「和洋折衷」医療の可能性

議論がどこまですすむのかわからないけど、「医師」が「免許制」になったのは、あんがいと最近なのである。

もっとも「古い」のは、1875年(明治8年)からはじまった、「医術開業試験」で、学歴不問の筆記試験だけだった。
とはいえ、わが国にまだ「大学」がなかった。
わが国で最初の「大学」は、1877年の「東京大学」だった。

大いなる誤解があるから書くけど、このときの「東京大学」は、後に「東京帝国大学」になって、それからいまの「東京大学」になったとかんがえては「いけない」、まったく「別物」なのだったことに注意がいる。

有史以来、1874年まで、医師は「自由開業」できた。

ここで重要なのは、これ以前から開業していた「医師」は、そのまま医師として問題なかったことにある。
あくまでも、「新規開業」するなら、「医術開業試験」に合格せよ、ということだった。

しかしてその後、大学に医学部ができて卒業生を守るため、「医師免許」の「独占」をはからんとしたことには、その「利権」という角度からの議論だけでなく、「医療の定義」にかかわる問題になるのである。

もちろん、「藪医者」と「ニセ医者」ということもあるが、ここでは分けてかんがえる。

西洋医学が輸入される以前、わが国伝統の医術とは、いわゆる「漢方」であった。

「漢方」はもっぱら、「遅れている」という認識をされるひとがいるけれど、ここでも何をもって「進んで」いて、何をもって「遅れて」いるのかを判断するには、「定義」や「基準」がひつようなのはいうまでもない。

卑近な例だが、「機械打ち」と「手打ち」の「蕎麦論争」が、大正時代にあって、近代的な自動麺打機を新規導入した蕎麦屋が大繁盛し、古来の手打ち蕎麦屋が衰退したことがある。

客は、「やっぱり機械打ちにかぎる」といって、その物珍しさに満足したけど、果たしてどちらが「美味いのか?」ということの「定義」と「基準」は難しい。
いまなら圧倒的に「手打ち」に人気がある、といえるだろうに。

いまどきの「患者」なら、それなりの知識があれば、西洋医学の圧倒は、「外科」にあることを知っている。
しかしながら、「内科」に関していえば、「漢方」も捨てがたい。
とくに、「体質改善」にいたったら、圧倒的に漢方が優位にある。

「人工合成」されたサプリをあれこれ服用するよりも、「生薬」の漢方に分があるのは、これも人情というものである。

さらにいえば、「漢方」は、「全身」を分析の対象としているので、「科」という概念がない。
もっともわかりやすい、西洋医学での分科として、「医師」と「歯科医師」を分けたことにある。

これはあんがい「決定的」で、医学部をでた医師は、歯学部をでた歯科医を「医者」とは認めないものだ。
漢方医はこうした分科と区別を、不毛だと認識している。

そして、近年の基礎医学の研究成果から、漢方医の全身を観るという姿勢の「合理性」が確認されてきている。
たとえば、虫歯がないのに歯が痛い原因は、骨格のズレによる神経圧迫だったりするけど、歯科医はどんな治療をしてしまうのか?

あるいは、おなじ症状だけど、気が利く患者が整形外科にいったらば、いったいどんな治療を受けるのか?
もしや、治療という名の下の、破壊がおこなわれる可能性だってある。
これが、「保険診療」と合体していれば、なおさらなのである。

すなわち、むかしのように、「藪医者」が少なくなったのはではなくて、「保険点数による管理体制の進化」が、「平準化」をさせたと同時に、全員が「藪」にさせられたともいえる。

そうかんがえると、あんがい世間をにぎわせた「ニセ医者」も、医師免許登録のデータベース化で、すっかり姿を消した。
しかし、捕まるニセ医者には、たいがい通院してみて評判がいい、という患者の口コミがあったものだ。

さて、西洋は西洋医学一辺倒が当然だ、ということでもない。
あんがいとギリシャ以来の伝統医療だって、「現役」なのだ。
そこで、ジョンズホプキンズ大学では、以下の5タイプの分類がある。

1.鍼[Acupuncture]、
2.アーユルベーダー[Ayurveda]、
3.ホメオパシー[Homeopathy]、
4.ナチュロパシー[Naturopathy]、
5.中国あるいは東洋医療[Chinese or Oriental medicine]

一方で、これら伝統医療の「世界標準化」という課題も、具体的な検討がされていることが、グローバル全体主義を推進する立場からある。

果たして世界標準化がどのような意味をもつのか?やや怪しさを感じつつも、わが国にはわが国の伝統医療が150年前までは確実にあったのであって、これを再評価しない手はない。

けれども、医学部と歯学部、それに薬学部と看護学部といった、大学利権がこれをはばむにちがいない。
そこには、巨大なビッグファーマという、スポンサーにして製薬利権が横たわっている。

いわゆる、テッパンなのだ。

人類の生存と幸福をかけた、「医療」も、こんな「ゆがみ」のなかにある、「病気」を発症しているのである。

さてどうしたものか?
他人事ではないのは、確実なのである。

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