「そもそも」と「そういうもの」と

なに?(what?、why?)をかんがえることが、どれほど重要かといえば、なにをいまさらといわれるのがオチだけど、なにもかんがえないで受け入れてばかりいると、「そういうもの」になって話は終わる。

ただ、「そういうもの」をぜんぶがぜんぶ、「悪」とすると、これはこれで面倒くさい。
だから、「そういうもの」は適度にあっていい。
すると、その「適度」とはどんな程度だ?という話になる。

たとえば、こないだ巡った、奈良県でいえば、宇陀市大宇陀(2006年に重要伝統的建造物群保存地区になった、「宇田松山」地区)の和菓子店、「きみごろも本舗 松月堂」には、有名な銘菓「きみごろも」がある。

創業は明治の初めとあるから、街のなかでは新参者となるはずだ。
しかし、この独特のお菓子の発明は、一度食べたら記憶に残るので、いまでは全国的に有名になったけど、店自体はずっとこの地にあって、移転も繁華街に支店の出店もしていない。

端的にいえば、「メレンゲのお菓子」である。
そのメレンゲを機械を使わずに手作業で作るというから、大量生産はしていないし、そのつもりもないのは「一子相伝」という作り方の伝承を守っていることにあるのだろう。

ここが、日本人の発想の特徴で、それがまた、「和菓子」であることの所以にもなっている。

それで今度は、奈良盆地を東に向かうと、「だんご庄」という、創業明治11年の「きな粉だんご専門店」が出現する。
こちらは、本店(近鉄坊城駅前)と支店(近鉄八木駅前)の二店舗がある。

関東の田舎者のわたしには、「だんご」といえば、「みたらし団子」しか浮かばないけど、こちらのは「餅状態」なのである。
これに「特別な工夫をしたという蜜」をからめたうえに、きな粉をまぶして、これをまた串に刺す。

これしか商品はない。

賞味期限は、製造日、ということで、店舗のみの販売だ。
口に入れたら、モッチリとろける団子は、またお茶にあう。

ならば、みたらし団子は?といえば、奈良興福寺そばにある、「傳統御菓子處 おくた」で、こちらは焼いた団子に、甘口と辛口それぞれのタレをかけている。
せっかくだからそれぞれ1本ずつ食べてみた。

甘口が関東でいう「みたらし団子」の味に近く、辛口はパンチが効いていてお焦げがより香ばしい。
「だんご庄」は1本80円、「おくた」の団子はどちらも110円だ。
こちらも創業100年余りというから、奈良的にはあたらしい。

もっとも、みたらし団子の発祥は、京都下賀茂神社という説があって、「加茂みたらし茶屋 本家 亀屋粟義」という。
こちらでいただいたのは、京らしくこぢんまりしていた。
ただ、この店も創業して100年余りなのだ。

団子とは「そういうもの」だ、といえばそれまでだけど、「そもそも」をあたりだすと、けっこう面倒なのである。

なぜなら、これら有名店の創業前なら、ひとびとはどんな団子を食べていたのか?妙に気になりだすからである。
米を栽培していた縄文時代からという説とか、奈良時代の遣唐使が伝えたとかの説がある。

時代劇が好きだったから、なんだか街道とか、渡し船のりばにある茶店のイメージが擦り込まれている。
それで、街道の宿場やらの休息所だった、「水茶屋」を調べると、饅頭や牡丹餅、あるいは生姜漬けといった、徒歩での旅で不可欠な、糖分と塩分の補給ができたようである。

料金は、あんがいと固定制ではなくて、それぞれがそれぞれに支払ったという。
これが、「心付け」方式だ。
あなたが感じた価値を金額にして支払ってください、というのは、アラブでの販売法に似ている。

お江戸日本橋の越後屋(三越)がやった、「掛け値無し=定価販売」が、いまでは当然の「そういうもの」になって、なんでもかんでもが、定価制になったのである。

また、宿場の大きな水茶屋には、気が利くと人気の女給がいて、すでにアイドル化していたらしいので、人間とは変わらないものなのである。

かつて山形新幹線に搭乗していた、カリスマ車内販売員の斉藤泉さんを思い出す。
わたしの数少ない、山形新幹線に乗った回数からしたら、5度も当たって、5度ともなにかを買ったのは覚えている。

それよりも衝撃的だったのは、みどりの窓口であらかじめ切符を買おうとしたら、前のひとが「斉藤さんが乗っている電車で山形までお願いします」といったことだった。
車内販売のひとがどの列車に乗るのか、切符売り場でわかって「指名」できるのだ!

それでもって、帰りの上り電車では、また、斉藤さんに当たって、後方の乗客が、「いつものやつ」と注文したら、缶ビールが開く音がして、「今日もお疲れさまでした」という彼女の声がしたときも衝撃的だった。

そんなひとが二人つづいて、わたしの座席に回ってきた。

ちょっとドキドキしたけれど、さすがに「いつもの」とはいえないので、適当にアルコール飲料とおつまみを頼んだら、やっぱり、「お疲れさまでした」といわれて、ほっこりしたものだ。

電車の車内販売のひとで、妙に盛り上がったのは、東武特急のスペーシアの「きぬ」で、こちらではほんとうに緊張感ある仕事終わりの「お疲れさま会」を相棒とふたりで浅草までやりたかったのを、やたら気の利く販売員の女の子が面倒をみてくれたので、ずいぶんと出費もしたけど実に愉快な「車内反省会」になったのである。

鉄道会社は、こういうひとたちの重要な価値をどう評価しているのか?
自分が客になったことがないから、わからないにちがいない。

車内販売員なんて「そういうもの」という、上から目線の勘違いをしているにちがいないと、「そもそも」からすれば、確実だとおもうのである。

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