「銃」がつくれない

わが国の工業技術の優秀さを自画自賛することは、「誇り」であった。
「ものづくり大国」とか、「世界の工場」という位置づけが、かつてあったからである。
もちろん、この基礎として「手先の器用さ」という、民族特性も自慢だった。

終焉のはじまりは、1985年9月の「プラザ合意(先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議)」による、「円高容認」であった。
その後、ソ連東欧圏の政権崩壊と大転換が起きて、「要素価格」のうちの「労働(人件費)」が極端に安い旧共産圏へと生産がシフトをはじめた。

ちょうど、アジアでは改革開放路線の中国が注目されたのは、当然の成り行きであった。
しかし、ソ連東欧圏は、共産党が禁止になったけど、中国はそうではないし、また、話題にならないがベトナムも同様である。

SDGsなる発想で、地球環境を人類はコントロールできるという信じがたい傲慢なことを前提としだしたけれど、現実的な「地の利」からすれば、わが国には旧ソ連東欧圏を「工場」とするには、やはり「遠すぎた」のである。

発覚して報道された、住友重機械工業の自衛隊向け機関銃の開発にあたって、下請け会社が部品の調達に中国企業を選定し、その企業に設計図を渡していたことが発覚した。
ただし、貿易を管理する経産省は、外為法違反とはならない、という見解を示している。

また、元請けの住友重機械工業は、機関銃の生産からの撤退を表明しており、今回の「事件」とは別の経営判断であると説明している。
要は、「数量」と「単価」が採算に合わないということだ。
一方で、国産機関銃の品質は感心できないとの評価もあって、実態を正確に伝える報道が例によってない。

「国防」には、国産の武器・火器が必須だという意見が、保守系の論客からさかんに発信されているけど、こないだ書いたように「撃てない」ことの現実、がよほど深刻なのである。
物理的・技術的問題ではなく、人為的・法律的な問題だからである。

国産の銃が作れなくても、良好な関係がある国から輸入することは問題がない。
たとえば、アメリカ軍でさえ、全部がアメリカ製ではない。
ましてや、わが国の主力戦闘機はアメリカ製である。

むしろ、銃器本体よりも消耗品である「銃弾」の国産化の方がよほど重要だ。
銃器には「口径」などの「規格」があるから、その「規格」に則した「銃弾」しかつかえない。

たとえば、装填する火薬量が多いほど破壊力が増すだろうとして、規格外の分量の火薬をつかえば、銃身破裂事故を起こしかねない。
これは、銃を構えた顔先での「爆発」なので、射手の生命の安全に重大な問題となる。

そこで、火薬量を規格どおりにしながら、「弾」の破壊力を増すにはどうしたらよいのか?という問題を、火薬の「種類」を使い分けることで克服する技術もある。
燃焼速度のちがいを応用するのだ。

速く燃える火薬と遅く燃える火薬を組み合わせることで、ロケットでいえば、「二段階燃焼」させるのである。
これは、燃焼ガスがたまる「薬室」における、圧力を調整しつつ、発射におけるエネルギーを最大化させるというかんがえによる。

速く燃える火薬だけのときに発生する「燃焼ロス」を、遅く燃える火薬が打ち消して、「力」を与える。
野球でいえば、速いけど軽い球と、速度はそこそこでも打者のバットを折る重い球のちがいだ。

そんなわけで、「銃」という道具には、「銃」自体の機構設計と製造技術があって、これにあわせた、「銃弾」の機構設計と製造技術が必要なのである。
話題が銃の製造にばかり傾くのは、いかがなものか?

戦国時代、種子島にやってきた鉄砲を当時の世界最大数にまで量産したのは有名だけど、火薬が足りないことでの貿易が必要だったことも書いた。
「猟銃」についていえば、現状わが国には1社(ミロク製作所)しか専門メーカーは残っていない。

それも、製品のほとんどがアメリカに輸出されて、「ブローニング」、「ウィンチェスター」というブランドになって販売されている。
ちなみに、世界最大の銃器メーカーは、イタリアの「ベレッタ社」である。

つまり、「銃器」という分野では、わが国はイタリアに到底及ばない技術途上国なのだ。
イタリア、である。

伝統文化とおなじで、製造技術もいちど絶えると復活できない。
そのわかりやすい例が、京都「清水三年坂美術館」にある、明治期の「超絶技法」を駆使した工芸品にみることができる。

どうやって作ったのか?
もう、だれにもわからない、という時代の逸品がならんでいる。
それはまた、台湾の「国立故宮博物院」にある、「青磁」のごとく。

さてそれで、住友重機械工業の不始末は、技術ではなくて「マネジメント」にある。
「撃てない」ことと同様に、人為の「失敗」なのである。

これこそが、「撤退」の理由だろう。
すなわち、文系経営幹部(中間管理職もふくむ)たちの、不始末が組織に蔓延して、これを「防止」できない企業体質に陥ったということだ。

企業内スローガンとして、「まんぼう」を掲げるか?

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