「西側の政府」は持ちこたえるか?

「西側」とは、「自由主義」の「民主主義国家」群をいう。
経済体制では、「自由経済圏」のことである。
なお、一般的には「資本主義諸国」というが、困ったことに「資本主義」は「定義」が曖昧な「共産主義用語」である。

地球は丸いから、グルッと回れば元に戻る。
なので、「西側」という言い方は、あんがいと「短距離」のイメージだ。
しかも、誰から観て「西」なのか?という「主語」が省略されている。

「冷戦時」の「西側」とは、分割された東ドイツ、チェコ、ハンガリー、ユーゴスラビアの「西側国境の先」を指した。
つまり、「ソ連・衛星諸国」から観ての「西側」を、指された側も「一人称」として自ら「西側」と言ったのである。

すなわち、「西ヨーロッパ」をいうけれど、その先の大西洋を越えた、北アメリカの二国(アメリカ合衆国とカナダ)も、「西側」で、とうとう太平洋も越えて、日本も西側になった。
ただし、日本海の向こう側にソ連があるので、地球が丸いことがわかるのである。

その「ソ連・衛星諸国」が、自由主義に「体制転換」して30年。
「ソ連」は、「ロシア共和国」になって、「衛星諸国」はチェコ・スロバキアやユーゴスラビアのように、分裂したり、東ドイツのように統合したり、バルト三国やスタン国のごとく、ロシアにはならずに独立したりした。

1955年に締結された、「ワルシャワ条約機構」は、「東側」の軍事機構で、1991年7月に「解散」した。

この「軍事同盟」が締結したときの理由は、1948年の「ブリュッセル条約」(当初は西ドイツも「仮想敵国」だった)が発展して、1949年にNATOができて、55年に西ドイツが「再軍備」してこれに加盟したのがきっかけであった。

このときでも西側が先に、徒党を組んだのだった。

わが国ではあたかも、もっぱら「国内の政治事情(自民党と社会党の対立)」をもって、「55年体制」というけれど、NATO対ワルシャワ条約機構の巨大対立構造の、極小版にして国内オンリーの「用語」にしたのは、これも「愚民化」のひとつの作戦だったにちがいない。

そうやって、世界規模の対立を国内事情と「切り離す」ことにして、「内外のこと」のつながりを国民に意識させない、という「意図」があったのである。

すなわち、「冷戦」を、「他人事」にしたのである。

その根拠が、「平和憲法」という「欺瞞」の宣伝であった。
「非武装中立」こそ、その極致の「暴論」であったけど、「時代」がこれを受け入れたのは、日本人を精神的(実は情報で)鎖国にして、「夢想国民」という「愚民化」に導いたのだった。

はたしてこれは、「ソ連の工作」だったのか?
いまから思えば、「アメリカ民主党」にも都合のよい、「日本支配」を強固にする、「アメリカ依存」を高めるメリットがあることだ。
すると、米ソが双方で仕掛けた「国連体制」の一環だったともいえる。

それを、教師の労働組合が率先して叫んだのである。
いまからすれば、米・ソ双方にとっての「犬」なのであった。
なお、日・独は、いまだに「敵国」なのである。

今般、自由主義国の体制が、「自由」ゆえに弛みだした。
その「最先端」が、カナダであり、ニュージーランド、オーストラリアと、「英連邦」ばかりとなっている。
しかしながら、底流には「ダボス会議」があると前に書いた。

正義の名のもとに、市民への政治的弾圧を徹底しているカナダのトルドー首相が先月EU議会に招待された。

そこでの出来事は「歴史的」で、トルドー氏の「自由演説」に対して、複数の議員が、「面前で」、いまどきの日本なら「罵詈雑言」としてはばかれる言葉で非難した。

白人社会にどの程度の「メンツ」があるかしれないが、まさかの「自由主義の敵」と言われても、帰国後はさらなる弾圧政策を推進する神経は、このひとの「本気」を示している。

「自由党」とは、国民の自由を奪う、という意味の「ニュー・スピーク」なのである。
自由主義で民主主義国家の成立条件は、「教養がある国民が多数」なのだということがわかる事例になっている。

今年、カナダでは大規模な地方選挙が予定されているので、その結果がどうなるものか?

しかし、選挙が不正でそれが容認されるとどうにもならない。

2016年のアメリカ大統領選挙における、ヒラリー・クリントン氏と民主党に、「選挙違反の罰金」が確定した。
勝者のトランプ氏は、別途訴訟を起こしたけれど、2020年の選挙では「落選」してしまったのだ。

そんなわけで、日本でも「投票にはボールペンやサインペンの持参を!」という呼びかけがされている。
「手集計」だから大丈夫、にならない。

むかしからある「うわさ」には、投票箱ごとすり替える、という手法だってある。
投票後の投票箱を開票まで監視する第三者が「いない」のだ。

ウクライナ情勢もなにも、情報コントロール下にあって、「決めつけ」にかまびすしいひとたちがいるけれど、「わからない」状況のなかで、早とちりは禁物である。

そんななか、わが国外相はポーランドに行って、ウクライナ難民の受け入れをするという「正義」を実行する。

時が経って、「実態」が明らかになったとき、国民が判断しないと「いけない」タイミングがやってくる。
そのとき、「西側政府」は持ちこたえることができるのか?

あんがいと、世界共産・全体主義革命ではなくて、自由主義のための「新・名誉革命」になるのかもしれない。

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