ひとの欲求には,動物としての生理的なものと,社会をかたちづくることからの社会的欲求という二系統がある.
貧しい時代は,生理的な欲求がおもであることは容易に想像がつく.
それで,いまのような豊かな時代になると,社会的欲求をつよめるひとびとがでてくるものだ.
ながい封建時代のあと,なぜか資本主義がおきて(なぜだかいまだ解明されていない),それが産業革命を産み,資本主義社会が急速に発達する.その過程でしょうじた社会のゆがみを批判したのがマルクスだった.
マルクスが大英図書館で「資本論」を執筆したことを,英国人は「偉大なる書物を執筆したひとへの英国人の偉大なる無関心」といった.
その無関心な英国人のひとり,元大蔵官僚のケインズが「一般論」を書くと,これを「ケインズ革命」とよんだが,ケインズ理論を実際に国家の経済政策に採用したのは,ヒトラーだった.
政府が借金をしてでも有効需要を創出すれば,経済は回転して好景気になると.
それで,当時,だれも自家用車など所有していないのに,アウトバーンをつくった.だれもが,ドイツは「巨大政府債務で経済破綻する」とおもったが,そうはならずに「独裁」による「政治破綻」でくにが滅びた.
そのケインズの有効需要のはなしには条件があって,ケインズ本人は「不況のときの政策に限定」と強調していたが,「いつでもおこなう」のは,政府の行動原理である.こうして,マルクスの革命ではなく,ケインズの革命で国家は社会主義(富の分配は国家=官僚が行う)を達成できた.
マルクスとケインズの間に,ひとりの偉大な経済学者がいたのだが,その人の名前はいまはあまり人びとの口にはでなくなった.ゾンバルトという.
有名な著作は,「恋愛と贅沢と資本主義」である.
なぜ資本主義が生まれたかを,貴族の恋愛が贅沢な贈り物文化を活発にし,その生産が資本の蓄積を呼び込んで,消費しまくった貴族は没落し,稼いだ側が勃興したという理論による解説である.
この過程で,重要なのが「みせびらかしの消費」である.
恋人にどんな贈り物をするのか?
その中身の豪華さが,贈り主の地位であり受け取る側の価値になったのだった.
だから、だれからだれに贈るのか?というのではなく,何が,という贈り物だけに関心が集中した.
ペット,とくに犬と猫は,わが国ではすでに人間の子どもの数よりおおくなった.
「インターペット2018」が今日まで,東京ビッグサイトで開催されているので初日に行ってみた.
このイベントは,ペット同伴が可能なのである.
会場で気がついたのは,皆様が連れているペット(犬)のおおくが,たいへんきっちりと躾けされていることだった.
すなわち,「訓練された犬」を連れていることが「ステータス」になっているのだ.
だから,さまざまな「物品」や「サービス」を消費する意味が高まるのだ.
「訓練された犬」への投資という,目には見えない「背景」こそが,来場者たちの条件になっていたとおもう.
つまり,街で見かける「訓練できていない犬」の飼い主たちと一線を画す飼い主の存在である.
すでに,二極化しているのだ.
また,外国の自動車メーカーの出展も興味をひく.
ペットとドライブに出かけることをアピールしているが,それは「訓練された犬」を対象としている.
たしかに,「訓練できていない犬」とのドライブなら,それは苦難しかないだろう.
「訓練された犬」を所有する.
これこそが,この分野のみせびらかしの消費の条件なのだ.