なんで「LINE」なのか?

SNSの「便利さ」は承知しているけれども、「無料」なのが気にさわる。
いまや「無料の天下」になってしまった。

むかしの日本人は、「無料を怪しむ」精神の健全性があった。
「ただ?」そんなはずはないだろう。
どうして「ただなの?」なにかいかがわしいことがあるのか?と。

それでやっぱり騙されたり、へんに相手に気を遣うことになって、結局は損をする。
だから、ただほど高いものはない、といったのである。

価格に見合う対価は払う。
じつは、これが、経済学が前提に置く「経済人」の経済感覚なのだ。

もう30年前にもなろうむかし、とある地方のスーパーマーケットが、顧客カードを利用客に登録させて、レジでの提示で購入額に見合ったポイントを付与するサービスをはじめた。

いまでは、どこもかしこもポイントサービスをやっているから、財布がぶ厚くなる困ったになって、なるべく新規の店ではこれを拒否している。
数円のためにぶ厚い財布を持ち歩きたくないからだけど、ポイントが付かない当たり前に、なんだか損をした気にもなる。

さてそれで、最初のポイントサービスの意味とは、顧客の買い物情報を店が買った、ということだった。
つまり、顧客は自分の購買履歴を、レジで店に売っている、と。

これは、「ただ」で情報をいただくわけにはいかない、という経営者の精神が決めさせたことだった。
こういう経営者が経営している店なので、しっかり分析をしてより顧客サービスを充実させて、双方の「Win-Win」にしたから、繁盛店になったのである。

けれども、そんな「精神」を意識もしない経営者にも、「ポイント管理システム」という商品ができれば、おなじサービスがかんたんに実現できる。
それで、猫も杓子もとなったのである。

しかしながら、アメリカからやってきたSNSを提供する会社は、もっと貪欲で、自分たちの「Win」しかかんがえていないことがわかった。
それでも、「便利さ」という「誘惑」に駆られて、使わざるを得ない状態に置かれたのが、いまの「庶民」の立場なのである。

ここに、欧米的な「支配と被支配」ができあがって、それが「勝ち組・負け組」という言い方でわが国に伝播した。
「被支配者」の代表が、現職の大統領だったのに、SNSから永久追放されたトランプ氏なのである。

彼の政治的立場は、あくまでも「被支配者の側」にあるのに、日本では「憎悪」の対象としてプロパガンダされるのは、わが国マスコミが「支配者の側」に立脚しているからである。

しかし、こんな「単純な構図」すら理解できないのが、日本人の大半になったので、支配者からコケにされたりイジメの対象になっているトランプ氏を笑いながらバカにすることができるようになっている。

だから、アメリカでのトランプ支持の盛り上がりを「赤いビッグウエーブ」と呼ばれていることの意味が、まったくわからない状態になるのだ。
つまり、日本人は唯一の「同盟国」の実情を、ぜんぜん理解していない。

トランプ氏の政治的「復活」は、SNS企業には非常に都合の悪いことになるのは明白で、その「自由裁量」にきっぱりとメスが入るのは、彼自身の報復なのではなくて、現職大統領さえも言論の場を失うことの、アメリカ人一般がかんがえる「自分もやられる」ことへの共感があるからだ。

現に、「ダボス会議」は、世界的な言論統制を行うべきと提言した。
その手段は、A.I.による、という他人事としている。
これに、フロリダ州知事は、だれがそのプログラムを書くのか?として、反ダボス会議を明確にした。

そんなわけで、アメリカは一般人に主権があるという憲法に従った「反撃」が用意されてきているのだが、わが国は、ぜんぜん脳天気なままにいて平然と生活できるのは、幸福なのか不幸なのか?

韓国と中国に個人情報がダダ漏れだと指摘された、「LINE」が、相変わらずの猛威を振るっている。
これに、支払決済の「pay」機能が、さらなる個人情報抜き取り手段になっているとの指摘も無視できる状態なのである。

「LINE」の危険性が社会を騒がせていたときに、神奈川県は県民サービスとしての「LINE」を開始するという「快挙」を遂げた。
行政への批判だけでなく、県議会議員の質が低すぎるか、行政とグルなのかのどちらかだ。

いまや、日本郵政の再配達も、二次元バーコードからなら「LINE」に接続されるから、電話の自動音声で申し込んでいる。

そんななか、岐阜県八百津町は、SNSからの町指定ハッシュタグをつけて発信したら、町内宿泊施設の料金を2000円補助するという「観光政策」をやっている。
夫婦二人でやれば、4000円の補助になる。

こんな補助がありますと教えてくれた宿の女将さんに文句をいってもはじまらない。
とにかく、行政と議会が、あまりにも無防備なばかりか、自分たちの提案がどれほどの利益をSNSに与えるのかも、ノーマークにちがいない。

ただし、この制度では、「LINE」は排除されていた。
知らないひとへの「伝播力が弱い」、という理由だった。

なんにせよ、おそらく国やら県を通じて降ってくるおカネ(予算)だから、四の五といわずに「やっちまった勝ち」で決まったのだろう。

わが家はこれを「拒否」して、支払を済ませたのだった。
ことは、4000円の問題ではないのである。

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