ほらきた「55兆円」の補正予算

予想通りの予想が当たったことが、うれしくもなんともなく、ただの「ため息」が出るばかりだ。
驚くほどの「凡庸」としか言い得ない。

前に書いたようにアメリカでは、二大予算案の攻防が、来年の中間選挙に影響を与えること「必定」となっているのに、わが国で、ことごとく「順番が違う」ことになっている。
選挙前どころか、総選挙後の、「これ」である。

つまり、選挙前も選挙中も、有権者は「こんな話は聞いていない」のだ。

インチキの典型である、「後出しジャンケン」をやっている。
これが、「武士道」なのか?といえば、誰だって笑い転げる冗談だ。
日本を牛耳るひとたちは、ただの姑息な輩に墜ちたのである。

外国人から、「武士道」を言われたら、とにかく穴に入って出てこられない、「黒帯が泣く」ことになったのである。

そこへいくと、「ヤンキー」たちはまだ「まとも」だ。
使うお金と財源を「同時」にちゃんと示している。
たくさん使うから、増税します、と。

もちろん、バイデン氏が「公約」にしたのが「増税」だったから、ここでも嘘は言っていない。
ただし、選挙公約で「増税」を掲げて当選した稀有な例ではある。
それで、史上初の8000万票を獲得して、やっぱり史上初の7400万票の現職を破ったのである。

合わせてこんなに投票があったのも、史上初だったけど。

トランプ氏はレーガン大統領がやった「大減税」の上をいく「大大減税」を実施していた。
これで、アメリカ経済は「絶好調」になったのだ。

70年代から80年代、ノーベル賞をとったサムエルソンの『経済学』が、どの大学でも教科書になっていた。
いわゆる、ケインズの「有効需要創出」に関しての常識に、ソ連型社会主義をあてはめた、「ポリシーミックス:新古典派総合」がもてはやされた時代であった。

いまからしたら、「米ソ冷戦」とは、あんがいと経済学も幸せな時代だったかと思う。
「ソ連の脅威」に対抗すべき経済理論の最右翼が、ソ連型を認めるものでも「通った」からである。

天才サムエルソンをして、ソ連経済発展を死ぬまで疑わなかったのは、「国家統計」の妙であった。
「嘘で固めている」とは、天才にして想像もつかない。
なぜなら、そんなデータで「計画経済」ができるはずがないからである。

しかし、実態は、そんなデータであった。

だから、計画経済ができるはずがなかったし、計画経済なんてできるはずがないとした、ミーゼスの指摘をサムエルソンは意図的にか「無視」していた。
つまり、二重に重要な条件を無視した、「砂の器」がサミュエルソン経済学になってしまったのである。

それでも、剥奪されないノーベル賞学者なのだ(クスッ)。

そうなると、この「教科書」で学んだかつての学生はどうなるのか?
学業成績優秀者とは、学校で言われたことを「忠実」に、かつ、「頑な」に守ることに秀でたひとたちをいうから、ヒヨコが最初に目視した「動く物」を母と思いこむようなことになる。

本質はどうでもいい。
教科書通りを書けば、「優」が取れて進級できる、ということを優先させて、そのまま就職するのである。
そして、成績優秀者ほど、役人になるのがわが国明治以来の「掟」なのだ。

一ケタの年齢からの人生の始めにこの「訓練」を10年以上も受けたひとたちが、自分の幼少期からを否定するようなことはしない。
ましてや、現に「エリート」になっているのだ。

それでもって、今度はその世界でエリートから逸脱しないように、「状況」に敏感にもなる。
つまり、「外れ値」にならないよう、常に「平均」付近でいられるように努力する。

しかして、この「努力」とは、「自己研鑽しない」という努力なのである。
「安逸であれ」という「停滞」こそ、「平均」でいられる近道となる。
だって、小学校から頑張ったのだ。
そんな自分が適当にやっていても、小学校から遊んでいたひとたちには「凄い」といわれるのだ。

そんなわけで、サミュエルソン経済学の中身なんて覚えていない。

そういえば、「乗数効果」なんてことを習ったかもしれない。
それは、「財政出動」で「有効需要」を刺戟したら出てくるんだっけ?
あれ、「減税」でもそんなようなことがあったっけ?

でも、役所で「減税」なんて言ったら、身が危ない。
日本政府の辞書に「減税」なんて言葉はない。
あるのは、「増税」だけなのだ。
それで、どんな増税の方法を編み出すのかが出世の早道になっている。

だから、最初にたくさんのカネをばらまいて、あたかも「経済政策」をやっている振りをする。
その「効果」については、審議会の御用学者がなにか理屈をかんがえる。
その理屈が「理にかなっている」かどうかは、どうでもいい。

どうせやってみないとわからないし、やって効果がなくても後から理由はどうにでもなる。
それより厄介なのは、有力議員へのキックバックを仕込むことだ。
どっちにせよ、増税の理屈になればよいのである。

アメリカ人はバカだと思う。
どうして使う話と増税を一緒にするのか?
先にばらまいてしまえば、国民は喜ぶのだ。
政府のおかげだ、と。

それで、下手から摺り手をして、もうダメです、大変です、デフォルトするかもしれません。
助かる道は増税しかありません、と言いふらせばいい。
こうしたら、国民は、仕方がないと応じてくる。

デフォルトが起きるといえば、コロナのように心配してくれて、ほんとうはどうでもいい「孫子のために」が、決め手になるのは、「現世利益」を掲げる連立与党の信仰の根幹だ。

まことに「愚民」とは便利なものなのである。
「すべては役人のために」という、むかしのビールのコマーシャルをパロディ化して、永遠の役人天国が続く。

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