「底辺女性史」の底上げはあるか?

映画やテレビドラマに出演する「女優」を「俳優」というようになったので、いまや出演者を指して、「女優と男優」という区別をするのは、アダルト・ビデオ(AV)の世界に限られるようになってきた。

そのアダルト・ビデオ業界も、いわゆる『AV新法』(22年6月23日から)によって、なんだか混乱している。

ことの発端は、新民法で決まった、「18歳を成人とする」ことだという。

要は、現役高校生がAVに出演できることが問題になったのである。
これまでだったら、出演契約を本人が単独で締結しても、親(いまでは「父兄」ともいわず「保護者」という)が、未成年を理由に契約解除を申し入れて、実際に合法的に解除させることができたのだ。

だから、製作会社側にとって、本人の年齢確認を事前にしっかりしておかないと、あとで損失になるから、かなりの出演防止のための効果があったのだ。
この自然の損得勘定による防止法に、強制を図ったのが新法なのであった。

なんだか、「家電リサイクル法」と似ているのは、どの省に属していようが、所詮は内閣法制局の目を通るので、どんな法案も「統一」される官僚制の性ではある。
自治体が始末してくれていた大ゴミやら、民間の「ちり紙交換」を絶滅させた、悪法(支配者にとってはリベート利権をつくった)とおなじなのである。

法制局にいわれなくとも、わが国の「優れた」官僚制度は、法体系の整合性をかならずとる、という掟を破らない。
なので、さまざまな法律を新規で制定するときに、過去の法律との整合性を壊さないようにも気をつかう。

このために、立法権が事実上、行政府の内閣に移転した。
その専門部署にして最強の部隊が、内閣法制局なのである。
検察官からなる、法務省ではないことに注意がいる。

内閣法制局には、各省庁からのエリート法務官たるキャリア官僚が「出向」してきて、自身の出身省庁担当者と法案の摺り合わせだけでなく、法体系上の整合性もチェックする。

これで、内閣法制局参事官以上の役職を連続5年以上務めた官僚は、退官後、弁護士登録ができるという特権までもっている。
ちなみに、司法試験を経ないで弁護士になるには、大学の法学部教授職を5年以上やると平成16年まではなれた。

それで、大問題になったのが、「2007年憲法改正に備えた国民投票法」だった。
ここで、国民投票ができる国民が、18歳以上になったのである。

どうして18歳以上にしたのか?は、よくわからない。
超高齢化と少子化という二大問題が、考慮の背景にあることは確かだろう。
けれども、この規定が通ることで、明治9年(1876年)の太政官布告以来の20歳成人との整合性が崩れたのだった。

ただし、この布告前は、武家の男子なら13歳くらいで元服式があったし、女子は初潮がきたらもう結婚適齢期だった。
なにせ、平均寿命が40歳とか50歳だったのである。

ついでに、「数え年」から「満年齢」にしたのは、明治6年の太政官布告だった。
とはいえ、これは法令上のことで、わたしの祖父(明治36年生まれ)は、生涯「数え年」がふつうだったし、メートル法ではなくて尺貫法でないとピンとこなかった。

さてそれで、ことが憲法に関することなので、成人を18歳に揃える、ということになった。
ここから、テクニカルな関係法の整備という、お役所仕事がはじまる。

つまり、「法」と「一般常識」との整合性を無視した乱暴を、いまも政府はやって恥じない。

ために、タバコとか飲酒は「20歳から」という、なんだかわからない「特例」になって、そもそも社会にとって「成人」とはなにか?の定義からぜったいに切り離せない、「責任」が曖昧になったのである。

これは、おそらく、原案を作る側のひとたちの「無責任」が表面化しただけで、こんな薄っぺらな人物たちが、知識としての法律をしっている、というお粗末になった。

だから、まさか底辺の「AV」のことなんか気がつきもしなかった、のではないか?
それでもって、慌てて「新法」をつくることにして、公聴会も1回だけしか開催しなかった。

ここに、いい悪いが逆転した、「優しさ」(の押しつけ)が、見え隠れする。

とにかく、AVに出演する女性は売春婦同様の保護が必要で、こんなものに出演していい気になっている男優は男の風上にも置けない愚か者だ、というエリート男性目線だけが見て取れるのである。
なお、エリート女性にもこの男性目線をもっているひとがいることがある。

すなわち、これは、いまどきの「底辺女性」対策法、なのだ。

しかし、とっくに社会は成熟から爛熟に移っていて、一つの価値観でしか行動できない政府の限界と、それがまた、弾圧になることの恐ろしさも気づいていない。
そして、わが国には「伝統的左翼」すら、雲散霧消したのか?と疑わざるをえないことにもなった。

伝統的左翼には、「労働」の概念に、売春もあったのだ。

これは、社会が総じて貧しかったことからの、「わかりやすさ」でもあった。
よくいう「女工哀史」がまだ高級(恵まれていた)だったのは、ふつうに「身売り」があったし、下手をすれば「間引き」されたからである。

その傑作ルポが、山崎朋子『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』(1973年大宅壮一ノンフィクション賞)だった。

なお、このおなじ年には、いまでは入手困難な、『明るい谷間 赤線従業婦の手記』(新吉原女子保健組合編、土曜美術社)という名作もある。
ただし、こちらは吉原の最後のときだったので、「遊女」たちの教養はいまの国文科女子大生の比ではない。

この意味で、いまどきは風俗業勤務だからイコール底辺といえるのか?という問題にまでなっていて、かつての宿場町にふつうにいた「飯盛(めしも)り女」やら、江戸の共同浴場にいた、「湯女(ゆな)」と単純比較することはもうできない。

それでも、「新カラユキさん」や「新大久保のたちんぼ」が話題になるのも、昨今のわが国の貧困化の姿でもある。
しかして、人類最古の職業とされるものが、どこまで底辺なのか?という問題は、あんがいとあたらしいのである。

そんなわけで、とりあえず先進国の看板がまだあるわが国が、先進国で最大のエイズと梅毒の流行国になっている。

凄まじきは、そんな女性を保護する風情で、じつは利権の食い物にしている?ことが、ジワーッと話題になっていることだ。
こちらの悪質は、過去の悪の上をいく。

これを左翼がやっているらしいから、左翼も地に落ちたものだと感心するのである。

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