「わたしたちには丁度いい」

久しぶりに「居酒屋」に行ってきた。

何度か同じ中年女性のスタッフに注文をしていたら、あるメニューを注文したとき、おもわず出た言葉である。
「わたしたちには丁度いい」
「もたれませんから」

世に「共感の戦略」なる理屈があるけど、「これぞ」という一言である。

この店を案内してくれた同席の知人は、「こういう一言がうれしいね」と微笑んで、40年前の出来事をふり返って話してくれた。
ここは新入社員のころに、会社の先輩が案内してくれた店だけど、ついこの間、「焼き場」に張り付いている店主が初めて声をかけてくれたという。

「お客さん、もう40年のおつき合いですね」
「実は、わたしが駆け出しの頃からお客さんを見かけてましたよ」と。
すっかりロマンスグレーになっている店主は、それからいつものように「焼き場」に戻ったという。

それぞれの「人生」が、交わった瞬間だ。

この一言で、この店を利用していてよかった、としみじみ思えたら、残りの人生でも来なくっちゃ、と心に誓って今日もいる、と話してくれた。
そんな折の、女性スタッフの一言は、なんだか「凄い店」だと思わせた。

イヤー、昔は若い娘ばかりがスタッフだったから、大分様相がちがうけど、これはこれでいいね。
しかして、わたしが、もしや最初からの注文があっての「一言」では?と言ったら、まさか?という。

それで、間合いをみて聞いてみたら、「お客さんたちはわたし好みの品選びをされている」とこたえてくれた。
「やっぱりね」

そんなわけで、店員さんもわれわれと同席している気分で、注文を聞いていたのだ。
心のなかで「ナイスチョイス!」と思っていたにちがいない。

こう言う店が「名店」なのである。

若い頃、ホテルの新入社員研修で、レストランのウェイターをやった。
会社には「内緒」だけど、休憩時間に好きなものを調理場に注文できた。
それで、気になるメニューの逸品を注文したら、「おいおい単価の高いのを言うね」と笑われた。

海老フライのサンドウィッチだった。

一口食べて、世の中にこんな美味いものがあるのかと驚いた。
あの驚きは、一生忘れない。
海老の美味さはもちろんだが、ソースの味が絶品だった。
それがほどよく焼けたトーストの香ばしさとからみあう。

なかなかの「高額商品」なので、めったに注文は入らないけど、もちろんゼロではない。
それで、お客さんがこのメニューを注文すると、自分も嬉しくなった。
その雰囲気で、「初めての注文」だと感じたら、召し上がるときの「反応」をウォッチしたものだった。

一口食べたときの「驚きの表情」が、自分の反応と一緒だから、心のなかでガッツポーズをしていた。
「リピーター」だと、注文に迷う同席のひとに、「これ絶対に美味しいから」というのである。

一瞬、値段に躊躇をみせるのも観察するのである。
しかし、決心したかのように、でも半信半疑で、「じゃあ」と言って注文する。
こうしたお客は、わたしの「餌食」のようなものだ。

最初の一口の反応を確認したい。

こうした欲求が、自分の中で高揚するのである。
そして、ほぼ確実に、「なにこれ、おいしい~」になって、期待を裏切らない。
そして、かならずお客さまは「破顔する」のだった。

期待を超えて美味いものを食べる喜び。
「幸福」のなかの一つの「幸せ」のとき、ひとは笑顔にならざるを得ない。

いつぞやの「結婚記念日」に、横浜元町のフレンチ・レストランで祝ったときは、「ワインのチョイスが完璧だ」と、食後に黒服がやってきて告げてくれると同時に、「よくご存じで」と店内に通る声で言われたことがある。

このひとも、「観察」していたのだ。

それを、これ見よがしに他の客に伝えた意図は、それなりの客が来ているのだ、ということのアッピールだったかもしれない。
わたしが選んだ理由は、ハーフボトルからの選択で、「記載があるものだけ」だったのである。

昔から「美味いものがない」と言われている、神奈川県の小田原は、超貧乏藩になっていたけど、歴代「老中」を輩出した「名門」、大久保家の所領だった。有名な彦左衛門は、親戚だ。
その藩財政を立て直して有名になったのが、二宮尊徳である。

「美味いものがない」のは本当だったけれど、西湘バイパス小田原インター出口に、店主が「変態廻転寿司屋」と自称する「ビストロ」がある。
ここは、予約ができないので週末ともなれば3時間待ちのような状況になる。

店内は廻転寿司のレールがあって、ちゃんと寿司が廻転している。
しかし、この店は「ビストロ」なのだ。
黒板にある「メニュー」がそれを告げている。
だから、「常連」は、フレンチとワインやベルギービールを舐めながら、「箸休め」に目のまえの寿司皿を取るのだ。

あるとき、お支払いで皿数を数えに来た店長が、二人で3枚しかない皿を確認して、「正解のお召し上がり方、ありがとうございます!」と、やっぱり店内に響く声を発した。

寿司が劣るのではなく、フレンチの逸品が優るのである。
そのときの店長の顔は、「したり顔」そのものだ。
そうやって、他の客に「寿司屋じゃない」ことを宣伝している。

東京のベルギービール・バーに負けない品揃えは、小田原に泊まらないと堪能できない。

これはこれで、わたしたちには丁度いい、のである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください