と答弁拒否がまかり通ることになっている。

大正期の政党の腐敗が歴史として習うことになっているが、無邪気なレベルでの不正選挙があっても、いまほど整然としたシステム化までには至っていない。
しかも、多数の国民は、選挙で不正があることすら想像もしないように訓練されているのである。

まったくもって、『家畜人ヤプー』が現実になっている。

アメリカとはちがって、スマートに不正をやる。
これぞ、官僚国家のエリートたち(総務省・旧内務省)が仕切る選挙であって、堕落した民主主義はこれに住民を実行者としてやらせる仕組みを完成させていないか?

わたしの妄想的な疑いは、晴れないのである。

明日の投票行動で

衆議院総選挙2024で、ほとんどなんの情報提供がなされないのは、あいかわらず「最高裁判所裁判官国民審査」だ。

アメリカ民主党バイデン政権がやった、司法の武器化は、そのまま自公政権のわが国にも輸入されていないか?

さらに、バイデンは大統領選挙終盤のここにきて、アメリカ軍の治安出動(アメリカ人にアメリカ軍が発砲できる)に関する大統領令に署名した。
民主党としてあくまでも、「1月6日事件」の首謀者をトランプに特定したことの、「防止措置」らしい。

さて、選挙公報がわが家に届いたのは、24日のことだった。

期日前投票は、16日~投票日前日の26日までだから、選挙公報がなくてなにを基準に「国民審査」をするのか?がわからない。
なにせ、どの媒体でもあたかも避けるように報じないからである。

つまり、情報が選挙公報以外で提供されないこと自体で、司法を武器化しているのである。

「袴田事件」で、とうとう無罪判決がでて、どうしたことか管轄の静岡県警本部長が直接謝罪することがニュースになったが、裁判長も判決において謝罪している。
ならば検察は?といえば、トップの検事総長は妙な談話を発表し、到底不服だけれども控訴しない、という日本語での論理不明をいいのけたのである。

検事をどうするのか?

これが、わが国の官僚制では、全面的な無謬性として確保されていて、国民は法務官僚の仕組みすらしらずに生きている。
法務省は、司法試験に合格し検事任官者たちが仕切る省庁なので、公務員試験の他の省庁とはぜんぜんちがうのだ。

さてそれで、最高裁判所裁判官は長官を含め6人いる。

学歴がどこまで有効なのか?は、社会人だとあまり関係ないことに気づいたりするものだが、官僚世界ではそうはいかない。
東大法学卒が5人、京大法学部卒が1人という構成になっている。

この多様性のなさは、「多様性」を押しつけているマスコミからしたら異常に映るだろうけど、なにもいわないのは、権力への忖度ではないか?

結局、司法の問題は、立法(国会)と、行政(官庁)と似たような、あるいは隠されているという点では、立法と行政よりも深刻なのではないかと疑うしかないこと自体が、すでに深刻さをあらわしている。

その意味で、『大岡越前』とか『遠山の金さん』とかといった、娯楽時代劇のなかの「お裁きもの」が果たした日本人への洗脳は罪深い

「お上」の正義が決めることへの反発は、人間的にゆるされないこと、という刷りこみではないか?と疑うのは、わたしが異常なのか?

東京フォーラムと有楽町駅近くにあった、北町・南町奉行所跡は、ビル群の下になってしまったが、それぞれを「月番」として権力の分散をはかった制度設計の妙は、明らかに同時代のヨーロッパ諸国よりも進んでいた。

江戸幕府の官僚機構には、大名をあてたのであったし、相互の監視・牽制の制度もあって、テレビドラマのような不正が発覚しようものなら、「お家取りつぶし・断絶」という恐怖が控えていた。

この点で、近代はずっと無責任がはびこる制度になっている。

以上から、あらためて選挙公報にある、最高裁判所裁判官国民審査の記事を読むと、この内容がわが国最高知性なのか?と驚くしかないお粗末で、中学校の生徒会の方がよほど緊張感があるのではないか。

なぜなら、子供は忖度なしであるのはもちろん、そもそも生徒会役員をだれも「偉い」と思ってなんかいないからである。

とうとう日本のテレビも、カマラ・ハリスの失速を報じだした。

まったくもって残念ながら、アメリカの体制がどうなるかでわが国の体制もかわる。

これはこれで、議員投票もお気軽ができるのであるが、トランプ氏がプーチン氏のロシアと同盟するといった公約が実行されたら、どうやってこれに乗るのか?が観ものなのである。
それに、選挙のやり方も、連邦法をもって改善するだろうから、日本でも「選挙法」が政治日程にあがる可能性がある。

もちろん、トランプ氏は司法省=検察に手入れをするはずで、これもまたわが国に波及する。

しかしながら、アメリカ軍がでてくる事態とは、いったいなにを民主党は企んでいるのかが、不気味なのである。