「主権回復の日」だってさ

4月28日は、わが国が「主権回復」をした「という日」だと、いわれている。

もちろん、「サンフランシスコ講和条約」が「発効した日」にあたるから、これだけをみれば、国際法上での「主権を回復した」ことになるけれど、「同日」、自動的に「日米安全保障条約」も「発効した日」になるので、なんだかよくわからない。

さいしょの安保条約第3条に基づくのが、「日米行政協定」で、その後の60年に締結した安保条約第6条に基づくのが、悪名高き不平等条約の証拠となる「日米地位協定」である。

戦争の終結については、1945年8月15日が、「終戦記念日」となっていて、日本人の一部はこの日をもって、「敗戦記念日」というひともいる。
しかし、15日は、天皇による「ポツダム宣言の受諾」と同時に「停戦命令」をしたのである。

よって、「終戦の日」とは国際法上は、「降伏文書」に「調印した」9月2日である。

なお上でいう「天皇」とは、「大元帥陛下」のことをいう。
すなわち、大日本帝国陸海軍の最高司令官としての命令発出である。

ちなみに、「帝国(ラテン語の「インペリウム」が由来)」とは、複数の地域や民族に対して君臨する国家と定義する。

「大日本帝国」は、台湾(原住民族)と朝鮮(朝鮮族)、それに、樺太・千島交換条約(1875年:明治8年)があったから、「樺太アイヌ」も統治下だったし、南洋諸島も領有していた。
ゆえに、「帝国」という国名は定義通りとなる。

いまからしたら信じがたいが、わが国は「多民族国家」であった。

いまだ台湾の帰属問題があるので、岩里政男(李登輝)氏がいったように、台湾が日本領に「回復」したら、また、パラオが独立したとき(1981年)の、最初の国会「日本帰属決議」がいまだ先方では有効なことも踏まえれば、わが国は再び「帝国」の定義にあてはまる。

明治憲法(「大日本帝国憲法」)は、天皇を国家元首と定めただけでなく、軍を統帥する立場を別途定めたので、どのお立場なのか?ということを意識しないと、正確性に欠くことになる。

現憲法(「日本国憲法」)における「天皇」は、国家元首であることさえも「議論の対象」になるほどに、曖昧な書き方をわざとしているのは、改憲時の国民感情を意識したことだったにちがいない。

このブログでは何度か書いたが、「無条件降伏」ということも、わざと間違えていうことが横行して、間違えの方が正しいことになってきている。
「無条件降伏」したのは、「帝国陸海軍」のことである。

これを、「あたかも」日本国(政府)が「無条件降伏」したという「与太話」が「事実」になってきた。
占領下においても、日本国政府があったのは、日本国政府が「無条件降伏」したのでは「ない」からである。

無論、日本国政府の「上に君臨」したのは、GHQ:連合国軍総司令部なる軍事組織であった。
ゆえに、日本国政府は、「天皇の地位」を人質にされたうえ、丸腰でGHQからの命令に従わざるをえなかったのである。

ただし、そのGHQの最高司令官たる、マッカーサーを配下にしていたのは、アメリカ合衆国大統領であって、アメリカ軍組織であった。
つまるところ、マッカーサー自身も「アメリカ軍組織の一員」なのである。

日本人には戦前の天皇をも超える、巨大な権能をマッカーサーが有したから、まるで「本物の神が降臨した」と見えたけど、アメリカ合衆国大統領からしたら、ただの「軍幹部のひとりの将軍」にすぎない。

ときの大統領は、トルーマンで、二発の原爆使用も、トルーマンの「許可」をもって実行されたから、トルーマンは日本人をジェノサイドした「a.級戦犯」にほかならない。

※「A級」という表記は、原文にはなく、日本式箇条書きの「い.」「ろ.」「は.」にあたるから、「順不同」の表記法である。よって、あたかも、「a.」が「c.」よりも「重い罪」とするのは、マスコミのプロパガンダである。

なお、ルーズベルトが死去したのが1945年4月12日だったから、3月10日の「東京大空襲」は、ルーズベルトによるジェノサイドである。
トルーマンは、同年1月20日に副大統領に就任しているので、どちらにせよ責任は免れない。

戦闘の勝者が裁く「東京裁判」という「茶番劇」は、現代日本人がもっとも意識すべき歴史的重大事だけれども、その根幹に、トルーマンが被告人になることがあり得ないことにある。

また、「占領時代」についての「研究」は、いまだに日本人には「タブー」となっているから、アメリカ側の「研究」に依存している。

この不思議。

さてそれで、「ウクライナ」から見えたのは、「核の傘」そのものが「幻想」だったことである。
すると、在日米軍は、どんな目的で日本にいるのか?が、日米地位協定を並べてかんがえれば見えてくる。

すなわち、「日本占領の継続」なのである。

明治時代は、徳川幕府が結んだ「不平等条約」を撤廃させるために、一世代かかったけれども、戦後の日米での不平等条約は、70年経っても「不動」の状態にある。

一部に、この日を「国民の祝日」にすべし、という運動があるけれど、ぜんぜん「祝えない」のが実態だ。
ただゴールデンウィークの休日が1日伸びる、ということだけが、強制的に休ませないと休めない国民には、うれしいだけになるだろう。

ただし、だからといって、賃金が増えるわけでもない。

それもこれも、主権を回復して「いない」ことに遠因がある。

むしろ、この「重大な日」を祝日に「しなかった」昭和のひとたちの「想い」をかみしめるべきなのだ。
だから、主権回復を「いつかしたい」日、という「悲願」にして、これを国民議論の日にすることに意義がある。

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