「予備選挙」があるから民主主義が実現する

アメリカ合衆国という国のことを、わたしたち日本人はあんがい知らない。
向こうからすれば、建国以来、唯一領土を侵された相手国がわが国なので、きっちりわが国を研究している。
占領政策からして、その研究成果が発揮されいまにいたっている。

よくアメリカ人に世界地図をみせて、日本を示すようにいうと、わが国がどこにあるかを知らないといって嗤うのが日本人だ。
この感覚は「小中華思想」そのもので、世界の中心に日本があると思い込んでいる証拠である。
長崎県や佐賀県のひとには申し訳ないが、横浜人のわたしは、この両県が九州のどこにあるかを地図で正確に描くことができない。
西北にあるのだが、形状が複雑でなんだかわからない、のである。
それに、佐賀に行くなら佐賀空港ではなく福岡空港の方が交通機関が便利だという事情もくわわる。

あたりまえのようにアメリカとつき合って70年以上。
敗戦して卑屈かと言えば内弁慶である。
ほんとうは「卑屈」しかないのだが、それでは存在価値を失うからと「内輪だけなら」なんだかえらそうな発言をする。
そんなふうにかんがえると、白洲次郎という御仁が、わたしには信用できない。

それに「敗戦利得者」という一家もたくさんいる。
「公職追放」という、勧善懲悪の「プロパガンダ」のために、おおくのひとが「職をうしなった」が、その周辺の「小物」を「大役」につけて、占領政策という「革命」を実施した。
それで、思わぬ形で「利得」をえたひとたちが「ジャパニーズ・エスタブリッシュメント」を形成している。

文部科学省の前身の文部省が、どうして発足したのか?
ヨーロッパ列強に倣った「近代化」を、強力に推進するために、「国民」をつくらなければならない。
それが、全国一律にカリキュラムを統一する必要になったのだ。
わが国の歴史で、ひとびとが「日本国民」という感覚も、「人民」という感覚も、一度ももったことはなかった。

すると、占領軍は、なぜ「文部省」を存続させたのか?
わが国の「弱体化」という基本方針が貫かれたのが占領政策であるからだ。
そして、文部省が命令する「学習指導要領」に、同盟国であるアメリカ合衆国にたいする多方面からの「指導」がない、不思議もある。
一個の国として「連邦政府しかみない」というのも、各州の連合体である「アメリカの本質」を無視している。

そのアメリカには、主に「二大政党」というものがある。
現職のトランプ氏は共和党。だから、いまは民主党が野党である。
再選を目指すトランプ氏が所属する共和党は、すでにトランプ氏で「一本化」されている。
しかし、ちゃんと「党内予備選挙」は実施され、それで決まった「一本化」だ。

対する民主党は、候補者選びの真っ最中である。
このところ、絶好調なのは、バーニー・サンダース氏(バーモント州から選出の上院議員)だ。
彼は、前回の大統領選挙でも、最後までクリントン氏とあらそっていた。
だから、「もしや」がある候補である。

けれども、このひとは、民主党員ではない。

ここが、不思議なのである。
「党」として候補者をきめるための選挙に、「党員ではない」ひとが立候補してしまう。
それだけでなく、得票数でトップになってしまうのだ。
はたして、サンダース氏は党員になるのか?なれるのか?

わが国なら、そもそも「予備選挙」ということ自体がないけれど、党員でないひとが特定の党だけの「推薦」で候補者になれるか?
とかんがえると、あんがいなれる。
地方選での「全党相乗り」というほどの「異常」ではない。

また、アメリカの政党には、総裁も幹事長も、委員長や書記長もいない。
いったい誰が政党のトップなのか?
どんな仕組みになっているのかの「解説報道」もない。

もしや、解説しないのではなくて、しらないかわからないのではないか?

すると、わが国の政党は、かなり共産党の仕組みに似ていることがわかる。
それでか、自民党の政策が、サンダース氏の主張よりも「左」になっても、だれも異常だと気づかなくなった。
異常が日常になった証拠である。

ところで、先日まなんだMTPの「M」は、マネジメントのMである。
アメリカ人のエリートは、ドラッカーを言い出すまでもなく、マネジメントとはなにかをしっている。
日本だと「経営」と訳してしまうから、なんだかえらいひとたちの話に限定されると勘違いする。
自分のことを自分でする、というのもマネジメントだ。

組織なら、どんな組織にだって人がいる。
人間の集団が組織だからである。
その組織運営方法も、マネジメントである。

日本人のおおくは、この意味で、マネジメントをしらない。
マネジメントをしらないひとが、会社や組織を「経営」しているから、まとまらない。
日米の経済における「彼我の差」とは、こんなところに原因があるとかんがえられる。

マネジメントの重要な要素に、「リーダーシップ」がある。
ひとを「強引に引っぱる」のがリーダーシップだと、勘違いしているのが日本人である。
本来のリーダーシップは、勝手にメンバーたちが自分の役目を果たし、それに満足できる組織をつくることである。

この「勝手に」が重要なのだ。
ここに、「自由」がある。
他人から命令されないで、自分からおこなう。
そのように他人を仕向けるには「人柄」がなければならない。
だから、アメリカ人の選挙は「人を選ぶ」選挙になる。

「人」を重視するから「民主主義」が成り立つ。
それぞれが、自分以外の人のちがいを見分けるからである。
これが、「個人主義」なのであって、自己主張だけをするのが個人主義ではない。

わが国は、政党を選んでいる、というより選ばされている。
最初から「命令」なのだ。

ここが、ぜんぜんちがうことに注目したい。

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