「やめられない」ことの本質

「惰性」のことである。
わたしはをこれを、「社会的な『慣性の法則』」と呼んでいる。

「慣性の法則」は、物理でいう「運動の第一法則」といういい方もある。
『物体に力が働かない場合、物体は静止し続けるか、等速度運動する』。

結論を先にいえば、社会的な慣性の法則がはたらいて、「自己目的化」する。
これが、「やめられない」ことの本質だ。

たとえば、わが国には「NHK問題」がある。
このための「政党」だって複数設立されて、国会議員だっている。
国営化とか民営化とか、むかしから議論はかまびすしいけれど、ぜんぜんそうならないし、NHK自体はこの間もしっかり肥大化している。

「受信料」が問題になるのは、いまでは納得できない強制ばかりか、強引な契約勧誘があるからだ。
さらに、ネット環境が「受信料請求の根拠」になりそうな雰囲気が漂っている。

しかし、ことの本質は、「存在の自己目的化」なのである。

きっぱりいえば、「廃止」がもっとも望ましい。
その上で、どうやって解体し、残余の資産を受信契約者に返還・分配するか?が問われるのである。
ために、「オークション」をすればいい。

とくに番組コンテンツは、ひとつずつオークションにかければいい。
さすれば、数年もかからずに、「NHKの番組」という記憶も消え去るのである。

こうしてかんがえると、「白紙化」という作業は、あんがいと「生産的」なのである。
この効果を狙って、「業務(仕事)の棚卸」をおこなうことがある。
そのために、「業務フロー図」を書き出すことが有効とされている。

たまにでも、定期的でも、職場ごとに「業務フロー図」を書くのがいい。
初めてのばあいには、驚くほど時間と手間がかかるので、経験者はだれもが「驚く」のである。

毎日やっていることを紙の上に書き出すだけの業務フロー図が、はたと止まって「書けない」ということの発見が、実はおおきな「気づき」になる。
これを見た経営者が、唖然とするのは2パターンある。

1:うちの従業員はバカばかりだ。
2:なんてこった。これは経営がなっちゃいないということだ。

だいがいは、「1」のパターンである。
そんなひとほど、経営者としての自分の業務フロー図をまったく書けない。
それにはもっともらしい理由があって、「ルーチン業務がない」すなわち、定式化できない、というのも「パターン化」されている。

しかも、書く気もないから、書く前に上記の理由をあげて、ぜったいに書こうとしない。
直感的に、書けないことがばれるのを畏れるからではないか?とおもわれる。

そんなわけで、ほぼほぼ確実に、業績不振が恒常化している企業や、業績は悪くないけど社内の人間関係がなんとなくうまくいかない会社の、典型となるのである。
そして、やがて悪くなかった業績に陰りがやってくるものだ。

これぞ、「惰性の経営」なのである。
経営者が会社経営に、「影響力」という「ちから」を行使しないので、物体ならぬ「組織」が、完全に「運動の第一法則」に従うことになるのである。

こうしたばあい、経営者個人のかんがえも、たいがいが整理されていない。
ようは、「なにをしたいのか?」という、運動のもとになる思想がない。

人間行動のエネルギー源は、動物としてのエネルギー源である食べ「もの」のほかに、欲求という脳がもとめる「こと」がある。

日本語だと、「もの」と「こと」が、妙に曖昧になるのは、日本語は目的語の語順を問わないからだともいえる。
この点、英語などは、日本語の「助詞」にあたることばがない代わりに、語順がその役を担っている。

もっといえば、日本語は主語からして、ぜんぜん語順を気にしない。
どんな語順であろうとも、意味がおおきく変化することはない。
ところが、おおくの外国語は、そうはいかないのであって、語順に「厳密さ」がもとめられる。

だから、「ひと」⇒「もの」という順番が固定されている。
人間が「もの」やら「こと」を、かならず制御するという、言語的な特性は、そのままその言語を母語とする人間の思考パターンなのである。

歴史学の大家トインビー博士が、世界文明の分類に、「日本文明」を独立して示したことの背景には、こうした言語特性もふくまれる。
これを、トインビー博士の日本贔屓と解した日本人学者がいたのは、悲喜劇であった。

すると、曖昧さの良い点をもっと意識していいのだけれども、その前に、他文明との「ちがい」をしっていないといけない。

どうやら、「慣性の経営」が、わが国をとりまく人たちとの競争で不利になるなら、それを改めるのはきわめて重要なことになる。
しかし一方で、上記の「2」だって、立派な気づきなのである。
江戸時代の大店の主人でも、きっと気づくことだろう。

すると、こないだ書いた、自分の考えを整理するマインドマップが、やっぱり「便利」なのである。

緊急事態宣言は解除になったけど、かならず「惰性の政治」は続くから、じっくり観察することも、マインドの整理に役立つのである。

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