人生は砂時計

ガラスで出来た砂時計はどうやって作るのか?
けっこう大変な作業だろうと容易に想像できるのは、手早くしないと砂の量とくびれの細さの関係調整が、加工できるガラスの温度管理とからめて、難しいとおもうからである。

時間の設定には、ストップウォッチを使って、砂の量を決めるから、最初にくびれを作る手順になる。
まさに「職人技を買っている」のが、砂時計という商品なのだ。

「時間とはなにか?」をかんがえだしたら、夜も眠れなくなりそうな難題で、とうとう『時間は存在しない』(NHK出版 、2019年)が、「最新」の議論になっている。
書いたのは、ホーキング博士の再来というイタリア人、カルロ・ロヴェッリ博士だ。

前に書いた、「人間は臨終の際、脳から量子が飛び出して、宇宙へと放出される」という話は、『ペンローズの量子脳理論』(ちくま学芸文庫、2006年)だった。

もちろん、ペンロース博士も、アインシュタインの再来ともいわれる大学者で、生前のホーキング博士との「対談」は、有名だ。

そうはいっても、一介の文系素人には、わかったようなわからない話で、とても「理解できた」と自慢できるものではないし、かえって、なにがなんだかわからないのである。
つまり、宇宙規模の世の中は、「わからない」というのが、まちがいなく現時点での「答え」なのである。

そこで、さらに「素人」がこまるのは、「わかっていること」との「境界」がどこにあるか?がわからないので、なんだか狐につままれたような話になる。
だから、いきなり「時間は存在しない」といわれても、なんのこと?になるし、なにいっているの?になって、生活者は相手にしないのである。

ここに、専門家と生活者との「断絶」があって、それは、「ガリレオ裁判」にもつながるような、「無関心」なのであるけど、「そのうち」世間の常識に変化するものだ。

いまはだれにとっても、1日は24時間で、砂時計でも時間が計れる。
むかしは、1日はあってもそれが24時間だったわけではない。
「24時間の定時法の時計」を伝えたのは、あのザビエルだった。
しかし、日本人は「不定時法の時計」という発明をした。

日の出と日没を基準として、「昼の時間」、「夜の時間」のそれぞれを「均等割」にしたものだ。
明るくなったら活動して、暗くなったら寝る。
この生活のために、「不定時法」が重宝したのである。

だから、夏と冬とで1時間の長さが変わった。

対して砂時計は、一定の時間を計るのに役立つ。
砂粒の大きさの一定が精度に影響する。
それに、「素粒子の流れ」をもってしたら、時間もこれに当たるという話があったので、砂時計はおそろしく「量子論的」な「時計」なのだ。

「粒が流れる」という意味で、おなじだからで、粒の数をカウントしたら「デジタル」なのである。

それゆえに、量子の粒はいつどこから生まれてどこへいくのか?も「砂時計」を作るときの発想だと思えば、いつどこから生まれたのか?は、砂時計でいう「上」の空間で、それが「下」の空間に流れたら、どこへいくのか?という話にもなる。

この上・下が、「ループしている」としたら、「永遠」あるいは「永久運動」になるから、「時間は存在しない」というのだろう。
すると、わたしたちが「時間」を感じているのは、通過点の「くびれ」に住んでいるからだとも思える。

しかし、この「くびれ」の部分が、宇宙なのだといわれて途方に暮れるのだ。
せめて太陽系に限定するとかならば、なんとかついていけそうだけど、そのそも中心にあるはずの太陽すら、「公転」しているという驚きもある。

計算上の「真の中心」から太陽がズレるのは、系の惑星たちの重力で太陽もブレるからだ、と。

もちろん、地球だって太陽の周りを素直にスムースになんて回っていなくて、月とダンスを踊るようにブレながら周回している。
その月も、年に3センチほど地球から離れているから、億年とかの単位でいえば、地球は月を失う可能性があって、そうなれば、潮の満ち引きもなくなる。

これがどんなに地球に影響するかは、少なくとも「人類」には、厄災がやって来ることまちがいない。
それまで人類が存続していれば、だけれど。

一個の個体として、もちろんそんな長生きの人生はないので、かんがえるこすら生活には無駄である。
ならば、どこまで先をひとはかんがえるのか?

数年前まであった「100年カレンダー」をすっかりみなくなったのは、その中の「ある日」が、自分の命日だとかんがえると、自殺を誘引するという危険があると指摘されて、「市場」から消えたらしい。

もっと先がある、という感覚と、先が見えてきた、という感覚は、砂時計の「残り」をみるようなのだ。
若い頃には、時間は永遠だとだれもが勘違いして、齢を重ねたら「残り時間」を意識する。

人間のそんな感覚とは一切関係なしに、「時はすすむ」から、時間とは残酷なものだ。
若い部下にこれをいったら、笑い飛ばされたことがあった。
その人物も50を迎えて、もう笑えないことをしっている。

それゆえに、先を心配してもはじまらない。
逆に、残りの一粒一粒を輝かせるには、なにがよいかをかんがえた方が「楽しい」のだ。

金銭欲、物欲、名誉欲。
はたまた、無欲の境地。
いやいや、自由なる活動への欲求だ。

それがまた、ひとそれぞれなのである。
老後の不安は、ひとまず忘れることだ。

人気のアイドリングストップキャンセル

交差点での信号待ちで、エンジンを自動的に停止させるのが、アイドリングストップ機能だ。

これが、ムダな燃料消費を抑止するので、「エコ」だという。
この場合の「エコ」とは、エコノミーだけでなく、地球環境にやさしいという意味での、エコロジーのことも同時に指すにちがいない。

義務教育における「洗脳」を、戦前の教育にはあてはめて批判するけど、戦後のことはいわないから、事実と政治思想(うそ)が混じっていても、誰もいわなくなった。

つまり、地球は人間のために痛んでいるから、そんな人間をこらしめなくてはいけないし、そうならないように自己制御することが、「道徳」だと教えている。

これは、どうしたことか欧米のキリスト教批判からきた、伝統から離れる「モダン」に対する「ポスト・モダン」とした思想ではあるけれど、実態はたんなる「左翼思想=共産主義・全体主義」の言い換えにすぎない。

つまり、ここでいう「伝統」を「個人主義」とすれば、「ポスト・モダン」とは、「利他主義」のことにもなる。
共産主義が利他主義を「善」とするのは、全体主義ゆえの「個人の否定」にほかならない。

この「利他主義」こそ、騙しのトリックつまり、手品のタネなのである。
「他人のため」という「自己犠牲の精神」は、なんだか美しい。
しかし、「自分かわいさ」ゆえに、他人も「自分同様」とする「個人主義」がややこしいので、騙されるのである。

「自分かわいさ」だけで、「他人はどうでもいい」という、「わがまま」を個人主義だと威張られて反論できない弱さがあるからである。
そんなやつには、ズバリ「ひとでなし」といってやればいいのだ。
しかも、そんなやつほど「利他主義」を口にするものだ。

みんなのためだからマスクをしなさい、とか、みんなのためだからワクチンを接種しなさいという「善意」の押しつけ(強制)は、共産主義・全体主義の「善」なのである。
だから、みんなのためだから、資本家の資産は没収していい。

没収した資産は「みんなのもの」だけど、みんなに分ける方法を決めるのは「党」であって、「党」はごくわずかな「指導者」に従う。

それでこの指導者に媚びを売らないと、自分の命の保証もないから、手が痛くなるまで称える拍手してもどうでもいいことだし、それをみなでやっていることの安心感が得られるのは、だんだんと個人の幸せにつながると思えるようにされているのだ。

ゆえに、指導者はたえず「集団心理」のコントロールに気を遣って、たえず自身や党に憎しみの矛先がこないように、外部に「敵」を作りつづけるのである。

この対象に、ぴったりなのが「地球環境保護」というキーワードで、外部の敵(外国)を自虐的に衰弱させることを思いついた。
そうやってできた、「反日政策」の究極工作が、『京都議定書』だった。

自分たちを「蚊帳の外」にして、まんまと日本だけが貧乏くじを引かされたのに、あろうことか日本人はそれを悦んだのである。

米・欧・露・中の国連常任理事国は、二度目の「大勝利」に酔ったはずだが、大酩酊していたのは、「負け戦」を引きずる日・独の2ヵ国だったわけである。
昨今のエネルギー資源不足から、ドイツはひどい二日酔いに気づいたけれど、日本はいまだに気を失っている。

幼稚園から小学校を通じて、「自然派=善」をたたきこまれて、中学になれば「テストに出る」ということでの強制で、そのままおとなにさせられる。
それでも、自立して生活をはじめるのに、自動車がないと暮らせない地方住まいなら、なんだかおかしい、に気づき出す。

しかしながら、人口密度から公共交通機関の発達がある「都会人」は、自家用車を必要としない生活をしているので、この「気づき」がなくて、「大票田」となっている。

それが、アイドリングストップ機能だ。

はじめのうちは、あたかも燃費に貢献しているようにみえて、地球環境によいことをしている気分ではあるけれど、モニターに表示される「効果」としての節約した燃料は、「リットル単位」にはほど遠い。

定期点検や法定点検にだせば、バッテリーの消耗が激しくて、高価なバッテリーを交換させられればまだしで、あろうことかエンジンスタターモーターが壊れたら、レッカー移動の憂き目もみる。
これが冬場の山中だったら、命に関わるのである。

そんなわけで、アイドリングストップをさせないための、キャンセル機がバカ売れしている。
エンジンを始動するたびに、いちいちキャンセルボタンを押さないで済むからである。

すると、消費者は、アイドリングストップ機能を買わされて、さらにこの機能をいつも解除する機能を買うという、二重の出費をさせられている。

もっといえば、公共交通網が薄い人口密度で成りたたない地方ほど、家族それぞれに一台が必須の自動車なのに、その燃料を運ぶためのコストも加算されるので、製油所のある沿岸部より高価な燃料を買わされている。

だから、都会より地方の方が、生活コストが「安い」にはならないで、むしろ、「高い」といえる。
これも、地方衰退の原因の一つで、その重みは大きいのではないか?

消費税とガソリン税を二重に盗られる地方イジメが、都市部重視・地方軽視の政党になった昭和のはじめの「民政党」に似てきた自民党の姿なのである。
なんだか、東京駅で撃たれた濱口雄幸と誰かが似ている。

そうなると、自民・公明政権による「悪政」が、総合的・計画的に実施されたと解釈するのが妥当だろう。

ところで、「アイドリングストップ・キャンセル機」は、「合法的」なのである。
なぜならば、「車検」における「義務」ではないからで、燃焼効率だけの「排ガス規制」がやっぱり「税」とからんで引っかかるのだ。

この引っかけ問題をつくったのは、経産省と環境省の嫌がらせなので、メーカー系のディーラーでは販売も取り付けもやってはくれない。
しかして、「エコ」なのは、バッテリーとエンジンスターターモーターを長持ちさせるからで、こうした役所の「視野狭窄」発想が、まったく「科学を無視する」点で共通している。

もはや誰の目にも明らかな、メガソーラーの環境破壊を「推進」させているのが、これらの役所で、やらせているのが自公連立政権による「悪政」のたまものなのである。

しかし、「環境派」のはずの左翼野党も無言を通しているから、気づいた国民はあらゆる方面でアイドリングストップ・キャンセル機のような「逃げ口」を探して歩いているのである。

農業とは必ず自然破壊する

さいきん目にする、「自然派農業」という文字には、自己矛盾がある。
そもそも農業を「業」として行うとは、必ず自然破壊を伴うからである。

「エデンの園」に住んでいた人類の租、アダムとイブは、労働をする必要もなく、その辺にある果実やらを適当に採って食べていればよかった。
だから、飢餓をしらない。
なので、満腹になるまで食べることもしなかったろう。

ひとはいつでも腹が満たされる状態にあれば、しぜんと「腹八分目」にするものだ。
しかし、ふつうのひとがそんな状態に置かれたら、こんどは閑を持てあまして、ロクなことをしなくなる。

蛇に騙されたことにはなっているけど、きっとアダムとイブが閑を持てあましていたにちがいないのは、イブに少しは「智恵」があったからだろう。
すると、アダムは完璧な「愚民」だったともいえる。

それで例の「智恵の実」を食べてしまって、罰として一生労働して暮らさないといけないように、「楽園追放」の目にあうことになった。
これを、あちらのひとたちは、「原罪」と呼んでいて、彼らの子孫であるわれわれは皆その罪を背負って生まれてくる、と。

一方で、日本の神話では、米作りがすぐさま出てきて、「瑞穂の国」となっている。
それがまた、縄文遺跡からも炭化した米が出土して、いまだに日本人の半分を占める縄文人の先祖は、稲作をやっていたことがわかっている。

だから、弥生人が稲作を持ち込んだ、という説は、もはや通じない。

ここで、アダムとイブの子孫たるひとたちは、まず米を作ってはいないことを確認しておく。
彼らは、主に小麦、大麦、オリーブ、ぶどう、を作っていた。

なお、ジャガイモやトマト、トウモロコシ、ナス、それに唐辛子などは、みなアンデス原産なので、コロンブス以降のひとたちがヨーロッパに持ち込んで普及したから、ここ数百年程度の、人類の食料としては「新しい」農産物なのである。

すると、これらの「輸入品」を日本人が栽培して食べ出したのは、「もっと新しい」ことになる。
江戸期に唐辛子がやってきて、辛子に「唐」をつけたのは、南蛮人からの伝来をいったのだと前に書いた。

対して米は元来東南アジア原産で、稲という植物は、育つのにやや水没した環境がないといけないのである。
だから、米作りには、東南アジア「風」の環境を人工的に作って、あたかもやや水没させて暮らしやすいようにしてあげるのである。

これを、縄文人がしっていた。

一方のアダムとイブの子孫たちがいるあたり(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のひとたちが住む)は、もともと乾燥地帯(メソポタミア・エジプト)で、小麦栽培の地域だった。

ところが、米にあって小麦になく、小麦にあって米にないものがある。
米にあって小麦にないのは、玄米にある「必須アミノ酸」だ。
小麦にあって米にないのは、「グルテン」である。

だから玄米を食べていると、極端だが副食を要しない。
しかし、小麦ではそうはいかないから、タンパク質は家畜から得たし、脂質は家畜とオリーブオイルから、そして嚥下しやすいように飲み物を欲したけれど、清水がないのでワインをつくって飲んだのである。

それゆえに、西ローマのカソリックと東ローマの正教会(元はローマ教会)での儀式「聖体拝領」では、パンとワインをいただくのである。
なお、プロテスタントにこの儀式はない。

洋の東西を問わず人類は、農地を「開墾」するために、森を開き、岩をどけてきた。
つまり、「自然」を太古からの手つかずのままの状態だとすれば、農地とは「それだけ」で自然破壊をするものなのである。

なので、耕作放棄地の荒れ地を「自然にかえる状態」といえばいいものを、整地された「百枚田」をみて美しい自然だといって写真を撮り、耕作放棄地の草ボウボウを見向きもしない。

だから、自然派農法なる言葉には偽善があるし、「野菜工場」なる言葉もおかしい。

しかし、人間は食物をとらないと生きていけないために、農地を保持しながら農作物を育てるのであるから、農地そのものが「工場」なのである。
それが証拠に、各種肥料(いまは化学肥料)と、農薬をどのように使ったらもっとも効率がよいのか?という「生産技術」が問われる。

これらの「投入量」と「投入回数」を、人工的に少なくする農法を「自然派」というから、ふつうの農業よりもずっと人工的なコントロールを要する。

それが昔は、「厳しい農作業=労働」をもって対処したのだった。

勝手に作物ができて、エデンの園のような農業を「自然派」とはいわないのは、そんなことができないからである。
これを無理やり政府が命じて破綻したのが、スリランカ農業でのできごとだ。

しかして、われわれが「自然派作物」を求めるのは、「安全」に尽きる。
けれども、「安い」を優先させたら、そうはいかない。

さてそれで、「安物買いの銭失い」という諺は、どんなふうに作用しているのか?
それが、「健康」だとなれば、「安いは悪い」になるのだけれど、簡単ではない「深刻」がある。

いまや、せめて「旅先で」すら、ままならないのは、先年の東京オリンピックにおける選手団への食事提供だったけど、「世界規格」に合致した作物が国内になくて「輸入」に依存していたのである。

日本人はいま、なにを食べているのか?なにを食べさせられているのか?

オリンピックの「経験」は、ぜんぜん活かされていないで、たった1年前のことなのに、なかったことになっている。

「経済人」と「政治人」はいない?

「経済人」としての伝統的な存在は、『ロビンソン・クルーソー』だから、経済学徒の必須として、原著か原著の翻訳をしっかり読めといわれてきた。
それで、下に示した岩波文庫を開いてみたらわかるけど、ぶ厚くて文字がびっしり埋まっているので、「少年少女文学」だと舐めてかかったら撃沈する。

 

無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが、「貸借対照表」をもってして自らの生活行動の「損得勘定」をする場面が、「経済人」だというのである。
しかし、彼が無人島から脱出してからの阿片貿易や日本を目指すなどの行動が、当時の英国人がかんがえた「経済人」ではなかったのか?

つまり、ここでいう「経済人」とは、つねに「合理的な行動をするひと」のことだ、と定義するのを前提としている概念をさすけど、そんな人間は現実に存在するのか?と問えば、「いない」ことは明らかだ。

ひとは、単に経済価値だけを追求して生きてはいない。
むしろ、そんなひとが身近にいたら、友人としてもお断り、になるだろう。

このことは、「経済学批判」の最初にある問題提起なのである。

なぜならば、現代の経済学は、その対象に「経済人」を前提としている学問だからである。
なので、「そのブレ具合」が、経済学での議論になっている。

あたかも、近代経済学は、数学を駆使したポール・サミュエルソン(1970年第2回ノーベル経済学賞受賞)を代表として、「数理モデル」を追及してきたので、「理系」的な学問になったから、大学の受験において「数学」をどうするのか?が問題になった。

わが国の大学では、経済学部は「文系(人文科学)」として扱われることで、数学を不得意とする学生には、専門性が高まるほど歯が立たないことになるのだ。
これは、マルクスの『資本論』を読むことが「経済学だった」時期があるからだけれども、「人間学」の要素がないと、経済活動の把握にはならない。

この意味で、経済学は「人文学」であって、「科学(サイエンス)」でもあって、マルクスはどちらでもない。

7月29日付け、JBPress電子版の、『「統治崩壊」でも勝つ不思議、なぜ日本人は自民党に票を入れ続けるのか?』(白井聡)には、日経ビジネス2021年12月27日号『マーケティング視点の政治学-なぜ自民党は勝ち続けるのか』での調査結果を引用しつつ、次のように記されている。

「この結果は、私を含む政治学者たちの常識を粉々に打ち砕くものです。(中略)「有権者は合理的な判断により投票するものである」という(中略)政治学者が想定する常識的な前提は、現実と大きく乖離していることが明らかになりました。」

「早い話が、日本の多くの有権者は各政党がどんな政策を掲げているのかロクに見ていない、ということをこの調査は明らかにしました。」

「ただなんとなく自民党に入れている」

この記事の「驚き」は、二つあって、一つが政治学者たる著者が告白した、「常識が粉砕された」という点と、「いまさら感」のことだ。

元来、「政治学」なる学問は存在するのか?という批判があった。
なぜならば、ほとんど「データ」を掲げて議論しないからで、この点で経済学とちがって「科学(サイエンス)」とはいえないし、ならば「人文学」としても曖昧模糊としている、という批判だったのだ。

早い話が「評論」か「与太話」だと。

引用元の記事を観てはいないけれど、「マーケティング視点」を、「アメリカの大学で教鞭をとる堀内勇作氏らのチームが『コンジョイント分析』という手法を用いて実施した実験的調査」と紹介しているので、アメリカでは政治のマーケティング視点はふつうにあるのだろう。

それは、政党への「寄付金」を集めるための道具にもなるだろうし、「選挙」の勝敗が「資金額」で決まるともいわれていることからもうかがえる。
実際に、民主党は大富豪からの大金を集めるのが得意で、共和党は小口(10ドルほどから)の寄付が断然目立つのである。

つまり、民主党と共和党の二大政党は、明らかに支持基盤がことなっているから、それぞれのマーケティング戦略が自陣営の票確保と他陣営からの奪取に大きな影響があると想像するのは容易である。

しかしながら、わが国の場合は、まったくちがう「(得票)マーケット」が形成されているので、わが国の「政治学者」として、「驚いた」こと自体に、わたしのような素人が驚くのである。

そして、すぐさま「なにをいまさら」と思ってしまう。

もちろん、これには「マスメディア」も多大なる影響を与えていて、とっくに「情報操作」をしていることでの「部数」や「視聴率」を落したことで、相対的に「政府広報予算」が、あたかも公共事業に依存した、かつての土建業のようになって、スポンサーたる政府の政権批判をしない、ということの問題があることは無視できない。

すると、政治学者が政治「学だけ」をやって、マスコミの世論操作に無頓着でいられたことの告白こそ、政治人としての「たこつぼ(学者世界での政治)」状態を想起させるから、この部分(たこつぼの中)だけの「政治人」はいるのだとわかるのである。

なるほど、それで政治の専門家は、「政治家の世界:略して政界」をしきりに分析するけど、それがどう国民の幸福につながるかを無視するのは、経済学に似て非なるものになっているのだ。
少なくとも、経済学は「国民所得の増減」は議論するからである。

はたしてこれが、日本国内の特殊事情で問題ないのは、アメリカの場合は、厳しい調査結果が容赦なく発表される「マーケティング」があるからで、これをしらない政治学者たちのおかげで、政治家は国民を無視できるのだと、日本国民の方がしっていればよいことだからである。

旧態依然とした「内閣改造」がいまだに行われていても、その浮ついた感が顕著なのは、遅ればせながら日本にもやってきた、政界のマーケティング視線がそうさせている。

トップに無能を求めていたら

1977年(昭和52年)の、いまは亡き西城秀樹のヒット曲が、『ブーメラン・ストリート』(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)で、小学生が「ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン」と口ずさんでいた。

いまはやりの「ブーメラン」は、ひょっとしてこの歌があったお陰ではないかと思うほどだ。

かくいうわたしも、プラスチック製のブーメランを買ってもらって、公園やら野原の空き地で友人たちと投げていたけど、ぜんぜん戻ってこなかった。
「おとな用」のブーメランを売っているのもみたけれど、それはもう購入意欲をなくすほどの高価だった。

いまからしたら、アボリジニの民具を輸入した「本物」だったにちがいないけど、あれを本当に購入して飛ばしているおとなをみたことはなかった。

投げたブーメランが戻ってくる仕組みは、あんがいとややこしくて、回転運動と歳差運動がトルクに影響している。
経験値から作っていたのだろうけど、どんなに工夫を重ねたものか?

それが、「もの」から「比喩」に変化して、「自業自得」をいう言葉になったのである。

そんなわけで、西城秀樹の歌にも、三木たかしが仕込んだ「深い意味」があったけど、「軽い」という意味での「ポップ」な曲だから、歌詞を読み込むひともいなくなって、それがまた、「大ブーメラン」になって日本人に返ってきているともいえる。

「歌」は、はじめに歌詞があって、それから曲がつくものだ。
だから、作詞家の名前の後に作曲家の名前がくる。
作曲家は、歌詞の意味と発音、とくにイントネーションをかんがえないと、意味不明の歌になってしまう。

「森の熊さん」が、「森の隈さん」になったら、なんだかわからないのに、「くま」のイントネーションのちがいがわからなくなって久しい。
言葉は耳から入る「音」で覚えるものだけど、イントネーションがちがう歌で、言葉がかわってしまうこともある。

あんまりノスタルジックなことをいってもせんないけれど、この意味で昔の童謡は、一流の作詞家と一流の作曲家がコンビを組んでいて、「ただしい」日本語を覚えることができた。

しかしながら、日本語の面倒は、豊富な「方言」にあって、明治の中央集権国家に改造したとき、「標準語」も発明しないといけなくなった。
江戸の言葉が、そのまま標準語になったわけではないし、なぜか「京都弁」も採用されなかった。

学校で習って暗記させられる「和歌」だって、絶対にイントネーションは京都弁で、標準語のはずはないのに、これをいう国語教師がいない。
ネット動画で、『源氏物語』や『枕草子』を京都のイントネーションで朗読しているひとがいて、その味わいは、だんぜん納得できるものである。

生徒にとって、教師は「トップ」にあたるから、こんなことも教えてくれないことに疑問を感じる生徒もいない。
和歌を標準語のイントネーションで教えることに、教師が疑問を感じていないからだ。

ならば、その教師の教師は?と順にさかのぼれば、何代もの教師が存在するし、「学習指導要領」を書く大学教授も、疑問を感じないで「学者」になったにちがいない。

これを、『ピーターの法則』が明快に解説している。
いわゆる、「無能」の再生産の仕組みだ。

すなわち、無能が無能を作り出す。

また、無能の本人の幸せは、自分が無能であることに気づかない無能だからで、そんな無能が社会的地位を上げると、部下にも無能を選ぶのである。
そうやって、無能な部下を、永遠に叱責できるからである。
しかしてその無能な部下は、やっぱり無能な後輩を立てて、無能の連鎖を作り出す。

一方で、有能な部下は、無能な上司が便利なのだ。
適度な手抜きを期待通りに見のがすからである。
したがって、常にマイペースで仕事ができるのだ。
「あくび」がでるような仕事でも、「やっている感」を演出すれば評価される。

それがまた、『パーキンソンの法則』を生みだして、その組織はいつかは破たんする。

すると、無能も有能もなく、組織ごと吹き飛んで身も蓋もないことになるから、我慢できなくなった有能は、無能からみて反乱分子となるために、まっ先に転職を模索する。

それでもって、転職サイトに登録すると「高く買ってくれる」ようなCMがあるけれど、転職先が無能ばかりなら、元も子もないのである。

ブーメランを喰らうことになる。

だから、ほんとうに欲しい情報は、有能なひとたちで運営されているのかどうかの情報なのだけど、自分から無能ですという会社はないから、ない物ねだりになる。

こうした事情を熟知していれば、チェスタトンの『求む、有能でないひと』という募集が、どんなに魅力的なことか。

無能にはできない技なのである。

日経夕刊の「昆虫食特集」

キタ━(・∀・)━!!!!

東京の大手町にそびえ立つビルのなかに、読売新聞社と日本経済新聞社がある。
読売新聞社は、いまも日本で一番読者が多い新聞を発行していて、その「中興の祖」が、正力松太郎である。

このひとは、26歳で東大(旧制)を卒業後、内閣統計局に入って、翌年に高等文官試験に合格している。
それで、内務省から警視庁に入り、1年で「警視」になって警察署長を務めた。

このあたりは、本人よりも組織・上司の都合がどのように作用したのか?興味深い。
それでも大正13年に、警視庁警務部長時の「虎ノ門事件」(摂政宮裕仁殿下暗殺未遂事件)の引責で、懲戒免官となって、経営不信の読売新聞を購入した、とある。

戦中の昭和18年に内閣情報局参与、翌年に貴族院議員となり、同年小磯内閣の顧問となった。
戦後は政府との関係から、「戦犯」になるも「不起訴」で、CIAのコードネームを持つ協力者だったことが、アメリカ公文書の情報公開で明らかになった。

このあたりは、「戦犯」岸信介氏の、「その後」とおなじパターンである。
なお、警察官僚で「実業家」への転身ならば、亀井静香氏の「ファミリー企業」は、見事な政界・官界の同意を得た、「合法」事業として記憶していていい。

しかして、正力松太郎氏の実力は、戦前・戦中期にも発揮されているから、戦後の占領軍にも利用されたのであったとかんがえれば、倒産目前の読売新聞をあっという間に再生させた見事な手腕は、国民のためにどう使われたのか?がこれからも問われるのである。

だれにでもわかる、朝日や毎日といった左翼メディアよりも、一見して保守なのか自由主義なのかをほのめかし、野球人気やプロレス、サッカーなどのスポーツ振興も、「3S政策」の忠実なる実行だと解すれば、まさに、GHQの占領目的をかなえるための情報機関だと定義できる。

そんな「新聞社」が、大手町にそびえ立っているのだ。
この「白い巨塔」こそ、日本国民支配の重要な機関なのである。
なお、隣の赤茶色の「KDDビル」が、以前は大手町で一番高かったんだけどなぁ。

さてそれで、もう一つの「巨塔」が、日本経済新聞社だ。
こちらは、「ガラスの巨塔」といってよく、おなじ「街区」に、日本経団連ビルとJAビルがあるところが、その「性格」をほのめかしている。

それはもちろん、だれが名づけたのか「財界広報紙」という「異名」のことで、まさに「図星」である。
経団連に加盟する企業は、「プレス・リリース」を、その業界担当記者に送りつければ、記事にしてくれる可能性が高いからである。

学生時代からだから、もう40年を超えて「日経新聞」を契約していて、初期の頃からの「電子版」も追加した。
だからといって、いまでは家内が熱心な読者で、たまに「なんだこれ?」というのを聴いて目にする「新聞」になっている。

記事よりも新刊図書の「広告」を買っているつもりでいたが、とうとうほとんど自分から目にしなくなった。
これは、「電子版」でもおなじだけれど、ごく「たまに」証拠保存したいときに便利だというだけでの契約になっている。

集合ポストに入る「夕刊」は、家内よりもだいたい帰宅がはやいわたしが取り上げて、階段を登りながら「1面の大見出しだけ」をみて、家内が座る席横に放り投げてそのままなのが「いつも」なのだ。

だから6日の夕刊も、いつも通りにしていたら、帰宅した家内が「気色悪い」というから、なんのことかと聞き返した。
すると、「昆虫食の特集だ」というのである。

さっそく「電子版」を、証拠保全のために保存しようとしたけど、素直に記事がでてこない。
それで「紙面」の記事自体を確認したいと家内にいったら、「気持ち悪い」といって新聞紙を投げてきた。

べつに「新聞紙」が昆虫でできているものでもないのに。

「世界政府」をいっただけで、陰謀論だというひとがいて、面倒くさいのだけれども、「世界経済フォーラム:ダボス会議」が提言する、様々な「政策」は、しばらくすれば「国連」での議論になって、もっとしばらくすれば、各国政府の施策になる、ということから説明しないといけないから面倒くさいのだ。

この点、日本経済新聞は、国内の「財界広報紙」を超えて、世界一の発行部数を誇る「経済新聞」として、「世界経済フォーラム:ダボス会議」のことは、「ちゃんと」報じてくれるのである。
ただし、日本語メインなので、どれほど世界的に影響があるのかはしらない。

買収した格式ある「フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)」にその役回りがあるとおもわれる。

それで、「世界経済フォーラム:ダボス会議」は、とっくに「昆虫食」を提言していて、「栄養価が高い」と強調し、なおかつ、世界人口の増加を「懸念」して、「食糧危機」の回避策として「激推し」している。

けれども、このフォーラムのメンバーは、個人なら大富豪、法人ならグローバル企業ばかりで、新入社員の30倍の年収を「あたりまえ」とする経営者たちの集まりだ。
そこに、世界の政治家がたむろしている。

このひとたちは、自分たちは「ビーフ・ステーキ」を食べるに「値する」当然があってこれを保持するけれど、そうでない一般人は、昆虫由来の「肉」で十分だと公言してはばからない。

それでも人口増加は「悪」なので、人為による「人口減少」を「提言」しているのである。
なぜか、「お初の病」に、すぐさま百万人単位のワクチンが提供される「妙」もある。

目標は、「世界総人口10億人」だと発表している。
この根本に、「優生思想」があることは明らかだ。

今般の「夕刊特集記事」は、日本経済新聞が「世界経済フォーラム:ダボス会議」の日本語広報紙であることを、あらためて自己紹介した証拠になるから、その「保全」をしたのだった。

立秋を過ぎてもセミの声が聞こえるなか、いつか将来、セミの幼虫を食べさせられることになるやもしれぬ。

「核廃絶」という国家神道

いつまで続けるのかしらないが、今年もまた「原爆の日」がやってきた。

広島型は、通称「リトル・ボーイ」といわれた、ウラン型のもので、積載量は、「ウラン235」を140ポンド(約63.5kg)だったけれど、そのうち、1.38%(約876.3g)が核分裂反応を起こしたと推定されていて、高性能火薬として換算されるTNTで16kt(誤差±2kt:キロトン) という威力だった。

広島から3日後の9日、長崎に落とされたのは、通称「ファットマン」で、いわゆる「マンハッタン計画」によるものがこちらにあたる。
さらに、ウラン235ではなく「プルトニウム239」を用いており、TNT換算で21ktである。

広島型に比べ「出力」は大きいが、山谷が複雑な長崎の地形が「被害を少なく」した、という説がある。

「ファットマン」は、結局120発が生産されているが、「リトル・ボーイ」はほかに製造しないで「廃絶」された。
この理由は、「安全性」にあって、もし海洋に投下されたら、海域ごと
「汚染」されるからである、と。

リトル・ボーイより安全だというけれど、ファットマンのプルトニウムの「半減期」は、24,000年もあるから、とんでもないことにちがいはない。

そんなわけで、わが国は、アメリカ民主党政権から、「猿」扱いされて、非戦闘員を虐殺されるという目にあった。
これは、いわゆる「戦争」ではなくて、「戦争犯罪」なのである。

オバマ氏がノーベル平和賞を受賞したのも、2016年5月27日に安倍総理と広島を訪問した初のアメリカ大統領だっただけでなく、「核廃絶を訴えた功績」とされている。

しかしながら、このひとは、このときの「歴史的演説」の翌週に、アメリカの保有する核を大幅増強する大統領令に署名している御仁なのだ。
まことに、アメリカ民主党の「過去の過ち」を訂正する気なぞ微塵もない、「口だけ男」なのである。

けれども、そんな人物を褒め称えるのが日本のマスコミと政界で、しらぬ者はいないだろう広島平和記念公園にある「広島平和都市記念碑(俗にいう「原爆死没者慰霊碑」)」には、日本語の難解さを表す謎の文言が刻まれている。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

これを、英文にしたものをオバマ氏は読んだのだろうか?
読んでいたら、どんな「解釈」なのか?の前に、どんな英文になっていたかをしりたい。

もちろん、どうして「原爆投下記念公園」とか、「爆心地記念公園」ではなくて、「平和記念」なのか?という問題も、日本語の難解さを表しているし、「碑」の名前にも「平和都市記念」という難解さがあるから、「俗称」がまかり通っているのだろう。

すると、俗称の素直さが、「正式」になく、さらに公園の名称にもないので、なんだか、例の全体主義の常套手段たる「ニュー・スピーク」がふつうに適用されている「格好の事例」になっている。

人類不滅の金字塔小説『1984年』における、ジョージ・オーウェルによる「ニュー・スピークの用法説明」に、たとえば、「戦争とは平和である」がある。
また、政府のプロパガンダ機関を「真理省」という事例もある。

もちろん、「碑文」の後段、「過ちは繰返しませぬから」の主語についての解釈が、「ニュー・スピーク」になっているから、本当の解釈をすべき、「実行犯」たるアメリカ民主党の代表者だった、オバマ大統領の感想を聞きたい、ということをいいたいのである。

端的にいえば、「一言も謝罪をしなかった」からである。
むしろ、オバマ氏が「過ちは繰返しませぬから」と、広島で演説したからニュースになった。
まさに、「ニュー・スピーク」だ。

そのときの主語はだれなのか?
彼は「文明社会」といったのである。

お門違いも甚だしい。

さて、オバマ氏が詐欺師なのは以上からもわかっている。
彼のような人物を育てているのが、アメリカ民主党だ。
問題は、彼がこの演説のなかでいった「科学の進歩による厄災」なのである。

人類は狩猟のために生みだした「武器」を、人間にも使ったと演説のなかで「歴史」を述べた。
アメリカが原子爆弾を生みだしたのも、すでに人類の「歴史」になってしまった。

つまり、「作り方」が「拡散」して、現代文明の一部になっているのが「歴史事実」なのである。
ゆえに、いまさらみんなで核を棄てようとしても、ひとりでも隠し持つ事に成功したら、人類はその所持者(国)に跪くことになる。

だから、良いも悪いもなく、ただ事実として「核はなくならない」のだ。

しかしそんな事実をみないことにして、「核廃絶」を訴えて、これを「信じる」ならば、それはもう「宗教」なのである。

なぜならば、信じることが「良いこと」だからである。
それゆえに、信じない者は「悪い」になって糾弾されるばかりか、「悪魔」として認識されてしまうのである。

それがいま、イランだったり北だったりしている。
これらの国が、「核」を教祖か聖像として崇めるのも、「明・暗」の片方にすぎない。

わが国はいつだって、「明」の方を信じているから、「暗」を嫌ってこれを正義とする。
これぞ、「新しい国家神道」なのである。

その「神殿」が、広島と長崎の「平和公園」なのであり、「神官」が自治体の長なのだった。
外国によくある「戦争記念」とはけっしていわないのは、「言霊」を信じるからである。

これを、「政教分離」の立場から、だれも「憲法違反」だという者もいないのは、十分に「新しい国家神道」が普及しているからである。

山梨の硬い桃

わが国三大桃の産地といえば、岡山、和歌山、山梨と、ぜんぶ「山」がつく県で、関東ならば山梨がいちばん手に入る。
なかでも生産量が一番なのは、一宮町で、中央道釈迦堂PAあたりがその地域にあたる。

山梨県人は、「りんごのように硬い」のが桃のイメージだという。

そんなばかなと思っていたけど、ずいぶん前に近所のショッピングセンターの抽選で、山梨バス旅行が当たって行った先が「桃狩り」だった。
どこの農園だったか忘れたが、食べ放題の桃が堅くてコリコリしながらもしっかり甘くて驚いたものだ。

教わった食べ方は、流水で桃全体のうぶ毛をなでるように洗ってから、皮のついたままかじるのである。
線に沿って包丁を一周させて、実をねじれば片方はきれいに種が外れる。
1個を二人で食べるときには、これでいい。

産地の県民だから、硬くて甘い桃はどこに売っているのかと尋ねても、「ふつうのスーパー」とか、せんない返事がやってきて、おすすめの農園はどこかときいても、あんがいとこたえてくれない。

それで、地元のスーパーで買ってみたら、ふつうに柔らかい桃でガッカリしたことが何度もある。
硬い桃の「品種」がある、ともきいて、「早生」だから出始めのときだといわれたこともある。

なんだか、最初の「山梨県人の硬い桃」という話が、遠くなるのだ。

コロナの営業規制に、田舎ほど忠実なので、この2年ばかりは居酒屋にもいけなかったけど、こないだ久しぶりに「石和温泉駅前」の居酒屋を再訪した。

この店の主は、けっこうな凝り性で、解凍物でない「馬刺し」を出すのが珍しい。
なんでも、長野から馬刺し好きがわざわざやってくるという。

それで、話題を持ちだすもなく、隣の席のひとたちに「桃農園」の紹介をしていた。
今日も買ってきたと、箱に6個入った美味そうな桃を見せていて、ついでに我々にも披露した。

うちの店の名前を出せばいい、というからその気になって、翌日の朝に訪問した。

他の農園が商売熱心な感じで、店のなかに座っているしこちらを見ては合図までしてくれる。
それで到着した目的の場所では、広間で昼寝をしていた。
車の音で気がついて、おもむろに起きてきたのは「お嬢さん」だった。

空き家日本一の山梨県に老後は住もうかと、コロナ前に家を探していたことがあったけど、そこで見つけた第一候補地にはすぐそばに居酒屋があったので、女将さんにいろいろきいたことがある。

すると、どうやらこの女将が地元の「主」らしく、町内会やゴミ出しのルールについて教えてくれて、なんだか面接試験を受けているようだった。
それで二晩通ったら、「合格」をいただいた代わりに、ご主人がやっている桃農園の手伝いもよろしくといわれた。

早朝3時4時から作業をはじめて、9時には終わるという。

そんな話を思い出して、「お嬢さん」を起こしてしまったのが、なんだか悪かったけど、初対面とは思えない気さくさで「お父さん」を電話で呼び出してくれた。

待っている間に、「好み」をきかれたので、「りんごのように硬い」をいったら笑っていた。

お父さんは、日本の農家の平均年齢にあたる70歳代という典型で、いまはなぜか卓球台がある広間では、バーベキューや鍋物を出していたという。
奥さんの生前の仕事で、よく一人で切り回していたものだと、亡くなってから気がついた、と。

娘にいってもできっこない、でこうなったのだと話してくれた。

それでも農園の手伝いはしてくれるから、なんとかなっているという。
今年は梅雨明けが早くて、桃のできはいまいちで、育つ時期に陽に当たって縮んでしまったらしい。

そのかわり、葡萄の方は糖度の上がり方が早いらしく、3日で1度のペースだと解説してくれた。
あと10日もしたら、16度のシャインマスカットになるそうで、同時期に桃が終わる。

硬い桃は農園ならではで、数日もすれば柔らかくなるから、お好みで食べるのがいいらしい。
ただ、柔らかい方が熟れてより甘くなるが、歯ごたえもなくなる。

さいきんは「硬い桃」の注文が増えて、配送時間をかんがえて「早め」に採ったのを送るけど、「硬すぎる」と文句をいってくる客が増えたと愚痴っていた。
ちゃんと、2日ばかり置いてから食べるように案内しているのに、と。

毎年大量に買ってくれるお客が文句をダラダラいってきたから、料金はいらないから文句は聞かないと答えたと嘆いていた。
どうやって美味くなるかかんがえながら作っているのに、それがわからないなら売りたくないけど、そんな客が増えているらしい。

居酒屋の大将が、近所の農家は商売上手だけど、買った側が損するから、といったのがよくわかる話だった。

さてそれで、わが家でも試食したのとおなじく、硬くて甘かった。
できれば来年もまた買いに行きたいものだ。
ようやく、安心の硬くて甘い桃にたどり着いた。

すると、「硬い、美味い、ふくしまの~ 桃」のCMが出てきた。
アルゴリズムが、山梨から福島に飛んでいたのだった。

自己都合のペロシ台湾訪問

2日、歴史が動いた。
もちろん、アメリカ連邦下院議長ペロシ女史の台湾電撃訪問のことだ。

同時進行で、夫のペロシ氏は、自らの飲酒運転に関する裁判を受けていた。
この奇妙なカップルの、奇妙な動きは夫人の行動にだけ注目が集まるようになっている。

ここが、幼稚な日本のマスコミとちがう。

日本の衆議院議長の伴侶が、複数回目(常習)の飲酒運転で裁判を受けてしまうとなれば、一体どんな報道がされるものか?
それで、その夫婦の一方である衆議院議長が、同時期に台湾を訪問したら?

アメリカのマスコミは、飲酒運転よりも重要な印象操作をもって、議長一行の訪台をとにかく「歴史的だ」と伝えているのである。
ところで、ペロシ女史の台湾電撃訪問の「目的」はなにか?を問えば、「よくわからない」のである。

そもそも、「米中国交正常化」のときに、「一つの中国」を押しつけられて、日露戦争以来の大陸利権を欲したアメリカ人は、欲にくらんで鵜呑みにしたことを発端とする、といわれている。

一方で、あたかも台湾が独立国家のように振る舞うことは、中共として「核心的利益」を踏みにじる大問題にしているのは、共産主義・全体主義者の勝手な自己主張に過ぎない。
彼らが他人を批判するときの常套手段、「歴史的事実」を無視するからである。

もちろん、日露戦争で日本が得た利権は、日清戦争にまでさかのぼる「血の報酬」というかんがえが主流で、それが「欧米流の発想」の真似っこだったから、それをそのまま日本が主張して、「生意気いうな」とボコボコにされたのが第二次大戦だった。

この意味で、わが国側の有名なスローガン、「鬼畜米英」はただしいし、先のヨーロッパでの「大戦」が、極東のわが国の産業形成にも役立って、「戦争は儲かる」という非道を日本人が修得してしまった原因にもなった。
そしてこのヨーロッパでの大戦を、「第一次世界大戦」と後にいう。

なお、昨日4日、ガルーシン駐日ロシア大使主催の「原爆投下に関するアメリカのジェノザイド」についての会合があった。
実戦で2回も、しかも実験的に2種類の核を用いたのは、ルーズベルトやトルーマンが日本人を「猿」だと認識していたからで、以降、どの国もつかっていない。

本来であれば、平和時に締結した条約に基づけば、北の「千島樺太交換条約」をもってするから、「北方領土」になるし、「下関条約(台湾割譲条約)」をもってしたのが「台湾領有」だった。

このときの清国政府全権代表は、ずる賢くも調印後のパーティーで台湾を、「化外の地」だと発言したのだった。
つまり、だれの領土かわからない台湾島を、あたかも清国のものとして日本へ「くれてやった」ので、痛くも痒くもない、という意味だ。

日本側は唖然とするような話だけれど、「してやられて」しまったことは間違いない。
この「腐っても中華思想」こそが、世界支配を当然とするおそるべき思想なのである。

その台湾を、敗戦によって失ったことになっているけど、国際法でいえば、蒋介石の国民党に「占有」されたのを、戦勝国たるアメリカ民主党政権が「放置」したので、いまだに「帰属問題」としてはっきりしないままにある。

戦後の日本人も、なんだか蒋介石は「偉人」ということにした。
大陸で帝国陸軍はだれと戦っていたのか?を忘却して、中華民国が日本への戦時賠償請求を「放棄した」ことに、感謝するという倒錯ができたのは、GHQの宣伝工作だといえる。

横浜の一宮、伊勢山皇大神宮の境内にも、蒋介石を顕彰する大きな石碑があるけれど、なんだか穢されているような気がするのはわたしだけか?
ホテル事業に失敗して、神社が破産する事態になったときに、仲間と「厄払い」をしたのだった。

もちろん、蒋介石の国民党は、台湾にあった日本資産(公的資産だけでなく、個人家屋やら民間資産もぜんぶ)を「没収」したから、賠償を放棄するもなにもない濡れ手に粟の利益を得て、これを大陸から引き連れてきた国民党員にだけ分配したのである。

そんな掠奪をやった国民党のなかにあって、臥薪嘗胆を貫いてとうとう「総統」にまでなった、岩里政男(李登輝)氏が、晩年の名著『台湾の主張』(1999年)で、台湾は日本領であると主張したのは、荒唐無稽の与太話ではなくてれっきとした国際法に基づく話なのである。

なお、この書籍の「新版」である文庫本には、櫻井よしこ氏の推薦と門田隆将氏の解説があるけれど、どうしてPHP研究所がこのような「ビジネス保守」のひとたちを必要とするのかがわからない。

岩里政男氏は、一貫して日本人であって、けっして「旧日本人」ではない、と主張されているのに。

そんなわけで、ペロシ女史の台湾電撃訪問は、ホワイトハウスが顔をしかめて、アメリカ(政府)の都合ともいえないし、議会の都合ともいえない。
ならばなんの都合かと問えば、中間選挙のための民主党の都合と、「人権派」を主張したい個人の都合しか当てはまらない。

もちろん、日本の都合は関係なく、その気がぜんぜんない岸田首相はアメリカを訪問中という、中共に忖度する態度を貫いて、どこにも岩里氏が主張した「正論」がないのである。

台湾がよってたかっておもちゃにされている。
これぞ、「台湾の悲哀」の現在の姿なのである。

『新日本紀行』があった時代

1963年10月7日から1982年3月10日まで18年半、794回放送された、長寿番組だった。

わたしが生まれた時(1961年)に、居間で記念に撮った写真には、大きなゲルマニウム・ラジオがあって、その上に真空管ラジオが乗っている。
それから、いつだかしらないうちに、ゲルマニウム・ラジオの位置に「布幕付き」のテレビが鎮座して、真空管ラジオもなくなっていた。

つまり、物心がついたときにあったのは、布幕付きの白黒テレビだったのである。
だけれども、どこかにラジオの音を聴いていたような感覚がある。

祖父がテレビを買ったとき、まだ近所では珍しかったので、人気番組を観に、近所のひとか集まっていたのも、遠くて薄い記憶にある。

なんだか賑やかな家だった。

細かい話だけれど、テレビを観るときには、「布幕」をめくって見終わるとまた布幕を降ろしていたし、大きな「水色レンズ」が画面にかかっていた。
その「初代」がダメになって、二代目になったときには、布幕もなくなっていた。

それで、わが家の三代目はカラーテレビになったのである。

カラーでテレビを観た人生初は、いまでも覚えている。
それは、土曜日の夜8時台の人気時代劇、『素浪人花山大吉』のレギュラー、焼津の半次が履いている股引が、「青かった」衝撃であった。
てっきり「らくだ」の股引だと思いこんでいたからである。

しかし、いまこの時代の番組を観て驚くのは、おおくの場面が「ロケ」による撮影で、道には「わだち」があるものの、よくぞこんな場所があったかと思うほどに、原っぱや電柱のない風景が拡がっている。
子供がやっていた「チャンバラごっこ」を、おとなが仕事でやっていた。

「総務省労働力調査」によると、1960年のわが国の就業人口は、4,436万人で、内訳は以下のとおりだった。
一次産業:1,340万人(30.2%)
二次産業:1,242万人(28.0%)
三次産業:1,854万人(41.8%)

こうしてみると、なかなかに「移動」ができないで、おなじ場所で働いていたと想像できるのである。
一次産業は、農地や山林それに所属する漁港が仕事の基点だし、二次産業だって工場に通っていた。

だから、地方ごとの文化がふつうに保存されていたのである。
これを、『新日本紀行』は記録していたし、「芸能文化の記録」としては、『ふるさとの歌まつり』(1966年~1974年)が人気だったのである。

東京に出てきた当該地方の出身者が観ていたばかりか、毎回紹介される、人生で行ったことがない地方の「祭りの光景」が、珍しかったからである。
これがまた、高度成長期の「旅行ブーム」を呼んだのだった。

「観光客」とは、生活が安定した「労働者階級」なくしては存在しない。
逆に、労働者階級というあたらしい職業人たちのかたまりが、そのときどき、その場所場所に「観光」にやってきたのである。

そうやって、全国各地に点在する「温泉街」が、「物見遊山」の「遊山客」を呼び込んで、これがまた、集団主義の「社員旅行」と融合した。
さらに、「家族サービス」になったのは、社員旅行のやり直しを「家族」でやるのに、父親が牽引したからである。

どこに行っても、「お父さんはよくしっているねぇ」と、専業主婦のお母さんが感心して、これを子供がみていたのであった。
「父権」と「威厳」があった時代の、「ふつう」だった。

それから、旅行会社の窓口に行って、教えてもらった通りに旅程を消化すれば「まちがいない」時代になって、「お父さん」の役割が低下した。
それで、あらかじめ作成されたパッケージ商品を買えば、有名観光地をかんたんに巡れたのである。

つまり、「お父さん」がリーダーだった時代の旅行は、かなりの「冒険」で、下手をすると旅先で詐欺や掠奪にあったのだ。
だから、余計な行動をしないで済む、旅行会社のベテランによる注意喚起の説明自体が「商品」となっていた。

『水戸黄門』だって、「寅さん」だって、あんなに気軽に旅に出られたのは、まったく真逆のキャラクターながら、「特別なひと」という共通がある。
そうやって、「地方」を廻ることが一般人には不可能な憧れであった。

しかして、『新日本紀行』は、もっと突っ込んだ「紀行」だったから、おいそれとは一般人がおなじ行動をできるはずもない「完成度」であった。
それは、「物見遊山」の「まじめ編」で、「地域学習」の教材であった。

ここに、NHKの公共放送たる矜持をみるのである。

『新日本紀行』は、横浜なら「放送ライブラリー」で試聴できる。
そこに現れる映像は、かつての、二度と帰らない日本人の生活の記録であり、これを制作したNHKの、いまはなき「まともさ」の記録なのである。

いまもNHKを信じるひとがいて、たいがいが「高齢者」といわれる理由が、『新日本紀行』やら、その他の「名作番組」を観たひとたちが、裏切ることなく存在しているからである。

なので、こうしたひとたちを裏切っている、いまのNHKの悪辣が、一層に「不道徳」なのだといえるのだった。