「食育」は成功しているか?

喫煙禁止を家庭内に持ちこもうとする「健康増進法」と,それによる都道府県条例が話題になっている.
わたしは,10年前まで喫煙者であったから禁煙には賛成だが,国家権力や公権力が家庭内や個人の自由にまで侵入することについては,強い違和感をもっている.

役人のやることは縦割りで,しかもオリジナルをコピーする.
これで国会を通過しているのだから,おなじパターンなら反対できない,という論法だろう.
議員はそうした理屈によわいから,官庁ごとににたような法律がたくさんできる.
「食育基本法」というものもそのパターンだろう.

この国は,国民が国家に依存しているが,愚民化がうまく行きすぎて国家による統制が,あんがい困難になってしまうこともあるから皮肉なものだが,「愚民」というキーワードでかんがえれば,やはりほめられたことではない.
国がさまざまな「組織」や「資格」をつくって,「食育」を「国民運動」にする,
この「国民運動」という手法は,戦前・戦中のやりかただという認識をもつひつようがある.

「戦争反対」を強く主張するひとたちでも,「国民運動」には熱心なことがある.
どちらの行動も,どこまでかんがえて行動しているのか不明だが,「よいこと」におもえてしまうのが恐いことなのだ.
それは,古今東西,国家は「国民の善意」を利用するからだ.そして,国家権力を強化する.

小学校の給食で,いったいどういった「食育」がおこなわれているのか?と問えば,管理栄養士が組み立てた「献立」をもって,食べさせている,だけではないか?
その献立が月単位で一覧になっている「献立表」すら,親がどこまで読み込めているのか?
クラス担任の教諭とて,子どもたちと一緒に「食べる」というだけで,どのくらいの「説明」をしているのか?

つまりは,教室では「うまい」「まずい」だけが本音であって,まさか外国人が絶賛する「配膳」と「後片付け」をもって「食育」といっているなら,それこそ茶番である.
しかし,「親」世代も,給食世代だから,じつは「食育」世代なのだ.
「献立表」の記載が読み込めない,つまり,じぶんの子どもがどんなに考えられたメニューを食べているのかに興味がいかない親だから,給食の自己負担分すら支払わないのではないか?と想像するのだ.

中学や高校の「化学」で,生活のための「化学」を学ぶようになっていない.
「消化」というのは,完全に化学反応だから、そのもとになる「食物」や「食材」が,どんな組成で,それを「食べる」とはどういう意味なのか?
「女子高生」も卒業後10年もすれば「母」になる可能性がある.
「男子高生」も「父」になるが,「イクメン」などといっているわりに,子どもになにを食べさせるのか?ということの知識が,学校で教育されないのだ.

それなのに,「食育」といってはばからないのは,いったいどういう精神構造なのか?
「だから予算をつけなければならない」
これが,役人の発想になるのだが,自分事ではなくて他人ごとになっていることが問題なのだ.

「なにを食べるのか?」は自由である.
しかし,おとなとちがって,自分で選択することができない子どもに,「なにを食べさせるのか?」は,おとなの責任である.

休日の朝,ファストフード店にいけばよい.
離乳食レベルの赤ちゃんから小中高生が家族の朝食として,あるいは若いお父さんと来店している光景をみることができる.
こうした顧客層に対する,店員たちの献身的なサービスは,一見きもちのよいものなのだが,顧客が自分からすすんで購入した「食べ物の正体」をかんがえると,不気味なものがある.

人生の早いうちから,味を覚えさせろ!
さすれば,一生涯にわたっての顧客になる.
一回300円の購入でも,(週に何回)×(70年間)では,300万円をゆうに超える支出となる.

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