「技術」と「技能」の喫茶店

うまいコーヒーがのみたい。

むかし、「味」でのませる喫茶店がたくさんあった。
けれども、点在していた。
それで、電車に乗って行ったものだった。

どういうわけか、よく父とふたりで出かけたのは、母を出しぬく理由をつくっていたのかもしれない。
コーヒー好きの父は、喫茶店のコーヒーを飲んではその店で豆を買って、自宅でサイフォンをつかって再現していた。

これを、母に飲ませていたのは、種明かしなしの「勝負」を楽しんでいたのだろう。
子どものわたしは、もっぱらケーキがうれしかった。
店名にもなっている、自由が丘のモンブランの味はわすれられない。けれども、ここの洋酒たっぷりのサヴァランがたまらなく好きだった。

注文すれば、かならず「呑兵衛」になるな。と呑兵衛の父にいわれたものだ。

コーヒーについてくる、クリームがはいった小さなカップは、その小ささが妹のママゴト用食器ににていて、区別がつかなかった。
それに、牛乳とクリームの区別もつかなかった。
ブラックで味見して、クリームをいれたときの交わりかたが、なんだか不思議な模様をしていて、じっとみているとスプーンでかき混ぜられた。

おとなに近づいて、友人に誘われたのがカウンターだけの喫茶店だった。
「ここのコーヒーが横浜でいちばんうまいんだ。」
どうしてそんなことをしっているのか?けっきょくわからずじまいになったが、たしかに「うまかった」。

しかも彼は、カウンターのなかの主人と親しげに話している。
豆のことや焙煎方法、それに挽き方。
それぞれにうんちくがあって、とてもついていけない。
わかったのは、その組合せの無限さが、喫茶店という「店」をつくっているということだった。

同年代で、あんなコーヒー好きに出会ったことがなかった。
もしや、彼は喫茶店のおやじになったか?
ふと入った店で、「おう、ひさしぶり」と声がかかたっら、と想像するとそれは愉快でもある。

生豆から販売する、コーヒー豆専門店ができてきた。
生前の父が、近所にできたことをしってずいぶんかよっていた。
若かったら、彼とおなじぐらいに凝ったことだろう。

はたして、ホテルのコーヒーはどうか?
あんがいぞんざいにあつかわれているのは、大量生産大量消費のためである。
一日で、何百人ものひとたちがコーヒーをすすっている。

サービス業のえらいひとたちは、工業をバカにする傾向があるけれど、ことコーヒーに関していえば、まったく工業的なのがホテルである。
しかも、いまではとっくに時代遅れになった、大量生産大量消費そのものだから、たちがわるい。

ホテル内高級レストランの業績改革で、よくいらっしゃる常連客の好みをきいて、それを管理し、自由にブレンドが可能にしたらどうかと提案したことがある。
食事の最後のコーヒーを、じぶんの名前がついた番号で、今日は5番で、とかいえたら素晴らしくないかと。

これは、米屋の発想で、店内で各ブランド米をブレンドしてあげて、お客の好みのごはんが炊けるようにする。
スーパーの袋入りではない、「専門店」の生き残り作戦だ。
この技術を応用したらどうか?と。

けれども、ここは高級レストランで喫茶店ではないといわれて、この案は却下された。
それからしばらくして、この店自体が業績不振で営業を終了してしまった。

東京の南千住に、喫茶店の世界でしらぬものはいないという名店がある。
平均律を採用した大作曲家、あるいは「ドイツの三B」の筆頭のひとの名前がついている店で、ロゴもこの作曲家の肖像をデザインしている。

オーナーは、元ボイラー技士。
よって、焙煎は自作の焙煎機をつかっておこなう。
いまや、電器メーカーと自動コーヒーメーカーの開発までおこなっている。

「技術」と「技能」のちがいはなにか?
「技術」は、再現性で数式などに置き換えることができるもの。
「技能」は、人間の能力のことなので、パーソナルなものになる。
そこで、技術者に技能がくわわると、だれにもできない世界がつくれる。

このお店のオーナーが、それである。
もてる技術と技能を、「うまいコーヒー」という主観に集中させたら、だれにもまねできないことになったのだ。

あぁ、理系の力。

店名がついた「ブレンド」をいただいた。
渾身の一杯。
つぎから次に訪れるお客の注文をこなす手際の、惚れ惚れする「切れ味」も観賞しながら、この一杯にいたる「組合せ」をみつける作業はどんなものだったのか?

百杯も、千杯もつくっては「ちがう」として、廃棄する。
そんなことを通過してできたのだとおもえば、お客はとんでもないノウハウを買っているのである。
さも簡単にコーヒーを淹れていることで、この値段ではない。

しかも、この店は、ケーキやパンも自家製なのだ。

けっして立地にすぐれているとはいえない場所に、どこからともなくお客がやってくる。
しかし、このひとたちは「長居」しない。
まるで「寿司屋」のごとく、コーヒーで一服してさっと帰る。

江戸っ子だねぇ。

お店の趣旨を理解したお客とともに、別世界がつくられている。

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