「仕組み」で病気にさせられている

国民と政府が乖離して、政府は国民を支配してときには命も奪う恐ろしい存在になる、なんてことはソ連とかの全体主義国家でしかあり得ない、とおもって生きてきた。

ある意味、指導力がない政治家が、「国民のみなさん!」といったり「国民のために」ということを半分バカにしながら信じ、「優秀な官僚」が支えているから大丈夫だともおもっていたから、ろくにかんがえることもしないで済んだ。

しかし、どうもおかしい、ということに気がつきだしたのである。

ある程度の「訓練」とか、じぶんで「やってみる」ことを繰り返しているとできてくるのが「思考実験」だ。
これは、「習慣化」するので、いったんできるようになると、こんどは「やめられない」ということになる。

「実験」というと堅苦しいから、もっといえば「妄想を膨らます」のである。
「妄想」なので、ばかばかしいというひとがいる。
しかしそうではない。

逆に、もしそんな発想があるなら、ためしに「妄想」してみたらいい。
「妄想もできない」自分にもっと驚くはずである。
これを、「頭が硬い」とか、むかしは「トンカチ」といったのだ。

頭の中の「思考」は、どんどん膨らむけど、そのうちなにがどうなっているのかに自分の頭がついていけなくなる。
それが面倒くさいようにおもうので、思考をやめる。
これが、「思考停止」なのだ。

デジタル機器が進化して、自分の思考を描いて記録するツールとして、「マインド・マップ」ができた。
紙に手書きでもいいけれど、圧倒的に便利なのがデジタル・ツールだ。

スマホでできるから、電車の中で時間つぶしのゲームに興じるより、よほど自分のためになる。
これを、「妄想ゲーム」といってもいい。

書きとめる必要は、浮かんだ発想が次から次へと連続したり、飛んだりして複雑化するからである。
それで人間の脳は、興味の強さや実現可能性を優先するので、書きとめないとこれらの優先順位から漏れた発想が「消滅」してしまうのだ。

つまり、マインド・マップの重要な機能は、漏れをなくすばかりか、あんがいと後からみたら、その「漏れ」のなかに「ひらめき」があったりすることを発見できることにある。

常識を超えることができるのである。

さてそれで、「国民皆保険」という「(社会主義)制度」があるから、たいがいの日本国民は病気になると「保険証」をもって医療機関に受診する。
なので、この「医療機関」とは、「保険医療機関」のことをさす。
保険医療機関は、厚生労働大臣の「指定」機関のことでもある。

それがどうした?ふつうじゃないか?

ところが、すべての保険医療機関では、すべての医療行為を「保険点数」で計算し、それをもって「保険請求」することになっている。
この「請求」のうち、「本人負担割合」だけを患者が請求されて負担するけど、「それ以外」は、医療保険に請求して、保険から支払われるのだ。

いやいやそれで?

つまり、わが国の保険医療機関にいる、医師・歯科医師、薬剤師は、「保険点数表」にある業務が「すべて」なのである。
これをプラスの意味でも、マイナスの意味でも逸脱したら、たちまち「不正請求」になるからである。

そしてこの「保険点数」は、全国一律という社会主義に基づくので、地域差も医療機関の設備差も無視される。
だから医師は、「データ」しか観ない。
「データ」とは客観情報なので、それが「保険点数」による診療根拠だからだ。

これが、わが国から「名医」が消えた理由でもある。

となると、わが国の「医学部」や「歯学部」「薬学部」は、ぜんぶ「保険点数」の支配下になる人材を教育していることになって、たとえば、「最高峰」の東京大学医学部とは、保険点数の「設定」に重要な職務があるという意味になる。

患者からすれば、自分の病状がどの「点数表」に適合するかの「診断」がされて、その「点数表」にあるとおりの医療行為と薬の処方を購入している「だけ」となっているのだ。

これは、「完全マニュアル化」だ。

「あなただけ」の医療とは、絶対にならない「仕組み」なのである。
「症状の組合」せが、「個人別」というだけだからだ。
つまり、「症状」が細かくユニット化されていて、あとは「足し算」なのである。

すると、もうひとつ重要なことに気づくのは、症状がないと保険点数の計算ができないから、「予防」ができないのである。
逆に、症状をつくると保険点数が増えるから、医療機関は収入が増える。

そんなわけで、どこにも「引き算」が入り込む余地がないので、わが国の国家予算の半分が医療費になったのである。
しかし、だからといって、誰も困らない、のは、社会全体で負担するという社会主義そのものだからだ。

国民からしたら、「五公五民」どころか、「六公四民」状態までに負担させられているのを、「源泉徴収」されるので気づかない勤め人もおおい。
江戸時代なら一揆が頻発しそうなのに、それもないのは、江戸時代より「愚民化」も成功しているからである。

世界一緩い食品添加物や農薬が認可されているわが国の「食」が、国民の健康を蝕んでいても、「国産信仰」を宣伝している。
これも「仕組み」のなかに含まれているのである。

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