「鬼退治」の鬼

「鬼」は、意外にも「日本だけ」のものなので、外国人にはわからない。
一応「demon」と英訳するけど、どうしても「悪魔」という概念に変化してしまうのだ。

善と悪、明と暗との「二元論」は、人類最古のゾロアスター教の教義だから、キリスト教にも影響したし、仏教にも影響した。
けれども、長い年月と地理的隔絶の間に、それぞれがそれぞれに発展して、別の概念になったのである。

ことに、日本の場合、最新のDNA分析から、縄文人の再評価が著しくて、その「古さ」と「独自性」が維持されたことの「特別」が、人類史の書き直しにまで議論がすすんでいる。

ざっくり、3万5千年ほどの「血の連続性」が、現代日本人にまで絶えることなく続くことが確認されてきたのだ。
すると、「皇紀2600年」というレベルすらはるかに超える。

それで、「ホツマツタヱ」にある、「皇祖」が1万年前に存在したという「お話し」も、眉唾ではなくて科学的分析の対象になりだしたのである。
だとすると、人類最古の文明は、なんと「日本文明=縄文」ということになるため、世界の研究者が大注目しているのだ。

もちろん、人類の発祥が、「アフリカ」を起点とすることに変わりがないので、どうなっているのか?という大問題はある。
それがまた、議論を呼んでいる。

さてそれで、「鬼」である。
「鬼」とは何者なのか?
当然ながら「所説」あるけど、「説」だけでなく、「鬼」自体もたくさんの種類が「いた」ようだ。

この「いた」には、物理的・物質的な「存在」の意味もあるが、精神的・宗教的な意味もある。
なので、「demon」とイコールにはならない、日本だけの「鬼」になるのである。

昨年4月に95歳で亡くなった橋田壽賀子氏といえば、『渡る世間は鬼ばかり』(1990年~2019年まで通産511回)の作者だった。
もっといえば、『おしん』(1983年~84年)という「お化け」もある。

その橋田さんが書き下ろした『おしんの遺言』(2010年)に、「鬼」についての記述がある。
「鬼が住むか蛇が住むか」「鬼に金棒」「鬼の目にも涙」「鬼のいぬ間に洗濯」「鬼も十八、番茶も出花」「渡る世間に鬼はない」。

それで、『渡る世間は鬼ばかり』とした理由を、「鬼ばかり」と思わないと何事にも鈍感になって、ついつい、いい加減な暮らし方をしてしまう、というメッセージを込めた、と。

つまり、「緊張感」のある生活のため、ということだろう。

しかし、「よく考えてみると、鬼というのは、自分の心のなかにもいると思うのです。」として、「相手を鬼と思ってしまえば、自分も鬼になってしまいます。」と綴っている。

身近な例を挙げて、「鬼の夫」の世話に追われて時間がない。どうしたら時間を無駄にしないで、限られた時間のなかで効率よく脚本を書くという仕事ができるのか、その方法を会得しました。
鬼の主人のおかげで、私はずいぶん得をしました。

心持ち次第、ということなのだ。

昨日の15日、ユーチューブ番組で「新党討論SPECIAL」として、「新党くにもり」と「参政党」の2名ずつ4名での約2時間にわたる討論がライブ配信されて話題になっている。
好評の司会は、情報戦略アナリストの山岡鉄秀氏だった。

いわゆる「保守新党」どうしなので、立ち位置がそもそも似ている。
この意味でいえば、自民党内の各派閥の立ち位置とか、政権与党である自民党と公明党のそれぞれの立ち位置と比べて、ずっと「近い」のである。

だから、「討論」なのに、互いに「補完・捕捉」しあった議論になったことが、これまでの党派による「対立構造」と違うのである。
この点が、「新しかった」といえるだろう。

しかも、その近さゆえに、政権与党への「ダメ出し」について、一致しているのだけれども、これまでの「左」からのダメ出しではないことが、また「新鮮」なのである。

参政党は、街頭演説でも明言しているように、「鬼」が誰だか特定している。
それは、各国政府を超越した存在の「グローバル全体主義」を標榜する人物や団体(たとえば、「ダボス会議」や「国連」)だ。

この点で、与党にターゲットを絞っているのが「新党くにもり」だという「違い」がわかる。
つまり、「鬼退治」の相手(このばあい「次元」)が違う。

意見のすれ違いは、ここに絞られた。

すると、「鬼」になっている与党とか、その上位概念を相手にするから、「既存野党」は全部が議論の対象にもならないのである。

つまり、これは、「自民党が既存野党を飲み込んだ」という構図の現れなのである。
ゆえに、いよいよはじまった参議院選挙で、自民党やらの「街頭演説」や「宣伝カー」による「街宣」が、やけに「陳腐」に聞こえるのである。

こんな国に誰がした?
それは、「われわれ国民だ」という「本音」をはっきりいうのは、かつてタブー視されてきた。

「鬼」は、国民の「心」に宿っているのである。
それが、「今だけ」「自分だけ」「おカネだけ」だと。

政権選択ではなくて、「良識の府=参議院」にふさわしく、「道徳観」が争点になっている。
このばあい「心を鬼にして」かかってほしいものである。

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