ダイエット食品の宣伝に,「今のままなら今のまんま♪」という文句があった.
言い得て妙である.
なにか変化させなければならない.
そのために,これを食べてみましょう,というわけだ.
ダイエットであれ,企業経営であれ,これまでとちがう成果を期待するなら,これまでとちがうことをしなければならないのは,別に他人から言われるまでもないことだ.
しかし,あらためて言われて,はじめて「その気になる」ことがないと,じっさいの行動にならないのも確かなのである.
そこで,問題になるのは,「ゴール」である.
どんなゴール・イメージを描くのか?あるいは,どんなゴール・イメージが描けるのか?ということが,いきなり問われることになる.
じつは,問題をかかえたままでもがいている企業のおおくが,ゴール・イメージを「描けない」という状態になっている.
かんたんにいえば,どうしたらよいかがわからない,のである.
ところが,ここに重要な錯綜があって,どうしたらよいかがわからない,ということの意味には,日常活動も混じってしまっている.
つまり,ゴール・イメージと日常活動がかさなることで,はなしが「こんがらがる」のである.
この「こんがらがった」状態から抜けるには,こんがらがった糸を一本一本きれいになおすことが必要なように,はなしの筋を一本一本なおす作業がいる.
ふだん,丁寧な仕事をしている企業ほど,この作業を面倒がる.
それは,現状でも仕事がまわるからである.
ほんとうは,いまのままではいけない,とおもいつつ,現状はまわっている.
すると,余計なことをすれば,現状がまわらなくなるかもしれないし,たいがい,現場はいやがる.まわっている現状を変えるのは,現場にとっては余計なことだからである.
そこで,仕事の棚卸し,という作業が必要になる.
その仕事の名前と,その仕事が存在する理由すなわち目的と,今のやり方との整合性の確認だ.
これで現状が肯定されれば,その仕事は「変えてはならない」と決められる.
「もっとこうしたら」があれば,検討すべきだから「変えなくてはならない」仕事となる.
並行して,それで,なにがわれわれのゴールだったっけ?をかんがえる.
もちろん「利益を出すこと」がでてきてもかまわない.
とにかくたくさん,なんだっけ?を出すことだ.
ここで,「常識」にとらわれてはならないのが「コツ」である.
だから,複数の人間で,なんだっけ?をかんがえるなら,他人がだしたことに反論してはならないのだ.
むしろ,そんな突飛なことなら,こんな突飛なことでどうだ!でよい.
すると,「夢が膨らむ,あなたの胸に」という具合で,これまでかんがえたことがないゴールが見えてくるだろう.
さて,でてきたゴール・イメージを,端的にまとめてみる.
すると,たいがいのひとが,「えーっ!」と思うようなことになる.
ここで,一息.冷静になる.「こんなのできっこない」を鎮めるのだ.
そして,「どうしたらできるのだ?」に話題を集中する.
たとえば,何年かかる?
百年か?千年か?
十年ならどうだ?
もし,十年もあれば,ということなら,ここで紙に十年間の空白年表をつくる.
そして、十年後からこちらに向かって,この年になにをどうする?を書いていく.
一回できれいに年表ができるはずがないから,書き直しはいとわないことだ.
ここで,重要な発想法がある.
そのゴールが常識やぶれであれば,やり方もおのずと常識やぶれになる,ということを識っておくことだ.
すると,これができる企業とできない企業のちがいがみえてくる.
自由にものが言えるか言えないか?というちがいなのだ.
それで,自由にものが言えない企業こそ,現場から以上のやり方でやってみるとよいのだ.
わたしは,これぞ労働組合のあたらしい常識ではないかとおもっている.
働くひとが,みずから働き方をかんがえなくて,なにが働きかた改革なのか?
かつての組合員が,いまは経営者という企業は,大企業ほどあてはまるのが日本企業の典型だろう.
「安全地帯」にいる企業内昇格した経営者が,不思議と上から目線で,しかも,人件費は抑制されるべき,という「常識」に凝り固まっているのだ.この理由はかんたんで,そういう「常識」を言っていれば自身の身が「安全」だからである.
ここには,「いかに自社の付加価値を増やすか?」という経営者の役割に対する責任は微塵もない.
ならば,労働組合が,「いかに自社の付加価値を増やすか?」をかんがえなければ,誰がかんがえるのか?だれもいなくなってしまうのが,悲しいかな日本企業なのだ.
ところが,所詮,組合員から昇格して経営者になるのだから,時間の経過とともに,「いかに自社の付加価値を増やすか?」をかんがえる経営者になる可能性がいまよりも高くなる.
「ただしき」人民管理のチャンスである.