「国民国家」滅亡と再生

「憲法記念日」にあたって

「77年目」という「節目」の年が今年だ。
明治元年(1868年)から77年後の、1945年に「敗戦」した。
その「敗戦」から、77年後が、今年なのである。

言論の自由やら、信教の自由が保障されていて、民主主義を行っている国ならば、基本的にその国は、国民と国家がバランスする「はず」だから、「国民国家」になることになっていた。

ところがこれが、誰の目にも「壊れだした」のである。
すると、「憲法が壊れだした」も同然なのだ。

つまり、国民と国家(=政府)が、「分離」して、「水と油」になってきている。

外国の例をいえば、NHK朝の連続ドラマで、視聴率の記録を樹立した『おしん』(昭和58年4月~59年3月)は、イラン国営放送で視聴率80%以上という「異常」をたたき出したといわれている。

これで、「イラン人親日説」が確定的になっている。

エジプトでは、『おしん』放送中に停電があって、それがきっかけで「暴動」になり、政府は国営放送に「再放送させる」と約束して収束させた。
さらに、エジプトでは、子供の名前を「おしん」にすることが流行したけど、これは女の子にはかぎらない。

むかしは、「ソ連」は怖いけど、個々の「ロシア人」は易しい、といわれてきた。
いまはたとえば、「国民は反中」だけど、「政府は親中」だといえばわかるようになっている。

これらのことを「あてはめれば」、国民感情としての「親日」と、その政府が「親日かどうか」は、一致しないのが、法則のようになっている。
つまり、上述した、「イラン人親日説」は、国民にはあてはまるかもしれないけれど、政府にあてはまるかどうかはわからないことを示す。

実際に、安倍晋三首相(当時)が、アメリカとイランの「仲介」をしに、福田赳夫首相以来41年ぶりにテヘランを訪問(2019年:令和元年、6月12日~14日)したけれど、イラン大統領の対応は冷たく、しかも、訪問「当日」に日本の石油タンカーがイランの革命防衛隊に攻撃される事件があった。

これに、現地の安倍氏は直接抗議することもなく、東京の外務省は「遺憾砲」を撃つだけだったのである。
いまも、外務省のHPには、タンカー攻撃の記載は「一字一句」たりとも「ない」という、「反日」ぶりを示している。

つまるところ、「あんた、どんな立場でなにしにきたの?」という態度であしらわれたばかりで、「独立国」としての待遇すら受けなかったのである。

「どんな立場」とは、アメリカの属国だろ、という断定がふくまれる。

すなわち、国民は「大国」としての日本をイメージしているけれど、実態がちがうから、「どうにもならない」ことになるのである。
ならば、国民に「大国なんかではありません」ともいえない。

この矛盾の根本原因が、「エセ独立国」という立場に甘んじて、77年間を過ごしてきたからだ。

だから、日本国民の多くが、すでに「独立国」とはなんぞや?を知らない。
敗戦までの「独立国」だった状態を知っているひとたちが、とっくに寿命を迎えて死に絶えてしまったからである。

物騒ないいかたをして、思考停止させる作戦が横行しているけれども、あえて誤解をおそれずに直言すれば、「外国と戦争ができる国」が、「独立国」なのだ。

もちろん、「戦争をしたい」という意味ではなくて、権利としての可能性をいうのである。

外交の延長線上に戦争がある、というのは、野蛮なヨーロッパ人の発想だけど、残念ながらこれが、国際ルールとしていまも通用している。
すると、戦争が「できない」国には、「外交」もない。

こうなると、外務省の無意味が鮮明になってきて、「邦人保護」すら形骸化していることの意味がわかるというものだ。
なにもかも、わが国政府にできることなぞ「ない」のである。

従来までの、「ごっこ」が、急速に色あせて、子供なら意味のある「ごっこ」が無意味とわかってきたのは、国民が「成長」してきたからともいえる。
それが、「ネット情報」を源にする、「情報源」の拡大による効果だ。

だから、政府は、国民が賢くなって成長されることを嫌がるのである。
幸か不幸か、最高学府に「入学するまで」猛勉強して、とうとう「エリート国家公務員」になったら、日常業務に忙殺されて過去の知的資産を食い潰すだけになる。

一方で国民は、最高学府に入学するまでの勉強は適当でも、その後も勉強を続けないと、民間では生き残れない。
それで、従前は企業内知識人で終わったけれど、ネット環境がこれを激変させてしまったのである。

これが、国民国家を「いい意味で」壊している。

つまり、本来の国民国家とするための動きが「はじまった」と解することができるのだ。

しかし、国家は「抵抗」する。
アメリカバイデン政権は、なんと「国土安全保障省」のなかに、「誤情報統治委員会」を設立すると発表した。
初代委員長は、これまで「誤情報を発信し続けた専門家」を選んだ。

なんだかよくわからない組織だけど、アメリカ人でも『1984年』を読んだことがあるひとは、「真理省」の創設だと即座に反発する反応を示している。

11月の中間選挙に向けた、バイデン政権の自暴自棄・自爆的な政策ではないのか?とおもえば、選挙によるレームダック政権になることが、いっそう期待されるのである。

わが国は、そこまでの「先進国」ではなくて、「過去の負債」を清算しないと、「次」に進めない。

それが、今年、はじまっているのである。

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