「時間厳守」の老人たち

三つ子の魂百まで。

子供の時分から身体にたたき込まれると、すっかり老人になってもやめられない。
これをふつう、「習慣」という。
だから、幼少期から「習慣化させる」ことを、親なりが「習慣づける」という「訓練」をその子にするのである。

これを称して「躾(しつけ)」といったりもする。

その「習慣化」のあり方が、「民族文化」の源泉にもなる。
他民族にない独特の習慣は、そのまま「文化」と看做されるからである。
こうしたことは、なにも人間だけに限らない。
各種の動物も、「種」特有の習慣を持っている。

ただし、先天的なものは、「習性」とか「本能」といって、あとづけの習慣とは区別する。
この意味で、人間という動物にも「本能」はあるけれど、かなりの部分が生後からの訓練による習慣で一般生活をしているのだ。

「時間厳守」という習慣が我々日本人にいつからはじまったのか?
それには、「刻限」の共通認知が土台になる。
簡単に言えば、「お寺の鐘」だ。

今どきのハイテク寺院の「自動鐘つき機」が、電波時計とかクオーツ時計と連携しているようなことは、あり得ないから、やっぱり「だいたい」という共通の感性を土台にしていたはずである。

それもそのはずで、一日を24時間に等分した、明治6年からいまにつづく「定時法」ができるまでのわが国の時間の概念は、「一時(一刻)」の長さが、季節によって昼と夜とで異なっていたからである。
朝は日の出からではなく、白々とした頃からで、夜は他人の顔が見えなくなる「たそがれ(誰そ彼)」からだったのだ。

これは、いまだにイスラム世界にあって、「ラマダン(断食)」の時期には、日が明るいうちには「飲食」を禁じたけれど、「日が沈んでからは飲食できる」というルールになっている。
けれども、飲食開始の実際は、薄暗くて針に糸を通すことができなくなった瞬間をもってスタートするのである。

そんなわけだから、日本人がいまのような「時計」を見るようになったのは、明治6年をはじまりとする。
つまるところ、太陽太陰暦が明治5年で「終わった」のと、話は同じなのである。

ときに、「文明開化」の真っ盛りだ。
明治5年9月12日に、最初の鉄道(新橋・横浜)が正式開業した。
このときは、まだ現代の「定時法」による時間ではなかった。
なので「時刻表」は、いまと同じに読んではいけないはずである。

一気に産業も「富国強兵」の一環としての「殖産興業」が叫ばれたから、家内工業から大規模工場へと移行するにあたって、労働者を一律に訓練すべくできたのが、「学校制度」における「義務教育」だったのである。
ここで、「始業時刻」が「遅刻制」とともに全国にやってきた。

さらに、成績優秀者へは、「恩賜の時計」やら「金・銀」の時計を褒美とした渡したのは、集団をリードする上で欠かせないのが、「時計」だったからであろう。
成績が芳しくない凡人にも、「時間を計る」ことの重要さが印象づけされたともいえる。

こうして、幼少のみぎりから(学校に)遅刻したらバケツの水を持たされて廊下に立たされる、という「罰」が「教育」とされたのだった。
何故なら、社会に出て遅刻をしたら、もっとひどい目にあうこと確実だったからである。

すると、このときの「教育」とは、「習慣化」のことであるとわかる。

それが嵩じて、両親や教師からの命令に従う、ということも「習慣化」の対象になったのである。
これが、「従順なる労働者育成」という国家目的と合致した。
もちろん、「産業界」も支持するのは当然だ。

ときに、「タイムイズマネー」と言ったのは、伝統的アメリカ人がいまでも尊敬してやまない、建国の父のひとりでもある、「ベンジャミン・フランクリン」の名言だ。
夏休みの読書課題で、『フランクリン自伝』を読まされた記憶があるむきも多かろう。

フランクリンがいう「時は金なり」と、わが国伝統の「時間厳守」は、ニュアンスが大分異なる。
誤解をおそれずにいえば、フランクリンの発想は「経営者=事業主」のもので、わが国の方は「労働者=隷従すべきもの」なのである。

ちなみに、フランクリンの発想だと、労働者にも「時は金なり」は当てはまるから注意がいる。
彼からしたら、「労働者=個人事業主」といった発想があるからだ。
いかに効率よく自分の職場で稼ぐか?というかんがえだ。

すると、わが国の経営者がいう「時間厳守」は、およそフランクリンとはかけ離れた概念なのだ。
とにかく、決まった時間より「前」にいけばいい。
理由はかんがえない。

スーパーであろうが病院であろうが、時間厳守なのである。

ホテルでも、チェックアウト時間ピッタリに精算のためカウンターにやってくるのは、まず日本人ばかりなのだ。
外国人は、ホテルから連絡があるまで「粘る」か、超過料金を支払うことをためらわない。

骨髄反射の「時間厳守」とは、貧乏性の証なのであった。

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