孟母の絶滅?

もはや「良妻賢母」をいうものがいなくなった.
フェミニズムや男女同権といった,あたらしい価値観をしばらくヨコに置いて,人類史という長いレンジを基盤にしたはなしをしようとおもう.
だから,フェミニズムや男女同権というあたらしい価値観から抜けきれないひとには不快な文になるだろうから,あらかじめおことわりしておく.

おとなになれば,「良妻」と「賢母」はちがうことに気がつく.
つまり,「良妻」=「賢母」とはかぎらない.
しかし,制度としての「家」があった時代には,「良妻」=「賢母」でなければならなかったろう.
少なくても長男には,「家を継ぐ」子どもとしての教育をしなければならないが,学校という制度もなければ,だれが教師をつとめなければならなかったかをかんがえればよいだろう.

すると,「家」の「奥」には,すなわち「大奥」のような子孫をつくる機能のほかに,「アドミニストレーション」(統治,行政,管理)という,「家」の維持にもっとも重要な機能をになう責任者としての「奥様」が存在した.ふるくは「政所(まんどころ)」と,ズバリと言った.
これは,首相の「女房役」とされる,「官房長官」機能とおもってさしつかえないだろう.

「専業主婦」というと,なにやら今時はかまびすしいが,本来は,家ごとの官房長官という重責をになうから,けっして気楽な商売ではない.むしろ,「専業」でなければ,とてもこなせる量と質ではなかったろう.

ついこの間まで,「専業主婦」はあたりまえだった.
ところが,「家事」という「労働」だけに焦点があたって,家電の普及によって革命的時間の余裕ができた,と喧伝された.洗濯機と掃除機のことである.これに,本来は炊飯器がくわわるが,ときの「三種の神器」では,価格の高い冷蔵庫が指名されたから,たぶんに電機メーカーの側の言い分である.

つまり,「専業主婦」という言葉には,「賢母」の意味が欠けている.だから「専業主婦」がさげすまされる.これが本来の理由ではないか?「物欲」と直結した「家事労働」が軽減されて,「三食昼寝つき」に,「賢母」のイメージはどこにもない.
しかし,家計は「主人」一人の肩にあった.それで,「ふつうの生活」ができたから,よくかんがえれば,家計の生産性はいまよりはるかによい.
共稼ぎでやっと「ふつうの生活」になるいまの暮らしには,ムダが多いといった方が適切か.

かつて,東芝を再建した,土光敏男氏の母は,戦時中に学校を創設した.
生前の土光氏は,政府の第二次臨調会長時代に密着取材したNHKの番組から,「目刺しの土光さん」と呼ばれるようになった.朝食で目刺しをかじるばかりか,その質素な暮らしに贅沢をもとめる日本中が驚いたからだ.
当時数千万円あった年収のほとんどを,みずから校長をつとめる学校法人に寄付し,妻と二人の生活費は年間百万円程度だった.

しかし,あの番組で,臨調のしごとは国民から乖離した.
だれもが,「目刺し」だけなんて嫌だとおもったのだ.そして,どんなに国の借金が増えようと,じぶんたちには関係ない,かんがえたくない,になってしまった.
土光家の暮らしぶり密着は,その本来の目的からはなれて,「偉人」と「異人」が混じってしまった.

「正しき者は強くあれ」,「国が滅びるのは悪でなく、その愚さによるのです」(土光登美).
まちがいなく,土光氏の母は「賢母」である.
「賢母」から「賢人」が育つ.いや,おそらく,賢母「からしか」賢人は育たないのではないか.

しかし,「賢母」は「奥様」でないとなかなかつとまらない.
政府による専業主婦を労働力に変えようという努力は,賢母「絶滅」のこころみである.
なるほど,おそらくこれをかんがえる人たちは,「専業主婦」の息子たちなのだろう.
みずからの母を,どういう目で見ていたかすら想像できる.学業優等生への「人格欠如」批判根拠
のひとつだろう.

いかにして「賢母」を継承するのか?
それは,事業継承よりはるかに重要で,はるかに困難なことにちがいない.

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